当サイトにおける林鉄のレポートは、<廃線レポ-04>として平成15(2003)年に公開した真室川森林鉄道が最古のもので、この路線についてはこれまで次表のように5本のレポートを書いている。
真室川林鉄の全体像や歴史については、5番目のレポートの冒頭にまとめているので、その部分だけでも先にご一読頂きたい。
公開順 | 初回公開日 | 探索日 | レポートタイトル&初回リンク |
---|---|---|---|
レポ@ | 2003/12/31 | 2003/11/30 | 廃線レポ 真室川森林軌道 |
レポA | 2004/2/15 | 2003/11/30 | 隧道レポ 真室川林鉄安楽城線 二号隧道 |
レポB | 2004/4/19 | 2003/11/30 | 隧道レポ 真室川林鉄安楽城線 一号隧道 |
レポC | 2006/9/2 | 2006/5/21 | 隧道レポ 真室川林鉄安楽城線 二号隧道 再訪編 |
レポD | 2015/12/12 | 2013/6/9 | 隧道レポ 真室川森林鉄道 高坂ダム周辺区間 |
今回は6番目のレポートとなるが、全く包括的な内容ではなく、20年近くも前に行った1番目のレポートの中にある、“ある失敗の回収”をするだけの内容だ。
説明をはじめよう。
真室川森林鉄道(この路線名は林道台帳的には正しくなく、安良城林道や大沢川林道が正しいが、地元でも広く通用する名前なので真室川林鉄でいく)は、昭和9(1934)年に起点の釜淵駅から、鮭川沿いの大池へ至る本線が開通した時点で、3回もの峠越えを持つ林鉄としては非常に珍しい経路だった。しかも全ての峠の頂上に隧道があり、起点側から1号、2号、3号隧道と呼ばれた。このうち最長の3号隧道は、万助川と谷地ノ沢の分水嶺を貫く全長180mのものだった。
左の図は、かなり大雑把に描いたものだが、昭和14(1939)年当時の路線全体の断面図である。
海抜140mの起点と、海抜220m程度の終点を、約30kmもの長い距離で結んでいたが、途中に大小3つの峠越えがあったことが分かる。中盤の大池辺りが起点より標高が低かったことも特筆すべき点だろう。
だが、重量物である木材を満載した運材列車が峠を登ることは容易ではなく、最も標高が高かった3号隧道を含む大池〜小又間については、昭和18(1943)年に早くも軌道から牛馬道へ格下げされている。その後も牛馬道の名目で利用はされたのだろうが、林鉄用隧道としては短命だった。
3つの峠越えである大池〜釜淵間の探索は、2003年11月にほとんど知識武装のない状態で行われ、現地での場当たり的な古老への聞き取りを柱とした雑な探索だったが、レポ@〜Bのように3本の隧道全てを確認する成果を挙げた。
だが、各隧道とも一方の坑口の現存確認にとどまっており、後年の再探索の余地を残した。
しかも3号隧道については、開口する東口を発見して内部の閉塞を確認したものの、西口については、右の写真の場所を坑口埋没跡地と判断したことで、再訪の機会すら断たれた。
いくら雑な探索だったとはいえ、一度探して「消滅」だと判断した西口を、わざわざ再び探しに行くことはしなかったのである。
それから時は流れて2017年4月、山形県在住の林鉄探索者で、これまでも多くの成果をお伝えいただいている酒井氏から、次のような内容のメールを頂いた。
5月19日に真室川森林鉄道の谷地ノ沢の林道と軌道跡の交差位置から隧道付近まで行ければと思い探索を行いました。
坑口跡を見れればそれでよかったのですが、真室川森林鉄道3号隧道谷地ノ沢側坑口(開口)を確認しました。
まさか開いているとは思わずヘッドライト等車に置いて来てしまったのが残念です。
軌道跡(GPS軌跡探索3回分)及び坑口位置の地図と、坑口前全景・坑口から覗いた内部の写真を添付致します。
なんですとっ!
どうやら、2003年の私が雑な探索で3号隧道の西口跡地だと考えた場所は間違いで、それとは別の場所に、何と開口したままの坑口が発見されたというのである。
彼が添付してくれた画像には、確かに私が見たことのない坑口がはっきりと写っていた。
右図は2003年の探索を振り返って作成したもので、赤い実線がその時に歩いたと思われる軌道跡だ。
そして、誤った位置を坑口跡と誤認したと見られる。当時はGPSを持っておらず、レポートの内容や写真、要した時間などからこの場所ではないかと判断した。
対して、酒井氏から頂いたGPSデータによると、正しい3号隧道西口の位置は、私の誤認したと見られる地点の200mほど北側の谷中であるようだ。
この報告について、同じ探索者としては、悔しいというよりもありがたいという気持ちが圧倒的に勝った。
私の中では完結してしまっていた案件であり、このままだと絶対に気付かぬまま終わったはずだったのだから。
というわけで頂いた情報を受けて、2019年6月9日に、HAMAMI氏と一緒に、やり直しの探索をしてきた。
ただ、別の探索のあとの隙間時間的探索だったので、我々としては珍しく、隧道だけのピンポイント探索を試みた。
接続する軌道跡にも未探索部分があったが、それについては酒井氏から先に報告を頂いていたので省略した。
目指せ3号隧道の“本当の”西口 & 未知の隧道内部!
2022(令和4)年7月30日〜9月4日の期間中、真室川町立歴史民俗資料館にて、企画展「真室川森林鉄道の歴史とあゆみ展」が開催されます。
主催者からご連絡をいただきまして、私が撮影した写真も提供しています。詳しくはポスターをご覧下さい。私も見にいく予定です。林鉄ファンの皆様は、ぜひ一度足を運んでみてはいかがでしょう。
近くにある梅里苑では、開催期間中の土日祝日の各日3回、ほんものの林鉄ガソリンカー牽引列車の乗車体験が可能です(平日は団体予約のみ)。こちらの体験もオススメします。 乗るとたぶんお尻は痛くなるんで、そこは覚悟してね!
2019/6/9 14:02 《現在地》
俺はここに来たことがあるんだよな?
それが、谷地ノ沢から3号隧道西口の近くへ登っていく林道を、おおよそ16年ぶりに訪れた私の率直な感想だった。
季節が真逆なのも、印象が甦ってこない原因だったろう。
前回は自転車で軌道跡の入口まで登ってきたこの林道を、今度はHAMAMIさんを助手席に乗せたエクストレイルで登った。「楽」を覚えやがってと思われるかも知れないが、この林道についていえば、自転車の方がよほど気楽で良かったろう。16年前はそんなことはなかったと思うのだが、今回、車で走るには緊張を強いられるくらい道が悪かった。
ともかく、谷地ノ沢沿いの舗装路から砂利道であるこの林道へ入って約700m、軌道跡の入口を100mばかり過ぎたところに広い土場を見つけたので、そこに車を停めて、残りは歩くことにした。
車を停めた地点から林道……資料によれば滑床山林道という行き止まりの国有林林道……を、さらに登っていく。
16年前に隧道目指して歩いた軌道跡の入口へは行かず、最短距離で直接隧道を目指すべく、林道を行く。
この区間の軌道跡には築堤くらいしか発見がなかったので、再度歩こうという気持ちにならなかった。しかもいまは藪が濃いし、既に時刻も午後のいい時間になっている。
駐車地点から、酒井氏報告の隧道発見地点の最寄りまで、林道を約1.1km歩く必要がある。
写真は駐車地点から100mばかり進んだところだが、かなりの急坂である砂利道の轍が洗掘されて極端に凹凸が深くなっている。
車で奥へ入りたくないと思った最大の理由だ。車で超えてきた下の方にもこんなところがいくつかあって、緊張を強いられたのである。
14:16 《現在地》
駐車地点から15分ばかり歩くと、ポイントへ到着した。
酒井氏が報告して下さった3号隧道西口発見地点は、この場所から谷を100〜200m、高さにして40〜50mほど下ったところだ。
周囲は若いスギばかりの植林地で、16年前に軌道跡を林道から30分間歩いて最後に辿り着いた植林地だと思う。
あのときは植林地に張り巡らされた作業道で軌道跡を見失ったうえに、なんとなくそれらしく見えたところを埋没した坑口跡だと判断して撤退している。正直ほとんど覚えてないが、当時のレポートを読む限りはそうだ。「雑だなぁ」と今なら思うけど、当時はそれで普通だったとも思う。
GPSで現在地を十分確認し、間違いがないことを確認してから、道の左側の目印なき谷へ突入した。矢印のようにな!
青の世界へ突っ込むぞ!
林道のすぐ下は濃い藪で視界が利かなかったが、今は道を辿る必要もなく、
谷を下りていきさえすれば良いので、とにかく低い所、低い所へと、
水の気持ちになった動きで下って行った。
セミの斉唱を掻き分けながら、遠慮なしでガシガシ下って行くと、
植林地を突破して、広葉樹の森へ入った。谷も水を集めだし、足元が湿っている。
そろそろ目標の高度まで下りてきていると思われるが、
本当にピンポイントで辿り着けるだろうか。
ここまでピンポイントの下降だと、さすがに不安になってくるな。
……下りすぎて、あとで無駄に戻る羽目になるのは勘弁だ……。
平らだ…。
この先に、少し広い場所がある。
……軌道跡……なのか?
私は、その広い場所へ出た。 出て、後続するHAMAMI氏を待った。
HAMAMIさん、右見て、右〜!!!
みんなはスクロールしてみて! 上の画像を左へ!
14:23 《現在地》
坑口発見!!!
下降開始から7分後、林道より40mほど下った谷中に、
それはあった!
私を16年も欺いて完全に退けてきた……、あの日の片割れだ!
いま私がいる場所は、16年前に猛烈な灌木帯に散々ムチ打たれながら這々の体で辿り着いた、
あの埋れかけた東口の片割れ! あのときに見上げた高い尾根の裏側にいる。直線で180m離れた地点。
当時GPSがなかったせいで、東口を見つけたあとも、西口を誤った場所で探していたことに気付かなかった。
「山行が」がくれた協力者の力によって、やっと私は正解へ“甦った”!
振り返れば、あの日辿り着くことができなかった軌道跡が……、ここに隠れている。
季節柄、藪が深すぎてよく分からないが…、酒井氏は春にここを歩いてきて、隧道の発見に成功したのだ。
私が16年前に道を見失った植林地まで2〜300mの距離だろうが、あのときの私には、ここまで辿り着く資格がなかったということだろう。
……まるで、洞窟…。
ひどい有様だ。
開口部は結構大きいが、それは発散的に周囲が崩壊しているせいだろう。
土の山に掘られているようで、とても陰気な感じがする。
それに、小さな谷の側面に開口していて、洞奥が谷の下に入り込むようになっているのも、少し変わっている。なんだか地下水が多そうな立地だ。
既に不安な点がたくさんあるが、内部探索という大きな役割を残しておいてくれた彼には、感謝しないとな……。
閉塞確定だけど…。
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