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廃線レポート 祖谷川三縄堰堤軌道(仮称) 最終回

公開日 2026.04.27
探索日 2026.03.16
所在地 徳島県三好市

 片洞門地帯を締め括る難所の連発!


2026/3/16 12:42 《現在地》 

現在地点は、旧三縄発電所対岸にある軌道跡の下流側末端から約1.4km前進した地点で、想定される全長に対して6割程度を終えたところだ。そんなこれまでの成果は、期待を遙かに上回るものがあって、未知の現存橋梁2本と貫通隧道2本を獲得済み!
完全踏破はもちろん、さらなる発見にも期待が募る局面に至っていた。

が、さしあたって今は、難所の最中である。
行く手には、険しい崖沿いの路盤がスッパリ切れ落ちてしまったらしき、あからさまな“断絶”が口を開けている。
向こう側の続きの路盤は間近に見えるが、果たしてこの断絶を越えられるのか、不安を感じる地形であった。

一方、チェンジ後の画像は同地点より振り返ったもので、路盤の幅以上に張り出した巨大過ぎる岩の庇(片洞門)の下に歩いてきた軌道跡が続き、最後は隧道の黒に終わるという、全オブローダー垂涎と言っても大袈裟ではなさそうな眺めだ。



この路盤の“断絶”は、高い岩壁に寄り添うように設置された大きな石垣が、おそらくは過去の水害の影響などで流失した結果であろうと推定される。
あるいは、その一部は桟橋であったのかもしれないが、どちらにしても、原型を止めていない。

それでもここは、心配したほど突破が難しい地形ではなさそうで、まずは安堵した。
もう少し路盤が低い位置にあって、直接深い淵に洗われていたらアウトだったろう。高巻きは不可能な地形である。



“断絶”の突破はシンプルで、路盤が失われた場所の地形に沿って一旦下り、それから上るというものだ。
石垣が崩れて階段状になった岩山を、下って上った。
写真は、上っていく最中のもの。上に見えるのが続きの路盤だ。



12:46

突破&振り返り!

地形的には、ここもただの石垣というよりは、桟橋であった可能性が高そうで、しかもアーチ橋だった可能性もありそうだと思った。
でも残念ながら特定出来るような手掛かりは全くなかった。



辿り着いた続きの路盤は、両側が鋭く切り立つ切り通しであった。
そして、その短い切り通し先は、再びの断絶であることが明確であった。
未だ、この難所は私を解放しないようだ。突破はお預けである。

そんな難所の最中にありながら、これまでも時折現れていた国土調査(地籍調査)の見出標が、この難所の周辺には特に多く設置されていた。
これは単純に調査が行われた目印というよりは、当地の地籍が入り組んでいて、より多くの測量点が必要になった証しと思われるが、結果としてこの“難所”にある崩壊した路盤を縦横に歩き回って測量をしたということで、私のようにただ一方的に通過すれば済む探索者の何倍も大変な移動を、測量器具と一緒に行っている踏破力には感服する。



12:47

ぐぬぅーーー!!!

次の“断絶”は、さらに規模が大きい!

橋台や石垣の痕跡もまるでなく、どうやってこの地形の断絶を軌道が越えていたのか不明だが、20mほど先に確かに続きの路盤が見えるので、越えていたのは間違いない。

結局の問題は、私がこれをどう越えるかの一点である。
断絶の手前も向こうも切り立つ崖なんで、さっきみたいに一度下りてから上ることは難しい。
であるならば……



ここだぁ〜〜!!

絶対に道を企図したものでないのは明らかだが、ちょうど私の“あらまほしき”ところに、ぶっとい生き木の根が這っていた!

それがまさに、崖を横断するための天然の桟橋になっているように見えたのである。

実際に通行に耐えられるのかどうかは、目前に寄ってみないと判断は出来ないが……、試す価値はある!



イケルゥ〜〜!(笑)

これは流石に都合が良すぎて、笑ってしまった。

もしかしたら、国土調査員たちもここを通ったりしたのだろうか。
流石に通行の痕跡は残っていなかったが、あまりにも都合が良い存在だった。
太い根に足を乗せ、上半身は苔生した崖を掴みながら、カニ歩きのようにこの高い岩場を横断して、先へ進んだ。
怖さよりも、展開の面白さが勝っていた。



12:49

よっしゃ! またしても突破!

相変わらず崖側は高い石垣で、これがなければ忽ち失われそうな路盤だが、今はまだ無事。それだけで十分だった。

そしてこの先も10分近く、断続的な崩壊による緊張を強いられたが、そこには直前の崩壊ほどの進退の緊張に及ぶほどの展開はなく、順当に耐え忍ぶことで第二の隧道を戸口に据えた、第二の難所地帯も次第に牙を潜めていった。
ちょうど地形図に崖記号が並んでいる区間と、この一連の難所は対応していた。



12:58 《現在地》

再び、地形の平穏を象徴するようにスギの植林地が現れた。
しかも、ここは路盤を含む平場が、とても広く取られていた。
複線どころかそれ以上の広さがあった。
明らかに人為的な平場であり、特に川側に石垣が築かれていることからも、意図してこの広さを得たことがよく分かった。

チェンジ後の画像も、この広い平場(広場)で撮影したものだが、広場全体が同じ高さではなく、山側に低い石垣で区別される一段高い平場があり、そこが軌道跡であるようだった。
川側の広場は、土場のような作業スペースや、建物用地といて使われていたのかも知れない。
いずれにしても、この場所には軌道時代に何かの施設があったのだろう。



50mほど進んで、広場の終わりに差し掛かると、前述した山側の一段高い部分だけが先へ進んでいくことがよく分かる。
間違いなくそこが軌道跡である。
ずいぶんと林相の荒れ果てたスギ林であるため、倒木や落ち枝が多くて歩きづらかったが、命に関わる難所よりはマシであると言い聞かせながら進んだ。



12:59

そして広場を過ぎるとすぐに、周囲がスギ林であるまま、地形図上においては道中最大のイベントであった、祖谷川に注ぐ無名の支流を軌道跡が横断する場面に差し掛かった。
前方から、勢いよく沢水の奔る音が近づいてくる。

この軌道跡を歩き始めた大序盤、沢でもないところに【立派なコンクリート桁橋】に遭遇したのである。
であればこそ、明確な谷筋であるこの場所には、それなりの橋梁があることを大いに期待していた。



が、そこに橋の痕跡と言えるものは全く何もなかった。

両岸の橋台すら残っていなかった。

谷の周囲にあったのは人工物ではなく、それを壊し尽くした水の流れだった。
平水時こそ、ご覧のような小さな流れであるのだが、三縄ダムによってある程度制御されている本流と比べて、この支流が増水したときの暴力は苛烈なのだろう。
桁も橋台もなくなっていたが、対岸にも谷を離れてすぐに続きの路盤が見つかったので(チェンジ後の画像)、横断していたこと自体は間違いなかった。

ともかく、この地形的に明瞭な進捗地点を越えたことで、踏破完了は1.7km、残りは推定1.2kmになった。



13:08 《現在地》

支流を渡って200mほどスギ林を進むと、より規模の小さな(地形図には水線のない)支流にぶつかった。
今度は両岸に空積みされた石垣と築堤があり、木橋で渡っていたことが明瞭だった。
この小支流も突破は容易かったが、対岸に残る橋台の姿が、ちょっとばかり印象的だった。



絶倫の2文字を連想したとだけ言っておこう。



いや良くほんとそんな石垣の隙間から、ここまで育った。

つよスギ。






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