2014/12/27 10:39
マジで、ありやがった。
期待した結末であったとはいえ、驚いた。
そしてこの結果により、私が今まで探索してきた延べ数百キロにも及ぶだろう林鉄跡での経験が、おそらく千葉県にただ一つ存在したこの林鉄では通用しなかったことを思い知った。
半信半疑どころか、一時は“一信九疑”と言えるほど「軌道跡であること」を疑わしく思っていた谷筋の奥にそれ……隧道は……、あったのだ。
あってしまったからには、これはもう信じざるを得ないということだ。
私が辿ってきたこの支谷に、路盤が実在したということを。
この結果に、私は当然歓喜した。
それも猛烈に。欣喜雀躍。大袈裟でなく、この無人境に雄叫びを木霊させていた。何度も咆吼した。
なにせ、この発見は私にとって、初情報から3年以上の雌伏を経たものであった。しかも一度は敗退した上でのリベンジ成功だっただけに、カタルシスは半端ないものがあった。
「爺さん、俺は辿りついたぞ!!」 …そんなヒロイックで妄想的なセリフが自然と口を突いていた。
暫しの沸騰するような歓喜の興奮の後にも、ジワジワと電気毛布のような愉悦が続いた。
そしてそれらの全てを、私は満身に享受した。
まさに、至福の時間だった。
……それでは落ち着いたところで、3年越しの隧道発見の現場となった地形を、当日のGPSデータによる「現在地」(→)と共に見てみよう。
まず、ここは前回最後も書いたように、普通に徒歩で谷底を歩いて登れる最奥地点と言えるような地形である。
現場は平時には水のない滝壷の傍らであり、以奥の谷は鋭い滝になっていて、もう辿れない。
一方、地形図上での「現在地」は、私が“トロッコ谷”と呼んできた本流の谷から、支谷を水平距離で約150m遡った地点“付近”である。
(GPSを利用しながら“付近”としか言えないのは遺憾だが、谷の深い場所であるため、いくら待って測位が一点に定まらなかった。そのため最大で50mくらいは誤差が有るかもしれない。)
また、支谷は本谷より遙かに急峻であるから、この遡上の間でおそらく20m前後は高度を上げているだろう。
単純に計算しても、水平距離150mで高度を20m上げる路盤の平均勾配は13%(130‰!!)程度となり、到底常識的な鉄道の勾配ではないことが不思議だが、本谷から分岐する時点で谷底より10mくらい高い所を通っていたとか、実は支谷内で九十九折りがあったとか、何か策を弄していたのかも知れない。
残念だが、現状の谷に残るいくつかの橋脚孔程度の遺構では、正確な路盤の位置を知る事が出来ず、この謎も解明に至っていない。
はじめは倒木に右半分を隠された姿で現れた坑口だが、近付いてみると、思いのほかに大きかった。
まさにそれは、“見馴れた”林鉄用隧道のサイズ感を持っていて、過去にトロッコ谷の内部でも多く目にした水路用隧道とは根本的に違っていた。人だけではない、車両交通に開かれたサイズ感。こんな無人の山中に存在する人工物としては桁外れのデカブツで、過去の盛況を想像させるに容易かった。
そしてさらに近付くと、いよいよ内部の様子が見えてくる。
この段階で、初めて洞床が、外の地面よりも低い位置に有ることが分かった。
暗い洞内を、外から見下ろす感じがある。このことも、遠目に坑口が実際より小さく見えた原因であった。
つまり、坑口前を遮っていたのは多数の倒木だけではなく、大量の土砂でもあったということだった。
それでも坑口の埋没に至っていなかったのは幸運であり、坑口が決して小さくなかったことと、坑口のある岩盤がそれなりに堅く圧壊しなかったこと、そして大雨の度に谷に水が流れることで、ある程度の堆積物が押し流されただろうことが、功を奏していたのだろうと想像出来た。
しかしこのこと……、坑口に注いだろう多量の沢水の存在は……、私に、埋没とは別の重大な懸念を抱かせた。
坑口に立って、来た道(道か?)を振り返っても、
ダムのように堆い倒木と土砂の山に視界を遮られて、遠くは見えない。
そのために、隧道は遠くから全く見通せず、まさに、
辿り着いた者だけに開かれた存在となっているのであった。
そんなシチュエーションがもたらす、 重大な懸念 とは――
言うまでもなく、洞内の水没であったのだが、
とりあえず坑口から見える最序盤に、水面は見えなかった。
坑口の土山から見下ろす洞床らしき部分には、乾いた木っ端が沢山に溜まっていて、
それはさながら、水の干上がったダム湖畔のように見えた。
この状況に、一先ずは胸をなで下ろすも、同時に、出口がまだ見えていない事にも気付く。
………。
第一の古老の証言の通りであれば、この隧道の長さはなんと、500mにも及ぶという。
故に、内部に閉塞などなくても、入口から出口を見通せない可能性は十分にあった。
ただ、未だ流れる風が感じられないことは、一層の不安を駆り立てた。
………確かめる術は、もちろん分かっている。
私の手に届く全ての未知を解き明かすために、私は潜る!
10:44
隧道内部へと、進入を開始!
写真では洞床の勾配が分かりにくいと思うが、既に述べた通り坑口前には大量の土砂が山を作っており、本来の洞床に近い“底”よりは2m程度は高くなっている。
そのため、内部に入る最初の行為は、堆積した土砂の山を下ることであった。
日の射さない場所にある土砂は湿り気を帯びていたが、滑りやすい程の勾配ではなく、労せず“底”に足を付ける事になった。
右の写真は、“底”の様子である。
斜面とは違い濡れた泥が堆積しているが、ここも心配したほど泥濘むことはなかった。
こうして私は隧道の内部へ入ったが、眼前に広がる光景が、すぐに私の足を止めさせた。
凄い……!!
私は、自身の強運に歓呼の叫びを上げるのを、噛み殺して耐えた。ここには、僥倖というべき幸運が、二つ同時に現れていた。
一つ目の幸運は、微かではあるが、出口の光が見えていたこと。
私という探索者にとって、隧道を見つける事が第一の歓びで、その次に大きな歓びは、隧道の通り抜けである。
完抜をすることは、通路として産み落とされた隧道の本分を再現することであり、極めて重大な意義を感じている。
入洞直後に私が見た洞奥には、確かに小さな光が灯っていた。
もっとも、その明かりの形は明らかに本来の坑口の姿に較べて歪で、洞中ないしは坑口に光を遮るものがあることを物語ってもいた。
よって、私がこの隧道を通り抜けられるか否かは、この段階では分からなかったが、光が見えたことは、その希望を大いに昂ぶらせたし、同時に光の小ささは、予言された隧道の全長が真に迫っていることを感じさせた。
そして二つ目の幸運は、洞内の水が引いていたことだ。
私は入洞前に、堆積物に坑口を半分塞がれた状況を見て洞内の水没を心配したが、それは半分ハズレ、半分当たっていたことになる。
私がそれを知ったのは、両側の壁面にくっきりと現れた水平線の存在による。
それも、上下2列の線がくっきりと現れていて、本隧道に2つの異なる水位の時間が、それなりに長く続いていたことを物語っていた。
科学者ではないので、具体的にどの程度の期間水に浸ってこの模様が現れたのかは分からないが、そう短期間ではないと思う。
そしてこの上下2本の水平線のうち、上の線は、ちょうど私の頭頂部の辺りにあった。
もしも今日、この水位を保っていたら、私は隧道を通り抜ける事を諦めるしか無かっただろう。
下の線はへそくらいの高さであり、これであれば探索自体は出来ただろうが、悲しい気持ちになったのは間違いない。
何にしても、上の線の水位でなかったことは、本当に良運だった。
ここに水が溜まるのは全く不思議ではないが、水が引ききっている理由は分からない。
洞内を見る限り、奥の方が高い気配があるから、水深が最も深くなるのは、この辺りだと思うのだ。
しかし、背にした坑口の天然ダムが決潰した様子は無いし、この巨大な隧道内を人の背丈ほどの深さで満たしていた膨大な水が、どのようなメカニズムで消えたのか不思議である。
なお、当然のことながら、洞床も長い水没を物語る状況である。
外部から流入したとしか考えられない木っ端や落ち葉などが、チョコレート状の泥と共に相当奥の方にまで浅く堆積しているのは、水没の時間が長くあった証明だ。
さらには、水平線以下の壁面にも、沢山の乾いた泥や、枯葉の欠片が引っ掛かっていた。これも水没の証拠である。
原因不明の“水引き”を前にして、私の興奮度は再度はち切れそうに高まった。
まるでこの状況は、どこかで見ているオブの神様が、かわいい信者の私による探索を察知し、前夜のうちに超常のチカラを以て排水したのではないかとかと思われる状況だ。
今日の私は、どこまでもツイているかも知れない。有頂天になっても、いいかもしれない。
喜色満面で、少しずつ洞奥へ歩みを進める。
その途中、ふと思い出し、ウェストバッグからメジャーを取り出した。
隧道の横幅を、計ってみることにしたのである。
――長さ500m、幅2mくらいのトンネルがあり――
これは流石に出来すぎのようだが、洞床部の横幅は確かに2mだった。
或いは、第一の古老も計ってみた事があるということなのか。(であるならば、500mという全国林鉄屈指の長さも、もしかしたら…)
ともあれこの2mという幅は、軌間762mmのナローゲージを中心に敷設し、その上に木材を山積みしたトロッコを通行させるならば、誠に理に適ったものである。
流石に枕木やらレールやらは洞内に見あたらないようだが、トロッコ用隧道であることは(外の景色を除けば)かなり疑いが無くなってきたのではないか。
なんて思っていたら、レールや枕木ではないけれども、ここが鉄道用隧道であることの証明に限りなく近いものが現れてくれた。
待避坑だろ、これ!!→→
――待避坑。
基本的に、鉄道用の隧道にしか見られないオプションパーツ。
ある程度の長さを持つ林鉄用の隧道にも、普通の鉄道トンネルの場合と同じように、こうした待避坑が存在する。
そして今、ここに待避坑としか思えない作りの凹みが、現れた。
これは、決定打となった。
隧道があっただというだけでは林鉄用とまで断じられないが、これはもう決まりだろう。
10:48 (入洞開始4分経過)
相変わらず、隧道は続いている。
やはり、長い。長いぞこれ…。
右の写真は、振り返って撮影した入口だ。既に100mほどは進んでいるのではないだろうか。
対して左の写真は洞奥方向だが、どういう訳か、最初は小さく見えていた出口の明かりが、見えなくなっている。
角度の問題なのか、光の加減か分からないが、近付いていなければならないはずの明かり見えないのは、騙されたみたいに不安だった。
その一方、着実に進んでいることを感じさせる事実もある。
それは、壁面に残されている“例の水平線”のうち、上側にあった線が、間もなく洞床に接しようとしている。
つまり、坑口からここまでで、私の背丈と等しい約1.7mの上り勾配があった事になる。
林鉄の隧道内にしては、結構強めの勾配と思える。
遂に、過去の水没エリアを脱したと思われる。
壁面にあった水平線も洞床の泥の堆積もなくなり、相変わらず緩やかに上り続けている洞床には、陸の上を水が流れたときに作られただろう溝が出来ていた。
溝はそう深いものでは無いが、その底には地層の縞模様が鮮やかな岩盤が露出し、隧道の建設当初に掘削された基面と見られる。その上に砂利を敷いて洞床を作った上で、開通したはずだ。
右の動画は、今説明したような内容をボソボソと喋っているだけで、大した事は起きていない。
ただ、隧道内のナマの空気感のようなものが伝わればと思って、公開することにした。
なお、動画は写真に比べて非常に暗いが、これもフラッシュ撮影の写真とは違う、肉眼で見たときの洞内のナマの明るさに近い。
決して、隧道発見の歓喜のままに潜り抜けられるような、生易しい空間でないことが伝われば幸いだ。
依然として出口の明かりを見失ったまま進んでいくと、二度目となる待避坑が、前と同じく進行方向右側の壁に現れた。
こうして二度目が現れた事で、先ほどの凹みが単なる試し掘りや崩壊によるものではなく、待避坑であった事が裏付けられただろう。
待避坑の壁には、あまり多くはないが、コウモリが生息していた。
千葉県は隧道の数こそ全国屈指であるが、廃隧道であってもコウモリの数は他の地域ほど多くない気がする。
きた!
再び、出口の明かりが目視出来るようになった。
しかも、かなり近くにある気がする。
相変わらず、小さくか弱い光に違いは無いが、前は、「遠いから小さいのか」「開口部が小さいから小さい」のか判別し難かったのが、今は明らかに後者であると分かる。
そして、これは……、危うい気がする。
果たして人が通り抜けられる程度の開口部が存在するのか、微妙な感じ…。
もしも、無理だったとしたら……。
……この先へ進むには、相当の苦難が予想されるが……。
そうこうしているうちに、第3番目の待避坑が現れた。
やはり今回も、向かって右側の壁だった。
相変わらず、洞床は上り坂であり、最後まで片勾配なのだろうか。
そして今回の待避坑は、今までで一番形が整っていた。綺麗である。
第三の証言者曰わく、「廃止されたのが、昭和12〜3年頃」というから、建設はそれよりも古いのだろう。
もし仮に大正時代であるとしたら、明治隧道天国でもある房総の隧道としてはさておき、林鉄隧道としては全国的に見ても古参であるし、当時の林鉄隧道の待避坑となれば、なおさら数は少ないだろう。
全国的な林鉄の構造規格が定められる遙か以前の構造物であるのも面白い。
さらに考えてみれば、完成時点では日本最長の林鉄隧道だった可能性さえある。
―――そのようなことを期待したくなる程度には、この隧道は長い。
右の写真は、出口まで残り50mを切っている第三待避坑付近より振り返って撮影した入口だ。
こちらはほぼフルサイズのシルエットであるにも拘わらず、かなり小さくしか見えない。
それだけ遠いということだ。
…点上手く外に出られたら、GPSで現在地を計るのが、とっても楽しみだ。
長さの実感として、第一の古老が言う「500m」にはやや及ばない気がするが、300mはあると思う。
このくらいの差は、房総にある他のトンネルと較べて「長い」と感じる点で違いはなく、廃隧道としては圧倒的に長い。
正確に調べたわけではないが、平成20年代の今日においても、千葉県の道路トンネルに(高速道路や自動車専用道を除けば)1kmを越えるものは、未だ存在しないと思う。
仮にこの隧道の長さが300mだとしたら、房総最長の廃隧道の座はここか、或いは同じ路線内の田代川と笹川湖底を結ぶアレかという、内輪の頂上決戦になると思う。
圧倒的じゃないか、我が林鉄は。
10:54 (入洞開始10分経過)
もう出口はすぐそこにきているのが分かる。
だが、ここに来て急に霞が濃くなってきた。
洞内の湿度が過飽和している。当然、空気の流れも感じられない。
あまりにも朧気な出口の光が、私を無言で脅迫しはじめた。
これ以上進むのが、怖ろしい。
…おいー……。
どうなってる、これ……。
外の明かりは、直接見えていたのでは無かった。
上方から斜めに入り込んだ光が、坑道をほぼ塞いだ瓦礫の山を僅かに照らしていたのである。
道理で、最後まで光の形が定まらず、これほどにか弱かったわけである。
問題は――
私の身体が通り抜ける余地が、あるかどうかだ。
ここまで私を運んでくれた“幸運”が、仮初めではなかったことを願いながら、
濡れた瓦礫の、或いは木っ端の斜面を、四つん這いでよじ登る。
気分は、お釈迦さまの垂らした蜘蛛の糸に縋るよう。
たのむ〜〜。
くっそ!! 邪魔だぁぁ!
もともと僅かしかない外への隙間が、一抱えもある倒木を、クソ憎たらしい位置で銜(くわ)え込んでやがるッ!!
だが、直接の外の光が、もう手を伸ばせば届きそうな位置に見えているのだ。
ここで再び闇の世界へ戻れとは、オブ神様も非情過ぎる!!
………。
ぬぅぅおおおおお!
全身全霊の力を込めて、動かせる障害物を動かして、通路を作り始める私。
僅かな確率とはいえ、私が動かしたことで障害物のバランスが崩れ、
生き埋めになるリスクはゼロでは無かったかもしれないが、
ここで必死に頑張れば外へ出られるように思えて、私は頑張った。
おおおお−!!!
バキィッ!!
脱 |
成 |
10:57 (入洞開始から13分後)
私は、最後の難関であった木の獄壁を突き破り、
隧道の獄界より、明るい地上へと生還!
未知の世界へ、新たな一歩を刻んだ!
お読みいただきありがとうございます。 | |
当サイトは、皆様からの情報提供、資料提供をお待ちしております。 →情報・資料提供窓口 | |
このレポートの最終回ないし最新回の 【トップページに戻る】 |
|