小坂森林鉄道 濁河線 第12回

公開日 2014.12.31
探索日 2013.05.02
所在地 岐阜県下呂市

飴と鞭 取水堰まで残り1km地点から


2013/5/2 13:24 《現在地》 

崩落した隧道を乗り越えて、取水堰まで推定1kmとなった。
そろそろ、取水堰側から立ち入った探索者の足跡が増えてきても良い頃合いだと思ったが、路盤の状況に変化は見られなかった。このことに不安を感じ始める。

とはいえ着実に濁河川の水面との高度差は減ってきており、今や路肩から川面が直接見下ろせる状態だ。
(写真は振り返って撮影)

地形図を見る限り、この先も簡単では無さそうだ。
取水堰までの区間の全体に等高線が密に描かれており、しかも両岸が噛み合う歯車のようにギザギザの蛇行をしていた。




隧道を離れて間もなく、路肩の下の谷側斜面に面白い形をした岩を見付けた。

まるで、コンクリートか石積みの橋脚のような形をしている。
上は平らで、柱は下の方が細くなっている。
柱状節理だろうか?
辺りに似たような岩はなく、一つだけポツンと立っているのが、異様だった。




さらに進むと、大規模な崖錐の斜面が登場した。
ただし、さほどの傾斜ではないので、これならば路盤が完全に飲み込まれても、突破の障害にはならないと判断した。

目的地までの残りの距離が減ってきているので、今は多少荒れていても、前に進めるならば十分と思った。
恐れていたのは、短距離でも前進に窮するような、Aクラスの難関の出現だ。
そういう意味では、区間は長いが踏破そのものは難しくない大規模な崖錐斜面は、確実に前進できる距離をまとめて稼ぐ事が出来る“ラッキーエリア”だとさえ考えた。




13:32 《現在地》

…やばくなった。

さほど苦労しないと思った崖錐斜面に突入して3分後、
写真の場面を前に、自然と足が止まった。

ここはもう崖錐(崩れた瓦礫が自然に堆積した斜面)ではなく、“崩壊”である。
路盤が崩土に埋もれているのではなく、岩盤ごと崩壊して、流出してしまっているのである。

以前から言っているとおり、“+の崩壊”(崖錐)は見た目が派手でも案外に難しくない。
難しく危険なのは、“−の崩壊”(欠壊)なのである。 まさにここがそうだった。



本日初となる谷底まで下降しての迂回も考えたが、傾斜がきつく即座に谷底へ降りれるような場所が無いことと、今後登れる場所の目処もないことから、このまま横断する事に決した。

左の写真は、だいぶ前進している。上の写真の中央に見えている緑の部分ではなく、さらに先だ。
この崩壊斜面は想像以上に規模が大きく、おそらくは前方に張り出して見える尾根の辺りまで、ずっと続いているのだろう。




崩壊の核心部と思われる辺りを、やや高巻きながら横断中。
写真は崖下を見下ろしての撮影である。

路盤があった辺りから下は、垂直に切れ落ちていた。落ちたらまず助からなさそうである。
写真左に見える平らな部分が、路盤の成れの果てということだ。
そこには僅かにレールの切れ端が見えたが、このすぐ左側も大きく抉れていて、短い孤立した路盤であった。
私はそこへは降り立たず、このまま高巻きを続けて、斜面全体を大きく越える事にした。



ひやひやしながら、慎重に高巻きを続け、ようやく降り立てそうな路盤とレールが見えてきた。
写真の高度感からも、今回の高巻きの大きさが分かるだろう。
ちなみに写真の右に見える出っ張りは、上の写真の左側に見える部分である。

この一連の崩壊地は、土砂がかなり締まっており、爪先でグリップを堀ながら進むのに苦労した。
万が一スリップし始めると、落ち葉の存在もあって止まり難そうだったので、より慎重にならざるを得なかった。見た目以上に怖い斜面であった。目立つ踏跡や存置ロープなどがないこともあり、これまででは最大の難関だと思う。


ともかくこうして…

約10分ぶりに路盤へ復帰! したらば!




13:38 《現在地》

ご褒美、キタ――!!

実は内心で隧道の存在を期待した尾根突端を通過する部分だが、
隧道は存在しなかった。その代わりに、カーブした小さな掘り割りがあった。

そして、このカーブした路盤の美しさが、私を喜ばせた。
レールだけでなく、枕木までよく見えており、これは

大崩壊を突破した者に与えられた褒美だ!

…と感じた。




この部分の幸福なる歩行シーンを動画に収めたので、
ぜひ全画面表示にして、ご覧頂きたい。



これもステキだなぁ。

現役と見紛うばかりの健康優良な路盤も良いけど、
こうしてちょっとだけ壊れているのも、廃線跡らしくて素晴らしいな。

幸せ度MAXの尾根を過ぎ、いよいよ残りは700m前後か。




しかし、またしても行く手に不穏な雰囲気が。

蛇行する谷筋に沿う道は皆その傾向(法則)があるが、尾根の部分は損壊が少なく、尾根の対岸の部分、即ち水流に脚下を削られる斜面では損壊が進み易い。

そしてこれとは別の法則として、当然のことであるが、位置的に近い場所には、似たような場面が現れ易いということがある。
位置が近いと似た風景があるのは当然と思われるかもしれないが、路盤の状況に最大の影響力を持つ地質的な条件が似通う訳だから、近い場所には似た景色が現れる。

これらの法則性と、尾根の直前で大規模な崩壊現場に苦しんだ事実を考えれば、この先の状況に大きな不安を抱くのは自然なことだった訳だが…。




13:44 《現在地》

ついに来てしまった。この時。

ひと目見て分かったぞ。 ここは無理だなと。

典型的な “−の崩壊” 現場である。
路盤が完全に流出し、その下端は谷底まで達している。
宙ぶらりんのレールだけが歪に対岸へ渡っていた。
斜面には基盤層らしき切り立った岩盤が露出していて、そこには手掛かりとなるような灌木もない。
横断不能…。 これまで5kmほど上部軌道を歩いたが、初めて横断不能な欠壊に遭遇したのであった。



思えば、ここまで一度もこういう場面が現れなかっただけでも、十分恵まれていたと感じる。
特に整備などされていない状況であるから、軌道がそれだけ巧みに作られていたということなのだろう。安全な場所を出来るだけ選び、路盤自体もそれなりに堅牢に施工していたのに違いない。
それともう一つ、世の中にある大半の“林鉄跡”よりも、この路線は遅くまで現役だった事も重大だ。
世間の林鉄の多くは昭和30年代か40年代初頭に廃止されたが、ここは昭和47年に至るまで運行が行われていた。
この10年程度の差は、あらゆる場面に作用している。(今から10年後のオブローディングはもっと大変に違いない)

この場面で私が取るべき道は、一つしかない。
おおよそ6時間ぶりに、この濁河川の谷底へ降り立つのである。
しかし、辺り一帯はご覧のように切り立った川岸であり、下降可能な場所を探すのに苦労した。



結局、崩壊地点と先ほどの尾根の中間付近まで戻った所で、ご覧のような下降が可能そうな地点を見付けた。

とはいえ、ここでもかなり険しい斜面であり、特に下部には岩場が露出していて、危険があった。
しかし、ノーザイルで下りれる場所は、ここ以外にはないと思われた。

(しかも、これは全くの偶然だが、ちょうど下降地点のすぐ下に滝と淵があり、両岸が門戸のように狭まっているため、仮にこれより下流の河床に降り立ったとしても、沢登りの技術が無いとこちら側へは来られない状況になっていた。ここで下降できたのは、本当にラッキーだった!)




苦労したが、無事に谷底へ降り立つことに成功した。

半日ぶりに立つ濁河川の谷底であるが、3kmほど下流の遊歩道の吊り橋から見たときに較べれば、水量は半減以下に減っていた。
このくらいの水量と、ここから見えるような渓相が続くならば、もはや軌道跡へ復帰することなく、このまま谷底を遡って行った方が、楽に進めそうだと思った。




谷底から見上げる、正面突破を断念した欠壊地点。

ここからは路盤へ復帰する余地はなく、黙って先へ進まざるを得ない。レールが寂しそうだ。



13:55 《現在地》

レールが残っている路盤を近くに確信しながら、谷底から見過ごすと言う事が出来ず、結局すぐに路盤へ復帰してしまった。疲れた。

路盤崩壊の規模としては決して大きくはなく、また迂回自体も比較的コンパクトに収める事が出来たと思うが、それでも僅か50mを前進するのに11分の時間を要していた。
あと、目に見えないが、確実に疲労の度合いが蓄積していた。

私はこの段階でも、今日の残りの行動計画を決めかねていた。だから、ゆっくり休む事が出来なかった。
理想としては、このまま一気に2.5kmほど先の終点まで攻略してしまいたかったが、それにはいかにも時間が足りないように思われた。
いくら日の長い時期とはいえ、もう午後2時前だ。不安定な廃道探索は、あと3時間が限度である。
しかも、今日はこの林鉄の探索が終わっても、すぐゴールという訳ではない…。(今日の行動計画については「導入」を見て欲しい)



セオリー的に考えれば、無理矢理今日中に探索を全て終えようとせず、明日また取水堰から上流の2kmを改めて探索した方が、いいに決まっている。
その方が時間にも体力にも余裕をもって行動できるし、発見に繋がる探索の密度も濃くなるはずだ。

しかし、そうするためには明日予定していた当初の計画を犠牲にしなければならない。
それに、まとめて一日で探索するよりも移動すべき距離も増える。(移動に重複が発生する)

足元の探索を進めながら、今日のこれからを考えなければならないジレンマに、今日はじめての苦悩を感じていた。


…決めた。

今日の軌道跡の探索は、この先間もなくに現れるだろう取水堰までにしよう。
今日はそこまで探索したら、予め「追分」にデポしていた自転車を回収して、帰還しよう。
残りは明日の朝一で探索したい。

私が(私にしては)珍しく強行軍を捨てて、賢明な決断をした理由は、とても単純だった。
それは、こんな理想的なシチュエーションの林鉄跡を探索出来る機会が、これから何回あるだろうかと考えたのだ。
ここでいつものような拙速に陥り、そのために今しかできない貴重な発見を見逃すという事を、出来るだけ避けたかった。

濁河上部軌道とは、それほどのものであった。



この決断により、私が私自身に与えていたプレッシャーが、一気に和らいだ。

それからすぐにご覧のような大決壊現場が出現し、再び谷底への迂回を余儀なくされたが、時間と気持ちに余裕があればこそ、さほどの苦にはならなかった。




この2度目の迂回は、崩壊の規模については1度目よりも大きなものであった。
しかし、川岸の傾斜が比較的穏やかだったので、容易に先へ進む事が出来た。

ここを越えたことで、GPSの画面上での現在地点は、取水堰まで残り300mを切った。



14:11 《現在地》

川から上がり、再び路盤に復帰した。
ここでもそれが当然であるかのように、綺麗なレールが待ち受けていた。

もう間もなく取水堰である。
そしてそこから先の軌道跡は、部分的に車道化(林道化)している見込みである。

この車道化は終点まで及んでおらず、その終点の状況は明日確かめられるだろうが、もしかしたら、こうして路盤にレールが残っている“特異区間”は、取水堰までかも知れない。
取水堰よりも上部は林道の開通に伴ってレールを回収されている可能性があるし、それ以外にも、林道近接による攪乱的な状況の変化を覚悟しなければならない。
人も(ここまでの区間よりは)いくらか入っていると思う。

これでレールは見納めなんてことにならないといいが、こればかりは分からなかった。



見えてきた!! 取水堰!

遊歩道の吊り橋以来、半日以上も目にする事がなかった現代文明の施設だ!

銀色に輝く鉄管路は、ここまで長らく我が物顔で私の行動を制限していた濁河川を、いとも容易く跨いでいた。
なんという頼もしさだろう。人類としての強力な援軍を得た気分である。事実、これで今日の生還はほぼ確定だ!



しかしこの期に及んで、またしても大きな崩落に行く手を阻まれた。

これは相当古くに崩れたらしい斜面である。
路盤は堅く締まり、灌木さえ育った崖錐によって、完全に埋もれていた。

しかも、この埋没区間が長かった。
路盤が全く見えず、絡みつくムチのような灌木の枝に辟易を覚える斜面を、5分近くもかかって、ようやく突破したのだが、

そこに現れた路盤には、




無かった。