原町森林鉄道 新田川支線  その1

公開日 2006.05.18
周辺地図

 今回紹介するのは、山行がとしては初の福島県内の森林軌道となる、原町(はらまち)森林鉄道新田川(にいだがわ)支線である。
 福島県はかつて南東北3県内最大の林鉄路線網を有しており、特に浜通地方と呼ばれる太平洋岸のエリアから、内陸の阿武隈高地の奥深くへと伸びる路線が多数存在した。
原町森林鉄道もまたそのような路線のひとつで、常磐線の原町(はらのまち)駅は、扇状に山地へ広がった路線網の要であった。
 新田川線はその名の通り、新田川に沿って上流を目指した路線で、原町郊外の大木戸付近で本線から分岐した新田川線はやがて新田川のV字峡谷に出会い、その後は終点の野手上付近まで新田川と限られた谷間のスペースを奪い合う様にして伸びていた。
昭和4年頃に竣功し、戦後の昭和34年に早々と廃止されている。

 この原町駅から終点まで23kmほどもある長大な路線の中で、私が探索を試みたのは中盤の新田川渓谷と呼ばれる部分である。
この路線が『街道WEB』(管理人:TUKA氏)に紹介されたのが昨年の春頃で、強烈な切り通しや隧道の存在を知るや自身でも辿ってみたいと思っていた。
このたび、念願の新田川林鉄訪問が叶った。




未踏エリアを求めて

 特に今回私が訪れたかったのは、TUKA氏が時間的な都合により探索を打ち切った先の、右の地図中では青色で示した部分である。地形図などで見る限り、この部分にも点線で軌道跡をなぞったと思われるルートが描かれているものの、10年近く前に刊行された『トワイライトゾーンマニュアル6(ネコパブリッシング刊)』には、崩壊と薮のため通行が出来ない旨の記述があるという話しも聞いている。
つまりは、山行がの探索の動機としてはいつも有力な、「挑戦したい」という気持が、この探索を決行した最大の理由である。

 今回の計画では、林鉄探索としては珍しく、上流側から下流へ向かうルート選定を行った。これは、万一の通行不能時に引き返しのタイムロスを減らすためである。
『街道WEB』などによれば、主要地方道原町二本松線と助常林道を経由して“先回り”が出来るらしいので、今回はこれを利用させてもらう。
助常林道上の適当な地点で車を停め、そこから徒歩にて軌道跡を下流へ進行。約4.6kmの道程でTUKA氏が発見した「新田川隧道」に至る計算だ。
この先はTUKA氏がレポートされたルートに重なる。石神発電所付近の車止めまではさらにもう3.2kmほど歩かねばならない。ただ、この区間も退屈はしないと聞いているので、楽しみである。

 この計画を円滑に行うためには、上流と下流の両側に車をデポしておく必要がある。
よって、本計画では久々の合同調査を実施した。
協力してくれたのは、くじ氏 である。



【レポ開始 2006年4月22日 午前7時10分】

 嬉しいことに、福島県内での私は、殆どどこへ行っても初めて見る景色ばかり。

 アプローチに利用した主要地方道原町二本松線だが、この道は十分山行がのネタになりそうな道。
二桁県道なのに路面は簡易鋪装だし、道も滅茶苦茶狭い。随所には古ぼけた石垣や橋があったりと、チャリで走っていたらネタにしたかも。

 いろんな事を考えているうちに、私とくじ氏の乗った車はあっという間に、第一のポイントである助常林道の入口に到着した。
林道は右の道である。



 簡易なバリケードが置かれた林道の入口には、見慣れない木柱が建っていた。
まるで、一本の柱で鳥居を表現しようとしたかのような不思議なデザインで、別に何か実用的な意義があるようには見えない。
単に林道入口の目印なのか、或いは鳥居のつもりなのか…。
 また、その袂に建つ看板の方も、読んでみるとなかなかに奇抜なことが書かれていた。



助 常 林 道

この林道は、前橋営林局原町営林署が管理する専用林道です。
この林道を、旅客輸送・資材運搬、などで定期的、または、一定期間を通じて継続的に利用しようとする方は、原町営林署へ申し出てください。
国有林野事業に支障のない場合は、利用できますので、所定の通行料金を納入の上ご利用ください。
通行料金については、下記営林署、または担当区事務所にお問い合わせください。

    原町営林署長

 うわっ、金取んのかよ。
 せこくね?






 で、ゲートを退かして入ってみると、そこにはなかなかハードな山岳道路が待っていた。
県道側からは峠まですぐだが、そこから新田川の谷底まで下る部分がハード。
かなりアグレッシブなルート設計がなされており、途中には欄干のない細いコンクリート橋が何度かある。
左の写真もそんな橋のひとつ。
橋の手前でひっくり返った標識があったので発掘してみると、旧式の「CAUTION」標識がコンニチワ。
 橋ばかりでなく全体的に狭く両側崖という場所が多いので、対向車が来ないかヒヤヒヤしながら車を走らせること数分。
ようやく、白く光を反射させる川面が見えてくる。



 県道から2.4kmほどで、写真の広場に着く。
林道は真っ直ぐ新田川上流へ向けて続くが、我々が踏破しようとする区間は下流方向なので、ここに車を停めて軌道跡へ降りることにした。
この広場から緩やかな斜面を10mほど下ると河原に近い軌道跡の平場に降りられるし、林道をこのまま進んでも50mほどで軌道跡と合流することになる。

 なお、この地点の上流にも軌道跡は林道化した部分を交えながら続いている。
詳しくは『街道WEB』に紹介されているのでご覧頂きたい。



 くじ氏は山行がと同行するのも久々なら、廃道歩きも久々とのことで、いつもよりも念入りに装備を確認しての出撃であった。
私も林鉄跡の探索は今年初めてで、やはり随分と間が開いているので、いつも以上に緊張感を持って出発した。

 リュックよーし! ライトよーし! 車の鍵よーし!

 と、そんな具合に指差し確認して出発したつもりなのに、数時間後に帰還してみると後部ドアが全開になっていて驚いた。
どうやら、鍵は掛けても扉は閉めなかったらしい……。

 【午前7時30分、軌道跡へ進行開始!】



 軌道跡を歩き始めてまず気になったのは、傍を流れる新田川だ。
この新田川林鉄の性格を決めているのは、狭い谷間で繰り広げられるこの新田川との陣取り合戦である。
いまはまだどちらも穏やかで、互いに干渉せずを決め込んでいるようだが、進むにつれこの関係は困難になっていく。
その変化の起点として、淀んでいる様にさえ見える新田川がある。



 だいぶ太く成長した杉の植林地の中に、ベコベコになった高級車が棄てられていた。
こんな場所までよくこの車で来たものだと思うが、一体いつ頃の話なのだろう。
昭和34年までは軌道が生きていたので、車が棄てられたのはそれよりは後のことだろう。



 なんとなく人の臭いを感じながら進むも、すぐに周囲の景色は険しさを含みはじめる。
そして、嫌々をする子供のように蛇行を繰り返す新田川渓谷へと、軌道は踏み込んでいく。

 この確かな踏み跡は釣り人の残したものか。
すでに川面は10m以上も下に離れており、この先、その距離は遠ざかれども、ただの一度として近づきはしない。



遭遇! 謎の寺院?! 

 おおお。
この景色は、私が去年、モニタの前でよだれを垂らした景色にそっくり。
TUKA氏が訪れたのとは反対側から攻めているが、同じ路線なのだと実感する。
果たして、彼の満足汁がたっぷり垂れているだろう「新田川隧道」まで、我々は辿り着けるだろうか。

 まあ、山行が最終兵器人間のくじ氏さえいれば、何とかなるような気もするが、それよりも私が楽しみなのは、くじ氏と同行すると起きるミラクルである。
このことはくじ氏も認めており、ミラクル発生時の口癖は、「なんで俺たちが来ると必ず何かがあるんだ?!」という、現場にいないとなんだか訳の分からないものである。
ともかく、今回も何らかのミラクルの発生を、密かに期待してしまう私なのであった。



 おっと、滝である。



 そして橋である。


 キター とかなりそうなのにならないのは、橋が今ひとつだからか。

 写真の撮り方に問題があるのは分かっているのだが、この滝と橋はなかなかに“イイ”位置関係で、滝壺のすぐ下流を橋が跨いでいる。
つまり、この左の写真は、滝壺を足元にして撮影しているわけだ。

 いずれにしても、橋がちょっと ね。

 ……分かってる。
贅沢なんでしょ……。


 「もしや軌道跡は普通に車道化してしまっていたのか?」
そんな嫌な予感に眉をひそめた我々の目の前に、不思議なものが見えた。

 大きく蛇行する新田川の中州の小山、そこはまるで島だが、そのてっぺんに、何かの建物が見えたのだ。
こんな場所に?!



 おもわず河原に降りて近付いてみる我々。

 確かになにか、コンクリート色をしたお堂のようなものがそこにある。

 中州へと移動を開始する。
水量は少なかったのでいいのだが、水際は苔が多くとても滑る。
危うく転ぶところであった。



   中州から橋を振り返ると、なかなかいいアングルだった。

 まだ新緑には早すぎたが、黒い水面と白い岩、そして緑の苔のコントラストはそれだけでも十分に絵になる。
これまでに私が見た景色で似た場所を挙げるなら、 そうだな、田沢湖町(現・仙北市)の抱返り渓谷だな。
あそこにも軌道跡があるし。
新田川渓谷の方は観光地でもないが、この場所に限らず、景色は相当にいい。(一応、林野庁ではこのあたりを「風景林」に定めているようだ)



 岩山をよじ登ると、はたしてそこにはお堂があった。

 まさに、孤立無縁という言葉がぴったり合うような立地。
しかも、お堂の由縁を示すようなものは何もなく、いつ頃、誰が、何のために、こんな僻地に安置したのか、謎だらけだ。
お堂には鍵が掛かっており、鉄格子の扉の中には金色の小さな仏像が安置されているのが見えた。

 とりあえず、どこの仏様かは存じませぬが、ここで遇ったのも何かの縁でしょう。
一礼の後黙祷を捧げ、後にする。

 【午前7時45分、謎のお堂に礼拝す】



 中州から戻るときも滑って転びそうになりながら、軌道跡へとよじ登った。

 川の蛇行を抱きかかえるように大きくカーブする軌道跡は、崩れてきた瓦礫に半ば埋もれており、全体が斜面のようになっている。
路肩にはコンクリートの法面が健在で、昭和に入ってから建設された路線であることを思い出させる。



落ち葉に埋没する軌道跡


 さらに進むと、今度は思わず息苦しくなるほどのもの凄い落ち葉の堆積!
いままで色々な軌道跡を歩いてきたけど、これほどに落ち葉が積もった場所は初めて見たぞ。
斜面が急で、そこに生える木が落葉樹ばかりで、軌道跡が余り風が通らない様な場所で……、そんな色々な理由が重なって、こんなに累々と積もったのだろう。
 なお、嫌でもこの上を歩かねばならない。
最初の数歩は気持ち悪かったけれど、やがて慣れると、ふわふわとした歩き心地が意外に気持ちいい。
雪の上を歩くのとは全然違って、膝小僧まで埋もれるのに殆ど重さを感じない。
あはははは、面白い。



 岩場にも健気に咲く白い花。
くじ氏がいつの間にか詳しくなってて、これはヒトリシズカって言うらしい。
ずいぶん前、ネマガリタケを「生のままでも旨いッスよ」などとのたまって、俺に苦虫のようなモノを食わせた同一人物とは思えない植物博士ぶりだ。



 それにしても、なかなかにスゴイ堆積ぶり。
裸になってプールよろしく飛び込んでも楽しそうだが、ミミズとか棲んでるかもしれないしね、勇気が要るよね。
でも、深度1mとかの世界がどうなっているのか、ちょっと気になったりして。



 落ち葉に埋もれた軌道跡を突破すると、今度は苔生した巨大な石垣に縁取られた、広大な平場が現れた。
ここは、軌道のある右岸を内側にして川が蛇行しており、軌道もこれに沿って緩くカーブしつつ広くなっている。
また、軌道と川の間の緩い斜面には針葉樹の巨木が並んでいる。
一方、山側は相変わらずの雑木林で、その対比が面白い。

 これと言った痕跡はないものの、ここはおそらく交換設備の跡地と思われる。
我々のスタート地点からは、約1km来ている。
落ち葉のせいで踏み跡こそ見えなくなっていたが、ここまでは特に大きな障害も無かった。



 また、この広場の上の斜面には、人工的な溝を掘ったような痕跡が認められる。
溝は幅1〜2mほど、その両側は滑らかそうな石垣である。
かなり上方まで続いているようで、目視では上端まで確認できなかった。
 はたしてこれは何だったろうか。
インクラインに関係する遺構かとも思ったが、傾斜の付き方がそれとも違うように見える。
大胆に想像すれば、蒸気機関車向けの給水塔がこの下にあって、水を集めるための水路だったとか……。

 ちゃんと見てこなかったことを少し後悔している。



 ここまでの景色とは明らかに雰囲気の異なる広場の様子。
すぐ近くで鳥のさえずる声が響く。
まだ緑の少ない森の中では、針葉樹の鮮やかさがなんだか自慢げ。
日光を独占的に受けて輝くその嬉しそうな姿に、見ているこっちまですがすがしい気持になる。

 【午前7時56分、針葉樹の広場を通過 現在地点




 穏やかな休憩地点を経て、いよいよ我々は核心部へと近付いていく。



 その落ち葉が凶器に変わるとき!  


 …っていうのは、嘘ですけど。
 我々は、落ち葉を踏みしめながら、アノ絶叫の光景へ着々と近付いていた。


 次回、あなたは目撃するだろう。

 また新しい、
       橋梁伝説を。