広場を後に歩き出した我々は、間もなく大規模な路盤の流出箇所に遭遇した。
暗渠で沢を跨いでいたのだろうが、そっくり押し流されている。
地形的に乗り越えて進むことは難しくないが、いよいよ恐れていた崩壊ゾーンが始まるのだろうか。
到達目標地点である新田川隧道までは、まだ3km以上あると思われる。
あっついでー!
なんともオイシイ感じに崩壊している。
これが見渡す限り続いているので、私もくじ氏も思わず顔を見合わせて笑う。
もし足元がよく締まった土砂や瓦礫だったなら、これだけの傾斜というのは大変肝を冷やしたに違いないが、幸いにして見た目ほどに難しくはない。
深い落ち葉の堆積のお陰で路盤が隠れているだけである。(「見た目ほどは」というだけで、危険が無いというわけではない)
油断大敵!
今度はマジの崩壊である。
30m以上の長さにわたって、正真正銘の瓦礫に路盤が完璧に呑み込まれ、一様な斜面のようになっている。
路肩には2段になった高い石垣が控えており、当然ガードレールなどというものもないわけで、我々はルートをどこに取るか相談した。
そして、結局は正面突破ということになった。
ちゃきちゃきの活崩壊面を慎重に渡りながら、私は頭上を見た。
ぎょえー。
こいつはすごい。
その規模たるや、あの「松の木」にもそう引けを取らないのではないか。
幸いにして、今回はチャリを運ぶでもなく、単身なのでしっかりと四つ足を使ってここを通過出来る。
私は先を行くくじ氏を呼び止めた。
崩れた崖を見上げていて、コンクリートの擁壁が少なくとも2列は埋没しているのが見えたのだ。(写真右)
おそらく、この地点は現役当時から落石の巣のような場所だったのだろう。
【午前8時03分 最大規模の崩壊決壊を突破す】
気が付けば、もはや新田川と軌道との隔絶は絶対的なものとなっていた。
白と黒の岩がくっきり分かれた断崖の底を、紺碧の水が悠々と流れている。
幾千年、幾万年の時が刻んだ天然のオブジェ。
その荘厳で、優美で、幽玄な光景を言い表す適当な言葉が見つからない。
二人は言った。
すげー……。
感動しながらも、体の方はそれなりに必死。
さらに進むと、今度は小さな切り通しが崩壊によって完全に埋没していた。
写真はこれを振り返って撮影したものだが、もともとはしごく短い隧道だった可能性もある。
また、この部分には何者かが設営したトラロープが残っており、釣り人か山菜採りか、昔は人が結構入っていたのかもしれない。
【午前8時26分 平穏を取り戻した軌道跡】
しばし緊張感を強いられたが、まあ楽しい範囲内だった。
私とくじ氏のコンビは、自分で言うのも何だがかなり安定感がある。
しばらく会っていなかったうちに、くじ氏は岩登りの修行を重ねており、いまや一人前のロッククライマー。
私がこの一年間、ただ腹肉を重ねて来たのとは大きな違いである。
ここまでの道中でも方々に現れた断崖を見ては、「これは登れそうだ」とか呟くのを聞いてしまった。
…それでいながら、その溢れるパワーを誇るでもなく、いい奴なのだ。
相変わらず高所恐怖症だと自分で言うのも憎めない。
ひとときの長閑さを楽しんだ後は、またも崩壊地が連続する。
本路線の廃止は昭和34年とかなり古いのだが、主要な構造物がコンクリートやちゃんとした石垣であったせいか、歩く分にそう大きな問題はなかった。
この写真の場所にも、大規模な路肩の石垣や暗渠がそっくり残っており、路盤こそ埋没し失われているが、基礎がちゃんとしているとやはり安定感が違うものだ。
また、この日は天候にも恵まれ、まだ芽吹きが始まったばかりの山には光が充満していた。
本格的な春を前にして、ヒトリシズカやカタクリ、スミレなどが、険しい岩場にも彩りを添えていた。
一言でいって、最高の軌道探索日和だ。
これで何度目だろうか。深い切り通しだ。
昨年のTUKA氏のレポートで、この路線の最大の特徴が定規で削ったような切り通しの数々にあることは知っているつもりだったが、実際に訪れてみると納得だ。
レールや枕木が残っていないのがむしろ不思議なほどに、程度良く残った切り通しを、清々しい気持で歩く我々だったが、すぐ眼前にまで迫っていた「試練」には、この写真を撮った段階ではまだ、気が付いていなかった。
ここからもう3mほど歩くと、切り通しの先がどうなっているのかを知ることになる。
思わず、吹き出した。
単刀直入に来たね。
パッと見た瞬間で、「これは勇気が要るな」と思った。
見るからに迂回は不可能。
頑丈そうなガーダーに身を任せて渡ればほんの6、7mだが、変に迂回しようと崖をへつりはじめたら、おそらくそっちの方が危ない気がする。
ここは、迂回出来ない橋であることを、理解した。
振り返ると、くじ氏が もじもじ した表情。
だが、顔面は硬直してない。 大丈夫そう …だ?
物理的には余裕で渡れるはずなのだが、人間は感情という具がつまった肉袋なので……。
いまだかつて、これほどにシンプルな ゴー・オア・リターン があっただろうか。
あんまりシンプルすぎ。
橋を渡るか引き返すかの選択肢しかないというのは……、気持ち的に凄いプレッシャー。
目的を達するには、橋の物理的な堅牢さと自分の人並みにはあるだろうバランス感覚を信用して足を踏み出すしかない。
100%の安全を取るなら、引き返ししかない。
二者択一。
【午前8時34分 勇気の橋 現在地点】
賢明な山行が読者の皆様なら、次のシーンは大体予想付いていると思うけど……
結局、二人とも無事にこれを渡った。
かつて山行がが苦肉の策として編み出した「梁渡り」は、ある程度厚みがあるトラス構造のガーダー橋には安定的な渡橋術となり得たが、こんなシンプルなI(アイ)ビームガーダーでは手も足も出ない。
結局、単なる平均台の要領で渡るより他には無かった。
こう言うのは物理的に渡れると信じて渡るのが重要で、第一印象で「渡れそうだ」と思ったその気持ちを大切にしたい。
逆に、パッと見て渡れなそうなものは止めた方がいい。
(念のため。「山行が」はあなたの危険行為一切を推奨しませんし、安全も保証しませんよー。)
え? 大袈裟じゃないかって?
この程度の平均台なら、小学生だって渡れるだろって?
仰るとおり。
まさしくその通りなのだが、結構これが高いんだよね。(右の写真は中央の橋脚からの眺め)
私も、思った以上にこれが怖かったから、ウダウダと書いたわけですよ。
この橋の一番の怖さは、万一バランスを崩した場合に手を付くような逃げ場が、左右どちらにもないと言うことだと思う。(平行するもう一本の桁はちょっと遠いので、転倒時の信用にはならない)
心地よいスリルを味わって、いよいよ新田川林鉄は面白みを増してきた。
まだここまで2kmほどを辿っただけだが、こいつは想像していた以上に痛快な林鉄跡である。
秋田にもたくさんの林鉄があるが、遠方まで浮気した甲斐があったというものだ。
こんな素晴らしい探索のきっかけを与えてくれたTUKA氏への感謝を忘れてはなるまい。
でも、今は目先の快楽に溺れさせてくれ。
次々と現れる、岩と、谷と、木々と淡い緑、それらの複雑に組み合わされた光景が、芸術を知らぬ私にも熱い感動を与える。
景色だけではない。
鼻腔をくすぐるのは、しっとりとした土の臭いと、仄かに甘ったるい落ち葉の香り。耳空にささやく鳥のさえずり。
我々の感動は、早くもクライマックスを目前にしていた。
橋を渡り、落ち葉の涸れ沢を跨ぎ、次に現れたるは、これまでで最大の回廊。
もう、どうにでもしてくれというような状況。
二人は楽しくて笑いが止まらない。
廃止されて後も、こんなに訪れる者を喜ばせるこの道は、ただ者ではない。
新田川の縮図のようなV字カットも鮮やかな掘り割りは、急なカーブを描き進路を東へ変える。
その先にも、落ち葉と瓦礫に埋め戻されつつある切り通しが続いている。
はたして、次はどんな景色が現れるのだろう。
ここまで上がった我々のテンションは、とてもこの掘り割りの中に収めておけない。
溢れだして今にも飛び上がりそうだ。
完全 K.O!
二人は、 ここで悶死した。
お読みいただきありがとうございます。 | |
当サイトは、皆様からの情報提供、資料提供をお待ちしております。 →情報・資料提供窓口 | |
このレポートの最終回ないし最新回の 【トップページに戻る】 |
|