キタッ、 キターーッ。
でかい!
こいつは、あの定義以来の大型現存橋梁だ!!
さて、どうするか。
橋は二本の橋脚を谷間に下ろしつつ、細身のガーダー桁3連をもって、目測30mほど前方の対岸に通じている。
橋脚を軸にして比較的おおきな角度が付けられており、全体では30度くらいのカーブになっている。
ガーダー桁は、この少し前にひやひやしながら突破を果たした橋と似ているが、規模が大きいせいか、平面的なトラス構造を有している。
橋自体の強度については、橋桁・橋脚共に十分に安定していそうだが、橋を渡るとなると、梁渡りは使えないので、先ほどの恐怖の再来が予想される。
また、いまなお残存する多数の枕木や木板が、橋上での足運びに邪魔になることが容易に想像できる。
くじ氏は、早々と谷底を迂回する事を決断し、適切なルートを目視で探している。
廃道歩きは、ジグゾーパズルに似ていると思う。
ひとつひとつの発見や、そこで見た景色というものは、「在りし日の姿という完成形」を得るための、パズルのピースである。
「橋の上からしか見られない景色 =(イコール) 機関車の運転士だけが見ていた景色」
だから、これも重要なパズルのピースだ。
ひとつでも多くのピースを拾い集めたい欲張りな私だから、閉塞していると分かっている隧道でも奥まで入りたいと思うし、迂回が出来る橋であっても、渡れるなら渡りたいと願うのだ。
踏み出された、最初の一歩。
序盤から、恐ろしく怖い。
実は、始めの数歩でこんなに怖いとは、渡りはじめるまで思っていなかった。
完全に、目測を誤った。
なぜ誤ったかと言えば、先ほどの橋のように、平均台よろしく二足歩行で行けるものと踏んだのだが、見るべくして見てしまった……。
谷底を……。
その深さたるや、先ほどの橋の比ではない。
しかも、定義のように水面の部分が広いのではなく、落ちればほぼ100%固い岩場に叩き付けられる事になるのが明らかで、私は恥ずかしいことに、足を踏み出して3歩目くらいで、屈んだ。
既に下へ行ってしまったくじ氏へ大きな声で言った。
「こえー! 歩いて渡れねー。」
最初のスパンが最も長く、一気に一番深い場所を跨ぐ。
その前半は橋上に邪魔はなく、4つ足の姿勢で丹念にトラスと片方の主桁を足場に進んでいった。
梁渡りよりもバランスが取りにくく怖さは感じたが、それでもパターン化した歩運びで進めたので、順調だった。
風が無いことも幸いした。
だが!
ようやく最初の橋脚までもう3mと言う辺りから、大量の枕木や足場の名残の板材が現れ出す。
いざ近付いてみると、これが思いのほかに邪魔なのだ。
一番嫌なのが、もっとも頼りにしている主桁を板材が隠している事だ。
強引に手で剥がして崩してしまうことも出来るかもしれないが、ずいぶん前に森吉にて、ダム湖を跨ぐ長いガーダー橋の上に、たった2本だけ辛うじて乗っかっていた枕木を、私は邪魔だからと落として通行したことがあった。(この時だ)
そのときの行為が、実はずうっと引っかかっていたのだ。
廃橋を渡る行為自体が橋にとってダメージとなるのだから、せめて傷を広げてしまうような渡り方はせず、「非破壊探索」に努力しようと考えるようになっていた。
また、遺構の強度に関係せずとも、可能な限り現状を変化させることも慎みたい。
邪魔な材木も出来るだけ落とさずに進むためには、パターン化した歩運びではだめで、いちいち次の一手、一足を考えながら進まねばならなかった。
ここで、私の歩みのペースは一気に鈍った。
額に汗が浮いた。
緊張感が全身を支配し、自分の生き死にが、今この瞬間の一挙手一投足に支配されているという、独特の興奮に胸が高鳴った。
自分の呼吸音が聞こえてきそうなほどの、強烈な孤独感。
この感覚はストレスに違いはないのだが……自ら進んで得るこの興奮は、同時に他では得難い快感でもあるのだ!
危ないと知っていながら公道で無理なスピードを出してしまう若年ドライバーに、似た心境なのかもしれない。
ようやく一息ついたのは、ほぼ橋の中央に立つ、1本目の橋脚上にて。
新田川に注ごうとする小さな支流の細い流れが、険しい谷底に幾つもの滝を伴い、一筋の糸のように白く見えた。
休憩中、興奮と恐怖のため自分の太ももが小刻みに震えていることを、私は認めざるを得なかった。
この場所はとりあえず安泰だが、そうリラックスしたポーズも取れず、気持ちは落ち着かない。
再び前進を再開するときに、桁に腰掛けたポーズから、4つ足の前傾姿勢へと大きく姿勢を変化させる事が、また怖いのだった。
眼下には、くじ氏のタオルを巻いた白い頭がある。
ちょっと前に、うっかり木の板を彼の近くに落としてしまい、橋の下を潜るときは気を付けるように注意を促していた。
彼は、真下から少し移動した場所で私にカメラを向けていた。
こんなに仲間が傍にいるし、掛けた声も全て届くというのに、置かれている状況がこうまで異なるというのが面白い。
楽しそうに談笑しながらも、そうやって怖さを紛らわせようという魂胆は見え見えだった。
進路を少しだけ変えて、二つ目のスパンに移る。
(写真は少し前に撮影したもの。余裕がなかったのか、二つ目のスパンでは撮影がない)
このスパンの最大の恐怖は、左の写真にも写っているが、橋に干渉して伸びている木をかわして進む部分だ。
押しのけてもバネのように戻ってくる数本の若木が、谷底から橋に届くまで伸びており、これをかわすには4足歩行ではうまくなく、一時立ち上がって、跨がねばならなかった。
この一連の動作(木を掴んで立ち上がる、掴んだ木を下に下げて足を上げて乗り越える、背後にまわった木から手を離し、そのまましゃがむ)が、スリリングだった。
こう聞かされても、「ふーん」だろうが、もうやりたくないな。
二つ目の橋脚上に到着。
くじ氏も歩調を合わせてくれており、まだ真下にいた。
やっと、終わりが近付いてきた。
しかし、最後まで気は抜けない。
枕木の障害物は進むほどに増えていた。
最後の3スパン目。
ここまで来れば……あとはもう……。
私はおもむろに立ち上がって、ソロリソロリ…すたすたすたたん と、さっさと渡り終えた。
緊張感から解放され、急に明るくなった私はべらべらと橋の恐怖体験をくじ氏に並べ立てた。
くじ氏は半分あきれ顔、半分楽しそうに聞いてくれた。
その後のくじ氏の話では、谷底には上り下りのためのトラロープが残っているらしい。
いいスリルを味わった。
【午前8時49分 渡橋に成功】
ここまで来て、やっと道半ば。
次回、廃道鉄砲玉コンビに更なる試練が襲いかかる! のか?
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