出発から2時間20分余りを経過し、約4kmを前進していた。
このペースはかなりゆっくりであるが、これはルートが困難であったという以上に、見所が豊富であり、頻繁に立ち止まって観察してきた事による。
ここまでの新田川林鉄には、橋があり、隧道があり、そして、でっかい自然美があった。
もうすでに、お腹一杯だと言っても良いくらいに充実していた。
今回の踏破目標の最終地点である隧道までは、既に残り500mを切っている。
そして、ここで久々に、林鉄跡を通路として再利用した痕跡が現れる。
崩壊し失われた路肩の代わりにあてがわれた板敷き。
その下の空間には鉄パイプが工事用足場のように組まれており、明らかに林鉄廃止後の復旧工事による施工である。
また、この付近には地面から突き出した塩ビパイプや白い立て札(表面は無地)があって、そう遠くない過去に、この付近まで下流側から人が入っている事を感じさせる。
どうにも中途半端な地点までの工事に感じられたが、その目的地として思い当たるものと言えば……
……例の調査坑らしき穴くらいなものか。
下流側から順次施工されてきたらしい工事箇所に出会ったことで、未知の道を往くという私の緊張感は緩み、目的をほぼ達したという安堵を感じた。
と同時に、あのしびれるような期待感…
「次はどんな景色が現れるのか!」
…が終わりを迎えたことに対しては、贅沢な残念さも。
ふたたび橋が現れたが、今度は鉄パイプと木の板で橋が復活させられており、まったく不安を感じることなく渡れる。
現在の橋が架けられたのもそう最近のことではないようで、鉄パイプはいいとしても、足場の板敷きはかなり腐食していて、渡るとペコペコと凹む感触がある。
これはこれで、突然穴が開くことを予期できないだけに、見るからに怪しい橋よりも怖い部分もある。
何らかの事情により一度は人が通れるように補修した区間であるから、少し前までの原色の林鉄跡に比べれば歩くのは容易いが、地形的な難易度という点では決してピークを過ぎたわけではなく、むしろ、進むほどに河床との高度差が広がっている。
歩行者によるシングルトラックが鮮明な軌道跡だが、両側共に断崖絶壁の、かなり際どい場所を通っている。
進むにつれ、以前モニタ越しに見た時には余りの衝撃で椅子から転げ落ちたという(我ながらベタなリアクションだった)、超絶切り通しの雰囲気が出てくる。
果たして、あの景色はどこに待っているのだろう……。
これまでも何度となく路傍に散見されてきた謎のコンクリートの基礎。
共通点は、いずれも上面の中央に直径10cmほどの円形の穴が空いていること。
ものによっては、その穴の中に朽ちた木材が詰まっており、当初は電柱のように木の柱が埋め込まれていたことを想像させる。
これはなんなのか?
秋田県内に豊富な林鉄跡ではこのタイプの遺構は見たことがないので断言できないが、おそらくは電話線の架線柱ではないだろうか。
大概の林鉄では列車の運行管理(正面衝突の防止)を駅や詰め所間の電話連絡に因っており、かなりの奥地の路線であっても、終点まで電話線が引かれていたケースは少なくないのだ。
木製電柱は、津軽林鉄で目撃したことがある。
さらに進むと、大きく口を開けたお椀状の谷の向こうに隧道が見えてきた。
これぞ、目指してきた隧道に間違いない。
出発から4.5km地点、約1年前にTUKA氏が単独で“再発見”し、また彼は単独であったため引き返し地点の目安とした場所でもある。
この先車止めまではさらに軌道跡を3kmほど歩かねばならず、じっくり1時間はかかる行程である。
今回我々が目指していた未踏区間の攻略はこれで完了で、この先車止めまでについては、氏が詳細なレポート(『街道WEB』)をなされている。
発見の歓びと誇りに満ちあふれたかの作にはとても敵うべくもないが、私もこのまま車止めまで簡単にレポートする。
隧道手前の支沢を跨ぐ部分は、珍しいコンクリート橋である。
暗渠的に使われてはいるが、橋台や橋桁の様子を見ると、紛れもなく橋である。
橋の上に、前後の築堤を延長したような盛り土を行い、その上をレールを敷いていたのだ。
このような構造物は、道路を含めても稀少である。
【午前10時03分 目的地(新田川隧道)に到着す 現在地点】
隧道は素堀のいかにも林鉄跡らしいもので、崩壊も見当たらず外見上は好ましい状況にある。
立地的には、新田川の断崖に大きな岩脈が張り出している場所で、得意の切り通しにするにはあまりに土工量が増えすぎると判断されたか。
地形的には険しい割りに隧道が少ないこの路線にあって、二つだけの隧道のうちの一つである。
全長は40m程度か。
短く直線のため見通しも良いのだが、もし通行するならば照明は必須である。
なぜなら、洞床に積もった落ち葉が大変な厚みになっており、しかも水も溜まっているために、足場がかなり悪い。
普通の長靴程度では濡れを覚悟した方がいい。
ともかく、突破すれば写真の通り、反対側とよく似た姿の東側坑口を見ることができる。
この先の車止めへ予め先回りして停めておいたくじ氏の愛車めがけ、残り3kmの軌道行脚を続行する。
もう引き返すよりは進んだ方が近いし、廃止後も一度は人の手は入っているといえ、なかなかに見所は多い。
まず現れたのは、切り通し。
新田川林鉄と言えば、
「ナイフで切られたチーズケーキ」
「バターナイフで切られたマーガリン」
「気円斬で切られたナメック星」
と言われるほどの、切り通しの宝庫である。
特に、ここから先に規模の大きなものが集中している。
切り通しの終わり際、目の眩むような断崖絶壁に面した一角に、なぜか長靴が、両方置き去りにされている。
こんなところで長靴を置き去りにする理由は何だ?!
これがハイヒールだったり、しかも綺麗に揃えられていたり、さらには手紙が挟まれていたりすると質が悪いが、長靴であるところからは、ありがちな悪戯(そんなイタズラがあるのかと思われるかもしれないが、あるんだよ)ではなさそうだ。
念のため、靴の向こうの崖下を覗き込んでは見たが、主の姿はなかった。
ぞわわわわ
まるでアーチ式ダムのような石垣である。
ほぼ垂直な石垣が3段組で築かれ、もともと軌道が通れるような平坦部が微塵もなかった土地に、強引に通路が設けられている。
TUKA氏は名付けた、「空中回廊」と。
この上を丸太満載のトロッコが列を成して下っていた光景は、さぞ絵になったに違いない。
土木遺産の一に数えられても良いだろう規模だが、あいにくそのような話は聞かない。
この路線に限らず、林鉄という、一般的には身近ではなかった過去産業の遺産は、殆ど顧みられることもなく、ただ風化に任せるが大半だ。
きダー!
前触れもなく、カーブを曲がった先に、来た。
新田川林鉄を代表する切り通し、通称、
ナイフエッジ回廊
【午前10時15分 最大の切り通し「ナイフエッジ回廊」通過】
切り通しの先は、目の前にあるのになんか信じられないような、それほど異様な圧迫感を醸し出す切り取り道。
ほぼ、どころか、完全に垂直な壁が出来上がっている。
普通なら土木工事の一切を諦めそうな迫り立つ崖壁に、幅2m強の軌道敷きを準備するためだけに人力が加わり、機会力を駆使し、道は築かれた。
万人が喜ぶ公共の交通機関ではない林野事業という国益のため、これほどの人間力がこの谷に投入されていたのだ。
まさしく、人知れず、にだ。
この作業に従事した男達は、これだけのものを築き上げた後、果たしてどこへ行ったのだろう。
私は類似する光景を見たことが無く、凄まじいというより他はない。
アーチ橋…
なんという軌道だ。
今度は、普通の橋では飽きたらずに、コンクリートアチー! を用意してきた。
俺を萌え死にさせるつもりか。
惜しむらくは、余りにも地形が険しいため、この橋の全体像を見る術がないこと だ。
切り通しと切り通しを結ぶ、空中回廊。
もとより観光地などではなく、また観光地化した痕跡もない。
ただ、そこにはアーチが適していたから、アーチでなければ架けることが出来なかったから。
その優美な姿を誰に見せるともなく、また見たくても見ることができないという、このアーチ橋が生まれたのだ。
確かに、おおよそ20mほどの橋長に対応する橋脚を置くような足場は無く、アーチ以外に手はなかったと言われれば納得できる。
【午前10時18分 コンクリートアーチ橋を通過】
くじさん……
苦手な「高さ」を克服しようと、あるいは、単に怖いもの見たさなのか、欄干と言えないような縁の出っ張りに体を乗せ、見下ろす姿が、何だか愛くるしい。
……なんで、そんなに橋の端っこの方で見てるの……。
見たいなら、真ん中から見ればいいのに〜(←イジワル?)
というわけで、橋の真ん中あたりから新田川の川面を見下ろしてみたのが右の写真。
落差100mと口で言うと簡単だが、一日に山行がを訪れる人(約2500人)全員が4cmずつ何かを積み上げた高さである。
って、余計に意味分からないな(笑)
とにかく、見てのとーり、タ●が縮み上がる高さだ。
一言で言えば、そういうこと。
なんでここまでしてこのルートに軌道を敷きたかったのか。
わたしのような素人には考えても分からない。
天下の美林と言われた秋田杉の宝庫たる米代川流域や、有名な津軽地方、あるいは木曽谷ならばまだ分かるが、新田川の軌道がその開設と管理の苦労を報いるほどに活躍したのか、他人事だが気になってしまう。
周囲の山林を見る限り、殆ど秋田県に見られるような杉林や伐採地が見られず、手つかずのままに見える雑木林ばかりである。
地形的にも造林に適した場所は谷間に殆ど見られない。
開設の意義については、今後さらに詳細な調査が成されることを期待するより無いが、薪炭材として雑木林の原木利用が中心だったのだろうか。
険しいが手懸かり豊富な法面の岩場を見るに付け、くじ氏はクライマーの血が疼くらしく、放っておけば登りだしそうだ。
新田川林鉄にとって一番険しいゾーンはどうやら抜けたようだ。
目の前に開けたV字峡谷も、やがて海に面した沃野へ向けて広がっていく。
だが、いまもう少しは、我慢が必要だ。
なお水面までの距離は、高度・水平距離共に広がり続けている。
ふたたび現れた3段組の大石垣。
右の写真中央に写る木などは、元来土のない段と段の隙間にすくすくと育っている。
根っこが石垣を貫通し地山に届いているのか。
さながら古代の遺跡のような、風景によく溶け込んだ遺構が見ていて心地よい。
廃されてから作り手に牙を剥く道もあるが、こうしてなだらかに衰残していく道もある。
どちらも味わい深いものだ。
出た!
麓の小学校PTA会が設置した「ここであそばない」看板だ。
TUKA氏も激しく違和感を訴えていたが、確かにここまで来て遊ぶ小学生は、オブローダーとして将来有望というか、ちょっと……
「家でテレビゲームでもしてなさい。」
と、思わず逆のことを言ってしまいそうだ。
と、そこまでは想定の範囲内だったのだが、
蛇穴 鍾乳洞って?
自然洞穴臭いが、すぐそこ100mの場所に口を開けているとまで言われれば、穴に入らぬは男の恥とばかり、GoGo! である。
【午前10時31分 蛇穴鍾乳洞へ寄り道開始】
100mだと言うからすぐだと思ったのに、まあその100mの間だ、下ること下ること。
トラロープが随所に設置された岩場まがいの歩道が、つづら折れを交えながら谷底まで降りちゃうのではないかというペースで下る。
下りはいいが、帰りにこの分登らねばならないというのが憂鬱だ。
どこまで下らされるのー?
まじで谷底まで来ちゃったよ。
帰りがうんざりだー。
あった、穴だよ……。
想像していた以上に、大きく、川に向けて口を開けていた。
穴に風の出入りは感じられないが、その口から冷気が漂っているのが分かる。
軌道跡から本当に100mも崖を下りきったこんな場所に、よく穴を見つけた人がいるものだな。
しかも、鍾乳洞と言うくらいだから、いくらか奥行きがあるのだろうか。
子どもの頃の家族旅行では何度か著名な鍾乳洞を体験したことがあるし、当時から穴は好きだったが、山行がの活動を始めてからは、実に初めて鍾乳洞に入る。
ぞくぞく
ドキドキ
ぴちょん ぴちょん と、水が天井から落ちる独特の反響音が、大変久しぶりの鍾乳洞というものを、私に思い出させてくれる。
でも、こんな未開発の(入場無料の)鍾乳洞に入るのは、はじめてだ。
まあ、たいしたところではないだろうが……、どれどれ。(ライト点灯)
うむ。 奥行きはさして無さそうだ。
が、
天井はかなり高そうだぞ。
こりゃ、ホールだな。
ん? あれはハシゴ……
次回、最終回。
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