2008/4/2 10:40 《現在地》
古い地形図に見つけた隧道4本が連なる道を目指し、保台(ぼだい)ダム周回道路・1号橋梁先の分岐から、右の道へ入る。
入口には、ご覧の真新しい車止めが設置されていた。
しかし、歩行者や自転車は難なく通行できる。実際にシングルトラックが出来ており、この調子ならば意外に人通りがある道なのかも知れない。
今の地図には隧道こそ描かれていないが、やはりこの道を詰めていけば清澄山稜の遊歩道“関東ふれあいの道”に合流するようである。
ハイキングの1ルートになっている可能性は十分あると思った。
ダム工事に伴って河床から高いところに付け替えられた道は、薄く砂利が敷かれた林道になっていた。
しかし、これから山を登ろうというのに、道は徐々に下っていく。
何となく、このまま安路が続くことはないだろうという予感はあった。
10:43
200mほどで道は湖頭の低地へ下り着いてしまった。
そこには、広さを持て余したような空き地が。
枯れ草のために視界が開けず、真っ直ぐ沢が続いているものと思って入っていったが、すぐに道がないことに気付く。
まさかこれより先に全く道がないのかと驚いたが、広場で辺りを観察し直すと、左に直角に折れて道は続いていたのだ。
左に折れると、河床とほぼ同じ高さに道が続いていた。
よく見ると、川はコンクリート製の新しい函に納められており、これは開渠なのであった。
再び漕ぎ出したのも束の間、大量の倒木が柵のように立ちはだかった。
この時点で、ここから2km近く想定される沢の遡行が踏みならされた道などではないことを理解した。
もっとも、いざとなればチャリを諦めて単身で探索する覚悟はもちろん出来ていた。
そして、もしそうするのであれば早ければ早いほどよいことも、良く理解していた。
だが、私の廃道探索では往々にして、理解通りに体が動かない。
ここでも、そうだった。
案の定、倒木の山を越えた先に確かな踏み跡は無かった。
だが、道が無くなってしまったわけではなかった。
そこには踏まれなくなった道が続いていた。
私の前に現れたのは、石垣でカタチを与えられた車道だった。
自動車であったのか、荷車道であったのか、まさか林鉄の軌道?
そのいずれの可能性をも排除しない、とにかく徒歩道以上の規格供えた車道の跡だった。
この趣味をしていると石垣を目にする機会は特に多いが、多いだけに感動は薄くなるかと言えば、不思議とそんなことはない。
(そもそも、普通の人が石垣…ナントカ城とかそういうスゴイのを除いて…に感動するのか分からないが。)
コンクリート吹きつけの法面には無い存在感がそこにはあって、個性もある。
「誰がいつ積んだのだ?」
崩れかけた石垣はいつもそんな問を私に投げかける。
私はあらゆる知識と勘を総動員して答えようと必死になるが、明確な答えが出ることはない。
コンクリートの壁のように施工業者のプレートもなければ、煉瓦のように刻印もない。
苔生し破れかけた空積みは多くを語らないが、何かもっと大きなことを私に印象づけて止まない。
どこまでが自然の侵食で、どこからが人手に拠るものなのかが不明瞭である。
みな一様に地衣を纏い、分け隔て無く風化している。
それは、この道が客土によって普請されたのではなく、
この谷の中で完結したものであったことを意味しているように思われる。
つまりこの道は、素朴な生活の、或いは地道な山仕事の道だったのだろう。
一応地形図上では、昭和6年版から一連の隧道と共に描かれ始めていた。
写真では平坦な路盤が確保されているように見えるが、歩く分にはその通りでも、チャリを操縦して進むことは許されない。
最初の倒木を跨いでから、チャリはずっとお荷物だった。
そして、この後で劇的に路面状況が改善することは無いと、経験上分かっていた。
置き去りにしたチャリの回収や往復の手間を考えたら、なんとかチャリごと突破してしまうのがベストなのは言うまでもない。
しかし、もしそれに失敗した場合を考えると、あまり深みにはまる前に捨てていた方がベター。
最悪なのは、容易に回収出来ない奥地でチャリを捨てる羽目になることだ。
まして今回は、あるかも分からない隧道多数に頼った道行きである。隧道が一つ閉塞していただけで…、多分チャリは終わる。
私は、この沢にチャリを持ち込んだことを、早くも後悔しはじめていた。
11:04
上の写真の場所から8分ほどは取り立てて印象深いものは現れず、何度か軽い倒木を跨いだり落石の山を越えたりしたが、まずまず順調に歩を進めた。
チャリは依然としてオール押しではあったが。
現在地は、ゲートから700mほどの地点である。
ここで沢が特徴的な蛇行を示しており、道はその付け根を浅い堀割で抜けている。
沢沿いに進む約2kmの間において、地図上で特色を見出せるのはほとんどここだけである。
私もこれ以降、自分がいまどこを進んでいるのかほとんど把握できなくなっていった。(房総の山では全般にGPSが役立つと思った)
堀割を過ぎると、谷は目立って狭くなった。
水量の少ない河床を頂点にV字型の谷形を示すようになり、右岸に刻みつけられた路幅も自然と圧迫される。
狭い道に、ますますチャリは厄介な荷物化するのだが、運ぶことを諦めさせるものが現れてくれない。
典型的な“ビーバーダム”が現れた。
もちろん千葉にビーバーはいないが、彼らが沢に営為する木屑や倒木を集めたダムと良く似たものが、雑木林の狭い谷筋に現れている。
そして、いまだかつてこんな谷筋をチャリ同伴で遡行したことはなかった。(何度か下ったことはあったが…)
その困難さ面倒くささは、木製のジャングルジムをチャリと共に越えようとする行為を想像してほしい。
苦労してダムを濡れずに突破してみたが、その先はもっと嫌だった。
とうとう、路盤が消失してしまったのだ。
道の痕跡らしきものとして、いままでの道の高さに二条の彫り込まれたラインが続いている。
また、ここまでほとんど甌穴を見なかった河床に、点々と同じくらいのサイズの円柱の穴が空いている。
これらから想像されるのは、原始的な木製の桟橋である。
両岸共になかなか切り立っているし、上に逃れる隙もなかったと思うので、おそらくここは意を決して川に半ば蓋をするような道を作っていたのだろう。
しかし、ビーバーダムを作る川がそんな構造物を長く許すはずもなく、ご覧の有様だ。
皮肉にも、道を失い河床に下ろされて久々に私はチャリを漕ぐことを許された。
が、川は浅くなくなった。
流れは弱いし、ジャブジャブ行く手もあったが、これまたチャリを容易に捨て去れないのと同様、葛藤があった。
チャリ旅の通例で替えの靴など持ち込んでいないし、この旅が何時まで続くか分からない状況で足を濡らしてしまうのは気が重い。
足の濡ているか乾いているかは、残りの旅全ての快適さに大きく関わってくる、机上では表現しがたい重大事なのだ。
どんなに素晴らしい景色を前にしても、足元が冷え切っていると立ち止まる気持ちは生まれにくい。
万が一のアクシデントで夜明かしをする場合も、濡れた足は頂けない。
あらゆることに足の濡れは関わっている。
私は濡れることなど全く厭わない男だと思われるかも知れないが、それは時と場合によるのだ。
一人旅、山奥への逍遙。
安易に濡れたくない理由としては、十分だった。
…というわけで、足掻く。
靴幅分しかない苔生す足場で、チャリを小脇に抱えた私の闘いが続いた。
端から見れば、かなり滑稽だったろう。
でも、本人は必死である。
これまた、濡れるなら最初から堂々と濡れた方が良いのだ。
濡れまいと足掻いた末に失敗がもとで濡れた場合は、自信や平常心まで失うかも知れない。
蛇体のような狭窄部をどうにか濡れずに突破すると、その先は幾分谷が広がっていて安堵させられた。
だが、依然道は再開しないまま…。
いや!
そうじゃない!
高く行ってる!!
…これは、河床に引きずり下ろされた時点で最も恐れた事態だった。
谷が狭くなれば、道は高巻きを考えるようになるのが自然だ。
そこには、高巻きとなった道をチャリと共に通れるかどうかという問題があった。
また、一度河床に下りてしまったあと、再び道の高さに復帰することは困難なのではないかという問題。
それらの問題に対する、最も嬉しくない答えを提示されたような気がした。
谷底から道の成り行きをもう少し見守ることにするが、早晩チャリは捨てることになりそうだと思った。
11:37
しかし、上に見えた道は本道ではなかったのか、間もなく掻き消えてしまった。
河床につけられた石垣と桟橋の車道は、この辺りで9割方の路盤を消失しており、左右のどちらの岸に沿っていたのかさえ不明瞭だった。
出た! 自分撮り!
これは決してネタの為ではなくて、「特に辛い」と感じた一瞬に対するタグ付けなのである。
私は探索中に何百〜千枚以上も写真を撮る。
あとで一覧したときに、この汚い顔が映っている写真は一目瞭然だから、辛かった場所を忘れないで済むのだ。
レポを書くときにも役立つ。
そうでもしないと思い出せない「辛いところ」って、実は嘘なんじゃないかと突っ込まれそうだが、それも違う。
写真だけでは、どこが辛かったかなんて分からないのだ。写真の見た目はどこも同じような景色なんだから…。
全身の筋肉に過剰な負担がかかり、ふとしゃくるように下を見たとき、青いものが目にとまった。
それは、美しい茶碗の欠片だった。
この上流に集落があったという地図を見たことはないが、山男たちが季節的に暮らすこともあったのだと思う。
空き缶やパンの袋の無い沢だけに、人工の青は鮮烈な印象を私に与えた。
振り返ると…だと良かったんだけど!
これ、前!
ウボァ─!
ウボァ─!
この「倒木檻」は本当にしんどかった。
何度もバランスを崩し、枝と幹とチャリと自分が絡み合って落ちた。
写真はそんなワンシーン。
上も下もよー分かりまへん!
なぜか足が ぷらーん してるし。
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12:11
気づけば正午をまわっていた。入山から1時間半を経過。
恐ろしい遅速である。
これで隧道を見つけられなければ、私は悔しさで涙を流す自信があった。
そのうえ、基本的に目印になるような風景が無く、現在地は不明である。
認識している時速と経過時間から、右図赤枠の範囲内に現在地を想定したが、これはそろそろ“左が気になる”位置まで来ている。
地図を見れば見るほど“変わった線形”だという印象を受けるのだが、ともかくこの沢沿いの道は“あるところ”で突如直角に左へ折れて、そこからはトンネルを連ねて稜線を目指すのだ。
それが真実かは分からないが、少なくとも地図はそのような表現をしている。
だが、こうやって現地を目の当たりにすると、話はそう単純で無さそうなのである。
いくら何でも河床に直接左向きの坑口が口を開けているとは考えにくい。
ある程度山腹にありそうだが、既に私はこの河床から脱出できない状況になっていた。
私の前途は、極めて不透明だった。
12:18
さらに7分ほど汗を流して、全身の火照りと両足の気だるさはピークに達しつつあった。
この安くさい鉄フレームのチャリを1時間半も運んだのは、久しぶりであった。
だが幸いなことに、先ほどから谷の状況はやや改善していた。
道跡がちらほら現れるようになったし、今度は写真に写る大きな石垣が見えてきた。
どうやら、谷幅の大半を石垣で埋めた大きな平場があるようだ。
林鉄の終着地につきものの“土場”を強くイメージした。
平場の中央には、3m四方ほどの石垣の囲いがあった。
それは建物の基礎のようでもあったが、出入り口にしては狭すぎる一方の切り欠きと、丁寧に石垣で作られた形状から、炭焼きの窯であると考えた。
これはいままでいろいろな場所で見た窯の中でも相当に大規模なものであり、窯の数は少ないが、少数精鋭で大規模に焼いていた様子が伺える。
この石垣を土壌に、一本の木がそれなりに大きく育っていた。
南房総の清澄山一帯は一年に2000mm以上の雨が降り、温暖でもあることから日本で最も植物の育ちが早い場所の一つと考えられている。
そうだとしても、時の流れを印象づける光景に違いはなかった。
また、別に建物もあったらしい。
粉砕された波板(おそらく屋根材)が散乱していた。
戦前にはこの材料は使われてなかったと思うので、戦後しばらくはいま歩いてきた道が使われていたのだろうか。
それとも、この先に「トンネル道」が実在していて、清澄尾根の林道から垂らされた蜘蛛の糸のように、私を運び出してくれるだろうか。
後者を願った。
12:21
確かに炭焼きの基地はあったようだが、残念ながらそこから踏み跡が濃くなるようなこともなく、一通過地点に終わってしまった。
落胆を感じつつも、引き返す理由には成りえずさらに5分ほど遡ると、谷筋は初めて目立った分岐を見せた。
左右、どちらも規模にさほど違いはない。どちらかと言えば右が大きいが、水量はどちらも同じくらい少ない。
地形図では描かれない程の沢(平水時の川幅1.5m以下)になっている。
どうやら、根性でここまで(地図)登ってきたようだ。
それは良いのだが、問題はこのどちらの沢筋にも道らしきものがまるっきり見えないと言うことだ。
最悪の結末を覚悟した。
これ以上闇雲にチャリを押して進むことに意味は無さそうだ。
谷間にチャリを置き捨て、身軽になって周囲を散策することにした。
最新の地形図には、トンネル道ではなくこのまま右の谷を遡って稜線に立つ点線の道が描かれているが、それは到底使えそうもない。
道自体無さそうだし、あるにしても直線距離100mで高低差100mを登るようなラインは、チャリにとって無理すぎた。
12:29
周囲の山腹を少し登ったり下りたりして、谷底から高いところに道があるか確かめた。
しかし、険しいばかりで目立った成果を得られず、なおも諦められないで右の本谷筋を歩いていた。
その時だった。
この、黄色いシルシに出会ったのは。
いままで見なかった(と思う)シルシである。
カラーテープの輪っかが、ひもでツタに結わかれている。
見たところ周囲に踏み跡も無いのだが、しかしシルシはさほど古くないものである。
ツタの行き先を、何気なく目で追った。
向かって左側の、頭上15mほどの稜線(ちょうどこれは左右の谷を隔てる山脚)に、
なにやらV字型に切れ込んだ部分があるではないか!
もしかして!
我を忘れ、最短でよじ登った!
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