2008/4/2 13:37
忽然と消えた道に一瞬唖然としたが、近づくとそこには5本目の隧道が隠されていた。
超ギリギリでセーフ。道は繋がった!
この坑口は数メートルの間近に迫るまで見えない岩の影にあって、本当に嫌らしい。
切り通しの発見より始まった、「谷底」から「稜線」への失われた連絡道路攻略。
ここまで1時間強で約500mを踏破し、進むごとに地図へ書き込んでいた推定ルート(右図)も、いよいよ目的地(黄色い稜線のライン)へ近づいている。
クライマックスは近い!!
5号隧道も短い。
短いが、これまでで一番個性的な立地にある。
遠くから俯瞰する術がないのが残念だが、険しい岩崖の中途に槍を突き刺したような穴を開けている。
右の写真もそんな状況をある程度表現していると思う。振り返って撮影したものだ。
また、日本神話天の岩戸の伝説を彷彿とさせるような巨岩が、その坑口を半ばまで閉じている。(写真左)
このこともまた本隧道の外見上の強印象となっている。
本隧道は立地的に迂回が非常に難しい(尾根越えがほぼ不可能)ので、さらなる崩壊で岩戸が閉じないことを祈るばかりである。
緑灰色の外見に比して内部は白い。
艶めかしいほどに白い。
これが地山の生の色なのだろう。
隧道から外へ出るのが怖いという気持ちはますますエスカレートしてきた。
もうヒヤヒヤするのは嫌だよー。
いまから来た道をチャリと一緒に戻るなんて考えられない。
しかし、依然として右手の稜線は非常に険しくて、無理矢理脱出出来るような場所は一切ない。
実はずっとそんな場所を探しながら登ってきていたのだが、驚くくらいそう言う“弱点”が無い尾根である。
確かに地形図を見ても、3本の等高線がずっと束になったまま稜線の西を画しており、保台の谷が清澄稜線を激しく浸食している様子が見て取れる。
なんとか道は幅を保ったまま続いている。
良い傾向だ。
まるで野ウサギのように少しおどついた目で、少しずつ開いていく先の景色を一つ一つ呑み込みながら進む私…。
その足が、再び止まる。
これは…。
なんだか呆気なく6本目の隧道が出てきた。
何ですか、この連チャンは……。
13:41 6号隧道出現!
5号に続いて短い隧道である。
そして、この2本は50mほどしか離れていない。
5号を出た時点で視界的には見えるはずだが、ブッシュに遮られて気づかないだけであった。
乾ききった6号隧道。
いったい、この道には何本の隧道があるのか。
私のテンションは、静かに燃え上がっていた。
あ!
また出た…。
今日は廃隧道の特売日?!
歯止めを失ったかのような、小さな廃隧道の連続出現。
1km以内に隧道7発とかって… …恐るべし。
恐るべしだよ房総半島!!
廃隧道のインフレーション発生中!
隧道である必然が薄い6号隧道(←)と
5号に良く似た7号隧道。
これも崩れていたらやばい立地だった。
でも、なんだかこの道の隧道に関しては、結構信用できる気もしてきた。
7本まで全てが健在であった事実は重い。
13:42 7号隧道!
まるで鉛筆のようなシルエットの7号隧道。
乾ききった洞床には、無数の「大ぬこ」の足跡が。
それにしてもこの隧道の続出ぶり。
房総以外ではなかなか味わえなさそうだ。
普通、トンネルを掘る工事というのは、道路工事の中で一番割高な工費と膨大な工期、高度な設計を要する。
だから、可能な限り隧道を避けるようにルートを選んで道を通すのである。
にもかかわらず、この道はさほど隧道を減らそうと努力したようには見えないし、昭和6年以前には開通していたというのだから恐れ入る。
これが、「隧道なんてそんな特別なものじゃないよ」という “房総クオリティ” なのだろうか。
ここでは、隧道工事が結構気軽に行われていた気配さえ感じるのである。
7本もの隧道をくぐり抜け、ゴールの稜線もようやく目睫の間へと近づきつつあった。
左の写真は、道から見上げた稜線の姿だ。
彼我の距離は高低差にして30mほど。
ここまで来ると、万が一進路が絶たれた場合、なんとか登ろうとしてしまいそうだ。
しかし、それが成功するとはちょっと思えない。
チャリ同伴などはまず無理に違いない。
この高低差、いったいどうやって詰めるのか。
楽しみでもあり、同時に恐ろしくもある。
私の緊張は、最後まで途切れることがなかった。
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13:41
隧道の連続地帯は終わり、再び急な山腹に沿って少しずつ高度を稼ぐ道となる。
ここにも写真のような崩壊箇所が連続しており気が抜けない。
さらに進むと、これまで稜線への接近を阻み続けた“三本の等高線の束”へ、道は初めて積極的な接触を見せた。
これまでとは明らかに景色が変わるので、それと分かる。
この場所から、清澄稜線西壁とでも言うべき難場へのトライアルが始まる。
いままでも部分部分で岩場を横断してきたが、総じて土の斜面が優勢であったし、険しい部分には隧道が掘られていた。
だが、ここからは俎板のような一枚岩、いわゆるスラブにへつるような道が続く。
当然、険しい部分であるから路盤は多く侵食され、または土砂に埋もれ、その侵攻は困難を極めることとなった。
急斜面のため木々も疎らで、大分遠くまで見通すことが出来る。
誰の轍も無い、地図にさえ明らかではない廃道を、このチャリと行く。
“押し”ばっかりでも、もうたまらなく楽しいのである。
今回は上り基調であること、先の状況が読めないこと、また厚く積もった落ち葉やそれに隠れた倒木や落石などで、まとまった距離をチャリに騎乗する場面は最後まで無かったのだが、もしこの稜線〜隧道連続地帯〜保台ダムのルートをMTBのコースとして必要最低限の整備を施し解放したら、絶対に人気のコースになりそうだ。
それを望むわけではないが、現状でもその片鱗は十分に窺える。
ここまで谷底から1km近い道のりを辿ってきたわけだが、決してその“谷底”は遠い存在になってはいない。
未だに崖下に見えるのは、一時間以上も前に辿っていた保台の谷底である。
正確には、保台ダムから扇状に広がった別の支川の上端部なのであるが、同じ沢に見える。
この道の景色的な特色として、「登ってきた高度が常に足元にある、確認できる」という点が挙げられよう。
大概の峠道では、それまで登ってきた高低差が足元にずっと居座り続けると言うことはなくて、少なくとも景色の上では何度かリセットされる。
しかしこの道では、自分が稼いできた高低差を見定めるための起点となる谷底が、ずっと足元にあり続ける。
先ほども書いたとおり、それは厳密には別の谷であるわけだが、どの谷も海抜は変わらないし、景色的にもそう思わせるものがある。
ここまで登ってきた高さ約80mをずっしりと背負いながら、私は稜線を目指すのである。
清澄稜線西壁との決戦!
残りの高度差は20メートル。
次回完結!!
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