2018/4/27 16:50 《現在地》
よし! ここからトンネル側へ下れそうだ!
迂回開始から50分後に訪れた、歓喜の瞬間だった。
私はこの場所に至った瞬間、少しの遠慮も思慮もなく、喜悦の叫び声を放っていた。
それは、自身にとっても稀に長い5日間という“未知なる大地”での探索が、最後は私の勝利で締め括られることへの強い陶酔と安堵がもたらした解放的気分からくるものだった。
さらには、この目の前に広がる景色の凄さが、私の歓喜を倍増させた。
なんと美しくも哀しい、道路の風景だろう! 廃道になるにはあまりにも早すぎる、真新しい造りの土木構造物に、未成道の悲哀が詰まっている。
そのうえ、シチュエーションまで最高と来た。
本来ならば道に繋がっているはずのトンネルの片割れが、それらから完全に隔絶された位置に孤立しているというのが、堪らなく私の魂を揺さぶる。
大袈裟でなく、ここは百点満点だ。
道は満点だが、私の探索は、30点減点だな。
浮かれた私、ここで普段ならしない不注意をやらかす。
高巻きのピーク地点からトンネル側への下りは、上りに匹敵するくらい急峻な斜面であったが、上部は樹木があって見通しが利かなかった。そのため、実感としての高度感が薄れていた。
そして、上りには1本きりだった存置ロープが、なぜか2本か3本が並列で垂れていた。
なぜ多めにロープが垂れているのか。
下の状況が分からないこの時点では、その理由も思慮して自重した行動を選ぶべきだったのだが、浮かれていたらしい私は、不思慮にも、ピークから尻滑りを始めた。
樹木帯の下には、極端に急な部分が待ち受けていたのに!
尻滑りの私は当然停止できず、ますます加速しながら「ズサーッ!」し、次の瞬間、なんと目の前にはもう陸がないッ!
ヒエッ!
幸い、咄嗟に身体を捻り尻滑りを強制中止のうえ脱線転覆しての緊急停止が間に合ったが、あのまま滑っていたら――
この高さ(おおよそ5m)から、空中へ飛び出していたことだろう。
まさに、ヒエッ! である。
……油断大敵。
皆様も、ズサーは下をよく確認してからするようにしましょう。減点です。
とまあ、そんなヒヤリハットの一幕はあったが、それでも勝利の喜びは醒めるなんてことがなく、依然として万全の上機嫌。
難しかった高巻きを完了させた喜びが、何にも勝った次第。
チェンジ後の画像は、このように苦労して越えねばならなかった、たった5mの海域「難場D」の振り返りだ。
泳ぎの達者な人だったら、泳いだ方が楽だろうか。
ズサーのせいで、必要以上の高さまで下った感のある現在地。
本当は、トンネルの屋根の高さまで下れば済むことだったのだが(笑)。
せっかくなので、このアングルからの眺めも堪能しておく。
“未成トンネル”の北檜山側坑口も、大成側坑口同様、長い覆道が接続していた。
そして覆道は、いま私が触れている土の斜面に突き刺さる形で地上から姿を消していたが、この土の斜面も地山ではない。
覆道も、覆道を埋める土の斜面も、本来のトンネル坑口部を大規模な土砂崩落から守るための人工物である。
まさに、現代的設備を完備した道路の姿だった。
それにしても、こうして見るラッパ状坑門工の存在感がすごい。
上方向だけでなく、左右にも広がっているようだ。
これも落石や雪崩や坑門工からの落雪を防ぐ構造と思われるが、他の場所では見た記憶がない。
唯一ということはまずないはずで、どこかには同形状のものがあると思われるから、ご存知の方は一報をいただきたい。
16:56 《現在地》
移動して、ここは覆道の上。
私の最終目的地は、もう目前だ。
今は、足元に下に本当にトンネルがあるのかどうかを期待する、最後のシーンになっている。
覆道だけ先に作って、トンネルを完成させていないなどということは、おそらくないとは思うが、分からない。
覆道の上には、“まだ”落石を受け止めた仕事の痕はほとんどなく、現時点では、取り越し苦労的な構造物になっている。そして、今後いつの日かこいつが働いても、誰にも見届けられず、感謝もされないのだと思うと、可哀想だった。
覆道の上からは、天狗岳の大絶壁を見あげ放題だったが、その一角に、空を源泉とする白糸の如し滝を見つけた。
案外、ここまで存置ロープを残した人の目的は、あの滝だった可能性もある。滝というものは、どうやらそれほどの引力を持つものらしい。好きな人の行動を見ていると、そう思う。
しかしよく見ると、滝のすぐ下辺りから、この道を守る落石防止ネットが始まっている。ということは、工事関係者はあの滝を間近に見たということだ。彼らの行動範囲もまた恐ろしい。
キーター!
まるで、ジャンプ台だ。
しかし、現実のこの道には飛躍なし。ここで終わり。閉塞のEND。
そこから横へ回り〜の〜
末端の路面が初めて私の前にさらけ出され〜の〜
か〜ら〜の〜
とうとう路面と同じ高さに辿り着き〜の〜
ささやかな“最終障害物”を脇から越え〜の〜
つ〜い〜に〜
ズガーーン!
16:59 《現在地》
やりました。
空撮写真で存在を発見した瞬間から、到達を夢見ていた、
“未成トンネル”北檜山側坑口は、
開口してやがった!(絶喜)
この5日間に北海道で出会った、この世代の旧道廃道トンネルは、ほぼ全てが完全に塞がれていた。
それだけに、このトンネルだけが例外的に開口していることへの期待は、これが通常の旧道ではない、
未成道であるという特異性に頼るしかないと思っていた。それでも、正直なところ期待は薄いと思っていた。
なのに、開口していた!
もしかしたら、これはまだ覆道だから開口しているだけで、この奥のトンネルが始まる地点から埋められている可能性はあるが、
それでも、この段階で塞がれているよりはよほど有情であり、楽しく、喜ばしく、感動的である。
だから、封鎖フェンスが高すぎることなんて、全然許せた!
あああ…(嗚呼)。
私が最後に乗り越えた“この部分”は、扁額を収める予定の場所だった模様。
しかし、扁額サイズの凹みだけがあって、扁額は無し。
おそらく、扁額というのは完成の最後の段階で設置されるものなのだろう。
多くの未成道で、ほぼ完成しているのに扁額を持たない橋やトンネルを見てきた経験から、そう思う。
これは単純に、扁額のような装飾品の設置は工事は最後で良いという効率性もあるだろうが、
名を与える存在が構造物に命を吹き込むというような、「画竜点睛」の精神性も関わっていると思っている。
“未成トンネル”の迂回作業には、ちょうど1時間を要した。
現在時刻は17:00。30分後には撤退を開始しなければならないので、ここに過ごせる時間は長くない。のんびりしていられない。すぐさま、行動を開始する。
まずはトンネルから続く道の終わり、未成道としての真の末端を踏もう。
坑口前はちょっとした広場になっていて、夏は一面の草原なのであろう。路面らしい砂利敷きや舗装はないようだ。誰かが来て残した“なにか”、例えばゴミや轍は見られなかった。
でんと居座る大きな石は、落石してきたのだろうな。
トンネルを背にして進める距離は、ごく僅かである。
実質的にこの道は、トンネルが終点なのだ。
10mそこらで、もう終わりが近づいてきた。
土の地面がなくなって、その先には消波ブロックが積み上げられている。
地形的に見て、今いる地面も、もともとは潮間帯なのだろう。大量の消波ブロックと堅牢な防波堤によって無理矢理作られた陸上空間だ。管理されなければ、やがてはまた海へ還る可能性は高い。
次の写真は、道の終わりと同時に訪れている防波堤の先端で撮影した。
17:01 《現在地》
極めたぜ。また1本、未成道の夢の果てを。
スタート地点である太田トンネル南口からここまで、未成道の長さは約1.4km。
ここからだと、旧大成町と旧北檜山町の境である尾花岬の突端まで、もう1kmもない。このまま海岸を移動していって辿り着けるかは未確認だが、かなり間近に見えた。(望遠写真)
だが、この未成道の計画線は、これ以上は陸路で岬へ近づかなかったと予想する。地形的にも、ここから岬までの間にはもう地上へ顔を出せそうな場所はない。
上の写真には、今回も“未成道レポ名物”の完成予想の姿を書き加えてみた。
おそらく、現在地の100mほど先で、次なるトンネルが待ち受けていたことだろう。
そして右図には、ピンク線で想像の計画線を描いた。
この通りに1本のトンネルが、現在の太田トンネル北口まで掘り抜かれたとしたら、その長さは約1.6kmとなり、建設された“未成トンネル”の2倍強である。
もちろん、これ以外の計画線も想定できるが、大きく外れることはないだろうと思う。
ようするに、道道740号北檜山大成線の未完成区間は、全長3395mもある道道最長の太田トンネルが着工される以前にも、残り1600mほどまで縮まっていた疑いが濃い。
にもかかわらず、一度作った道を1km以上も放棄して大きく後退した状態から、改めて太田トンネルを作ったように見える。
それほどの決断を強いる出来事が、あったということだろうか。
(←)これは、小さな小さな未成道の証しだ。
防波堤の先端を見ると、この先へ継ぎ足しをしたときに差し込むための鉄筋の足が出ていた。
役目を果たす可能性が潰えたいま、もうすっかり錆びついてしまっていた。
まあそれでも、未成道としての哀しさや無念さは、マシな方であろう。
なにせ、この道が作られた目的自体は、無事に果たされたのだから。
ここからは見えないし、音も聞こえないし、全く知覚できる余地はないものの、実際には200mも離れていない地中に、太田トンネルが開通している。
末端から振り返る、道。
トンネルが口を開けており、おそらく一度はちゃんと貫通したのだとも思うが(そうでなければ、この場所に大量の消波ブロックを設置することも難しかっただろうし)、このトンネルが現在も無事に貫通している可能性は、皆無であろう。
最初に太田トンネル内部を探索したが、地中でこの目の前のトンネルと接続していそうな場所には、なんの痕跡もなかったのだから。
それゆえに、この場所は激しく孤立しているのである。
そして、私をこれほどまでに昂ぶらせるのだ! “孤立道路”超大好き!
なお、ここへ来る最後に行った高巻きのピーク地点を、ここからよく見ることができた。
上の画像(チェンジ後)に付した枠のあたりを拡大したのが、左の写真だ。
あんなに危うげな場所までよじ登って来たのである。いかにも無理矢理っぽいルートだが、帰りもあそこを通るしかない。一度通っているので、だいぶ安心感はあるが。
これがもう少し地形が異なっていたら、完全に陸路到達困難となっていたように思うが、天の配剤の妙を感じる“ギリギリいける感”だった。
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この大好きな末端風景を、“1枚の写真”に収めた。
これでいつでもこの場所は私のなかに再現できるようになった。満足。
17:02 続いては、いよいよ私と皆さまのお待ちかね……
トンネル探索のお時間です!
正面から見ると、意外にもまったくと言っていいほど違和感や奇抜さを感じない、ラッパ状坑口の前に再び立つ。
コンクリートで塞がれていないだけマシとはいえ、入れる気を感じさせない“高さ”だなぁ、このフェンス。
別に「入るな」とは書いていないが、扉も用意していないところを見ると、永遠に誰も入れる気はないということか…。
まあ、鼠返しや剣山は取り付けられていないので、靴を脱いで裸足になれば、マリオやバルログの要領でよじ登って突破できそうだが、当然大変そうだ。空身ならまだしも…。
そもそも、奥はあるのか、奥は?!
いくら私が馬鹿でも、見える範囲に行き止まりがあるんだったら、苦労してまでは入らない。
う〜〜〜ん…
……
…
見えないなぁ。20mくらい奥からトンネルの断面が四角から半円に変化しているのは分かるが、その先は本当に真っ暗だ。
まあ、当然のように風は感じられないから、閉塞というのは間違いないと思うが…。
これは、やっぱり入りたいなぁ。
ん?
これは……
にゃあぁあん!
こんなところに、ニャン用隠し通路が!!
トンネル内の歩道(ないし監査廊)部分が砂利敷きであったことが、このような土嚢による閉塞を生んだ。偶然だろうが、ありがたい!
私がすり抜けられるだけの穴を作ってぇ〜!
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わるにゃ〜ん!
偉大なるヌッコの動きで、トンネル内部へ至る最終障壁を攻略完了!
(なお、土嚢は帰りにちゃんと元に戻しました)
17:06
“未成トンネル”
その約束された閉塞へ向けて、前進開始!
この道の、全てを暴いてやるッ!
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