2018/4/27 17:06 《現在地》
スルリンとトンネル内へ進入し、立ち上がり、足元を見ると…。
外から流れ込んだ濡れ土の上に、たくさんの肉球模様が!
ここもまた、本州での探索では度々私の行く手に現われた“隧道ヌコ”のフィールドだというのか! 私は今回も後塵を拝したらしい。
私が土嚢をずらすまで隙間は数センチしかなかったはずだが、奴らの軟体レベルは人を遙かに凌駕する。(私が隧道ヌコと呼んでいるのは、ハクビシンを含むヌコ科の動物全般)
気を取り直し、道の真ん中へ移動して前を向く。
そこには、閉塞を約束された哀れな“未成トンネル”が、底知れぬ闇を湛えていた。
完成すれば当然設置されたであろう照明も、それを支える電線も、センターラインも、車道外側線も、何もない。
“ハコモノ”だけの空虚な姿が、このうえもなく未成を物語っていた。
底の見えない闇ではあるが、地図上で見るこのトンネルの全長は約700mだ。700m先には、既に見た【南口】があるはずだ。そして、既に内部を400mほど既に探索し終えている。
両側坑口を利用せず内部だけ先に探索するなど普通はあり得ないことだが、このトンネルは太田トンネルの一部として組み込まれているために、そんなことが可能になっている。
というか、ほぼ全ての利用者がその使い方だけをしている。
そんなわけだから、見えなくとも底は知れていたはずのトンネル。
しかしやはり、“見えない”ことは得体の知れない不気味さを与えてくる。
肉視よりも先に深さを測る試みとして、手を叩いて音の反射を確かめてみた。
上の動画はその模様であるが、音は数瞬遅れて綺麗に返ってきている。
トンネルは入口から10mほどで、断面が長方形から丸形に変化する。
四角いトンネルは開削工法で、丸い形は山岳工法というのがセオリーだが、先に【トンネルの外形】を見ている私には、この丸い部分も実は覆道だということを知っている。しかし、窓のない覆道の内部がこの形状だと、利用者は誰も覆道とは見破れないだろう。
また、外から見たときには非常に特徴的だった“ラッパ状坑門”(専門用語的には、ベルマウス型式坑門の変形か)は、内部から見ると意外に平凡というか、よく見ないと違いが分からない。実は我々が気付いていないだけで、この形の坑口はそれなりに存在している?
それにしても、無駄に高いフェンスである。
誰もこちら側から(悪気なく)間違って侵入したりしないでしょ! そもそも、この場所に偶然辿り着く人はいないだろうから(笑)。
トンネルの中の整然とした人工風景と、柵の向こうの北海道の原始自然風景との対比が、強烈だった。
17:07
入口から50mほど進むと、ヘッドライトに照らし出された壁面に、金属製のプレートが取り付けられているのを見つけた。それも、2枚だ。
一瞬、太田覆道や天狗覆道で見たようなトンネル銘板かと色めいたが、近づいてみると違うものだった。
NATM |
品質記録保存分類番号 |
この2種類のプレートは、ともに北海道の比較的に新しいトンネルでは普通に見られるものである(本州では見たことがない)。
左のプレートにある“NATM”とは、“new Austrian tunneling method”の頭文字で、日本語では新墺式工法ないし新オーストリア式工法と呼ばれる、現在世界的に最も普及している山岳トンネル工法の名だ。
このプレートは、覆工の巻き厚を表示しているのである。
そしてこのプレートの存在から、見た目の変化はないトンネル内にいながら、この場所で覆道が終わって、本来の地山に穿たれたトンネルが始まったのだと分かった。
右側のプレートからも探索の役に立つ情報を読み取れれば良かったが、こちらは部外者には難解であり、“未解読”だ。
さらに進んでいくと、坑道の奥に薄ぼんやりと灰色の壁が見えて来た。
予想通り、このトンネルは内部で閉鎖されているようだ。
このことは事前に想定していたし、時間的にも想定外の探索を追加する余裕はないので、予定調和的に閉塞してくれていることはありがたい。
北海道の廃トンネルの常識に照らせば、坑口で塞がれていなかった時点で相当の例外といえたのだ。
ここまでは使用感皆無なトンネル内部であったが、ここで初めて空き缶のゴミを見つけた。
錆びきっていて商品ラベルは全く判別できないが、飲み口が分離しないステイオンタブ式の小型缶で、平成以降のものと分かる。
なお、この少し後にも同じサイズの空き缶を発見し、そちらはコーヒー飲料の「ジョージアエメラルドマウンテン」だった。
果たしてここにこれらの空き缶を残した人物は、私と同じ探索者か、工事関係者か。
どちらの可能性もあるが、野外探索者が缶ジュースを持ち歩くイメージは薄く、一昔前の工事現場にはエメマンがよく落ちていた記憶がある。
終わりの壁が見え始めたが、そこに至るまではまだ少しの猶予がある。
少し歩速を落として進んでいくと、今度は左側の壁に何かの機械が取り付けられているのを見つけた。
トンネルの内壁に備えられた装置と言えば、消化器、非常電話などが思い浮かぶが、それらに必須の分かりやすい案内表示がなく、近寄ってみても見覚えのない機械であり、即座に正体は判明しなかった。
だがこの機械こそは、ここが最後まで未成に終わった一般に公開されない施設であったことを物語る存在だった! 興奮する準備をせよ!!
北檜山〜大成線
天狗トンネル
覆工内温度計 T-1
うぉおおおぉぉ!(歓喜!感涙!)
“天狗トンネル”というのか、お前は!
いままで私が“未成トンネル”と仮称していた存在の、正式名か工事中の仮称なのかは分からないが、少なくとも現場関係者が呼んでいた名前が判明したのである。
「天狗トンネル」と!
地図上で見ても、これが天狗岳の山裾を貫くトンネルなのは明白で、この名称はとても理に適っている。少なくとも、道道最長でありながら近隣の一大字名だけを名乗る「太田トンネル」よりは、よほどしっくりくる。
天狗トンネル。いい!
このカンジだと、続いて掘られるはずだったトンネルは、「尾花岬トンネル」だった可能性が高いだろうな。
名前ひとつで、私は大いに盛り上がってしまった。
それはそうと、トンネル名判明のキーアイテムとなったこのシールだが、ラベルプリンターで印刷されたものだ。昔、ロー●ンの店長をしていた時にはよく使った。
シールが貼られている機材の名は「覆工内温度計」であるという。専門家でないので用途は断言できないが、覆工コンクリートの内部温度を測定し、硬化(養生)の進行具合を確かめていたのだろうか。
いずれにせよ、供用開始後のトンネルの目に見える場所には見当たらない装置だ。
やはりここは最後まで、工事現場のままだったのだ。
17:10
私が勝手に熱くなった大発見の現場は、坑口から100mほどの地点だった。
一見特に面白いものなどありそうにない、整然たる現代のトンネルだが、アンテナを高くしていれば応えてくれる。
そしてこの後も、残りわずかとなった洞内で、私の想像力を駆り立てる小発見は続いた。
トンネル名に続いて、この現場に人が存在した時期を具体的に示す遺物を発見した。
内壁に張られたガムテープに、油性ペンでこんな文字が書かれていたのだ。
クラック・終わり
H10.4.15 ↘
クラックとは、ひびのこと。
確かにこのシールの近くの壁には、白く石灰分が析出したクラックが何本も生じていた。
ひびが入ったトンネルと言えばギョッとするかも知れないが、多少のひびはコンクリートの特性上は避けがたいもので、それが本当に危険な外力の作用や、老朽化による異常なのかを判断するのが、施工者や管理者の仕事である。
そして、このひびが問題視されていたことはシールの存在より明らかだが、トンネルの部分放棄という重大な決断と関係があったかは不明である。
だが少なくとも、この探索から20年前の平成10(1998)年4月15日にはこの場所に人がいて、クラックの状況を確認していたということは分かる。
おそらくその段階では、まだこのトンネルの奥は閉塞させられていなかったのだろう。
こんなものも見つけた。
「茶流彩彩 烏龍茶」という500mlペットボトルの空きボトルだ。
光の射さない道の真ん中にぽつんと転がっていた。
廃道で見つけた食品ゴミは、表示されている消費期限や、ブランド自体が存在した時期から、そこに人が出入りしていた時期を特定する手掛かりになることがある。誰が捨てたのかまでは分からないので、手掛かりとしてはあまり強くはないのだが。
帰宅後にネットで調べてみると、この「茶流彩彩 烏龍茶」という商品は比較的に短命で、平成5(1993)年に発売されたものの、5年後の平成10年には終了しているとのことだった。さあ、終わりを一緒に迎え入れよう。
大きな全断面を一瞬で終わらせる一分の隙も無いコンクリートウォールは、この5日間で何度も見てきた景色だ。
大半は“外”の光の下で見たが、いくつかはいろいろな偶然や“わるさ”の結果、今回と同じような状況で見た。
私にとっては、既に「北海道らしい」と思えるほど馴染んでしまったこの景色が、最後の探索にも決着を与えてくれる。
どうやら、少しだけ水が溜っているようだが、端っこの縁石を歩けば濡れずに最後まで行けそうだ。
ラスト30m。終わりを噛みしめながらゆっくり歩く。
ちょっと待て!
ハナシガチガウダロナンダソノトビラ!
ラスト10m。予定調和に満ちた綺麗なフィナーレを、
この天狗野郎はぶち壊しにしたことを、知覚した!
閉塞壁には、開かずの扉がありました。
じゃなくて、
開いてるし!!
気持ちわりぃ……。
閉塞壁にトビラがあったことさえ今までは(過去5日間)なかったのに、
なんでこの閉塞壁にだけトビラがあって、それがわざわざ開いてんの?!
今日はここまで足を濡らさず優等生的探索をしてきた(減点あったけど)のに、
このトビラの奥を確かめようと思ったら、どうやっても臑まで水に浸かるしかないぞ。……マジか。
ここまで整然とした現代のトンネルだったのに、急激におぞまし過ぎる異形になってるし…。
それでも、行かないという選択肢を、選べるわけがない場面……。
17:13
うーわー……
人ひとり分だけの、せまーい通路…。
左右、上下とも、コンクリートの平たい壁。しかし、なんだか異様に白ずんでいる…。
もちろん、明りなんてあるはずもない。ただでさえ気持ち悪いのに、足元は水没。
落盤している岩の隙間を潜り抜けるのとはまた違った、しかし強烈な圧迫感を覚える。
いき、ぐるしい。
何なのこの通路は。
妙に白っぽいのは、四方の壁面から析出した石灰分だということはすぐに分かったが、その漏れ出ている量が半端ない!
天井から垂れる、いわゆる“コンクリート鍾乳石”が、もし本当の鍾乳石だったらここまで成長するのには数百年掛かるだろう大きさに成長していた。その場合、この“鍾乳洞”は都道府県レベルの天然記念物になれるだろう。
対してコンクリート鍾乳石の成長は早いといわれるが、それでもこの通路部分が誕生したのは、平成に入ってからの閉塞工事の際だろうから、わずか10〜20年でこんなになるものなのか…。
振り返ると、150mほど離れたところにある出口が、「早く戻ってこい!」と急かすように明るく見えた。
そんな風に私が感じるほどに、この空間は異形すぎて、人を心細くさせることに長けていた。
平成以降の人工物が、こんなに気持ち悪くなれるとは、驚き…。
お前ら! ……失敬。
皆さん! これから太田トンネルを通行するときには、覚えておいて欲しい。
太田トンネルの大成側坑口から1.2km付近にある【右カーブ】の外壁の向こう側に、この空洞が封印されているということを。
そして、そこに入り込んだ一人のオブケモノ(obroader's beast)がいたことを。
美しく恐ろしい海岸線を突破した先、夕暮れの閉塞トンネルの奥に封じられていた空間は、興奮を上回る沈着するような恐怖で私を震わせた。
早く窮めて逃げ出したいと思いつつも、同時に、激しく動いて呼吸をすることを嫌う気持ちもあった。
だって、実際に呼吸が苦しくなったわけではないが(若干はそう感じたのは気分の問題)、足元のプールが私の歩行でかき混ぜられることによって凄く濃い白濁液と化し、なんとなく変な化学反応でガスが発生していそうな恐怖があったんだもの。
実際には、これは石灰が沈殿する石灰水であり、かき混ぜたところで特に有毒のガスは発生しないし、目に入れたり大量に飲んだりしなければ問題はなかったと思うが、気持ち悪いことに違いはない。
やべ〜穴に入って20mほど進んだところで、それまで直線だった坑道がカクッと左へ30°ほど折れた。
もういい加減にしてくれと思いながら、その先へ目を向けると――
今度こそ、塞がっていた!
最後は木材の壁だが、手触りは柔ではなく、裏側にも分厚いコンクリートの壁があることを感じさせた。
ようするにここは、太田トンネルと接する最後の閉塞壁に生コンを流し込んだ際の型枠の裏側なのだ。
閉塞壁周辺の状況を図示すると、このようになる。
太田トンネル側からは全く【存在を窺い知ることが出来ない】天狗トンネルとの分岐だが、単純に太田トンネルの外壁によって天狗トンネルが妨げられているわけではなく、天狗トンネル側を20m近くもコンクリートで半充填してから閉塞している。
これは地山の強度を確保するためだろう。
なお、太田トンネルと天狗トンネルの分岐部は2箇所あり、うち1箇所はこのレポートの第1回で見た通り、今もトンネル内分岐としての機能を留めている。
だが、あちらも分岐付近の天狗トンネルはかなり【断面を詰められて】おり、やはり強度確保の目論見があるのだと思う。
それにしても、この壁の建設を最後までこちら側で手伝った作業者は、閉塞完了後は私と同じように海岸線を乗り越えて仲間の元へと生還したのだろうか。それとも小舟が手配されたのだろうか。
なかなか他人事とは思えない現場風景が想像された。
……私も、これでようやく帰れる…。
17:17 天狗トンネル閉塞壁より、撤収開始。
残された未探索領域は、もうあとわずか!
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