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2019/6/26 17:11 《現在地》
自転車を肩に担いで、不安定な崩壊斜面を15mほど斜め上の方向へ進むと、広い場所に辿り着いた。
そこには、自動車が普通に通行できそうなくらいの幅をもった“道路”があった。
これは予想外なことであった。
直前の崩壊地を迂回する、“踏み分け”程度の道が存在することを想定していたが、
これまでの道より10mも高いところに待っていたのは、予想外の“車道”だった。
改めて、少し前に撮影したこの写真に「現在地」を表示しつつ、私の驚きを説明したい。
いま私がいる場所は、大きな崩壊地を高巻き気味に迂回した先である。
崩壊地を横断していた迂回路は非常に急勾配で、そのうえ荒廃もしており、道幅もあってないようなものだった。
だから“車道”ではなかったろうと思ったが、かつてはそうではなかったようだ。
ここにあった「本来の車道」が崩れた後、崩壊地の直上を急坂で越えるような迂回路が、やはり車道として開削されたようだ。
しかしその後も崩壊が進み、せっかくの迂回車道も破壊されて、現状のようになったのだろう。
そのように考えることで、上下に2本の車道が並走する不自然な現状を説明できる。
“迂回車道”を前進開始!
道のすぐ下を旧道(本来の道)が並走しているのだが、余丈の草むらを掻き分けて覗き込んだ路肩の下には、まるで休耕田のような猛烈な草むらからなる細長い平場があるだけで、もはや道と呼べる状況ではなかった。
しかしその一方、“迂回車道”上の刈り払いは、人が歩くためだけとは思えない完全な広さでなされていたのが、これまた予想外で、印象的だった。
明らかに、車道らしい幅の全幅に刈り払いが行われていた。
しかもこれ、1週間以内くらいの極めて最近の刈り払いだ。
草刈り現場特有の強烈な草の香が路上に満ちていたので間違いない。
つまり、いま私が越えたちょっとした難所を、草刈りの実行者たちも悠々と越えていることになる。
この念入りな刈り払い……、県道だからというよりは、この先にダムがあるからだと考えた方が自然だろう。
……ダム、すげぇ……。 県道だけじゃ、こうはいかなかった気がする……。
17:13 《現在地》
崩壊地からおおよそ100m、ほぼ水平に進んだ草の香りの“迂回車道”。
いつになったら「本来の道」に戻るのだろうかという怪しみを徐々に深めつつあった私だが、そのときは急にやってきた。
崩壊地があったのは小さな支流の谷で、そこから小さな尾根を回り込み、再び壮大な本流の谷へ戻ると同時に、水平だった迂回路が猛烈に下りはじめた。
その行く手には平場が横たわっていた。それは「本来の道」の続きに他ならなかった。
ごく短いが、車両の場合は重機のようなものでなければ、なかなか登攀は難しそうな急坂だ。
いかにも応急の迂回路といった感じが溢れ出ていたが、それでも歩行者だけではなく、車両を通すことに拘った道幅になっている。
もちろん、舗装などされているはずもなく、草を刈られただけの土道だ。やや泥濘んでいた。
一応、自転車は乗車のままで下れたが、帰り道は押して登る羽目になった。
「本来の道」の続きに戻ってきた。
崩落地の先端に架かっていた【橋】の続きである。
崩壊地直前の【未舗装化】は何かの間違いで、ここでしれっと舗装が復活していることも考えたが、全然そんなことはなかった。
本当に奥地は舗装工事が行われなかった模様で、末期までいわゆる“ダート県道”状態だったようだ。
さて、使われなくなった「本来の道」の区間は、約100mある。
うち80mは猛烈な藪に覆われており、残りは崩壊して跡形もないことが判明している。
この80mの激藪廃道区間の探索は、行わなかった。
先ほど見下ろした感じからして、特に何か遺構がある様子もなかったし、藪の濃さも探索者を強烈に阻んでいる。なにより時間的猶予の少なさが、辞退の最大の原因だ。現在時刻は17時を回っており、早くも日は山の陰に隠れてしまった。
この先に残り1kmの県道にもどんな問題があるか分からないだけに、最終目標であるダムへの到達を優先することにした。
『道路現況調書』(2008年、2010年)を参考文献に掲げている、ウィキペディア:新潟県道246号西飛山能生線によると、この路線には砂利道区間が1217.4mあり、加えて19.7mの【自動車交通不能区間】幅員、曲線半径、勾配その他の道路の状況により最大積載量4トンの貨物自動車が通行することができない区間が存在するという。
わずか20m弱という、なんとも微妙な長さの自動車交通不能区間が、全長約20kmほどの県道のどこにあるかだが、いま越えてきた崩壊地を指しているのではないか。であれば、迂回路は県道には認定されていないということになる。正式な路線の付け替えではないのだろう。
舗装はなくなったものの、道幅自体は以前と変わらず、しかも刈り払いが念入りに行われているせいで見通しも良い。
路面には砂利が敷かれていたが、刈り払いがされていなければ、草地にしか見えなかったかも知れない。
少し進んだのが写真の地点で、路肩がヤバいことになり始めていた。
底の見えない赤茶けた巨大な崩壊地が、路肩を囓り始めていた。
このまま対処がなされなければ、先ほどの崩壊地の二の舞いになりそうである。
そのときは、また高巻きする迂回車道を作るのだろうか……。
恐々とした気分を覚えながら、これを通過した。
17:15 《現在地》
再び、見晴らしの良い右カーブが現われた。
地形図上では県道全線中の最高標高地点であり、560〜570mある。
しかし前後ともほぼ平坦なトラバース路で、勾配の変化は特に感じられなかった。
それはさておき、ここは道の形といい、景色といい、約20分前に初めて飛山ダムの勇姿を目にした【展望地】の再来を思わせた。
あれから1.4kmほど起点へ近づいた現在、視界中央に座する火打山は、そのあまりに巨体であるがゆえか、さほど近づいたように見えなかったが、この主峰を取り巻く峡谷両岸は大きく開門し、前景が失われつつあった。
「俺は火打山に用があるんだ!前座は引っ込んでいろ!」
道が叫ぶ、そんな威勢の良い啖呵が聞こえてきそうな景色の変化が爽快だった。
いよいよ私は、県道の頑張りによって、能生川峡谷の深奥・核心と呼ぶべき境地へと突入したらしい。
となればもちろん、我が最終目的地である飛山ダムの見え方も、ここでは大きな変貌を遂げていた!
近いぞ、ダム!
前回の“展望地”で、火打山と同時に初見となった飛山ダムは、1.4kmの前進によって、
もの凄く近づいた!!
いまや、日暮れの峡谷を塞ぐコンクリートの大城壁は、本道と指呼の間にあった。
天端に設えられた道に、もし人影ぞあらば、その性の別まで判別しうるであろう。
だが、現実に人の姿があるはずもなく、
既に日差しを失った天端には、未成道を彷彿とさせる空疎さが揺蕩っていた。
そんなダム全体を擁する峡底は、ひたひたと夜の気配に沈みつつあった。
正直言って、これからあそこまでの一往復を試みることが、怖かった。
だから、さっさと目的を果たして帰還したいという弱気が生まれた。
……だが、 道は突いてきた。
そんな私の弱気を的確に。
大崩壊だ!!!
前の崩壊が可愛く思えるレベルでデカい!
前のは支流の谷、今回は本流の谷。谷の大きさに見合った、巨大崩壊地!
でもいまそんな観察はどうでもよくて、通り抜けられるのかどうかが問題だ。
……とはいえ、先ほどの崩壊地を強引な迂回路で突破した“彼ら”(ダム関係者?)である。
その後も、道幅いっぱいまでをしっかり刈り払いしている“彼ら”(ダム関係者?)である。
今回だって、どうにかこうにか越えていくための術を用意しているに違いない!!
頼んだぜ!
……ぉ…おうっ……
だらしない感じのロープがたらーんとしている……
なんか、適当っぽい気がするが、
大丈夫なんか……
2019/6/26 17:16 《現在地》
GPSが示す現在地は、飛山ダムまで直線距離なら僅かに250mの地点を指していた。
県道の道なりに進む場合、あと750mというところ。
そしてこの750mのうち、前の250mはこれまでのような水平路、後ろの500mは一気にダムサイトへ下る九十九折りの道であり、前半と後半でまるで線形が違っている。
長かった水平路の終わりが近いこの位置に待ち受けていたのが、本路線上での2度目にして、前回とは比べものにならないほど巨大な崩壊地だった。
一望して、車道の寸断は確実と分かったが、それでも歩行者が通り抜ける余地だけはあるはず。ここまでこの道を辿ってきた私には、そのような確信があった。
この先にダムがある限り、管理者はこの道を完全に見捨てることはないはずだという、信頼された確信が!
だがしかし!
こんな“だらりんロープ”を頼って行けというのか!
関係者は正気か?!
その辺の自然公園にあるアスレチックの遊具じゃねーんだぞ!
こんなアスレチカルにアクセスしなければ辿り着けないダム、見たこと(あんまり)ないぞ…。
というか、人はこれでなんとか行けるとしても、ダムの管理って、人だけで良いのか?
なんか要らないのか? 車両的なもの、あるいは人が持ち運べないような大きな機械や材料?!
……すべては、この目でダムの実況を確かめれば分かるのだろうか…。そう期待して、とにかく先へ進むしかない。
ただし、お前(自転車)は置いて行く。
この戦いにはついてこれそうもない。
ここで私が目的を達成して戻ってくるのを、待っていてもらうことにした。
完全に夕闇に包まれてしまう前には戻ってくるぞ。
相棒を捨て、いまから単身挑むのが、おそらくは今日の最終関門である。
突入前に、その全貌を見渡したのが次の写真だ。
脅威! とにかくもの凄い量の崩土によって、この先の道
おおよそ100mほどが、ほぼ完全に埋没して失われていた。
もともとは赤線の位置に、斜面を横断する車道があったようだ。
いまもコンクリートや玉石の路肩擁壁や、埋設されていたコルゲートパイプの配水管が、
未練たらしく、土の斜面から露出していた。だが、これら遺構の周囲は特に傾斜がキツく、
近づこうとするのは自殺行為だろう。ここから見るだけで満足するしかない。
この大崩壊地の突破ルート(桃線)は、本来の路面よりもやや高い位置に付けられていた。
前半の傾斜のキツい部分には、これを使えと言わんばかりの太いロープが2本、垂らされていた。
しかし、どう見ても、「ロープがあるから安心だ!」と言えるような感じはなかった。
だらりんロープが垂れている最初の窪地は、小さな支流の谷である。
もともと道は暗渠で越えていたのだと思うが、現在はこの谷を渡るところから路面が失われる。
対岸にはもう、だらりんロープの難所が待ち構えているので、ここから谷に踏み込む最初の一歩が、いくらか勇気の要る一歩である。
それはそうと、この道の末端の一角(矢印の位置)に、何者かが置き忘れていったらしいショベルが1本だけ残されていて、私の目を引いた。
こんなショベルひとつで目の前の大崩壊地に挑む姿は、ドン・キホーテの愚を思い出されるものがある。
もっとも、そんなショベルすら持たず、靴の先で即席のステップを刻みながら斜面を突破することが常である私と、どちらが愚かであるかは、意見の分かれるところだろう。(分かれないだろ…)
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この大崩壊地を突破するうえでの“正念場”は、最初の数歩だ。
遠目から観察した限り、かなり長い崩壊地の横断径路のなかでも、
難しいのはおそらく最初だけ。だが、油断のならない難しさだ。
上の全天球画像をグリグリして、進むべき方向を見てほしい。
それは垂れたロープの先にある。
ロープの意味は、これを使ってよじ登れということだろうが、それでもなかなか難しかった。
登るべき斜面は根っからの砂利山のため、とても崩れやすく、そして滑りやすかった。
砂利の目が細かいので手掛かり足掛かりが乏しく、確かにロープがなければ
よじ登ることの出来なさそうな斜面だ。高巻きも、おそらく不可能である。
滅多なことでは存置ロープに頼るまいと決めている私だが、このロープは十分に太いので、
お世話になることにして、あくまでも補助程度ではあるが、手繰りながら登り始めた。
結果、無事に登ることが出来た。ただし、このロープは支点が遠いため、
不用意に引っ張るとかなり大きく振れる。その点は特に注意が必要だった。
17:19
最初の“よじ登り”さえ成功すれば、あとは穏当な巻き道が待っていた。
おそらく例のショベルで切り開かれただろうこのステップは、自転車も押して通れそうだった。
しかし、本来の路面は足元の土砂の数メートル下に埋もれていて、全く行方不明である。
これほど大量の土砂が、いつどのように路面を埋めるに至ったのかも、不明だ。
ここに本来の道を復旧させようとしたら、相当に大規模な工事が必要になるだろう。
だが今日の我々が、ここに作用できる力は、せいぜい手持ちショベル程度というのが現実だ。
かつてこの道を切り開き、その頼もしい輸送力を以て眼下に巨大なダムを作り上げた我々だが、
その栄光の日々は、もう遠い昔になってしまったらしい。
緑の樹海にそそり立つ白亜のダムは、人類文明のオーパーツを思わせるものがあった。
そして私は、ここで初めて私はダム越しに湖底である領域を見た。
まさかの貯水量ゼロ?!
今回、飛山ダムについて、事前には敢えて名前以外特に調べずに来たが、この事態は予想外だった。
貯水量ゼロとは、一体何のためのダムなの?!
というかそもそも、完成してるのか?!
外見的には、コンクリートの堤体はもちろん、天端の通路に取り付けられた欄干や、
金属製の3機の放水用ゲートなど、各部まで完全に完成しているように見えるが……。
突然湧いた“未成ダム疑惑”。 ……いやいや、もしこんな大それた無駄ダムがあったとしたら、
いわゆる公共事業バッシング報道の中でもっと暴かれて有名になって、広く知られていそうな気がするぞ……。
まさか、唯一のアクセス道路を長年通行止めにすることで、人目から隠し続けてきたなんて……、
それをいま一人のオブローダーに暴かれただなんて……、そんな甘っちょろい陰謀、この国にないだろ!
しかし、未成かどうかも含め、本当に気になるダムだ!
早く見に行きたいよ! ここから飛んでいきたいくらいだ!(笑)
17:20
ここは崩壊斜面の中央付近で、一番高くなっている。
崩壊の幅は100mくらいもあり、全体的に不毛化した見通し絶佳なガレ斜面であるが、最初の数メートル以外は容易に歩行が可能で、ロープもあるが不要だった。マニュアル的には、安全帯をロープに通して歩けということかもしれない。
しかしこの緩やかな感じ、前の崩壊地と同様に、一旦は車道幅の突破ルートが切り開かれた可能性を窺わせた。
崩落した土砂をそのままにして、その上に車道を付けるとは、維持困難が目に見えているが、現状でも歩行には十分すぎる幅を残している部分が多くあり、車道説を彷彿とさせる。真相は不明だが。
崩壊地横断の後半は下り坂で、埋没した本来の路面の高さまで降りていく。
ここに至って崩壊地の先の地形が眼下に一望されたが、そこには高木のほとんどない深い草地の緩斜面が広がっており、ゲレンデか休耕地を彷彿とさせた。
この草地の内部に目をこらすと、道が見えた。
それも1本ではなく、上下に平行するように2本あった。
地形図に描かれている、最終盤の九十九折りだろう。あそこを下りきれば、いよいよ県道の起点、飛山ダムだ!
17:21 《現在地》
おそらく最後の難関、突破成功だ!
しかし、ここでも驚かされたのが、依然として完璧に行われていた草刈りだ。
あんな崩壊地の先だというのに、路上の草刈りは全幅において完璧だった。
つうか凄い。おそらく、道路かダムどちらかの管理者の仕業だろうが、まさかここまでとは。
誰か知らないが、これは言わざるを得ない!!
「ありがとう!」
(これ、もし草刈りが全くされていなかったら、夕暮れのここは不安で大変だったろうな…。)
お読みいただきありがとうございます。 | |
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