“新潟の暗峠”こと、尋常ならざる急勾配直角カーブを修めた県道は、再び薄暗い森の中へ帰っていた。
このところの明るい場所は、並行する送電線に原因するものであったから、ここからの風景こそ元来のものと言えそうだ。
現在地から、県道の終点である国道148号交差点までの推定残距離は850m。
だが、この中の400mは2年前に走破済みである。
従って未踏破の残距離はおおよそ450mであり、あと僅かである。
森へ入るも、下り勾配は依然として急だった。
直前のような「凄まじさ」ではないが、普通に見れば十分過ぎる急勾配、おそらく10%を優に超えるものである。
そんな下り坂が、今度は右山左谷の不安定で不安心な地形に挑むようである。
これまで沿道で見る事が無かった険しい岩崖が、法面の位置を突然占めている。
ここからでも、道の先行きの怪しいことが容易に窺える風景であった。
願わくは、こんな岩場で路盤尽き果てぬことを。
既にいつ“あれ”と遭遇してもおかしくないエリアに入っている。
早く出現すればそれだけ長距離にわたって“冒され”ていることになるわけだ。
遅ければ遅いだけ助かる。
なかなか笑わせてくれる、この県道。
この状況でガードレールを設置しない心意気は、現代の過保護な道路行政の真逆を駆けている。
でも、手抜きではないんだよね。分かるわ、その気持ち。
ここにガードレールを設置してしまうと崩れた土砂を処理する(落とす)のが面倒くさいし、冬の度に雪で壊されてしまうと思ったのでしょう?
ドライバーの安全よりも、道路維持の利便を取ったようにも思える光景に、私のテンションはますます上昇。
それはそれとして、この見通しの悪い狭隘区間に待避所のようなものが見あたらないんだが…
ここで対向車が現れたら、激坂をバックする羽目になるんだろうな。
目が馴れて来てるかも知れないが、ここも酷い下り坂。
現在は廃道であるため土砂が堆積している山側だが、仮に清掃して綺麗に露出させても、道幅の狭さはどうにも隠しようがない。
いいとこ2.5m…、いや2m強といったところか。
しかも先は、もの凄くトリッキーなブラインドカーブである。
普通、カーブは道幅が少し広くなるものだが、この道にそんな“優しさ”はない。
この状況で四輪だと、左前輪を路肩に落とす恐怖と、右側面を法面に擦る不安と戦いながら、微妙なハンドル捌きが要求される。
平坦路ならばまだしも、濡れていかにも滑りやすそうな急坂であるだけに、ここで恐怖を覚えないドライバーは居ないだろう。
まして夜間など、ライトに照らされる路面もなく、光線はただ中空の樹木を虚しく照らすに違いない。
先ほどの“新潟の暗峠”以来、いちいち名前を付けたくなるような場面が続いている。
今通り過ぎたこの場所は、そうだな……
“濡れ く の字”とでもしておこうか。
そして、次は……
やべぇかんじ…!
また下り方が強まり、道は微妙に曲がりながら30mほど先の大木を合図に右へ切れていた。
そう……
道は、“切れて”いるように見えた。
それは単に視界から見切れているだけなのか、それとも……。
あの妙な明るさが嫌だと思った。
半ば祈りに似た気持ちを胸に、ブレーキを少しだけ緩めてタイヤを転がした。
先ほどまで藪は随分“漕いだ”が、ペダルを“漕ぐ”のは、しばらく体験していない。
そして数瞬の後、私は大木のカーブへ立った。
7:38
遂に来やがった!
現在地はまだ【このへん】だが、もう来やがった。
2年前の断念地点から、道なりで350m、直線距離でも200mは離れているというのに、マジか?
覚悟していたつもりだったが、
想像を絶していたようだ。
おえ…
チャリぇ…マジで死んだ(=戻り)かも………ぉェ…。
やべぇだろ…… この眺めはやべぇだろうよ。
まだ、下界があんなに遠いのに、
こんな所で道に見捨てられたら…。
道は過保護である必要はないが、ここまで連れてきて(下らせて)突然放逐というのもキツい…。
崩壊したらしき草の斜面に、何本もの白いガードレールの支柱が突っ立っているのが見えた。
ということは、道はまだ完全に崩れ去ってはいないのかも知れない。
ならば、ここはまだ突破出来る可能性が十分あるかもしれない。
そして、そんな目前の崩壊に目を奪われがちではあるが、その直前の道の“元々の酷さ”も、語られねばならないだろう。
これまた、酷いと思う。
この急な下り坂の途中に前触れ無く現れる、車1台分の幅しかない“くの字”カーブは、先ほどのカーブにも増してやばい。
何がヤバイって、さっきより急坂であるだけでなく、カーブもよりクイックなので、簡単に脱輪させてしまいそうなのだ。
転落まではしなくても、ここで脱輪したらトラウマになって、二度と山道を運転できない身体になってしまいそうだ…。(それに、対向車が来たらどうすんのマジで。鉄塔以来マジで一回も待避所無いぞ)
いやああぁ…。
見間違えとかじゃなくて、マジで道が… 「ぐえっ」 ってなってる。
せっかくガードロープとか設置して貰っても、路盤が無事でなければ何の意味もないんだよな…。
まあ、これだけは災害だから仕方ない……、道が悪いとは言わないでおこう…。
目も眩む高さだ。
河床との高低差は100mを超えている。
ここから見る限り、その斜面は崖ではなくて草地主体のようだが、急である。
しかし、この後で道が“どうにもならなくなった”とき、私はここを自転車と一緒に下降する事を考えるだろう。
確かに、絶対的な拒絶を感じさせる光景ではないように見える。
私の行動が、予想できる。
しかし、肝心なその結末までは予想できない…。
ぶっちゃけリスキーであるとしか言えないが、引き返すのは本当に嫌…。
ちなみに、大糸線の鉄橋の向こうに見える長大なロックシェッドは、国道148号である。
おそらく日本一長いロックシェッドだと思うので、いずれレポートしたい。
来た道を振り返ってみる。
相変わらず、完全に殺しに来ている。
何度でも言いたいが、ここで対向車が来たらどうするのだ?
上り優先の原則に従えば、バックで“鉄塔”の所まで300mくらい戻るのか?
現役当時でも、この道に車で入って良いのは超上級ドライバーだけであったろう。
きっと私は無理だ。バックに1時間かかりそう。
よしっ! ここはまだ行けそうだ!
可憐な“お花畑”に打ち立てられるのは“墓標”ではなく、
私がチャリで走破したという、その愚かしくも輝かしい戦歴だけでいい!
最後の最後のギリギリのところで踏みとどまっていた“道”に
心からの感謝と慰撫を示す、私なりの儀礼がこの走破だ.。
30度の斜面と化した“お花畑”を振り返る。
この場所は建設当時からよほどの決壊危険箇所であったのか、この道のこれまでの状況からは思いがけないほど多くの“護り”が築かれていた。
←
斜面と一緒に流れつつある、巨大な落石防止擁壁。
姫川河床まで続く巨大な崩壊がこの地点で止まっている事実との因果関係は分からないが、「頑張ったのだ」と信じてやりたい。
そして上から見下ろしたときには気付かなかった、実は路肩の下に存在した何段ものコンクリート擁壁。→
これを見てゾクッと来たが、存在を知らずに斜面を下りていたら、大袈裟でなく「死んでいた」かもしれないな…。
これら道を上下に挟み込み巨大なコンクリートの構造物からは、この斜面の護りだけはガチで固めたかったという危機感が、十二分に伝わってきた。
そして、間違っても彼らは犬死になどではない。
彼らのお陰で、
私は“最初の”大崩壊地を突破出来た!
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7:43 《現在地》
助かった! 本当に…助かった。
一時はどうなることかと思ったが、“お花畑”の崩壊地を過ぎても、道はまだ存在してくれていた。
軽トラ1台分の幅の辿々しいコンクリート舗装路が、なおも続いていたのである。
7:46 《現在地》
来たッ!!
ヘアピンカーブが現れたッ!
遂に切り返しが現れたぞ。
GPSで確認しても、2年前の撤退地のほぼ直上に来ている。
その高低差は、地形図を信じるならば切り返し四つ分。
おおよそ40mである。
この最終4段ヘアピンの一番下のカーブは、2年前に完全に失われていることを確認している。
そして今、一番上のカーブを無事に巡ることが出来た。
安否不明のカーブはあと二つということになるが、おそらく目前の“緑門”を潜れば、新たな展望が開けるだろう。
「明るい」ので、
多分、劇的に判明するはず…。
やられた!!
二つ目のヘアピンカーブは、完全に山体崩壊の餌食となっていた。
(画像の矢印は、上の写真を撮影した擁壁の突端)
言うまでもなく、この崩壊は2年前に私を退けたものと同じものだ。
つまり、三つ目のヘアピンカーブも絶望だ。
例によって、ここも崩壊斜面は岩場というより草地のようだが、自転車同伴で進入して2年前の“あの突端”へ辿り着ける自信がない。
ただ下るだけなら出来るかも知れないが、姫川河床まで7〜80m降ろされるだけで、その後で路頭に迷うだろう。
ここから3〜40m下方にある“道”へピンポイントに下りるためには、多少なりとも崩壊斜面内の水平移動が必要だが、2年前の記憶は、自転車同伴でのそれを「大困難」と言っていた。
ここまで慎重に来たんだ。
ここは焦らず、より良い下降ルートを探してみよう。
少し戻るぞ。
7:48 《現在地》
私は直前に回った一つ目のヘアピンカーブまで戻った。
先ほどここを回るとき、私の目は気になるものを捉えていたのだ。
このカーブの外側には、草むらを突っ切って直進する踏み跡があるような……。
やっぱり、あるぞ! 道だ!
来た来たッ!!
これこそ、私をゴールへと導く大崩壊の迂回路であると私は信じる!
なぜそんなものがあるのか分からないが、おそらくは鉄塔管理上の目的があって、県道が事実上廃止された平成7年水害以降に秘かに設けられていたのだろう。
2年前はその存在に気付かなかったが、24ヶ月以内に作られたものでもないと思う。
おそらく、見逃していたのだ。
まあ探し方が足りなかったかも知れないが、正直、あのときに見つけてなくて良かった気がする。
これを自転車と一緒に下るのか…。
40mの高低差があると頭では分かっていても、実際に目にすると恐ろしかった。
登山道でさえもう少しまともだし、鉄塔の巡視路とかは普通これよりも遙かにマシだ。
巡視路は仕事で歩く道であり、事故があれば漏れなく労災の対象となるだけに、階段とか手摺りとか、なんだかんだ言って良く保護された道である。
いま私の前にあるのは、過去に何者かが普請した人為的な踏跡であることは確からしいが、危険なガレ場斜面を電光型に堕ちていくだけの道。
油断すれば、たちまちガレ場の岩の小片と共に身を砕かれかねない道だった。
2年越しの勝利に向けた、ここが本当の正念場だった。
私は一歩一歩、慎重に斜面を下って行った。
― 下降開始から3分後 ―
遂に見えた!!2年前の県道!
まだ半分くらいの高低差は残っているが、目指すべき場所が見えたのは何より心強かった!
そこから先の斜面は更に急になり、踏跡も細まって、
自転車を小脇に抱えたままではバランスを保つのが難しくなった。
おおよそ上ってくることは難しそうな、土と草の不安定な急斜面。
こうなるとやむを得ず、“逆落とし”ということになる。
ここまで連れ添った自転車は、私の手から、重力の手へと委ねられた。
しかし私も鬼ではない。重力の暴力に完全に任せるのではなく、
出来るだけダメージを減らすように努めた。
―― そして、さらに4分後 ――
ズサー…
7:57 《現在地》
県道526号
走破成功!!
しかし、ギリギリのところだった。
もう20mほどずれれば、そこには高いコンクリート吹付けの擁壁があるし、
反対側に同じくらい外れれば、そこは2年前の大決壊地に他ならない。
まさに、ここしかない一点攻めでの攻略成功だった。
このルートを開拓して踏み跡を残してくれた、“幻の前任者”に乾杯!
ここから先は、2年前にも往復している区間である。
幸い、無理矢理な下降劇の後でも自転車に目立った破損はなく、私は久々に安心してサドルに跨ることが出来た。
依然廃道でも、こんなに安心出来る道もないではないか。
気付けば路面の舗装もコンクリートではなくアスファルトになっていて、道幅も断然広くなっていた。
思うに現役当時から、先ほどの連続ヘアピンの前後で道路状況が大きく変化していたのだろう。
普通のドライバーだったら、連続ヘアピンで「この道はおかしい」と感じはじめ、その先の激甚な狭隘や急勾配区間に出会う前に撤収していたのではないだろうか。
西山集落まで走り抜けた人がどれくらい居たものかと思う。
もしこれを読んでいる中に現役当時の体験者(猛者)が居たら、ぜひご一報いただきたい。
あわせて、平成7年の災害直前まで通行可能であったのかも気になる所だ。
このレポートの初回を公開したときから、ここが大糸線を“撮り鉄”する人たちには、
比較的よく知られた撮影スポットであるというコメントを多く頂いた。
(そして、誰もここが県道であることを意識している人は無かった)
現場の私はそんな事情を知ることなく、自然とこの写真を撮影していた。
なるほど、確かに素晴らしいアングルの写真が撮れそうである。
そして、昭和初期の開業当時から、この眺めはあまり変わってなさそうだ。
もっとも県道の開通は戦後だいぶ遅れて、昭和40年代前後と思われるし、
当初は県道ではなく林道ではなかったかと思うが、詳細な情報が得られれば追記したい。
8:03 《現在地》
国道148号には、賑々しい交通量が待ち受けていた。
今まで私がいた道と、道路の格付けの上では一つしか違わないのに、まるっきり生きる世界が違っていた。
県道526号蒲池西山線は、これからどうなってしまうんだろう。
災害によって壊された区間が15年経って全く復旧されていないだけでなく、辛うじて開通している西山以東の区間も、路面の亀裂やらなにやら、既に県道としての整備の水準に達していない。
この道は元来、どこかを短絡する産業道路でも、特別な観光地を有する観光道路でもなく、あくまで実直な生活道路であったと思われるだけに、過疎化で沿道人口が皆無となった現状で、一体何を目的に在り続ければいいのか。
人は住まずとも、沿道に耕作される田畑が一面でもある限りは、県道である要件を満たし続けるのだろうか。
誰も答えを出さぬまま、ただ未来永劫地図上に黄色く塗られて存在し続けるのだとしたら、それはまた酷な事だと思う。
今後の整備方針をご存じの方がいたら、私やこの道に、教えてあげて欲しい…。