「新潟県道576号津久ノ又ヘツリ線」について知りたい3つのこと
- 道路の現状 ← 本編にて解明済
- 県道認定の時期と、その経緯
- 道路区域の決定の有無
山行が史上最高レベルに謎に満ちた現行の県道路線である「新潟県道576号津久ノ又ヘツリ線」について、現地の現状調査を終えたことで、残された大きな謎は、上記の2番と3番に絞られた。
これらも解明出来れば、県道576号について一通りのことが「分かった」と言えるようになると思う。
みんなも言いたいよね! こんな“泡沫県道”のレポートにここまで付き合ってくれたみんなだもの!
(2025年1月17日に、本県道の管理者である魚沼地域振興局地域整備部に宛てて、私が知りたい項目を列挙した問い合わせメールを送信済だが、本項執筆時点では返信を受けていない。今後もしご回答をいただければ、本レポートに追記する予定である)→2025年1月28日にご回答を頂きましたので、近日中に追記予定!
まずは、探索前時点での数少ない資料であったWikipediaの本県道解説ページの記述に立ち戻るが、そこに記されていない情報で、ぜひ知りたいと思ったのが、県道認定の時期である。
それを知ることで、認定の経緯を解明する手掛りを得られるのでは無いかということが期待されたからだ。
県道の認定については、道路法の規定によって、県報での公示が行われる。
そのため、過去の県報を悉皆調査することで確実に探し当てることが出来るだろうが、残念ながらWEB上で検索・閲覧できる新潟県報のバックナンバーは限られている。
早くも手詰まりかと思ったが、レポート第1回を公開した直後、全国の主要地方道や国道の変遷を調査発表しておられるサイト「机上の道を辿る」の管理人・江田沼音氏(X:@roaddata_numane)より、ご連絡を頂いた。新潟県道576号については情報がきわめて少なく素性がよく分からないとのことながら、認定告示が掲載された県報の複写をお持ちとのこと。さっそくご提供をいただいたのである。
これは本当ありがたい! 県道576号誕生の秘密に迫る貴重な情報だ!!! 刮目せよ!
新潟県告示第二千百五十三号
道路法第七条第一項並びに第十条第一項及び第二項の規定により、県道の路線を次の通り認定、変更及び廃止する。(中略)
昭和60年7月30日 新潟県知事 君 健男
一 認定する路線
整理番号 | 路線名 | 道路法 第七条 第一項 該当号 | 起点 | 終点 | 重要な経由地 |
(3路線 略) | |||||
576 | 津久ノ又ヘツリ線 | 六号 | 北魚沼郡湯之谷村大字上折立字津久ノ又 | 北魚沼郡湯之谷村大字上折立字ヘツリ | |
(3路線 略) | |||||
二 変更する路線 (2路線 略)
三 廃止する路線 (2路線 略)
県道576号は、昭和60(1985)年7月30日に認定されていたことが判明した。
また、「道路法第七条第一項該当号」の項目により、この県道の“認定要件”を知ることが出来る。
道路法第7条第1項の条文内容を簡単にまとめると、次の図のようになっている。
県道576号は第6号認定要件だから、「地方開発のために特に必要な道路」として認定されたことが分かる。
ちなみに、この告示で認定された県道は他に6路線あり、その路線番号は111,574,575,577,578,579であり、いずれの路線も現存している。また特定の地域に集中しているわけでもなく、認定要件も1号が2本、5号が2本、6号が2本とまちまちだった。
ところで、県道576号が該当するとされた第6号の認定要件は、他の5つの要件と異なり、結ぶべき地点の基準が条文中で固定されていないので、ずいぶん恣意的な認定が可能なように思われるかも知れないが、これについては実務上の基準が国土交通省通達「都道府県道の路線認定基準について」で「地方開発路線の要件」として定められているから縛りはある。
県道576号についていえば、通達文中の以下のような下線部分が該当すると推察する。下線部だけを繋げて読んでみて欲しい。
「当該道路の存する地域における資源の開発、産業の振興、観光開発等の具体的な振興開発計画が樹立され、又は住宅計画若しくは工業団地計画等具体的な土地利用計画が樹立されている場合において、当該計画の推進上必要とされる地点とこれと密接な関係にある主要地、主要港若しくは主要停車場又は高速自動車国道、国道若しくは道路法第五六条に規定する主要な都道府県道とを連絡する路線であって、当該計画を推進するために特に必要と認められるものである」
もっともっと要約すると、県道576号の認定には、その背景に具体的な“何らかの振興開発計画”が存在していて、その計画地点と主要地方道(言うまでもなくシルバーライン)を連絡する道路として認定されたことが推理できるのである。
……手前味噌で恐縮だが、認定告示一つでここまで推理できるんだから面白いよね県道って。道路探偵ヨッキれんになろうかな(笑)。
じゃあじゃあ、その“何らかの振興開発計画”とはなんぞやとなる訳だが、これについては、本編第1回の内容から推理ができるかと思う。
本稿でも改めて調査をしたいが、その内容は冒頭に挙げたもう一つの謎である「3.道路区域の決定の有無」とも関わりがある気がするので、後回しにしたい。
先に、県道576号の道路区域が決定されているかどうかを明らかにしよう。
県道576号が、道路法の手続きによって道路区域の決定がなされているかどうかは、探索の時点では、「されているもの」と考えていた。
その根拠は、「この路線が未供用である」という主旨のWikipediaの記述であった。
未供用ということは、路線の認定が終わっていて、区域の決定が行われているものと考えたのだ。
実際、道路法第18条第1項にて、「路線の認定が行われたら、遅滞なく、道路の区域を決定して公示」することが定められている。
が、これは少々実務というものを知らなすぎた私の青い決めつけだったようだ。
道路管理の実務の手引き書である『道路管理の手引(第5次改訂)』(道路法令研究会)のp.17には、「従来から道路の区域の決定は、当該道路の供用の開始の直前に行う例が多いが、本来は、道路となる土地について権原を取得する前に行うべきものである
」とあったり、『道路行政セミナー 2008年9月号』にも、「交通不能区間においての区域を決定するか否かについては、道路管理者の当該路線の整備計画方針等により判断することとなります
」とあったりして、特にその路線が現状では通行できない(交通不能区間)場合は、道路区域の決定がすぐには行われないことは珍しくないことが分かった。
そのうえで、改めて、県道576号の道路区域は未だ決定されていないことが分かった。
根拠はいくつかあるが、分かりやすいものとして、新潟県道路管理課の「道路台帳図面データの提供について」というページがある。
このページでは、県が管理する全ての県道について、道路台帳の有無を知ることが出来たのであるが……(↓)
新潟県「道路台帳図面データの提供について」より魚沼地域振興局の道路台帳切割図
魚沼地域振興局管内の「道路台帳切割図」には、県道576号が路線名と共に示されていたものの、道路台帳は作成されていなかった。
台帳がないということは、道路区域が定まっていないこととほぼ同義である。台帳の図面こそ、道路区域を明示する最も基礎的な資料なのである。
さらに、この切割図の下地となっている管内図にも目を向けると、管内の県道一覧表にはちゃんと「県道576号津久ノ又ヘツリ線」の表記があったが、管内の実延長は0mで、しかもこの路線は管内で完結しているため、実延長0mの路線であることが(これはwikiにもあった記述だが)改めて確かめられた。
また、同じく管内図の凡例部分に注目すると、県道576号の表記である破線については、「未引継路線」を示していることが分かった。
この管内図では、「自動車通行不能区間」「未引継路線」「道路予定線」が描き分けられているのである。
この描き分けのうち、「自動車通行不能区間」は道路法施行規則が定める【自動車交通不能区間】供用されている未改良の道路で、幅員、曲線半径、 勾配その他の道路の状況により最大積載量4トンの貨物自動車が通行することができない区間を指していると思う。山行がでは頻出の用語である。これらは必ず供用中なので、道路台帳は完備されている。
また、「道路予定線」というのは建設予定の道路であり、こちらは必ず未供用であるが、計画の進展具合によって道路台帳はあったりなかったりする。
そんな中、「未引継路線」というのは、長らく道路趣味業界に携わってきた私が初めて聞く用語だった。実際、検索してみてもほとんどヒットしない。
ただ、先ほどの管内図を見ると、県道576号と同じ破線で描かれた県道が、そこかしこにあった。
例えば、この切り出した右図の一番下辺りに見える県道518号駒之湯温泉線も、全線が破線の「未引継路線」として表記されていたのである。
いったいこの「未引継路線」とは何なのか。
そこに、県道576号の特異な現状(県道としては未供用で実延長ゼロ、道路区域も未決定、でもなぜか市道として認定されている)を紐解く鍵があるのかも知れない。
そのように思った私は、ここをつついてみることにした。
聞き慣れない「未引継路線」をキーワードに調べを進めた私は、新潟県が毎年発行している道路事業についてまとめた冊子『新潟県の道路2023』に、次のような記述を見つけた。
『新潟県の道路2023』道路現況調書より
「認定済だが未引継ぎのため区域決定されていない路線が5路線ある。」
この表記にピンときた私が、さらに調べを進めたところ、現在の新潟県には実延長を全く持たない県道が7路線存在することが分かった。
区域の決定がされていない区間は、当然、長さを図ることが出来ないので、実延長もゼロとなる。
だから、全線区域決定がされていない路線≒実延長ゼロの路線と考えられる。(完全にイコールでないのは、後述する県道302号のようなケースがあるからだ)
これが、実延長のない新潟県道の分布だ。
今回探索した県道576号や、先ほど少し触れた県道518号のほか、番号の若い方から、302号本高津戸野目線、323号黒埼上新町線、367号桶海大鹿線、377号島道大沢線、386号大野川ダム線は、実延長がない。
このうち302号は、全線が他の国道や県道との重複路線であるために実延長がないことが分かった。一応県道としては供用済であるし、区域も当然決定済。
したがってこれを除く6路線が、県道としての区域が決定されていない路線とみられ、『新潟県の道路2023』にあった「認定済だが未引継ぎのため区域決定されていない路線が5路線」を指しているものと考えられる(誤差1の理由は不明)。
また、323号、367号、377号、518号、576号は、いずれも県道ではなく現地自治体の市道として供用されているようだ(386号もおそらくそう)。(うち、廃道状態なのは576号だけで、他は普通の舗装路だ)
これらの県道が新潟県によって管理されていないことの傍証として、前説でも紹介した「県管理道路一覧表」には、これら実延長がない7路線「だけ」が記載されていない。
話がややこしくなってしまったので整理すると、新潟県は、県道576号などいくつかの県道について、「未引継路線」という特別な分類をしている。
その特徴は、全線の道路区域が未決定で、実延長が計上されないことである。
かつ、この分類をされている路線は、市町村道として現地の自治体が管理している(ようである)。
未引継という言葉のイメージからしても、市町村から管理が引き継がれていない県道というニュアンスかもしれない。
なぜそのような路線があるのか個別の事情を調べていないし、他の都道府県でも同様の例はあるのかも知れないが、「未引継路線」や「未引継区間」という表現を用いているのは、おそらく新潟県だけである。
結果、県道576号は、道路区域が未決定であることがはっきりした。
だが同時に、県が与えた「未引継路線」という区分の特徴から、この路線は県道として県が管理を行う代わりに、魚沼市が市道上折立13号線や同13-1号線として管理していることが強く示唆された。(現状の廃道状態で「管理している」といえるかは微妙だが、制度的には)
たまたま、県道576号に沿って市道があるわけではなく、もっと明示的に、県道を市道として管理しているのだと考えている。
ところで、先ほど示した「実延長0の新潟県道」の分布図を見ると、魚沼地域には実延長のない県道を含む未供用の県道が有意に多いと感じないだろうか。
私はそう感じる。
単純に、地形条件が悪いとか、そういう理由もあるかも知れないが、私はそれだけではないような気がするのだ。
次の拡大図を見て欲しい。
現在の魚沼市とその近隣には、明らかに県内の他の地域より多くの「未引継路線」が存在する。
全線未供用である県道518号や県道576号だけでなく、他にも10路線以上の県道の一部区間が前出の管内図に「未引継路線」を示す破線で描かれていた。
実際、「魚沼市地理情報システム」と照らし合わせてみると、これらの「未引継路線」の多くに、対応する市道が認定されていることが確かめられた。
いくら何でも多すぎると思う。
私は、魚沼周辺にこのような県道ならざる県道――将来の県道化を念頭に置きながらも現状は地元自治体の管理に委ねられた県道――が多く存在する原因として、この地方を舞台に昭和60(1985)年に事業が着手された、奥只見レクリェーション都市公園の存在があるのではないかと思っている。
ここで本稿前半の内容も思い出して欲しい。
昭和60年は、奇しくも、県道576号認定の年である…。
奥只見レクリェーション都市公園 年表 | |
---|---|
昭和55(1980)年 | 奥只見地域総合開発計画調査(建設省、1982年まで) |
昭和57(1982)年 | 奥只見レクリェーション都市基本計画調査(新潟県、1984年まで) |
昭和60(1985)年 | 第1次公園整備5ヵ年計画策定・事業着手 |
平成元(1989)年8月 | 浅草岳地域供用開始 |
平成3(1991)年2月 | 大湯地域供用開始 |
平成4(1992)年4月 | 須原地域供用開始 |
平成8(1996)年6月 | 小出地域供用開始 |
平成10(1998)年10月 | 浦佐地域供用開始 |
Wikipedia:奥只見レクリェーション都市公園より引用
奥只見レクリェーション都市公園は、「1980年代より建設省のレク都市整備事業のひとつとして進められ、国、県、地元市町村、民間企業が一体となり、大規模な都市計画公園を核として休養施設、宿泊施設、各種サービス施設などの総合開発を目指すこととされた。スキー場やゴルフ場などの大型施設は民間企業の誘致によって整備することとされた
」(Wikipedia:奥只見レクリェーション都市公園より引用)という沿革を有する、魚沼市と南魚沼市に跨がる大規模な都市公園群だ。これまでに(上図に示した)6つの拠点が、県を事業主体とする国の補助事業として整備されている。
魚沼地域に未引継県道が多い理由が、この大規模な開発計画のせいだとしたことには、ちょっと飛躍があるかもしれない。10以上もある各路線の背景を調べたわけではないからだ。ただ、そのように感じられる路線がいくつかあるのは確かだ。例えば路線番号からして認定時期が576号と近いとみられる新潟県道568号須原スキー場線の一部区間は未引継だが、代わりに魚沼市道須原スキー場線が認定されている。そこは公園の須原地域である……といったふうに。
だがここでは飛躍を止めて、本稿の主題である県道576号認定の背景へと話を戻すことにしよう。
前述のように、奥只見レクリェーション都市公園の着手年度と本路線の認定年は、ともに昭和60年である。
また、本路線の認定要件として「振興開発計画地と主要地方道を結ぶ」が適応されたとすると、同公園の【大湯地区】駐車場の目の前に始まり主要地方道であるシルバーラインと繋がるこの県道は、ドンピシャである。
これらは偶然の一致では無いと思った。
もしそうだとすれば、公園の整備計画に、県道576号の整備計画が含まれているのではないか。
謎の県道の解明へ、ついに王手をかけた気持ちがした。
公園の整備計画を、いくつかの当時の資料より漁ってみた。
奥只見地域は、新潟県の中央部東南の越後山脈を背にした山岳地域に位置し、豊かな自然資源に恵まれ、総合的なレクリエーション地域として発展可能なちいきであることから、昭和54年8月に七か町村にて、奥只見地域レクリエーション都市誘致期成同盟会を組織し、新潟県及び同県議会に対して運動を展開した。
(中略)
昭和60年3月には上越新幹線が上野まで開通し、10月には関越自動車道が全通するなど首都圏との時間距離が飛躍的に短縮され、国民的規模におけるレクリエーション需要の増大と相まって、本地域への開発の機運が急速に顕在化してきた。
上記は、『新都市 昭和61年7月号』に掲載された記事「奥只見レクリエーション都市整備計画」の一部で、同計画の背景に触れた部分だ。なお執筆者は当時の湯之谷村長である(本県道は平成16年まで湯之谷村の域内で完結する路線だったから、事情に精通していたはず)。
上越新幹線と関越自動車道がダブル開通した昭和60年は、新潟県が首都圏の行楽地として一気に脚光を浴び、空前のレジャー開発ブームを迎えた時期であった。首都圏より見た新潟県の玄関口にあたる魚沼地域での都市公園開発は、この時宜を捉えたものだったと思われる。
『新都市 昭和61年7月号』「奥只見レクリエーション都市整備計画」より
交通網の整備
上越新幹線浦佐駅、関越自動車道小出インターという高速交通体系の結節点との連携を深めるとともに、地域内交通の円滑化を図るため国道252号、国道352号等の幹線道路の整備を進め、広域自転車道、自然遊歩道等を有機的に配置して拠点間ネットワークの形成を図る。
↑計画の骨子を述べた部分から、交通網の整備の項目を抜き出したが、残念ながら県道576号への言及はない。
→拠点配置図を見ると、当時計画されていた7つの拠点が示されていた。
対象の地域は当時の7町村(北魚沼郡堀之内町、小出町、湯之谷村、広神村、守門村、入広瀬村(ここまでは現魚沼市)、南魚沼郡大和町(現南魚沼市))に跨がっている。
ただ、詳しい事情は不明だが、計画された7つの拠点のうち、右下の「奥只見銀山平地域」だけは公園の開設に至っていない。後に計画が縮小されたのであろう。
大湯地域
既存の大湯温泉街に隣接した渓谷公園ゾーンに芝生広場を中心とした公園整備を行うとともに、同ゾーンを沿流する佐梨川の河川改修を推進する。
奥只見・銀山平地域
ロープウェー、マリーナ、スポーツ施設、ホテル等の建設に民間企業を誘致するとともに、公園施設の整備に環境庁、林野庁等のレクリエーション施設整備事業の導入を図る。基盤整備としては、主要地方道小出奥只見線(シルバーライン)の隧道補修、雪寒対策及び国道352号の改良鋪装を推進するとともに、北ノ又川の河川改修を推進する。
↑県道576号と関係がありそうな、大湯地域と奥只見銀山平地域の整備計画の概要を引用した。
ひょっこり書いていてもおかしくない雰囲気はあるが、県道整備への言及はない。
『新都市 昭和61年7月号』「奥只見レクリエーション都市整備計画」より
同資料には、各地域ごとの施設計画平面図が掲載されており、それを見ると、具体的に、どこに何を整備しようとしていたのかを知ることが出来る。
大湯地域の図を、現在の地理院地図上に重ねてみると……(→)
すげー壮大な計画だった!!
実際に整備が行われたエリアの倍どころではない、広大な区域で整備を進める計画だったのだ。
ただ、県道576号が認定されている辺りを【拡大】してみても、残念ながら、そこに新たな道路を整備するような計画は示されていなかった。
単に下地の地図に、当時はおそらく湯之谷村道であったろう現在の市道上折立13号線が、既存の道として細く描かれているだけだった。
結局のところ、昭和60年当時のレクリエーション都市計画に本県道の整備が盛り込まれていたという確証を手にすることは出来なかった。
この後に計画が変更されて盛り込まれた可能性は十分あるが、調べが及ばなかったのである。
それでもやはり、県道576号の認定は、奥只見レクリエーション都市整備計画を念頭に置いたものだったと考えている。
私が最終的に推理した県道576号の背景ストーリーは、次の通りである――。
昭和50年代後半、湯之谷村は奥只見レクリエーション都市整備計画を念頭に、自村に予定されていた二つの拠点(大湯地域と奥只見銀山平地域)を最短距離で結ぶ将来ルートとして、県道576号の認定を県に要望した。県は要望を受けて認定を行ったが、公園の整備が概成するまで県道の整備を行うつもりはなく、湯之谷村に村道として管理させた(これが「未引継」の実態)。
その後、県の手で公園整備が進められたが、(詳しい事情は不明ながら)その規模は当初計画よりも遙かに縮小されたものとなった。銀山平地域については全く整備が行われなかった。こうした計画の縮小を受けて、県道576号を新たに整備する根拠はほぼ消失したものの、現在までそのまま有名無実の“亡霊県道”として帳簿上存在し続けている。
――といった感じなんじゃないかなぁ〜 と。
この時期には、現在なお車道が途切れている尾瀬峠(福島群馬県境)を開通させること(奥只見スカイライン)が真剣に検討されていたし、将来的にシルバーラインも奥只見〜尾瀬〜日光を結ぶ国際観光ルートになると考えられていた。こうした巨大な開発が実現していれば交通量は激増し、大湯温泉からシルバーラインに登る県道にも光が当ることがあったのかも知れない。
昭和54年8月レク都市誘致期成同盟会を構成町村をもって組織運動を開始した。構成は7町村、会長は衆議院議員田中角栄先生である。
角さん、また関わってるね……。
もう〜、いっつも道路計画盛りすぎなんだから……。
おかげで、探索が大変だよ?