2007/10/8 16:24
これが最後の関門なのか。
むしろ、そうでなければ困る!!
時刻は4時半になろうとしている。
まだそれほど暗くなってきたという感じはないが、そんなこととは関係なく、1時間後には日没しているはずだ。
これまでこの道で遭遇した中で最大の瓦礫の山が、行く手を遮る。
どこからこんなに沢山の岩塊が現れたのか。
一見緑深い斜面のどこに、こんなに沢山の岩が隠れているのか。
頭では分かっていても、余りの膨大さに不思議な感じを覚える。
瓦礫に混ざって、枝葉の形をそのまま留めた大きな木が、何本もあった。
あるものは斜面に平行に倒れ伏し、またあるものは立ったままで、黄色くなった葉を霖雨に濡らしていた。
まだ辛うじて息のある木も多かったが、このような瓦礫の山にたいした養分など有ろう筈もなく、これが生涯最後の紅葉だ。来春になっても、二度と芽吹くことはないだろう。
そんな不吉な光景の中、私もまた雨に打たれながら、瓦礫の山をよじ登った。
動く度に幾つもの瓦礫が崩れ落ち、その都度、岩と岩がぶつかる高い音が斜面に響き渡った。
本来の路盤から、高さにして15mくらいは登っただろうか。
瓦礫の山が作った、微視的にはゴツゴツしていても、全体を見ればたおやかな“尾根”に辿り着く。
難関「赤崩れ」の、折り返し地点。
あとは同じくらいの距離を下れば、緑の森へと戻ることが出来そうだ。
怖い
怖い
怖い!!!
…その、ツルッとしたところが、凄い嫌なんです。
“松の木”の再来を肌で感じた私は、さらに上部へと迂回することにした。
恐ろしすぎて、とてもあのツルッとしたところには近づけない。
実際、近づいたら足元の瓦礫ごと、千尋の谷底へ滑り落ちる可能性劇高だとおもふ。
さらに5mほど高巻きを決行し、どうにか“ツルリン滑り台”の途切れる上部を横断出来た。
だが、写真を見れば一目瞭然だが、私が横断しているこの場所自体が、いつ滑り台に向かって動き始めるか分からないという恐怖を感じた。
この恐怖は非常に強いもので、普段ならば立ち止まって何枚か写真を撮るところ、ここはこの一枚だけで一杯一杯だった。
ほんの5秒ほど足を載せ、私は即、ここから移動した。
瓦礫の急斜面を、本来の道の高さまで延々下りながら、私は直前の恐怖を反芻していた。
ある程度運も味方した。
私は、無事に赤崩れを
突破した!
こんな感じの“への字”運行で、最大の難所を突破した。
今後、この崩壊が直ぐに止むとは思われず、まだまだ地山を削って上部へ伸びていきそうな気配。
赤崩れは、まだまだ元気だった!!
もう、ここを通るのはゴメンだな。
(写真右)
生還者の降り口。
しかし、ここもなかなか侮れない怖さがあった。
怖いと言うことは、危険だと言うことでもあり。
右側の藪の中に道の続きの平坦な部分が潜んでいるのだが、少しでも斜面を行きすぎると、二度と戻っては来られなくなる。
80m下の清津川まで垂直な崖である。
幾つか零した岩塊が、長い沈黙の後に突然「ゴォーーーーン」と谷底で叫んだのは、その自由落下時間の長さに震えが来た。
道へと生還し、路肩から下を覗き込んでみたところ…
ひょえーーー。
どうやら、私が苦闘の末になんとかかわした大崩壊も、「赤崩れ」全体の中から見れば、氷山の一角、海面上に現れた僅かな部分に過ぎなかったらしい。
トンデモナイ長さの尾っぽが、谷底にまで伸びていた。
そのどこも、全く横断できそうにはない。
旧道がもう少し下を通っていたら、山肌ごと削り取られて完全に消滅していただろう。
“凸”と“凹”。
旧道が“凸”であってくれて、本当に良かった。
この写真のような崩壊地だったら、万事休すだった。
それにしても、「赤崩れ」という名前はぴったり来る。
本当に土壌が赤い。
前の「白崩れ」は、しっかり白かった。
同じ山の中なのに赤と白、不思議なものである。
16:33 広場跡。
清津川の垂崖が傍らを離れ、鬱そうとした高木の森が道の両側に現れる。
かつて道だった部分は低木の茂る林となり、葉色の紫陽花が無数に咲いているのが印象的だった。
全く華のないそれは、廃道にこそ相応しい花と思う。
この一連の旧道の中で初めて、どこが道なのかを短時間見失った。
これまで、平坦さを感じる場所など皆無だったから、辿る難易の差こそあれ、進路は一意だった。
そんなわけで、ここには車10台も停められそうな駐車スペースが道の両側に広がっていたのかも知れないし、たまたま平坦なところに道がつけられていただけかも知れない。
道の痕跡が無いので、どちらとも判断が着かないのである。
相変わらず路面の藪は深かったが、私にとって非常に大きな意味を持つ景色が現れた。
大規模な杉の植林地である。
しかも、全く手入れがされていない訳ではなく、近年にも人が出入りした痕跡を感じる。
未だ私が知らない現道へのアクセスルートがこの先に有るのだろうか。
有ると願いたい!
無いでは、済まされない!!!
明るい! 明るいぞ!!
しかも、今度の明るさは禍々しさを感じない。
いままでこんなに、鬱そうとした陰気な杉の林が暖かく感じたことはなかったし、行く手の明るさに何かを期待したこともなかったかも知れない。
頼むよ〜〜。
来た木滝滝田!
しゃー!
そこには、うっすら砂利の見える路面があった。
右上の斜面から下って来る砂利道のヘアピンカーブの先端に、私は脱出してきたのだった。
二居で砂利道が廃道に変わってから約3km、たっぷり2時間を要した。
時速1.5km/hの苦闘!!
ひとまず、生還が約束されたようだ…。
やったぞー!
16:37
生還は約束されたと言って良い。
右手に登っていく砂利道の先、ススキが繁る斜面の大分上の方に、見覚えのあるスノーシェッドの姿が見えた。
30分前に聞いた時よりも、ずっと近くから車の走る音が聞こえる。
国道からは気付けなかったが、船ヶ沢トンネルと萱付トンネルの間の短い地上区間から、旧道沿いの植林地へ下る作業路が存在したのである。
日没ギリギリの復活だった。
残された距離は…
前回の撤退地と、現在地との距離は、
約300メートル
差し伸べられた救いの手を敢えて払いのけ、僅かな残区間へ向かう。
当然、撤退地をこの目で確認したら直ぐに戻ってくる!
残り時間は僅かだが、悔いのない踏破までの距離もまた、僅かだった。
…もう来ないッ! こんな場所ッ!!
ならばこそ、今回で決着を!
杉の植林地の中に、微かな轍の残る道が付いていたのは、合流からほんの50m。
その轍は左へ折れて、林の中へ下っていってしまう。
轍こそ無いが、広い路盤の跡は右へ続いている。
再び廃道へ歩を進める。
さらに30m。
夏草を掻き分け進むと、巨大な排水渠の上に出た。
現道の排水を集めているらしいが、ここから先の進路が、一目見ては分からなかった。
辺りは沢水が自然に溜まった湿地のようになっており、全く往来の消えた旧国道は容赦なく蘆の茂る原野になっていたのだ。
道など全く見いだせないが、もはやこの身に濡れや汚れを畏れる箇所などない。
周囲の地形から考えて、この原野を真っ直ぐ突破するより他に道は考えられないのだ。
私は意を決して飛び込んだ!
覚悟を決めた私の前に、自ずと道は開けていった。
湿原は直ぐに終わり、再び左手に杉林。
雨は一層強さを増し、重層的な頭上の木々も、もはや大粒に練った雨粒を落とすだけの存在になっていた。
目に見えて空は暗くなってきている。
一度は繋がった生還への筋道を、自ら引き延ばして行く。
それが強く感じられるだけに、私は小走りにならざるを得なかった。
200mは来たか。
地形図が教えてくれるとおりに杉の林は終わり、三度、或いは四度?
ともかく、またしても険しい峡谷が左に峻立し始めた。
一層強い不安と共に、「あの景色」が今にも現れるのではないかという期待もまた、膨らんだ。
撤退地点さえ確かめられれば、もう満足だ。
早く来い!
もとより余裕のない路幅を、谷が奪う。
私は祈るような気持ちで先を急いだ。
「あの撤退地」は、私には突破できない。
あれは一目見て駄目だと分かるほどの決壊だった。
…それなのに、反対側からのチャレンジではここまで、一度もあれに匹敵する崩壊地が現れなかった。
なんで?
奇跡?
馬鹿げている。
馬鹿げてはいるが、とにかく今は『撤退地一つを挟んで完全踏破』という事実が、何よりも欲しかった。
頼むから今だけは、越えられない崩壊よ、現れてくれるな!!
美しい。
道のとしての充実など、とうに忘れかけていた。
だが、そもそものこの道は、自然に恵まれた美しい旧道だった。
ただ、ただちょっとだけ、崩れすぎただけ。
私の置かれている状況や、そこに起因する心理的な圧迫感。
そう言うものを全て排除すれば、きっと安らぎさえ覚える美しさだろう。
困難すぎることを覗けば、ここは非常に充実した旧道なのである。
あっ!
16時47分
前回撤退地点対岸へ到達。
ここに、半日をかけた廃道攻略が完遂された。
やはり、この斜面だけは突破できそうにない。
ここを乗り越えることが出来れば、本当の意味での完全踏破と言えるであろうが、既に私の天運はここまでの無理な探索でかなり細っているかも知れない。
無茶はここまでにしよう。
この景色を目に焼き付ける。
だが、立ち止まっていると、濡れそぼった身体の芯から震えが来た。
まだ、全て終わったわけではない。
このあと、現道へと戻り、さらにチャリ、リュック、車の全てを回収しなければならない。
うんざりした…。
16:59
来るとき以上の早足で、分岐まで戻った。
ここを左に向かえば現国道へ、右は赤崩れ白崩れ経由で二居への旧道。
一瞥の元に別れを済まし、左折。
不自然に凹凸の少ない夏草の急斜面。
そこに雑草の目立つ砂利道の作業路が、電光形のジグザグを描いて登っていく。
この不自然な地形は、現国道のトンネル掘削で出た残土で谷を埋めたらしい。
進むほどに車の音が近づいてくる。振り返ることもせず登っていく。
緊張の連続で疲労を感じる余裕もなかったが、午前中も廃道、午後も廃道で、もうへとへとである。
17:05
(写真右)
現道へと脱出。
船ヶ沢トンネルと萱付トンネルの間の、ほんの100mほどの明かり区間だった。
(写真左)
現在唯一の旧道への途中連絡路である造林作業路の入口。
大きな岩で車の進入を阻んでいる。
確かに、乗用車で入るような道ではなかった。作業路も。
達成感はあったが、なお仕事は多く残っており、それを考えると立ち止まってもいられなかった。
さしあたっては、車と、チャリ及びリュック、どちらを先に回収するかだが…。
両者は、ここからそれぞれ逆方向の、ほぼ等距離(2〜3km)の位置に置かれている。
17:27
まずは、車を回収に来ました。
国道の大きなスパンの九十九折りは、歩くとなると大変もどかしく辟易したのだが、あの長大な二居トンネルを歩きと自転車で往復するのは嫌だったし、車に戻ればとりあえず一息付けると考えたからだ。
悴んだ手でポシェットの奥のキーをまさぐり、車に転がり込むと、エンジン始動、暖房全開、カーラジオオンにして、人界への帰還を実感した。
だが、このグシャグシャの服を着替えるのは、全ての荷物を回収してからだ。
17:50
チャリ イター!
17:59
リュック イター!!
18:05
探索完了。
で、ここは一体どこだった?
おそらくは、赤崩れ付近ではなかったかと思う。
この場所が、一番似通っているような。
…こんなに大勢の人が通っていた二居の旧国道だが、幹線国道の名残を留めるものは「境橋」より他に何もなかった。
大部分の路上は、既に大いなる山河の一部へと回帰していたのだ。
人はただ山肌を傷つけ、止まぬ連鎖崩壊の始まりを、造ってしまっただけなのかもしれない。
苦渋に満ちた二居旧道 もう誰も通れない。