国道17号旧道 二居峡谷 第2回

所在地 新潟県南魚沼郡湯沢町 
公開日 2007.10.14
探索日 2007.10. 8

 どれだ! どれが“赤崩れ”だ?!

 境橋を越えて、いよいよ危険地帯へ


2007/10/8 13:05 

 全長約5kmの、「二居新道」という名の、国道17号旧道。
長岡側現道分岐地点より1kmの地点に位置する奇妙な姿の鉄橋「境橋」を渡ると、いよいよ核心部分である二居峡谷へと踏み込んでいくことになる。

『上越国道史』によれば、この二居峡谷は現役当時から大変な難所であったといい、特に崩れやすい地山による落石には常に悩まされた。
特に崩壊の頻繁な重点的警戒箇所として、「赤崩れ」と「白崩れ」と名付けられた箇所があったともいう。

 はたして、その現状や如何に?!




 橋を過ぎると、S字のカーブと共に少しの上り坂。そして、小さな広場のような浅い掘り割りを越えると、一気に路肩が狭くなる。
と同時に、かなり古いとはいえ一応残っていた轍が、完全に途絶え、藪が一層と深くなる。
同じ廃道に分類される道といえども、この違いは一目瞭然で、私の中でも「ああ、一歩進んだな」という感じだった。
いよいよ、本番が始まるのだと理解した。

 そして、崩壊が“売り物”のようなこの旧道…。
早速、路肩が落ちてしまっている。
草の薄い部分を自然と歩きたくなるが、そこはちょうど弱くなった崩壊地の縁でもあり、これじゃまるで罠だ。 (1.1km)




 道と谷底を流れる清瀬川との高低差が100mにも達する事は地形図からも読み取れるのだが、実際にこの目で見るとなると、やはりものすごい高さに感じられる。
そして、意外なほど川は遠い。谷は深いだけじゃなく、非常に広いのだ。

 右の写真は、これから進むべき方向を見ている。
幾重にも襞のような小尾根が連なり、やがて陰雲にかき消されていく。
人間の所作を思わせるものは、何一つ見あたらない…。




 眩しいくらいの緑の世界。
最初の崩落地を振り返って撮影。

しかし、当然こんなものは序の口に過ぎなかった。




 一つの崩壊地を越えた途端、路上の藪がさらに活発に!
境橋を越えてから濃くなった藪だったが、ここでまた深くなり、遂にはチャリによる前進を物理的に妨害するようになり始めたのである。

  濡れた藪。

   ぐっしょりぐしょぐしょに濡れた藪。

  嗚呼、濡れた藪。


 この三行の詩が、私のこの時の心情を最も良く現している。



 一応は雨合羽に身を包み、ゴム長靴に下半身を任せた私の防水体勢であるが、濡れた藪を掻き分けるとき、そのような物は殆ど意味を成さない。
濡れた合羽が垂らす滴は、躯を伝わって臑を濡らし、やがて靴の中へと入っていく。
だが、濡れるのが嫌だから引き返すというわけにも行かなさそうだ。
だって、行く手に現れる景色は全くの未知の廃道であり、次の景色を切り開いていくのが楽しくて仕方が無いのだ。
辛いけれど、引き返すには忍びない。そんな道だ。

 私は、ずんずんずんと、緑の原っぱを切り開いていった。



 ぐわー!

 と、一度はチャリをほっぽり出す(右の写真)。

ナンダコレハ。

藪が深すぎて前方は見通せないのだが、少なくともこの先が平坦でないことは分かる。
相当に登っている。
しかもそれは道の勾配という感じでもない…。

むしろ、これは… 道を埋める崩壊土砂! (1.2km)




 チャリはもう駄目かな…。

正直そう思ったさ。

でも、この草藪はまだ行ける草藪だった。
手で掻き分けてみると、それは比較的容易に進路を譲ってくれた。
チャリを通ずるとなれば、どうしてもある程度の犠牲・・を払わざるを得ないが…

 「意地」などと言う生やさしい物ではなく、単純に、置き去りにしたチャリを回収しに戻る手間を考えたら、可能な限りチャリ同伴での前進&突破を狙うべきだというのが、私の持論だ。行き止まりの道だと分かっていれば、ここでチャリは棄てただろう。



 で、これが犠牲・・…。

かなりの植生がチャリに絡まり、破壊されてしまいました。

ま、まあ放っておいてもあと半月で枯れてしまう定めですから。
(と言いながら、振り返って撮影)




 で、正面に向き直ってみても……。


そこにはさらに深くて長〜い、藪&半分斜面になった道が…。

進んで進めない訳ではないのだが、もはや完全にチャリはお荷物。ただ持って歩いているだけです。




 で、上の写真にも遠くに写っている、妙に明るい感じの場所。
そこに、近づく。

確かに明るい感じはするのだが、決して楽しげではない。
むしろ、戦々恐々というか、禍々しいオーラが出ているというか…。


 これはもしや…。






 ズンズンずくずん♪

 ズンズンずくずん♪

さー、テンションが上がって参りました!

高い高〜い!

うはははははは! 

MILO!

川があんなに小さいぞ!!



 どっしゃりと法面が崩れ、膨大な土砂が道を埋めて尚も崖下へと斜面を形成している。
これまでも、様々な廃道で目にしてきた、終末的光景である。

それが、この道ときたら… もう現れちゃった。

これが、「赤崩れ?」それとも「白崩れ?」

…いや、地図を見る限り、これはまだそのどちらでもないらしい。
つまり、「その他の崩れ」である。



 この崩壊斜面を横断せねばならない距離は、約10mほど。
その前後には、藪と化した落差3mほどの急斜面があって、元路面の藪と繋がっている。(この写真は下りの部分)
やはり最も緊張を強いられるのは横断部分の斜面であって、この箇所の場合、その傾きは25度ほど。
岩の破片が浮いた土の斜面で、朝から降り続く雨のせいで表面を薄く泥水が流れており状況は悪いのだが、角度がそれほどでもないので、まだ余裕がある。

チャリを谷側に抱えて持ち上げ、慎重にこれを横断突破した。





 飴と鞭                               とギロチン


 13:21

 そして、「甘やかし」タイム…。

質の悪い廃道には、必ずこの「甘やかし」ゾーンが、苦しい場面の合間に挟まってくる。
今までの崩壊が嘘のように路盤ははっきりと現れ、路肩にはコンクリート製の欄干さえある。
小型の貨物自動車も通った路幅がしっかりと保存され、危険な廃道に爛れた私の心情を、愛撫する。

これがあるから、進むのをやめられない。
“かっぱえびせん”が何故「やめられない止まらない」のかは私には分からないが(食べ始めから食べ終わりまで同じ味だもの)、廃道をやめられないのは、この“飴鞭”があるからだ。


 本当に、この道の破壊されていない、残り僅かの部分は美しい。

その理由は明らかで、緑がとても重層的なのだ。
様々な大きさ太さの木々が、自由に、それでいて何らかの秩序を感じさせる密度を保ちながら、森を形成している。
例えば、画一的な植林された杉林とか、一度でも機械的な伐採を食らったような藪混じりの森とは違う。自然林だ。

森はあくまでも森であり、路面はそれがもたらす日陰によって、背の低い草むらのまま残されている。
そこは何ら歩く上での支障もないし、一筋の踏み跡さえ無いその中を往くのは、新雪に第一番の足跡を刻むように清々しい。
この静かな雨も、森の美しさに拍車をかけている。




 飴の後には…… 棘の付いたぶっといムチ…。


明らかに、先ほどの崩壊地を上回る大斜面が、行く手を遮る。

もはや、この差し渡し15mほどの斜面の向こう側に路面が残っているのかさえ定かではない。

…チャリはもう潮時なのかもしれない・・・。

まだ、1.3kmほどしか来ていないが、残りはこの三倍もある。チャリ同伴ではもうどうにもならないような崩壊が、いまに現れる気がする…。



 

 ものすごい崩壊地である。
日原松の木とは較べるべくもないが、それでもかなりの規模だ。
完全に道を埋め尽くし、その流末は道の下にも同様の斜面を延ばしている。
だがこれでもまだ、「赤」でも「白」でもないようだ…。

 崩壊から時間が経っており、斜面は比較的落ち着いているようだ。
ここはセオリー通り、“への字”運行で乗り越えることにする。 (1.3km)





 チャリが無ければ、比較的鼻歌交じりでも通り抜けられそうな場所だが、足を滑らせたときの事を想像すると、慎重にならざるを得ない。

一歩一歩、浮き石を確かめながら前進した。




 こんな斜面を横断していると、今まで潜ってきた幾多の修羅場を思い出す。

そして、「嗚呼俺は今オブローディングしているな」と、実感するのだ。

ただ藪を掻き分けている時と、このような命に関わる斜面を通行しているときとでは、やはり充実感が全然違う。
この違いを私は最近、こういうコトバで表現するようになった。

"生き死に"している。

何となく変な語感が気に入って、今では口に出して言うこともある。
「ああ、ここは生き死にしてるな」とか、「生き死にとは関係のない場面だ」とか。
そして、この「生き死にに関係の“ある”場面」こそ、自分にとってのオブローディングの華。  
…と言うことに気付いた。



 13:31 出発から50分を経過。

今度もまた“飴”を期待していたのだが、そう期待通りには行かない。

現れたのは、枯れ始めた藪と、僅かばかりの平場に過ぎなかった。
そして、その藪の隙間から眺めは、続けてもう一カ所の崩壊地が現れることを予感させた。

 この時点で私は、猛烈に嫌な予感がした。




 嫌な予感の正体、それはではなくの景色を感じたことだった。

“凸”とは路面が盛り上がるような、土砂崩れを示す。
そして、“凹”は、その逆。路肩や路盤の決壊である。

廃道でその突破が難しいのは、圧倒的に後者である。
まして、チャリ同伴となれば、その困難は筆舌に尽くし難し!

その“凹”の景色。
それも、とびきり巨大なものが、眼前に現れてしまったのである。


 駄目かもこりゃ。 
…きっとこいつが、「赤崩れ」だな…。




 酷い有様だった。

ここには、小さな沢が道を横断するように流れていたようなのだが、そこが擂り鉢状に崩れ落ちている。

道は斜面ごと持って行かれたようで、対岸には確かに続きの道が見えているのだが、どうやっても突破するルートが思い浮かばないのである。
チャリは最初から無理だと思って単身での突破を、色々試してみたのだが、どうにも無理である。

まず、谷底を経由するルートは、土の斜面ゆえ降りれないし上れない。
素直に崖をへつって進むのも、まず「A地点」にさえ届かない。
まして、その先に見えている雨裂のような沢は、両岸とも土の斜面が切り立っており、おそらくそこへ入ればそのまま谷底へ連れて行かれるに違いない。
さらに、万一そこを横断できても、対岸の道である「B地点」までの斜面は果てしなく遠い。
木が一本も生えておらず草付き斜面のみというのでは、突破は無理だ。


 無理だ。








撤退! 

 “生き死に”どころではなく、ここは下手に絡めばシニシニしてしまう。

直ぐそこに反対側の道が見えているのが悔しすぎる…。 8分間ほどウダウダやったのだが、でも、無理は無理だった。
仕方がない…。
反対の、二居側からこの対岸を目指す事にしよう…。




 何のために、苦労してチャリを運んできたのか…。

全くの無駄骨であった…。
オブローディングとは、この繰り返しであるが…。

1.35kmにて撤退。





 さて、果たして私はどこまで進めたのだろうか。

周囲の地形や景色から考えて、左の地図の通り、現道の萱付隧道の下辺りでは無かろうか。
地形図に元もと描かれている点線が、ちょうど途切れるのも、この辺りである。
しかし、全体の中ではまだまだ序盤もいいところ…。

この廃道。
ちょっと本気でヤバイかもしれん。


 右の図は、『上越国道史』からコピーしたものを少し加工した。


 ・・・。

  ・・・・・。

 えー…

どうやら私が尻尾を巻いたあの崩壊でさえ、まだ「赤崩れ」ではなかったらしい…。

…馬鹿にしやがる。
あんだけ崩壊しておきながら、何が「竹の」だ…。

どこも平らじゃネーじゃネーか。





 ヨッキ〜。
まだ、も現れてないのに……

今度こそ、敗北かお?