道路レポート 国道229号雷電海岸旧道群 雷電岬旧道編 第1回

所在地 北海道岩内町
探索日 2018.04.26
公開日 2019.12.01

ノーエスケープ!!!

次はいよいよ、雷電海岸の盟主、難攻不落の海岸絶壁、雷電岬の攻略だ。

事前情報の少なさは、昨日探索したビンノ岬区間をも上回る。
あそこには、たった1件だけだったが、海岸線を迂回して旧道へ到達したという報告を、事前に見ていた。
だが、これから挑む雷電岬の旧道については、1本目の隧道の先から3本目の隧道の手前まで、マジで陸路による到達記録を確認できなかった。

私がやるべきことは簡単だ。
封鎖されている1本目の隧道を、何らかの方法で迂回すればいい。
それだけ。

ここからの探索の目標は、3本目のトンネルの北口に辿り着くことである。
同トンネルの南口については、南側から到達報告があるので、雷電岬の突端を乗り越える必要はない。
あくまで、3本目のトンネルの北口が目的地である。




1本目の廃隧道の迂回をスタート!


2018/4/26 6:14 《現在地》

雷電温泉郷バス停から、雷電岬を望見する。
現在の国道は、すぐ先に見えているトンネルに入ると、そのまま一気に雷電岬の向こうへ抜けてしまうので、これが最後の北側からの望見となる。

だが、旧国道にそのようなジャンプ能力はなく、出来るだけトンネルの総延長を短く済ませるべく、海岸沿いに小さなトンネルを連続させながら岬に近づいていき、現実的にギリギリのところから 岬の基部にあたる部分だけを少し長いトンネルで抜いて、向こう側へ通じていた。

ここからは、1本目の旧トンネルが潜り抜けている岬の突端までが、よく見えた。
波打ち際と絶壁の間に、かなり広い波蝕棚がモザイク状に広がっているのが、好ましく思われた。
あれをうまく使えば、とりあえずここから見える岬の突端までは行けそう。
問題は、見えていない裏側か。

それにしても、今日も波が穏やかであることには助けられる。
これで波飛沫が舞っているような状況なら、たとえ晴れていても、波打ち際と格闘する気にはなれない。
とりあえず、スタートの状況的には最高に恵まれていたと思う。



現道の刀掛トンネル北口に到達。
このトンネルの全長は2754mもあり、雷電海岸にある一連のトンネルの中では、雷電トンネル(3570m)に次いで長い。
竣工年は平成14(2002)年度で、雷電トンネルと同年度である。

有名な雷電岬を貫く、この国道を代表するような重要トンネルだが、坑門に華美な装飾はない、実用性に特化した様相だ。
扁額もないのかと思ったが、よく見ると、左右にある低い翼壁の左側の壁面に、小さなものが取り付けられていた。

刀掛トンネルの右脇に、封鎖されたトンネルの坑門がある。
ドライバー全員の目に留まる位置だが、オブローダーでなければ、わざわざ気にする人は少ないかもしれない。たとえ気付いても、2回目に通る時からは空気にされてしまう、まったく取り付く島のない塞がれ方をしていた。

ガードレールを乗り越えて、無用の三角地と化した旧道敷に進むと、ようやく現トンネルに邪魔されない一対一で旧トンネルと対面する。
だが、ここまで来ても、私の中ではいまひとつ、湧き上がってくるものがなかった。旧トンネルに対面したときの高揚が、なぜか薄い。
確かにこのトンネルの先に、私が追い求めるものが秘蔵されていることは、間違いないはずなのに!

原因を考えてみると、私が味わうべき旧道に対する郷愁のようなものを留めておくには、この場所(三角地)があまりに狭すぎたのだろうと思い至った。
オブローダーである私の目にさえ、もはや無用の壁にしか見えなくなりつつある坑門から、私はもっと何かを得たいと思い、縋り付いた。




無用の壁に掲げられた、御影石の扁額。
隧道の象徴であるこれが、取り外されたり壊されたりしなかったことに、保存の意図があるようには思えなかった。単なる放棄だろう。

無視され続けている文字を読む。
隧道名は、辨慶隧道。

「辨」は難しい字だが、「弁」の異字体である(旧字体ではない)。
つまり弁慶隧道だ。現役時代の地形図や道路地図などでは、普通にこの簡単な方の字で書かれていた。

ここで誰もが思うはず。
あれ? 同じ名前の弁慶トンネルが、さっきあったじゃないかと。
直接の新旧道の位置関係でない、しかしこんなに近接した位置に、同名のトンネルがあるというのは不自然に思えるが、冷静にトンネルの改廃時期をみると、弁慶隧道が平成14年度に廃止され、弁慶トンネルが平成19年に開通しているので、同時に供用された期間はなかったことが分かる。



無用の壁の海側に埋め込まれた、やはり御影石製の銘板。
これまで何度も見た、北海道開発局の古いトンネルにおける定番デザインの銘板だった。

「 竣功昭和36年12月 延長210M0 幅員6M0 」

私が210m先まで地中を通過できれば楽なんだが…。
この長さの分だけ、陸上をい迂回しなければならない。

さあ、どうしよう。
少なくとも、この坑口前に突破の糸口はなさそうだ。
やはり、波蝕棚伝いに海岸線を行くのがセオリーなのだろうな。

ここで振り返ると、ちょうど都合の良い位置に、海岸へ降りるための立派な階段が見えたので、これを使う。
なお、スタートからずっと一緒だった自転車は、ここでお留守番となる。




6:20 《現在地》

海岸線に降り立った私は、さっそく、弁慶隧道の迂回を開始した。
広い波蝕棚を利用する作戦は順調で、楽しい磯歩きで全く労せず岬の突端へ近づいていく。

ちなみに、この写真だと、まるで石張りや階段で舗装された道があるように見えると思うが、これは奇異なることに、全く自然の地形である。
地中から露出した溶岩の岩脈や節理が、こうした独特の模様になっているもので、近くにある「弁慶の薪積岩」という観光名所が、まさしくこの地形を鑑賞するものであるようだ。

ここで陸を振り返ると、新旧のトンネル坑門を側方から見上げることができた。
地形図からは読み取れなかったが、これらのトンネルがある高さは、これまで見てきた一連のトンネルの中で、一番高いと思う。
だいたいのトンネルが防波堤の上くらいの高さにあったので、この高さは新しい。

だが率直に言って、この高さはありがたくない。
いま向かっている弁慶隧道の北側坑口も、おそらく同じくらいの高さにあるのだろう。
そうすると、地形によっては、到達に困難を生じる可能性があった。



波蝕棚をすたすた歩くこと100mほどで、早くも小さな岬の突端が近づいてきた。
岬の突端から沖合にむかって、モザイク状に細切れとなった陸地がなおも伸びていたが、私には意味のない地形だ。

私はこの岬を回り込んで、向こう側へ進みたい。
だが、案の定というべきか、岬の裏側には、波蝕棚の黒い地面ではなく、青黒い海面が広がっていることが窺われた。
このまま波蝕棚を歩き続けるだけで攻略が完了するとは思っていなかったが、岬に立って向こう側に“直面”するのが、正直怖かった。




ここで一つ、手戻りをさせられた。
私が楽そうだと思って何気なく進んでいた波蝕棚上のルートは、最終的には岬まで辿り着けない徒花だった。
樹枝状に波蝕棚を裂く、わずか幅3mほどの幅ではあるが青々とした深さを湛える“海峡”が、岬の直前で到達の邪魔していたのだ。

私は仕方なく一旦後退し、今度は切り立った海崖と波蝕棚の間にある狭い急斜面を、カニの横渡りのような不自由な姿勢で進むことで、なんとか岬の突端を手中に収めることに成功したのだった。




滝だっ!

岬の向こう側、すなわち弁慶隧道の裏側の海岸線に、かなり高い滝が落ちているのを発見した!

この場所には湯内川の河口があるはずだが、最後は滝となって海へ注いでいるのか。なんと格好いい。


だが、いまそんなことはわりとどうでもいい。肝心の旧道だ。

ぜんぜん道の姿が見えない?!




終わった。

陸路ない。




雷電国道は、地獄道だ…。

なんということ……。

最初に見えた滝は、湯内川じゃないようだ。
本当の湯内川は、この写真のところにあって……
まるで海岸線とは思えないような深い峡谷になっているようだ……。

そしてその峡谷に、平成14年まで国道だったとは俄に信じがたい、
異常にボロくて薄い橋が架かっていた……。
その絶望的な橋に直接している、名前も分からない2本目の隧道。 封鎖確認……。



……あと、なんか音がおかしい気がする。
海の音より遙かに大きく滝の音が聞こえるんだが、
見えている滝から、こんなに豪快な瀑音が聞こえるだろうか…。
きっとこれは……。




この海は、深いよなー…。


海岸線からのアプローチは、私には無理……だったか…。