道路レポート 広島県道25号三原東城線 神龍湖旧道 第5回

所在地 広島県神石高原町〜庄原市
探索日 2020.12.23
公開日 2021.01.09

中間地点の犬瀬集落は、休憩地にあらず?!


2020/12/23 13:08 《現在地》

切通しを後に、再び自転車に跨がって旧県道の前進を再開した。
この辺りの地形は、地形図の等高線の密さにも現われている通り、非常に険しい。
よくぞ道路を通したと思える急傾斜ぶりで、水鳥の姿もなく静まりかえった湖面は、ほとんど路肩の真下にあるように感じられる。

しかし、旧々道もまた、旧道よりも低い位置で、崖に等しいこの斜面を横断していたと思う。
上下二段の道が斜面を並んで横断し、前方の半島地形の基部に拓かれた犬瀬集落へ達していたはずだ。




実際、路肩に立って下を見ると、明らかにそれらしい平場が並行していた。
湖側は石垣があるようで、特に切り立っている。
対岸や湖上から眺めることが出来れば、上下二段の道が一目瞭然だと思うが、術がない。
また、斜面を下って旧々道に降りることは出来たと思うが、あまりに旧道から近く簡単に見下ろせるため、その意義を見いだせず実行しなかった。
それに、降りれば簡単に歩けるという状況ではなく、厳しい斜面と化している部分が大半だった。




そのまましばらく進むと、カーブの向こうにやや大きな小豆色の建物が見えてきた。
犬瀬集落到達の合図である。
また集落内には分岐があり、控えめな青看が予告していた。
実際の交差点を見る前なので実感が湧かないが、旧道はこのまま直進して「東城」方面へ伸び、右折は同じ神石高原町内の「草木」方面という案内。旧県道上に再指定されている県道259号の順路は右であり、旧県道から外れる。

注目すべきは、この先の旧々道の振る舞いなのだが……

集落が見えてきたところで、足元に付かず離れず並走してきた旧々道は、どうなったか?



まだ居ます。

相変わらず、幅の狭い平場が同じ高さに存在していた。
だが、集落に近づいたせいなのだろう。
道路敷以外にも、均された土地が見えた。
周囲に石垣を張り巡らせた、崖にへばり付くような平らな土地の正体は、おそらくかつて家の建っていた跡だと思う。
集落であれば当然、旧々道に軒を重ねて建つ家があったのだろう。

そして、今は荊棘に支配された虚しい空き地に、重ねたドラム缶にコンクリートを詰めた怪しげな支柱が1本だけ立っていた。




さらに20mほど先にも、また旧々道と高さを合わせた平らな土地が現われ、そこにもドラム缶の形をしたコンクリートの柱が立っていた。
いずれの柱も、旧々道の路面を塞ぐ位置に建っているので、旧々道廃止後の建造である。
これらの太い柱の正体だが、旧道の高さに人工地盤を建てるための支柱であったと思う。

私は、これをとても興味深いと思った。
もしかしたら、ダム完成直後の犬瀬集落は、旧々道の高さに軒を連ねていたのではないか。
しかし、すぐにダムの嵩上げが行われ、旧々道と一緒に旧犬瀬集落も廃止され、新道の高さまで人工地盤によって嵩上げした新しい犬瀬集落に生まれ変わったのではないか。
その名残りが、旧々道の路上に突き立てられたコンクリートの太い支柱ではなかったか。

ダムの完成は大正13年、嵩上げの完成は昭和6年、ダム建設以前の集落がどこにあったかは分からないが、たった7年で二度目の移転を余儀なくされた人々が居たのかもしれない。




なんてことを思いつつ、小豆色の建物から始まる犬瀬集落スタート!

神龍湖に突き出た岬の基部にこしらえられた猫額の平地が、集落のほぼ全てである。
その中央を旧道が貫き、出口側には旧道の第3の隧道が口を開けている。
『大鑑』によれば、その名も、三号隧道

しかし、面白いのが旧々道の行方で…



旧々道は、小豆色の建物の軒下に、しっぽりと消えていった…。

この状況だけでも笑えてしまったのだが、そもそもそんなことを気にした人が、これまであまり居なかったと思う。
私の探索の流れを振り返ってみても、剣橋のところで旧々道を疑うのは珍しくないとしても、そこから先の“切通し”で
再び旧々道の実在を確かめていなければ、いまこの地点まで、旧々道を引っ張ってこなかったのではないか。

というわけで、旧々道は確かに犬瀬集落まで辿り着いたのだが、集落内では姿を見せない。
今の集落のベースである地盤によって埋め立てられたのだと思う。
なので私も今度こそ旧々道の事を忘れ、目の前の道に没頭したい。



13:11 《現在地》

旧々道をしっぽりと潜らせている小豆色の建物は郵便局であった。「神龍湖簡易郵便局」。

軒下に潜って確かめようとも思ったが、金融機関の周りであまりいかがわしいことは憚られたのと、ちょっと覗いてみたらただの軒下だったので、立入は遠慮した。
この写真の範囲内だけだと、普通に地面の上に建っている建物にしか見えないが、実際は旧々道の路盤上におっ立てた10本以上の柱で支えられている、天空の楼閣である。

というか、簡易とはいえ郵便局がここにあるのも、なんか意外だ。
犬瀬という集落はおそらく10戸もないし、歩いて行ける範囲内にも大きな集落は存在しない。
その代わり、ここは著名観光地の拠点的なところであるから、昔は絵葉書の需要があっただろう。伝統というか、謂われがありそうな郵便局だった。



いかにも、観光地だ。
それもちょっと鄙びた感じ。なんといっても、大正12年に名勝地指定を受けたほどの老舗だ。
今日は12月23日の平日で、とても長閑な午後だが、観光客は疎らにも見当たらなかった。少なくとも一軒の土産物屋は開いていたが。

周囲を神龍湖と石灰の岩山が囲んでおり、本当は平らなところなんてなかったのだろうが、可能な限り広く均されて、大きな駐車場や土産物屋の敷地となっていた。
犬瀬集落の全てが、この広場の周りにある感じだった。

次はどこへ向かおうか。
順序よくやるなら左手前の分岐からだが、それは帝釈峡遊歩道へ通じるルートだ。
レポートの初回冒頭に説明したが、帝釈峡といえば一番有名なのは日本最大の天然橋である“雄橋(おんばし)”で、そこへ歩いて行けるのがこの遊歩道である。帝釈峡観光のいわば花形、ゴールデンルート。

……その割に人が疎らだが、すぐに理由は判明した。



「柏岩橋から先 通行止 広島県」

観光客がいない理由は、ここから雄橋や上帝釈へ抜ける帝釈峡遊歩道が、通行止めになっているせいだった。しかしこれは最近に始まったことではなく、平成8(1996)年からずっと続いているらしい。原因は倒木や落石だそうだ。地元自治体や関係機関が国へ復旧を要望しているが予算の問題で実現していないという。

犬瀬には帝釈峡遊歩道と並ぶ観光資源がある。それは神龍湖の観光遊覧船だ。しかしこちらも12月上旬から3月中旬までは運休期間のため動いていなかった。

警告文と注意書きまみれの【案内板】を見る限り、雄橋へここから行けないことはないが、景観の良い従来の谷沿いの遊歩道は通行止めで、山越えの迂回路(「上級者向け」と書いてあった)を通る必要があるらしい。
私はもともと観光をするつもりがなく、この遊歩道についても、古い橋がある入口付近をちょっと見て引き返そうと考えていたが、平成8年から封鎖されている区間があるといわれれば……




13:37 《現在地》

行くしかなくなるわけで。

この写真は、看板に通行止めと書かれていた柏岩橋だ。

結局、遊歩道の封鎖区間の往復(ただ往復しただけで雄橋は見ていない…苦笑、レポート略)に……



15:33 《現在地》

ほぼ2時間を要し、午後3時半過ぎにやっと戻ってこられたのだった。

ここからまた本題の旧道探索再開であるが、おかげで一気に夕暮れまでの残り時間が心許なくなってしまった。あと1時間半で日没――。

気を取り直し、今度は県道259号線の行く手を覗いてみよう。
この行為が、思いがけない奇妙な発見をもたらすことに。




県道259号線はいわゆる険道らしく、入口からして1車線で狭く、しかもなかなか気合いの入った上り坂と九十九折りで、背後の山の上へ消えていた。
一応、地図を見ると神石高原町役場への最短ルートだが、狭い道が20km以上も続くようで、青看にあった草木地区までが案内の限界といった雰囲気。

なお、正面に見える大きな建物は、神石高原町立の神石歴史民俗資料館である(この日は休館中だったと思う)。

で、問題になったのは、大きな赤丸で囲んだところにアルモノなんだが……




15:34 《現在地》

巨大坑門が。

ここへ来るときに通った旧県道の脇に、その道をすっぽり収められそうなほど巨大な坑門があった。

隧道というか、もっと現代的なトンネルの坑門に見えるが、塞がれていて中が見えない。

これは旧トンネル?! 廃隧道??


しかし…



← 入口はあるのに

出口はない… →

マジで、なんなのこれ?




無骨なトンネルには似つかわしくない木板で入口がログハウス風に装飾され、
さらに肌色のシャッターが下ろされて、トンネルを何かに転用しているようである。
廃隧道の転用には、キノコ栽培や酒類の貯蔵所などいろいろあるが、いったい…?

……どれどれ、看板があるな……。



“ふるさと産品直売所”

?! お店かよ、このトンネル!

ぬぬーー!! 店だったら、開いてるときに来たかったな!

でも、正直言って、トンネルがいま何に使われているかよりも、
そもそもなんのトンネルかが気になる……。
近づいて見ても、やはり坑門の造りが現代だ。
しかも、新幹線用かと思うほどの大断面…。

まさか、県道の未成トンネルとかだったりして?!

これは気になるぞー。



「すみませーん。」

意を決し、謎のトンネルから旧県道を挟んだ向かいにある、旧々道上に浮かぶ郵便局の門を叩いた。
結果分かったことは、次の通り。

  • このトンネルは、お店を作るために掘った。
  • わざわざトンネルを掘った理由は、ここは国定公園内なので、新たに建物を建てることが難しいので、地面を掘ってお店を作った。
  • 奥行きは5メートルくらい。もちろん貫通していない。
  • 現在お店は、経営したいという人が居ないので、営業していない。

失礼なので我慢したが、お話しの最中から私は何度も笑い出しそうになるのを抑えるのに苦労した。
いや、真面目な話なんだよ。
ここは国定公園内だから新たにお店を建てるのが難しかったという話は、詳しい法律は分からないものの、道路もそうだから至極納得出来る気がしたし、こういうパターンもあるのかと勉強になった。
でも、この新幹線トンネルみたいな巨大なナリして奥行きは5メートルだけって!!! 聞き直したので言い間違いではないと思うんだが、5メートルったら、商品棚2列にカウンターを置いたら、もう奥の壁に突き当たりだろう。

いやはや……、シャッターの奥を確かめたい気持ちでいっぱいだったが、ずいぶん長い間営業はしていないらしい。(せっかく掘ったのになぁ…)
他にも、どうしてこんなに外見を現代のトンネルに寄せたのかとか、関係者に聞いてみたいことはいろいろあるのだが、そのへんもまだ謎である。

いやー、マジ驚かされることばかりだな犬瀬集落よ……。
しかし一応納得したので、このトンネル(?)にも別れを告げた。
もし入店したことがあるという人が居たら、ご一報下さいね。




神石高原町公式観光案内サイトより

読者様からの情報提供により、この謎めいたシャッターの奥を垣間見る機会を得た。

神石高原町公式サイトの観光ガイドページ『観光案内之読本』に、このお店の紹介があり、開店時の写真が掲載されていたのである。
なんという、灯台もと暗し。
普段から思考がアンダーグラウンドに染まりすぎて、当然見るべきところをノーチェックだった(苦笑)。

というわけで、右画像がそのキャプチャ画像(2021/1/10現在)。
はっきり奥行きが分かる画像ではないが、確かに、入ってすぐに奥の壁があるように見える。
そして、予想以上にちゃんとした(失礼)産直屋さんの店構えだが、それだけに無骨すぎるコンクリート坑門とのギャップが強烈だ!(笑)

なお、営業期間が「12月から3月は冬季閉鎖」とあるので、案外来春になったら再開しているかも知れない(期待)。





わー

昭和……だなここ。

昭和時代のお土産物屋だ。
いや、下手したら昭和6年のダム嵩上げ完成当初からの建物かも知れない。
味のある看板がたくさんだ。
「竹屋饅頭」、きっとこの地方の歴史ある銘菓なんだろう。
「地酒超群」、名前が凄いな。
「帝釈煎餅」、これは一番手前の文字が消えかかった大看板だ。大きな文字を飾るように周囲に「天下随一」「名物」なんて文字も微かに見えていて……、もうどこでも製造していないようだけど、昔は帝釈峡名物として盛んに売り出していたんだろうな。
軒下の暖簾状の飾りも最近見ないぞ。「バスのりば」って書いてある。狭いトンネルを縫うようにやってきた大勢の観光バスが、慌ただしく屯していた時代があったのだな。




軒先に置かれた「天然記念物おおさんしょう魚」の水槽は、緑色に濁り過ぎて中が全然見通せなかったが、空気が循環していたから棲んでるんだろう。
ユルいなぁ…。

←色褪せすぎたポスターもあった。
そこには、明らかに昭和62年以前のものと分かる特徴が映し出されていたが、それはまた時が来たら後述ということで……。




ただの通過地点、せいぜいジュース休憩くらいのところと考えていた犬瀬。
その狭い界隈に満ちすぎた濃厚なむかしの匂いに、気付けばもう2時間以上も先へ進めなくなっていた(まあ最大の理由は廃遊歩道への往復だけど)。

いい加減、郵便局のある“入口”と対比される、薄暗い隧道の“出口””から、次のステージへ旅立たなければ。
でも、旅立つということは、集落内では行方不明(おそらく地中に埋まってしまった)旧々道の行方も気になるわけで、周囲によく目を配る必要が。
とりあえず、左にある広い駐車場(郵便局の赤車が駐まっている)の奥へ行ってみよう。湖面を広く見渡せそうだ。




15:42 《現在地》

ぁわーっ!



旧々道の復活だー!!!

集落を出ると同時に、やはり少しだけ低い位置に現われた。 お土産のような隧道まで伴って!

面白すぎ、この旧々道!