道路レポート 兵庫県道76号洲本灘賀集線 生石海岸旧道 最終回

所在地 兵庫県洲本市
探索日 2017.12.05
公開日 2024.03.14

 ラスト500M! 地図から完全抹消された区間の実態は…


2017/12/5 13:06 《現在地》

うおぉーー!!! 旧道路上へヨッキ復活ぅー!!

前回最後の海岸線のシーンから15分近く悪戦苦闘したが、なんとか元いた旧道上の橋の西側袂へ復帰した。

さすがに、この地形で橋と海岸を連続で行き来したのはキツかった。
思い返せば、朝日と同時に旧道へ突入した私が、既に13時である。
約5時間半を費やしながら全長4.5kmの旧道踏破未だ成らず。この事実だけでも、いかに非道く過酷な道行きであったか分かると思うが、それでもようやく残りはあと500mほどとなった。先ほど海岸線からはゴールの中津川集落が見えたので、本当にあと少しだ。

ただ、この最終盤にはこれまでと一つだけ異なる懸念がある。
それは、一連約4.5kmの旧道のうち、この先のラスト約500mだけが地理院地図から完全に抹消されていることだ。
地図にない道を歩くのは慣れているし、むしろこれまでの道が「徒歩道」としても描くべきではないほど破壊されていた気がするが、ともかく、これまでとこれからとでは地図上の表現が異なっている事実がある。
果たしてそ実態にも有意な差があるのかどうか、これから身を以て検証することになる。

それでは、ラスト500mへ突入開始!



13:09

歩行開始から間もなくの場面。
とても荒れている。
橋の手前あたりはしばらく状況が安定していたが、橋を過ぎてから、また大荒れだ。
やはり、地図に道がないというのは、そういうことなんだろうか。
とはいえ、このくらいの荒れ方は、もうこの道で何度も乗り越えてきているものであり、いまさらだ。



13:16

崩れた路上からは、カブリ気味で海岸線が見下ろせた。
そしてそこには、先ほど間近に見たものと同じような擁壁の残骸が、さらに大量に散らばっていた。
ある一角では、自然の岩石以上に地表を占めている印象だ。
かつてここにあった旧道に、連綿と費やされた膨大なる労と費、その無残なる末期であった。



13:18

さらに進むと前方斜面の一角より樹木が一掃され、そこを窓にして、これまで見えなかった中遠景が視界に入った。
これにより、先ほど波打ち際の高さからフライング目視していた現県道が、旧道の路上からも初めて確認できた。

見えている県道は、波打ち際の防波堤の上にある。現在地から見れば30m近く低い。
この落差をこれから数百メートルで克服する必要があるはずだが、まだはっきりと下っていく感じはない。

それよりも、この先の道の状況が大いに不安である。
こんなに樹木がなくて明け透けなのは、ぜったいヤバイだろ……。




13:19

ほーらきた。

抉られちまった崩壊斜面。
高さは、遙か見上げる高みから、下はもちろん海岸まで。幅は30mほど。
いまも活発に崩れているらしく、獣道一つ見当らないが、そこまで急傾斜ではないので、“黄線”で描いた向こう側の道形まで正面突破する。



13:22 《現在地》

崩壊地を慎重に横断して辿り着いた対岸には、しっかりとした道形が待ち構えていた。
そしてこの先はまた、鬱蒼とした低木林地帯のようだ。
橋から歩いた距離的に、もういつ現道からのアプローチがあってもおかしくないはず。

そもそも、私はこちら側の現道と旧道の分岐地点の場所と状況をはっきりと認識しないまま探索を始めていたが、それがよほど分かりにくい分岐でもない限り、“こちら側”から旧道を探索しようとした人が必ず居たと思うのだ。
そんな彼らの辿り着いた痕跡が、そろそろ現れて良さそうなのだが……。

なぜか、全然そういう気配がないんだが…。 なんでだ?




13:26

やっぱりか〜。

最後の最後に大崩壊である。

ひとつ前の崩壊地同様、傾斜はそこまでキツくないものの、高さは非常に大きく、また幅も久々に超大型クラスだ。差し渡し70〜80mはあろうかと思う。
そして、現在進行形で旺盛に崩れ続けている様子で、倒木をはじめ相当の量の崩落残留物が斜面を埋めている。
ぱっと見の印象、正面突破は出来ると感じたが、障害物が多くて面倒くさそうだとも思った。
GPSで現在地を確認しつつ、今度こそ本当に最後だと確信した。
向こう側に見える森へ辿り着ければ、そこに現道が待っているはずだ。

真っ正面へ突入する!



13:29

うーーん 長いなぁ!

突飛なイメージだが、火星での登山を連想した。それほど草木に縁遠い崩壊地だ。
斜面は乾ききっていて、どこを踏んでもカラカラガラガラと落石が誘発される状況。都度舞い上がる砂煙は、強い海風で即霧散するが、ビュウビュウという音が常に心をささくれさせる。

あと半分!

あと3分の1!

あと……

あと…………


嘘だ! 非道いよ?!




13:33 

これはないよ!

非道いよ!

巨大な崩壊地の最後の最後、終わり際の10〜20mは、

平滑な一枚岩によって分断されていた。

ここだけ、北アルプスの岩稜のどっかみたいだよ………。


……どうりで、


道理で、こちら側から旧道へ踏み込んだ人の気配が皆無だったんだ……。



異様な一枚岩なんだが、地中に隠されていた中央構造線の断層面だったりするのだろうか。
専門外だから全く見当違いなことを書いているかも知れないが、とにかく普通ではない感じがする。
そして、この地中の一枚岩が完璧な滑り面となって、広範囲の地表がずれ落ちたのが、現状のようだ。

もともと地中にあった一枚岩だからだろう。
その表面にはいかなる道の工作も及んでいない。
画像中央の高さに道があったはずで、実際に向こう側の道の末端が森の中に見えているのだが……。

見ての通り、私はこの撮影の時点で、本来の道の高さよりだいぶ高い位置にいる。
ここまでの崩壊斜面を横断する中で、自然と高くなったのである。
問題は、この先をどうするかだ……。



13:36

平滑な一枚岩の斜面も、そのまま横断することにした。

一見無謀と思うかも知れないが、平滑そうな斜面の中にも、よく見ると足掛かりとなる程度の凸凹はあり、それらを上手く結んで最短距離で横断してしまうことにした。
画像は、横断中に足元を撮影。
落ちたら一貫のおしまいだと思ったので、さすがに緊張した。

チェンジ後の画像は、横断の進行方向および突破ルートだ。
岩場を最短で横断し、どうにか向こう側の樹林帯に辿り着いたら、樹木を頼りに旧道末端部まで下降する作戦である。



全天球画像。

背にした崩壊地の広がりに比べれば、越えるべき行く手のそれは僅かな距離だが、足元の状況が尋常でなかった……!
どの全天球画像もそうだが、ぜひ画像左上のアイコンをクリックし、全画面表示で、心置きなくグリングリンしてみてほしい。



13:37

無事、岩場の横断に成功。
今度は、左方に転じて強烈な急斜面(ほぼ岩場の傾斜だ)を、樹木に半分ぶら下がるようになりながら下る。

なお、こんな行程なので、たぶん逆方向に辿るのはもっと難しいと思う。
もし反対に歩くなら、素直に海岸を迂回した方が良いだろう。そうすれば少なくともさっきの橋の下までは、危ない場所はないはずだ。



13:43 《現在地》

突破成功!

この最後の崩壊地の突破には15分以上を費やし、今回の極めて過酷な廃道におけるダメ押しの苦行を味わった。

だが、これでようやく、ようようやくやく、旧道完全踏破達成達成に王手だ。



なお、振り返るとこんなです。

この部分の旧道がいち早く地図から抹消された理由は、やはりこの崩壊地が空撮でも目立つ感じにぱっくりと口を開けているからなんだろう。たぶんね。
実際に歩いてみようとして断念したからとかでは、ないと思う。

さあ、半日ぶりに生還しよう!



また橋が架かっている!

また超絶に狭いし! どうなってんだこの道…。




 最後の最後まで油断できない!


13:44 《現在地》

地図から抹消された旧道区間、その終わりの間際に予期せぬ橋がもう1本あった!
一見してそう古い橋には見えなかったが、橋頭部の路肩が大きく崩れており、橋台のコンクリートの(本来は地中にある)裏側部分が空中にさらけ出されているという、なんとも不穏な状況になっていた。
こんな橋台では、遠からず橋の重みを支えきれなくなって、もろともに崩落してしまうと思うが、すでに廃橋であり、補修される見込みは全く無さそうだ。



橋はワンスパンで、長さは10mそこそこ。
非常に狭く、歩道橋と見紛うばかりだが、これは【前の橋】と同じであり、同時期の架設と推測される。両側の無骨なガードレールも同じデザインだ。
すなわち本橋もまた、旧道開通当初からある構造物ではなくて、後年の災害復旧によるものとみられる。
例によって銘板や親柱を持っておらず、本日2本目の“名不知”の橋となった。

誰か、この橋に付けられた大切な名前を教えて下さい……。



橋台が半分宙ぶらりんになっている本橋だが、高欄から身を乗りだして覗き込むと、その不良な現状が一層鮮明となる。
橋が跨ぐ現在崩壊進行中の崩壊地が、前後の道ごとに橋を呑み込みつつある。
まだ傾いたりはしていないと思うが、バランスを崩したら一瞬で崩れるかも知れない。

周囲の地形を観察しても、この橋に対する旧道を置くような空間は見当らない。
したがって、まさにこの橋が架かっている位置に旧道があり、崩壊に呑み込まれたものと考える。



これは、別の日に撮影した、海岸から見上げた本橋の様子だ。
崩壊に呑み込まれた橋台が、あまりにも頼りなさげに足の置き場を失っていた。渡るだけでは読み取れない苦しみを抱えた橋だ。

そして、橋の直下の崩壊斜面に目を向けると、大破した巨大な石垣が残骸を晒していた。
これがかつては橋の高さまで積み上げられていて、立派に道を支えていたのだろう。非常に大規模な手間の塊のような石垣である。



短い橋を渡り終えようというところ。
視界を遮る立ち木の向こうに見えるのは、現県道がある生者の世界に間違いなかった。やっと帰ってきたぞ、私の世界へ。

現道到達と同時に、中津川集落にも辿り着いており、橋の先では現道に面した人家敷地の外壁が道の片側を画していた。もう片側は引き続き海岸の崖であり、これは本当に最後まで窮屈そうである。



13:47 《現在地》

開けた〜!

いかにも人家の裏側っぽい、通行人には見せるつもりはなさそうな雑然とした擁壁を回り込みながら進む。
一応ここにも旧道の敷地が残されているが、この連なりに2本の橋が存在することなど、もはや現地人にさえ忘れ去られていそうである。正確には、たぶん忘れてはいないと思うが、誰も見には行っていないという感じか。
足元の道と、向こうに見える道は、本来は一繋がりの同一個体である。
だが、こちら側だけ旧道となって切り離され半世紀、現状にはこれだけ大きな差がついた。

それはそうと、ここに手動のコンクリートミキサーがポツンと取り残されたように置かれていた。いったい誰の忘れ物だ。



次のカーブを巡れば、半日私を苦しませ、同時に激しく興奮させた旧道とも、お別れだ。
最後に、崩れかけの橋を振り返った。すぐ先で【杜絶】しているが、その杜絶点目がけて登っていく姿がいじましい。

振り返るに、この旧道をこれほど忠実に踏破したのは、私が最後かもしれない。
これは自惚れた考えか? だが、そもそも他者に羨まれないものは自惚れと言わないか。ともかく、自己満足点はかなり高かったこの踏破。苦労したからね。



って、

まだ終わってなかった踏破!

ナニコレ最後に地獄があるじゃん?!

めっちゃ怖えーよ、これ…。

すぐ上にある人家の敷地を迂回できないかと考えたが、結局は面倒くさくなって、そのまま突入して越えてしまった。
が、ここはかなり危険度が高いので、オススメはしない。
そして、こちら側から誰もこの旧道へ入ってこなかった最大の理由は、前回の【仰々しい崩壊地】ではなくて、超シンプルに誰もが等身大の恐怖を感ずる「ここ」だと思った次第。



これは別日に海岸から見上げて撮影した旧道の様子。

最後の最後の最後まで、旧道は崩壊のただ中にあった。
現状でこれだから、あと50年も経ったら、この旧道には序盤の道と立川橋くらいしか残ってなさそうである。
まあ、今さら旧道が崩れても実害はないのだが、次は隣の民地が心配な状況になっている。



…ふぅ。

無事に越えることができた。



なんでここにボートが?!

いくら車道として使えないからって、舟の置き場にしてしまおうというのは、あまりにも冒涜……でもないか。

この道の現状に対する地元認識の現実を受け入れつつ、本当に今度こそ最後のカーブを回ると……



13:49 《現在地》

ボートの舳先と一緒に現道へ到達!

生石海岸の旧道 約4.5km を、おおよそ6時間10分で踏破した。

このままボートで現道に漕ぎ出したくなるような絶妙なる配置に草wwwである。



兵庫県道76号洲本灘賀集線の現道より見る旧道西口。
反対の東口は超分かりやすい【分岐】だったが、こちらは反対に超分かりづらい。
ここを現道側から見ると、中津川集落を出て最初のヘアピンカーブ(九十九折りの始まり)の先端という、おおよそ分岐がありそうにない立地であるうえ、旧道は我が物顔で占拠するボートのお陰でマジで“道らしからぬもの”にカモフラージュされており、これが故意なら相当高度だぞこのカモは!



これまた別日の撮影だが、上記“分岐に見えない分岐”から現道を100mばかり戻る方向へ進むと、こんな風景が現れる。
それは、多くの人が淡路島に持っていると思う穏和な地形をした島の印象を一発で覆すような、もの凄い九十九折りである。
道そのものは見えないが、山腹を行き来する電信柱の列が、それを暗示しているのである。(あの塩那道路の中塩原側の登りをちょっと思い出す眺め)



旧道と現道の対比は、このような立体地図だと一層分かり易い。

ここから旧道の東口まで、現道を経由すると、6.5kmの距離と150mのアップダウンが待っている。
だが旧道なら、4.5kmと50m足らずのアップダウンで済んだ。
線形だけなら明らかに退化してしまったこの現道が、中央構造線との対峙という命題に我々が得た2024年現在の解答なのである。



13:50

想定より3時間も多く時間を費やしていたが、現道へ到達した私は、そのまま歩いて中津川バス停を目指した。
バス停は旧道の出口からほんの100m先の現道上であった。
このとき、日差しのある中で突発的に大粒の雨がボタボタと落ちてきた。1分も経たず収まったが、誰の助けにもならないこんなしょうもない挑戦に相応しい天より祝砲と感じた。実は探索の終わりにはこういうことがとても良くある。前から不思議だと思っている。

また、路肩下の斜面(矢印の位置)に、たまたま1本の標石を見つけた。
傾いた標石には「陸軍」とだけ刻まれており、おそらく戦前の由良要塞に関わる要塞地帯(法的に様々な制限がある地域)の外縁が、旧道時代よりこの沿道に設定されていたのだろう。
現代の姿を纏ったこの県道が、先ほどまでの旧道と一続きの存在だったことを物語っている。



13:51 《現在地》

見えてきた、中津川バス停
ちょうどヘアピンカーブになっているので、ここに立つ県道標識は、上下線それぞれを対象とした2枚の標識板(少し角度が違う)が1本の標識柱に同居しているという面白い特徴がある。
今朝まだ薄暗い時間に、ここで始発のコミュバスに乗り込んだ。傍の空地にはエクストレイルを停めてある。このあとで車に乗って自転車を回収しに行くが、レポートは省略。

なお、この中津川は平家落人の村として民俗学上に著名である。
昭和22(1947)年の広域合併で洲本市の一部となるまでは、隣り合う他の2つの海岸集落とともに上灘村を構成し、同村はその交通不便によって淡路島随一の秘境であったという。
いま歩いてきた旧道こそが、そんな村と世界を結ぶ主要な道であったが、その維持がいかに大変であったかについては、私は人よりも深い実感を持っている。

机上調査で、今はなき旧道が生きた歴史と向き合ってみたい。






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