都道201号 十里木御嶽停車場線 第1回

公開日 2008. 6.12
探索日 2008. 1. 3

【位置】

一般都道201号十里木御嶽停車場線(じゅうりぎみたけていしゃばせん)は、あきる野市十里木から養沢(ようざわ)へ入り、日の出山山頂付近、御岳山山頂付近を経て青梅市滝本へ下り、さらにJR御嶽駅前に達する全長15kmあまりの都道である。

この道には都道としては珍しい自動車交通不能区間が約3kmという長距離(あきる野市養沢〜青梅市御岳山)にわたって存在するばかりでなく、一部で2路線の都道が交通不能区間のまま重複するという、日本唯一の区間がある。(これは県道でも珍しい)

正直、3kmという交通不能区間をチャリで踏破する事への不安は小さくなかったが、都内ということでそれなりに踏まれているだろうと考えてチャレンジしてみることにした。

またこの道には、私にとって前述の交通不能都道同士の重複区間ということ以上に興味深い“エリア”があった。



それはあきる野側(図中右下)から行って自動車交通不能区間の“空ける”辺りが、「御嶽宿坊街」と呼ばれる一種の信仰集落を形成している事であった。

ここには普通に人も暮らしており、青梅市側とは車道で結ばれているのだ。
しかし、この青梅市滝本への下りは御岳登山鉄道というケーブルカーが並行するほどの急勾配区間であり、地図で見てももの凄い九十九折りになっている。
私が最も興味を惹かれたのは、宿坊街を貫く都道の現状と、そこから青梅市側の下りの風景であった。

だが、この下りの部分をチャリで探索するためには小心者の私にとって問題があった。
宿坊街から青梅市側の下りは「指定車以外通行禁止区間」ということで、基本的に住民以外の車は入れないというのだ。
チャリがその対象なのかどうかは分からないが、対象でないとしてもそのことが通行人全員に知られているかは分からない。
ようは、このきっと凄まじかろう上り坂を登っている最中に「引き返せー」と言われることを恐れた。

 え? 考え方がせこい??

まあね。
とにかく、交通不能区間をチャリで突破し、指定車以外通行禁止と言われている区間は下りで駆け抜けてしまおうと考えた。
成功すれば都道201号の完全走破というオマケもついてきて一石二鳥であろう。


出発地は、あきる野市十里木交差点(都道の起点)。




のどかな山村の都道… 

…で繰り広げられる、過酷な集客合戦!


2008/1/3 13:20 

都道201号の起点十里木交差点である。
Y字交差点の手前から左に都道33号あきる野上野原線が通り、右折して201号が始まる。
手前には青看も設置されているが、都道の記号はなく、行き先に「養沢」とあるだけだ。
正直、不通県道マニアとしては当たり障りが無さ過ぎて物足りない交差点風景。


青看よりも積極的に右折をアピールしているのが、この看板だった。
都道201号が遡っていく養沢川流域には、上流にいくつかの石灰鍾乳洞が知られている。
三ツ合もそのうちの一つだ。




起点から最後の集落である上養沢地区までは約6kmある。

入ってすぐに道路情報表示板にも特に変わった表示はなく、そもそも交通不能区間の存在が利用者に認識されていない感じを受けた。
寂しい。




都道は、水量のわりに川幅の大きな養沢川の右に左に移ろいながら次第に高度をあげていく。
沿道にときおり現れる集落には、寺岡、軍道、本領、怒田畑など、古くから人の住んでいそうな、味わい深い地名がついていた。
いかにも落ち着いた風情のある道だが、唯一ここが都内だと感じられるのは、観光客目当てのしつこい看板たちだった。



三ツ合鍾乳洞に続いて、今度は大岳鍾乳洞である。

「洞内電灯完備一周コース(団体歓迎)無料駐車場
軽飲食・売店・洞内に渓流走り近くに大小の滝あり」

どうも鍾乳石特有の神秘的な輝きのようなものは予感されない。
むしろ、テラテラと嫌らしい光を放つ金の仏像のような…。




こうなっては負けてられないとばかり、再び現れた三ツ合鍾乳洞の看板。

新発見をことさら強調する辺り、新しい物好きの都民を餌に一儲けといったところか。
もっとも、この新発見の“新”は、通行止め看板の“当分の間”と同じくらい「長そう」だ。




沿道に観光地といえば鍾乳洞やマス釣り場があるくらいで、主に地元の人たちの生活道路となっている本都道だが、巨大な電光掲示板が設置されている辺りはやはり都内だという気がする。

この電光掲示板だが、この道にあって「落石注意」の他に考えられる表示パターンとしては、連続雨量140mmを越えたときの「通行止め」くらいか。
なんか、あまり無駄遣いじゃないか?



人の懐の心配をする下世話な私だが、いよいよ鍾乳洞同士の客引き合戦は正念場を迎えた。
この橋の先のT字路で、いよいよ三ツ合鍾乳洞が左、都道と大岳鍾乳洞は右と、道が別れるのだ!
さてさて、どんな様子か。




うわ…

三ツ合 強えー!

これは、勝負あったか…?



三ツ合新発見!

三ツ合お車でも3分!

三ツ合強えー!!




三ツ合… ちょっとしつこいぞ。

つうか、都民も少し歩け!




とりあえず、分岐を右折して、ようやく大岳鍾乳洞の一人舞台になったかと思いきや、

三ツ合が被せてきた…。


両方見せたらええんちゃうん?

もちっと仲良くせーよ…。(余計なお世話)




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 次第に先細って行く都道


13:55 《現在地》

起点から6km、バス通りとは思えないほどに道が狭くなった。
そう思っていたら、すぐ先に上養沢バス停の転回場が現れた。
この先にももう少し上養沢の集落は続くが、いよいよ山深さを実感する。




転回場にあった看板。
「秋川渓谷観光 西東京バス路線」とある。
京王グループである西東京バスらしく、京王線の起点・新宿を起点として、多摩から山梨県東部に至る広大なサービスエリアを相当にデフォルメして描いてある。
(よく見ると、これから越えようとしている不通区間も描かれている)

おそらく昭和40〜50年代に書かれたものだと思うが、こういうのは大好きな人がいそうなので(マニア同士の嗅覚です…笑)、クリックで拡大するようにしてある。




バスの終点と言うことで、ここからはハイカーたちもよく歩く道なのだろう。
さっそく「関東ふれあいの道」の看板が現れた。
“杉の木陰の道”というどこにもありそうなコース名を付けられたこの歩道と、私が辿ろうとしている都道とは、ほぼ一致している。



緑のルートが「ふれあいの道」。
ポップアップで表示される黄色いラインが都道で、かつ「ふれあいの道」から離れている部分だ。
現在地はまだこの写真の範囲の下である。

細かいことにこだわるようだが、あくまでも私は都道を辿りに来たのだから、間違って“ふれあってしまわないように”注意だ。




普通に1車線になってしまったが…

都道だと思うから不自然なのであって、この風景と通行量には相応しいのだ。

そうだ! 俺は都道という言葉に何かコンプレックスを抱いているのかも知れない(笑)。
これが秋田県道だったら、いたって普通、ノーマルもいいとこだ。




川の向こうに、なにやら「ネタになりそうな」看板が。

  なになに…


途中まで何も面白くないが… ブハッ

東京都 って、マジデスカ。本当にこれが都の建てた看板?
のどかですねー。平和ですねー。




ますます弱体化していく道。

チャリだからいいけど、車だと気を遣いそう。





狭いところをひとしきり抜けると、思い出したように数軒の民家が現れた。
その塀に発見した明らかに年代物の看板。
今回最大の発見かも知れない。

下の方に「五王バス」とあるでしょ。
これが昭和38年に京王系の傘下に入って、現在の西東京バスへ繋がっていくワケですよ。
つまりこの看板は昭和38年よりも古いもの。
しかも、当時はこの辺りまでバスが入っていた可能性も高いのだ。

なお、左右の文字はこう書いてある。
「道路では絶対に遊ばぬように!」
「道路に飛び出さないように!」




時が止まったような一角。
架かっている橋もなんか変だった。

こんな遠近感を演出しすぎる橋。
実際には向こう側が凄く狭くなっています。
銘板を見ると、昭和43年に拡巾したとあるわけで、「もうこの先の道を広げる意志はないよ」とはっきり公言したも同然の橋である。




 狭くなったと思ったら、




突然広くなったり。



  …末期です。




ペットボトルを捧げられたスリムな野仏。

基本的に沿道の古碑全てをチェックしているわけではないが、「道」の文字があるものだけは見逃さない。

弘化4年(1847)銘の「御嶽山道供養塔」である。
牛や馬、人ではなく、「道」供養塔というのは奇異な印象を受けるかも知れないが、石橋供養塔などと同じで、道づくり(道普請)という公共への奉仕をもって神仏への帰依を願ったものだろう。
この道が本当に名ばかりの県道なのではなく、御嶽神社との結びつきが江戸時代から十分に深かったという証拠の碑である。

この道を辿る意義が一つ増えたようで、嬉しかった。
背負う歴史が、想いが多いほど、私にとっての道は面白くなる。
鍾乳洞の客引き対決で粘ついた感性が、五王バスとこの石碑でサラサラになった。




14:06 《現在地》

バス停から1km。
「関東ふれあいの道」が都道から一足先に“入山”していく。
思った以上に沢山の車が停まっていた。
そういえば今日は正月3日だった。みんな信心深いのだ(たぶん…)。
たいていのガイドブックにもこの「ふれあいの道」が、御嶽山、御嶽神社、日の出山方面へのメーンルートとして描かれている。
都道は描かれていたり無かったり様々だが、とにかく私は都道を行く。

行くのだ!

都道最狂エリア、御嶽宿坊街を見るために!!