2008/1/3 15:51
現在の地形図に見る御嶽宿坊街。(←)
宿坊街が展開する東向き斜面(→)。
地形図を見ると、標高929mの御岳山山頂にある御嶽神社の東側、海抜800〜850mのやや緩斜面となった山腹に多数の家が密集している。
中世以来「関東鎮護」として栄えた武蔵御嶽神社。その参詣者を相手にする多くの宿坊が集まって宿坊街を形成しているものだ。
現在も26の伝統ある宿坊が営業している。
最も近い他集落とは4km近い距離があるが、何より500m近い高低差が圧倒的な隔たりとして存在しているわけで、おそらく都内で最も高所にある集落なのだろう。
孤高の一大門前村落であり、独自の文化とは言い過ぎかも知れないが、少なくとも麓の首都東京とは異なる生活を営んでいる。(ちなみにこの一帯の住居表示(住所)は「青梅市御岳山」という独自のものである。)
これから、この御嶽宿坊街と麓を結ぶ交通について見ていく事になる。
集落内に自動車があることからも分かるとおり、下界まで車道は続いているのだが、これが本当に凄まじい都道だった。
やっべ!
楽しくなってきた(笑)
車道なのに手すりが必要って…、どんだけー。
そして、そこに収められている銀色の軽。
なんか、あの…
インディージョーンズに出てくる、狭い洞窟で転がってくる大岩を連想させて怖いんですけど…。
私が急に楽しくなってきたワケは、車道が復活したからというだけでなく(私は道の中でも得に「車道」が大好き)、そこに“都道の証”が現れたからだ。
標識の柱に貼られた、イチョウのマーク(都のロゴだ)のステッカー。
そこに書かれた小さな文字。 管理番号201
これは都道に見られる道路付属物の標章であり、「管理番号」にはその都道の路線番号と同じものがあてられている。
実際に都内で都道探しをするとき最も役に立つのが、この標章である。
しかしここに来てもの凄い上り坂が始まったのである。
わざわざ路傍に手すりが取り付けられていることからも、その厳しさが分かると思う。
チャリで登ろうとすれば自ずと無理が生じ、私のすり減ったチェーンはときおり空転した。
しかし、ここまでストレートに厳しさを演出してくる都道に対し、素直に押して進むのも癪に障ると、大粒の汗が噴き出すのも躊躇わないで頑張った。
とにかく狭くて急勾配。
この雰囲気は、かの有名な「暗峠」(大阪府〜奈良県)に酷似する。
しかし、より一層路傍の家屋に対する近接度、癒着度のようなものは高い。
とにかく土地というものの貴重さが、ありありと感じられるのである。頭上に張り出したテラスのようなところにまで私道が通っている。
高い石垣はほとんど垂直だ。都市計画とか建設基準法とか、そんな近年の法律では計れそうもない、凄まじい状況。
さすがは国道よりも格下の道、都道である。 ん? なんか納得するところが変だ。
道の両側に、幾つもの宿坊が注連縄で清められた門を開いている。
その多くが戦前からあったと思われる木造の豪壮な建物である。
道がとにかく苦しいだけに、開放された門や、その奥に見える見るからに平坦な庭へ、思わず入り込みたくなる。
これは下手な客引き、宣伝をしなくても、地形が自然と「おいでおいで」をしてくれる立地といえる。
時間も夕暮れ時だし、一般に宿坊の宿泊費は安いと言うから、私も真剣に足を止めるか迷ったが、優柔不断の悪い癖で決めかねているうちに、もう思考が回らないほどに頭が酸欠になってきた。
この勾配であるからすぐに終わると勝手な期待をしていたが、甘くなかった。
それはますます角度を増して、天にも昇る、昇天の勢いを持って私を神の御前に引っ張り上げていった。
「もういいよ!」
最終的には下山するんだから、右の方に山腹を迂回して進めないのか。
わざわざ山頂近くまで引き上げてくれなくても良いじゃないか!
そんな軟弱な願いは全く無視された。
途中、何本かの道が分かれていったが、そのどれも宿坊の看板が掲げられた私道であった。
写真はそのような分岐の一つを振り返って撮影。
右が都道である。ここを前に見た軽自動車は往復していたことになる。
普通車だったらまず不可能だ。
酸欠になったときの挙動は金魚鉢の金魚も、池の鯉も、私も一緒であった。
口をお空に向けて、ぱくぱく…。
この日の廃道(これは廃道じゃないが)行脚もこれで3件目。
足が、いーぃかんじに死んできていた。
私は太ももの筋肉が痙攣する状態を「ピルプル星人」と呼んでいるが、いまもまたその状態に陥っている。
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15:55 【現在地】
苦しい登りも時間にすればほんの5分間の出来事であった。しかし、心臓破りの坂だった。
私は、巨大な彫刻のような杉の老木が見守る広場へ辿りついた。
ここで道は三方に分かれる。
そのうち二方は都道であり、一方は御嶽神社への参道となる。
神社はさらに70mほど高い山頂にあるが、もうこれ以上登るのは嫌だ。
時間も時間だし、このまま都道のトレースを優先させよう。
まだ麓の滝本までは3.3kmもあるのだ。
この間は全て、一般車の入れない限定区間となっている。
これまでも宿坊街の中を通ってきたが、これで終わりではない。
むしろ、この先が中心部となっている。
これから、御岳宿坊街の中を進む、迷宮さながらの都道をご案内する。
地図にも現れない細々とした分岐が多い中で、一番信頼できるナビ役となったのは、街灯に取り付けられた「道路付属物の標章」であった。
まずは上(左)の写真のところ。
ここは、右に進む。
右を向くとこんな急坂で顔をしかめたくなるが、この10mほどの坂を登りきったところが、都道201号および184号の共通する最高所(海抜850m)となっている。
ようやくここで、起点からずっと続いてきた上り基調の道は、大きな転換点を迎える。
なお、切り返して左上に上る道もあるが、これは都道ではないので注意。
何事も行きすぎは良くない。
この交差点に建つ看板。
私が登ってきた方向は、取って付けたようなお手製の看板が案内している。
「 ← 日の出山 五日市方面 左下え 」
「左下」っていう案内が面白い。
普通の平面上であれば、右や左で足りるのに、この起伏に富んだ場所ならではの案内だと思う。
あんまり日常で道案内するときに「左下」とか言わないよね。
「青梅市御岳山」の住居表示を塀に見ながら、この狭い都道を行く。
勾配が下りに転じたことが分かるだろう。
しかし、まだまだ一筋縄ではいかない。
普段ならば敢えて人が住もうとしないような急斜面にも、それこそ崖にへばり付くようにして多くの宿坊、あるいは一般の家屋が建ち並んでいる。
ここは山頂に近い東向きの斜面である。
都道沿いにはこれと言って「展望台」のようなものは用意されていないが、道自体が展望台同然であった。
資料によれば、空気が澄んでいるときならば新宿の高層ビル群まで一望されるという。確かに50kmほどの距離だから、この高さからなら見えるのだろう。
また、宿泊者にとっての楽しみが、数千万人が光を灯す夜景であるという。
都道は夜間通行止めというわけでもないが、観光客が通常利用するケーブルカーは夜動いていないので、ほとんど宿泊者たちの独占する眺めになるわけだ。
私もここであと数時間粘っていれば、それを見ることが出来たのだが、都道のレポの方が大切だ(笑)。
お土産物屋が現れた。
「玉こん三兄弟」とはなつかしい。
多摩だけに、「多摩こん」とかね。 (筆者はまだ酸欠のようです)
お土産物屋の先の交差点から、急にもの凄い人通りとなって驚く。
写真はその人が湧き出してくる交差点を振り返って撮影。
都道は左の道で、ここまではほとんど人がいなかったのに、右の上り坂の先には何があったのだろう?
さておき、今日は一月三日という、神社にとっては一年でも一番忙しい日の一つ。
夕暮れ時とはいえこの人だから、日中はどんな状況だったのか。
この狭い都道をとても自転車では走れない状況だったかも知れない。
そう言えば、この宿坊街では未だ自転車を見ていない。
確かに自転車との親和性は非常に低い立地であるが。
なんか、優越感?
雰囲気のあるところへ来た。
御岳山には南北に並ぶ二つのピークがあるのだが、この下りはその二つのピークの間の鞍部への下りである。
向こうに見えるのがもう一つのピークだ。
宿坊街は、この鞍部を中心部として南北斜面に広がっている。
さて、都道の状況であるが、遂に階段まで併設されるようになった。
先ほど私が登ってきた道に較べれば大した勾配ではないと思えるが、それでも一般道としては厳しい、おそらく15度近い傾斜である。
宿泊者を除く定住者がおそらく100人以上は居ると思われる御岳宿坊街だから、小さな出張診療所もある。
(しかし一般の商品を扱うような商店は見られない。学校もない)
ここにも注連縄があるのは、医療施設らしくなくていい。
もっとも、案内板に有るとおり、ここで診療が受けられるのは、一週間の間でもわずかに100分間だけである。
緊急を要する患者のために、この界隈にはヘリポートも有るという。
この時間、観光客の流れはほとんど全て下山方向に揃っていた。
私も同じ方向に進んでいたので、通りやすかった。
たぶん人通りが多いときだったら、この道をチャリで通るのはひんしゅくだったと思う。
そのくらい狭い。
地元の車は当然(どのくらいの頻度なのかは分からないが)ここを行き来しているわけで、観光客が多いときは大変だろうと想像する。
あと、選挙ポスター。
空気読めと思ったが、定住者がいるのだから貼ってあっても不思議はないのだった。
鞍部まで下ってきた。
よって、ここから再び上り坂となる。
この景色だけを見ると、どこかその辺の郊外の住宅地と変わりが無いようだが、視界をもっと右にやるとそこに関東平野が一望されるわけで、圧巻だ。
そして、この鞍部には「全国で二つしかない不通都道同士の交差点」のもう一つが待っていた。
(この辺りは一応軽自動車も通るが、4トン以上の普通貨物自動車が通れない状況であり、それゆえ「自動車交通不能区間」となっている。)
16:01 【現在地】
いいねー。
何百年と形の変わって無さそうな交差点だ。
舗装された以外は。
これぞ、味わい交差点。
ここに都心部と同じ巨大な青看を設置したら楽しそうだが、知る人ぞ知るという現状も悪くない。
本地が一般都道184号「奥多摩あきる野線」と、同201号「十里木御岳停車場線」の交差点である。
左折(道標によると「氷川道」あるいは「鳩の巣路」)の都道184号は、その最初から車を拒絶する狭さであった。
奥多摩町の中心部氷川までは約7kmの長途であり、しかもそのうち6km近くは徒歩道として描かれている。
今回都道201号は制覇したら、いずれはこちらも挑戦したい。
左写真は角に立つ道標石。
新旧二石が並んでいるが、古い方は読み取れないほど風化していた。
宿坊街の都道もそろそろ後半戦。
普段、ハンドルを握る諸兄。
前回最後の私の煽り文句を憶えているだろうか。
この先こそが、都道201号の最難関区間(対自動車)だ。
まずは、この道では珍しい待避所。
ここで一息ついてから、始まる。 難所!
※狭い道が大好きな同朋・ミリンダ細田氏にこの道を捧げる。
曲がれるか!
あなたの車は、ここを曲がれますか?
さっそく運転技術云々ではなく、車のサイズや性能に依存した道になっている感はあるが(笑)、いきなりこれである。
ちなみに、この青年が特に大きいのではなく、道が狭いのであるから、念のため。
10mを置かず、すぐにまた右カーブ。
パイプ型の連続コーナーとなっている。
このカーブはまあ、曲がれるだろう。
さっきのカーブに較べれば、いくらか楽だと思われる。
繰り返すが、人が大きいのではな(略)
道はふたたび上り坂になっている。
青年は一足早くカーブの向こうに消えていった。
上り坂は長くは続かず、またすぐに下りに転じる。
そして、この下り坂。
下山完了までひとときも休むことがなかった!
嘘ついてゴメン。
はやとちった。
また少し登ります…。
この辺りも、人が三人並んだらいっぱいになるくらい狭い。
私は、チャリの機動力を悠々と発揮し、歩行者たちの傍らを通り抜けていった。
ただし、頻繁に撮影のために止まるので、抜きつ抜かれつ、ミニスカートの少女には怪訝な目で見られることもあった。(涙)
そして、家並みが途切れる。
現れたのは、一見したところ、待避所。
でも、その正体は…。
角度が付きすぎて、その先の下り坂が見えていないだけだった。
この交差点は、右が下山する都道201号。
左も同路線の支線扱いで、500mほど先のケーブルカーの駅に続いている。
見ていると、ほとんどの観光客がケーブルカー駅へ向かっていった。
時間がないので、支線は諦めてこのまま右へ下ることにする。
え?
散々煽ったのに、もう終わりかって??
こ れ か ら だ。
狭い道路の運転には慣れている。
そんなベテランドライバーでも、
愛車に謝罪するような都道。
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