和歌山県道213号 白浜久木線 第6回

公開日 2017.01.27
探索日 2016.01.09
所在地 和歌山県白浜町

ドン谷の熱戦。


2016/1/9 9:53 《現在地》

ここまで県道起点から9.3kmを前進し、終点まで残り1.2kmとなった。
終点はこの探索のゴールでもあるから、いよいよ終盤ということだ。

そしてこの残りの区間は、立地条件の違いから前半と後半に分けられそうだ。
前半はドン谷の狭い渓谷に沿った道であり、後半は日置川という大きな河川に沿った道である。
右写真は、ドン谷出合の現在地から、これから進む下流方向を撮影したものだが、谷底と道の間には結構な高低差があり、地形もなお急峻である。

また地形図を見ても、前半後半とも道を取り囲む等高線は密である。したがって、何か一つの大きな障害で自転車同伴での完抜という、ここまで来たからにはどうにかして達成したい――むしろ達成しなければならない――目標が、果たせなくなるリスクは小さくないとの認識だった。

ゴールは近くとも、楽観はまだ出来ない。
実際にゴールへ辿り着く前に楽観出来るとしたら、終点側より立ち入った何者かと出会った時であろうと思う。
当分は、それを期待しながら進む事にしよう。



ドン谷分岐を過ぎてすぐに、私はこれまでの区間との道の変化に気付いた。

明らかに、道幅が広くなっていた。

実測をしたわけではないが、従来はどう見ても2m程度(おそらくは1間=1.8mを基準とした道幅)でしかなかったものが、今では3mないしそれを越える広さ(1.5間〜2間ほど)になっていた。
ドン谷沿いの道と庄川越の道が一つになった事で、道の規格が一段高いものになった可能性が高い。(或いは、今回探索しなかったドン谷沿いの道が、もともと庄川越の道より規格の高いものであったという可能性も残る。)

それに、高規格化したのは道幅だけではないかもしれない。
路肩の要所要所に見られる石垣の中にも、今まで以上の規模と、本格的な構造を持つものが現れ始めたのだ。




例えばこのカーブした石垣は、中央部分に大きな水抜きのための穴が空けられている。
正確には穴というか、小さな枝谷を渡るための暗渠になっている。

現代の道路では全く珍しくないこうした疎水構造も、自然石の空積みだけでは実現が不可能だ。
この石垣では、穴の周りにだけコンクリートが用いられていた。
これまでは見られなかった新素材である。



こうして一段階立派になった道だが、依然として私の好みの正中線を突く“廃道的状況”が続いている。

軽トラくらいは走れる道幅があるのだが、古いものも含めて自動車の轍は見あたらない。
しかし自転車の走行を妨げるような大きな大きな障害物も無いので、私は自転車という乗り物を存分に利用して、近代車道の価値に報いる気分を独り占めにすることが出来た。
これは本当に快感なことであり、しかもなかなかに得難い体験であることを私は理解している。

こうした古い車道での自転車同伴での走破体験は少なくないが、大抵、自転車は途中で足手まといの大荷物と化し、最終的には単なる自己満足の道具か、次の探索のために死守するだけの道具になってしまっているケースが多い。こうして探索の大半を通じて真に自転車が役立ったと評価できるケースは、レアである。

険しさを増していく周辺の地形に根源的な怖れを感じつつも、次のカーブを曲がることが楽しみで仕方がなかった。
次はどんな景色が待っているのだろうかという期待感に私は酔いしれていた。




更に進むと、またしても大掛かりな石垣の構造物が現れた。

先ほどと同じように水を通す暗渠の穴が空いているが、穴の位置がより高く、そして大きい。
さらに、穴を蓋するように渡されたコンクリートの板が、路面を兼ねていた。
したがってこれは、暗渠であると同時に、橋とも呼べる構造物である。




この写真は、暗渠上の路面を撮影したものだ。
コンクリート(おそらく鉄筋入り)製の板が路面に露出しており、短い橋のようになっている。
こうしたものは、排水溝(側溝)とそれを塞ぐ蓋という形のように、現代の道路でも多数用いられている構造であるが、まるで遺跡然と苔に生した近代車道で見るのは、逆に新鮮である。

なお、これはまだ統計と呼べるほどの経験を持っていない個人的見解であるが、紀伊半島の近代車道では、このように石垣の一部にコンクリート製の暗渠を取り入れた構造を良く見る。
他の地方では石垣にヒューム管(或いは陶管)を通して処理しそうなケースでも、より大掛かりなコンクリート製の暗渠が用いられている印象がある。
これは、全国屈指の多雨地域である紀伊半島における、道路構造の地方色といえるものなのかもしれない。


なんてことを思いながら、進んでいくと……




のわーっ!

林鉄跡みたいなナイフエッジの崖道!

さすがにこんな景色があることは、予想不可能であった。
のんびりした里山的な不通県道探索のつもりであったが、これは燃える! たまらねぇッ!!

それなりに地形が険しいことは、地形図からある程度想定はしていた。
しかし、明らかに想定以上だったのは、ここにきて道と谷底の比高の大きいことだ。
ドン谷出合以降は、小さな比高を維持するものと考えていたのだが、
実際はそうならず、今では20m以上も高低差が出来てしまっている。

そのお陰で、道路景観は素晴らしいが、言うまでもなく、探索上のリスクはとても高まっている。
いつ、克服不可能な場面が現れても不思議ではない。 タノムヨー…。



しかも、道幅ギリッギリ“へつり”を、
もの凄い急坂で下ってた!

和歌山県道213号線……こいつは…、とんでもなく……
油断ならねぇ!

なお、先ほどは「林鉄みたい」と言ったが、こんな滑り落ちそうな急勾配は、やはり林鉄跡などではあり得ねぇ!! ついでに、クルマでも走りたくねぇ!!!

よくぞこんな苔しか生えないような岩場に道を通したものだ。
道の上も下も、完璧に垂直な崖である。
上の崖は明らかに自然の岩盤に見えるから、下の崖が人工的な石垣なのだろうか。こんなに高く。

そこを確認したいと思ったが、路肩から身を乗り出さなければ垣間見る事すら出来ない状況だ。
この写真を撮るのだって、岩場に路肩から張り出した木に半身を預けるという決死行だった。申し訳ないが、詳細は確認し得ない!

道の作りがどうであれ、現実としてかくも長命な道をここに作らしめた設計者の慧眼や、実際に工事にあたった人々の胆力、そして技術力、その全てに驚かされる。




やめてよ〜。 やめてよ〜〜。

怖いよ−。 ここまできて、進めない状況は勘弁してよ−。

自転車あるんだからなー。 マジで優しくしてよー。




巨大な切り通し…


通行人の登場だ〜!!


なんというタイミングの良さだろう。

私が前方50mほどの位置に見えだした切り通しの威容に目を奪われていると、
ちょうど切り通しの向こうに人影が現れて、そのまま近付いてきたのである。
今回の探索で人に出会ったのは、(最後の集落以降)初めてのことだった。

現れた人物の出で立ちは明らかに猟師であることを物語っていた。背中に大きな猟銃を負っている。
しかし私にとって真に重要なことは、年配の彼が、「終点側から来たのかどうか」である。
もしそうであれば、私の探索の成功は、ほぼ約束されることになる。

私は胸をときめかせながら、クマ鈴を一鳴させると、猟師のいる切り通しへ進んだ。



私が予期せぬ人との遭遇を驚いたように、自転車に乗って走ってくる私の姿を見て、猟師もびっくりしていた。
しかし、私がすかさず挨拶&情報収集を試みると、彼がとてもひょうきんな人柄であることがすぐに分かった。
自転車で峠を越えてきたことを伝えると、さらに驚いてくれたうえに、明らかに喜んだ声になっていた。オブローダー冥利に尽きると思った。しかし、次に発せられた「どこへ行くのだ」といういつもの問いに対して、私が「久木です」としか応えられなかったのは、少し後ろめたかった。せっかく峠を越えたのに、その目的地が近すぎるというのは、私の峠道の利用方法が峠越え自体を目的とした趣味的なものである事実を、見透かされる気がしたのだ。

こんな最初の問答だけでもだいたい分かったが、さらに確証を得るべく問を重ねた。
すると、猟師はこれから一人でナントカ(聞き取れず)を撃ちに行くのだという。私がだいぶ前に通りすぎてきた【橋跡】から「山へ入る」とのこと。(いや、ここが既に山に入っているだろうというツッコミは無粋だろう。笑)

これではっきりした。
猟師は、久木側から入山 してきたのである。

これには内心とてもとてもホッとした。
そして、私は他にも色々な質問をしたが、その中で印象的だったのは、猟師もこの道が県道であることをご存知だったことだ。
さらに、こうも言っていた。

「最近、この県道を開通させるために、測量の人が入っている。」

……なるほど合点である。

ここまで来る途中で目にした妙に大量のピンクテープや【工事杭】は、現在も工事関係者が出入りしていた証拠であったようだ。


10:03 《現在地》

ただ、猟師はこんなことも言っていた。

工事をするという話しは、随分前から何度も出ているが、未だに完成していないのだ。だから、今度も「ぜにが足りない」(から完成しない)のではないか、
――と。

これは“関係者”にとって耳の痛い見解であるかもしれないが、しかし彼の口ぶりからは、新しい道路が開通して便利になる事への期待や、応援しているということが感じられた。
彼はきっと、新しい道が出来たら、今よりも楽に猟場に入れると考えているのだろうし、それは今よりも愉快な生活だと考えているのだろう。
道が好きな私は、道が待望されていることが肌で感じられて嬉しかった。(私個人として今のままの道が好きではあるが、しかし変わらないままではいずれ忘れられる。)


私は、私の来た道へ遠ざかっていく猟師の姿を見送った。
なお、この隧道があっても不思議ではないくらい巨大な切り通しは、ドン谷分岐から500mの地点にあり、ドン谷の大きな蛇行をショートカットする目的で通じている。
蛇行の原因となっている尾根は、まさに屏風の如き岩尾根である。
地形図だと、この蛇行区間に滝の記号が描かれているが、道からは見えなかった。しかし、滝のあるらしい音は聞こえる。
切り通しの前後区間は、道もかなりの急勾配で下り続けており、それは写真からも伝わると思う。



沸々と湧き上がる、安堵感。
あとは、猟師が歩いてきたこの道を辿れば、私はゴールへ辿り着ける。

相変わらず地形は険しく、道との間に険悪さを漂わせてはいるけれど、そこにも雪解けの気配が感じられるなどと言ったら、さすがに主観的すぎるだろうか。

だが、地図の上でも確かに変化の場面は近付いている。
ドン谷からの解放を意味する、日置川本流との出合は、もう間近。
おそらく次のカーブか、或いはその次のカーブを曲がったくらいで、新しい場面が見えてくるはず。
カーブの向こうから、明るい日射しが差し込んでいるのを感じるじゃないか。





――そして、その通りになった。

カーブを曲がった先に待ち受けていたのは、この地にはあるはずのないを連想させる、青と白の大らかな水面だった。

紀伊半島における有数の大河として(熊野太郎、古座次郎とともに)日置三郎と呼ばれ、愛されてきたそれは、偏屈で気むずかしい渓谷の終わりを約束していた。
大河には、寄り添う人の暮らし(集落)や道が必ずある。
ここまで来れば、もう、安心してもいいはずだ。

解放への、ウィニングランと行こうじゃないか!




って、凄い石垣だっ!!




ドン谷の出口、日置川出合に待ち受けていた……


10:14 《現在地》

猟師と行き違った巨大切り通しから200m進み、前方に日置川の水面が見えてきたところで、路肩にはこれまでで最大の石垣が現れた!
既に県道終点までは残り500m。探索の成功はほぼ確約されたと思える場面での、ご褒美のような収穫である。

この石垣のこれまでにはない特徴は、二段式の構造にある。
路面を頂点とする石垣全体の高さは10mほどであるが、谷底から3mくらいの位置に、幅50cmくらいの平段がある。
それは堤防などに見られる犬走りのようでもあるが、良く見ると、小さな開渠になっている。水は流れていないが、水路の作りである。
つまりこの巨大な石垣は、下段を水路、上段を道路として一体的に整備されたものらしい。素性は分からないが、相当珍しい構造物だ。

しかしなによりも、土木構造物としての単純な壮大さや、時を刻んだ美しさ、そして誰も知らないのではないかと思えるような密やかな立地といった環境全体に、私は興奮していた。




ナニコレー?!!

上下二段となった道路と水路が、別々の切り通しで小さな岩尾根を貫通していた。

文章にすればそれだけのことなのだが、ナニコレー?!! といわざるを得ない!

おかしいのは、お前だよ、お前!! 水路だよ!!!
こんなに狭くて鋭い切り通し、見たことねーぞwwww



改めて全体のフォルムを見直してみても、やっぱりおかしいだろ、これは。

道路と水路の切り通しに挟まれた部分なんて、薄っぺらな岩の塔になっちまってるじゃねーか!

確かにこれが最少の工事量で道路と水路を通す手だったのかもしれないが、

それでもこのとんがり方は印象に残り過ぎる! 誰も看過できない風景だろ? それとも私がおかしいのか?



基本的に水路は探索の対象外だが、土木構造物マニアとしてこんな奇妙な切り通しをスルーすることも出来ず、わざわざ寄り道して通ってみた。

水が流れていないので通るのは容易い。足元にコンクリートのU字溝が埋め込まれているが、最近のものには見えなかった。
道が盛んに利用されていた時代からあったものだと思われるので、この眺めも大勢の旅人の記憶に、少しならず刻まれたのではなかろうか。
水路自体も謂われがあるのかもしれないが、残念ながらなにも分からない。

だから説明も難しい。「狭い切り通しの水路だなぁ」というだけで、だからなんだという話しは続かない。ただ面白いと思った。

強いて言えば、この切り通しは、もともとあった岩の亀裂を上手く利用したものだと思う。
露出した岩の表面が天然の節理に沿っている感じがする。人が削った部分は、案外に僅かではないかと思う。




ところで、
私は、左図に破線を描いた位置にも道があるのではないか、ということを疑っている。




そしてその道は、二段の石垣の下の地面を右図の破線のように通行しているのではないか、ということも疑っている。


――なんて、いきなり言い始めたので、皆さまは困惑されたかもしれない。

これらの2枚の写真に「その道」が写っているわけではない。敢えて言うなら、疑いを否定しない程度の地形が写っているだけである。

私がここで突然に別の道を探し始めた理由は、皆さまにこれまで明かしていない、この場所についての情報を、私が持っていたからだ。

その情報とは、今回の探索を行う前に見、そして探索実行の強い動機を生んだ、次の旧版地形図のことだ。↓↓



”県道213号の全長10.5kmのうち、終点から0.5kmの日置川沿い区間は、現在の県道37号の旧道に重なっている”

――という事実だ。
これは、昭和8(1933)年の地形図と現在の地形図を見較べると、容易く明らかになる。

現在の県道37号の路線名は「日置川大塔線」といい、その名の通り旧日置川町と旧大塔村(現田辺市合川周辺)を連絡する日置川流域における最重要路線であるが、通称「日置街道」とも呼ばれ、これが古称でもあるらしい。

そして、日置川に架かる「久木橋」が完成する以前の日置街道は、久木集落からずっと先まで右岸を通っていた。
現在の地形図からは完全に抹殺され、庄川越え以上に状況の険悪が予感される、約4kmにも及ぶ旧県道への分岐”擬定”地。それが「現在地」周辺だ。

私はこの旧県道を、本日2箇所目の探索目標に据えていた。だからこそ、この場所に通常以上の注意を払った。旧県道への挑戦のレポートも後日紹介する予定である。しかし、まずは県道213号の完抜を達成する必要がある。



続く探索についての種明かしを済ませたところで、本編を再開する。
上下2段の切り通しのうち、改めて上段にある道路の切り通しを通過した。
写真は、同切り通しを振り返って撮影した。

続出する大規模な石垣や切り通しなど、ドン谷出合以降のこの道はかなり力が入っていると思えるし、またそうでもしなければ道を通せないくらい地形が険しい。


切り通しを少し離れた位置から振り返って撮影した。

切り通しを過ぎると上下2段の石垣はなくなり、さらに道が急な下り坂になることで、道と水路は接近を始める。
このまま行けば、間もなく両者は合流しそうだ。

このように鮮明に形を留めている道と水路に対し、イマイチはっきりしないのが、水路より更に下にあったと見られる旧県道だ。
そこには道があっても不思議ではない平坦な杉林が広がっているが、逆にその事が、道があったかどうかを分かりづらくしてしまっている。
旧県道は後ほど上流側から探索する予定であり、完抜時にはここへ出てくるつもりなのだが、分岐(=合流)がはっきりしないのは不安だなぁ…。



なんか、混乱してきた!!!

注目すべき色々なことが、同時に起こりすぎている。レポーター殺し。

注目すべきことの一つは、この県道と水路と旧県道という三つのものの合流だ。
さらに一つ、新たに出て来た看板(赤矢印)も注目すべきだろう。
そして私の目はもう一つ、注目しなければならないものを見つけたが、まずは一ずつ説明をやっつけていこう。そうしよう。そうしよう。

まず三つのものの合流だが、急激に下るこの県道が、もう間もなく水路(水色に着色した部分に水路の縁が見える)を呑み込むようだ。
しかし、相変わらず旧県道については、存在自体がはっきりしない。
もしかしたら、旧県道は水路を建設する時に部分的に壊され、上書きされているのかも知れない。

次に、看板だが、見馴れた「水源かん養保安林」の案内板だった。
チェンジ後の画像を参照されたい。緑★印は現在地、黄色★印は庄川越えの位置を示している。
案内板には道が一切描かれていなかったが(地味に酷い)、収穫もあった。それは、地形図では名無しの存在であった庄川越え直下の谷に、「鍋津呂小谷」という注記があったことだ。
これで峠に関係する地名が一つ明らかになった。

そして、私の目が捉えた、もう一つの注目しなければならないものとは――




が、チラ見えしてる!

マジかよ……。



10:25 《現在地》

前方に事前情報無しの隧道を見つけてしまい、今すぐ飛びつきたいというのに、足元にはまるで解かせる気のない歴史パズルの憎たらしい残骸が散乱していて、私を悩ませた。

水路は、旧県道は、どうなったのよ!?

どちらも、ここで県道に呑み込まれて消えてしまったぞ?!

特に不可解なのは水路である。
あれだけ大掛かりな土工をもって伸びてきた水路が、何の抵抗もなく道に呑み込まれて消えてしまった。
おそらくは道路の下に埋設されたのだと思う。
水路以上に存在が朧気な旧県道はさらにイミフだが、こちらは後で肉弾戦ではっきりさせてやるつもりだ。



ともかく、ここからは県道「庄川越え」であると共に、旧県道「日置街道」でもあると見られる区間だ。

そしてその始まりが、地図にない1本の隧道である。


一見すると、取るに足らない小さな素堀隧道。

だが、こいつは日本屈指の隧道だと思う。

次回、クライマックス!