2016/1/9 10:26 《現在地》
ここは、県道の起点からおおよそ10kmの地点である。
もはや終点から数えた方が遙かに分かり易いこの場所で、私は隧道を発見した。
それは、地形図や道路地図に記載のない隧道であった。
そして隧道へ近付こうと踏み出した私は、次に、隧道の先に待ちうける「ゴール」の姿を発見した。
初めて目にする久木橋は、なかなか景色映えのする曲弦トラスの橋であった。
あの袂が、県道213号の終点だ。
皆さまは、私が前回の最後、この回に繋がる“引き”の文章で、こう書いたことを覚えているはずだ。
“一見すると、取るに足らない小さな素堀隧道。 だが、こいつは日本屈指の隧道だと思う。 次回、クライマックス!”
このうち一行目の「一見すると〜」の下りは、現地で隧道を遠望で発見した瞬間における、偽らざる第一印象である。
情報にない隧道を見つけたことはとても嬉しいが、ことさら印象に残る隧道でもない(いわゆる小物)だろうというのが、残念ながら場慣れをしてしまった私の真率な感想だった。
しかし、そんな印象は僅か数十歩の前進の間に、鮮烈な感動によって埋め尽くされたのだ。そして、この隧道が永く印象に刻まれる尤物である可能性を知覚した。
まずは、目を瞠るべき隧道の短さ!
加えて、私の無防備な喉仏を坑口へ晒さざるを得なくさせる、坑口前の頭上を覆う、巨大な片洞門的岩山の威容である!…と、かように私が「!」を付けて力説しても、さすがに2行目、
「こいつは日本屈指の隧道だ」とは、いかにも大袈裟何じゃないか?
…このレポートの終わりまでには、納得させてみせたいと思っているが!
そもそも、私はまだこの隧道の魅力ある姿を半分も伝えられていない。
明らかに視線はもう隧道の向こうへ抜けており、全景が明らかになったように思うかも知れないが、それは私も現地で陥った“侮り”に過ぎない。
ところで、隧道前後の道は見ての通り未舗装であるが、道の中央にコンクリートが帯状に敷かれているのを見つけた。
おそらくこれは、先ほど以来行方不明となっていた「水路」が、道路に埋設される形でなおも続いている証しであると思う。
とはいえ、蓋のように取り外しが出来る構造ではないので、確かめる事は出来ないが。
そして、以後にこの水路が再び姿を見せることもなかった。(行方不明エンド)
この隧道を全国屈指と評するポイント その1。
短い。
このことは、本隧道の重大な「日本屈指」を構成する要素である。
隧道の全長は、厳密には道路中心線における土被りのある区間の長さで測るべきであろうが、簡単な計測手段として私は側壁の長さを測ってみた。
そこに自転車を置いたのは、比較対象物としてである。
この自転車は皆さまの周りにあるのと同じ、普通の“ルーキー号”だ。
つまり大体の車長は1.7mほどだから、それと比較して、隧道の長さが2.5m程度であることが分かると思う。
この隧道の正式な長さは後ほど披露するが、側壁の長さは2.5m程度しかない。
道幅や高さといった断面サイズも2〜3mの範疇だから、それと比較しても側壁の外見は隧道の壁というよりも、まるで“柱”である。
片洞門を支える石柱だ。
ところで、私がこれまで経験した中で最短だと思える隧道は、平成20(2008)年に探索・紹介した、法華崎遊歩道の隧道(千葉県南房総市)だろう。
同隧道の全長は、現地での実測値であるが、1mほどだった。
明らかに、今回の隧道よりも短い。
しかし、法華崎の隧道は自然の海蝕地形に手を加えたものである可能性が高いうえ、観光的な意図で作られた景観という可能性も捨てきれず、純粋な道路トンネルとして扱えるのかは私の中でも疑義があった。(さらに追記すると、法華崎の隧道は平成28(2016)年春に崩落し完全に消滅してしまった)
対して今回の隧道は、ほぼ間違いなく人が一から作り上げたものであろうし、前回も述べている通り、ここは相当古い時期から県道だった道で、そして今も県道なのである。
ともかく、日本一短い県道のトンネルであるっぽい(暫定…後ほど少し検証する)ことは、本隧道の「日本屈指」を構成する重要要素だ。
しかし、長さのような定型的に比較しやすい要素だけが、隧道の持つ魅力ではない。
私が、この隧道の“次なる魅力”に気付くまでには、北口から南口へと通り抜ける、
たった4歩分の時間しか要さなかった!!
サイッコーに
きもち良いぃ〜!!
なんという解放感のある道路風景だろう。
景色に見とれて、ハンドルを切り忘れたら、どうなっちまうんだぁ〜〜?
↓↓↓
日置川、綺麗すぎぃ!!
垂直の絶壁の下には、まるで山奥の湖のような恐るべき透明度を有する川面が、流れも見せずに流れていた。
これが、河口からたった15kmしか離れていない、紀伊半島第三の大河の清澄度だというのか?!
道への驚きもひととき忘れて、川のあまりに綺麗なことに意識を持っていかれた。
そして次に私の意識を連れ去ったのは、川向こうの雄大な景色だった。
“特等席”という言葉が脳裏に浮かんだ。具体的に何を見る席なのだとは答えがたいが、
しかし、この空間が私にとっての特等でなく、どこに特等があるというのか。
なお、森に隠れていて姿は見えないが、今いる旧日置街道の“現道”が、あの麓を走っている。
さあ、そろそろ隧道へ意識を返してもらおう。
↓↓↓
この隧道を全国屈指と評するポイント その2。
南口の空間が最高に、きもち良い!
人が作った景色なんだけど、作られた景色じゃないって感じる。
これは、ここに道を通そうと頑張った人たちへの、大自然からのご褒美かもしれないなんてことさえ考える。
言っておくが、ここは全く迂回が不可能な地形だ。
上も下も、とんでもなく悪い。
ここに道を通すには、これ(隧道)より手がない。
また、後になってゾッとしたが、もしもここが崩れでもしていたら、
私は10kmを自転車と一緒に引き返すより、ほかに無かった。
全く弾力性のない地形は、ただ針穴の隧道だけが通る術だった。
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久々に、全天球画像を用意した(↑)。
これは少しだけ道を外れた空中に自撮り棒の先に付けた全天球カメラを構え撮影した。
人間が立つことの出来ない視点からの360度画像を楽しんで欲しい。
10:26〜10:31 《現在地》
私がこの隧道の近辺に滞在していた時間は、約5分間である。
私はここをもの凄く気に入ったので、もっと長く滞在したいと思ったが、1月の夕暮れは早い。泣く泣くは大袈裟だが、後ろ髪を脱毛させながら先へ進む決断をした。
にしても、本当にこの南口前の道路は際立って、遊びがない。ストイックでスパルタンでクリティカルだ。
そして、おそらくこの道は、「旧日置街道」として作られたものなのだ。
現在の道路としては同じ県道213号に含まれてはいるが、「庄川越」の道がドン谷終盤から旧県道合流地点まで見せていた【上等さ】は、なりを潜めてしまった。まるで別の道のよう。
こんな道、軽トラでさえも通れるはずはなく、通りたいと思う人もないだろう。
ゆえに、この隧道を含む「旧日置街道」は、「庄川越」とは別の機会…より古く…に整備された道であると、私は考えた。
土木構造物としてみる隧道の価値は、その古さとも深い関係がある。
隧道の竣工年はいつなのか、大いに気になるところであるが、その解明は帰宅後を待たねばならなかった。
「 また会おう…… 今日中に、な。 」
意味深な囁きを残して、立ち去る。
隧道を離れ、今はまた見えなくなってしまった終点(久木橋)へと近付いていく。
なお、まだ隧道が「全国屈指」であることの説得は終わっていない(全ての魅力を紹介し終えていない)が、ひとまず中断となる。
かつて一人の猟師とすれ違っていなければ、私はここでどれほどの恐怖を背負って歩まねばならなかったろうかと思う。
引き続き道は隧道前とさほど変わらない急峻を見せており、一つの杜絶で、完全にゲームセットだ。
高巻きが無理なのはありがちとしても、大河のくせに下巻きも効かないのは予想外だった。大抵、大きな川は河原も広く、そこを通行できたりもするのだが、ちょうどここが川の蛇行の外側で水勢の衝にあたっているために、水迫り、水深く、陸が現在進行形で削り取られ続けている。
そう考えると、わずか幅1間(1.8m)ばかりとはいえ、崖上に自転車が走行できる程度の道が維持されていることは驚くべきなのかもしれない。隧道もそうだが、地質がかなり堅牢なのだろうか。
隧道から100m以上離れると、地形も穏やかになり始めた。
確かな踏み跡のある土の道、マウンテンバイクにはこの上もなく愉快な道を、ウィニングランの心境で驀進する。
不通県道探索、またの名を“険道”巡りとしての残る楽しみは、これから県道37号と接続する終点にかけてどのように道が変化していくのか、それと、終点の有り様である。
個人的には、行き止まりではなくどこかへ通じている道路の起点と終点の様子は、非対称であればあるほど楽しいので、この道はその点からも、私を最後まで楽しませてくれるに違いない。
起点が、元一級国道である国道42号上に始まる2車線舗装道路であったのに対し、残り300mほどに迫っている終点は、主要地方道である県道37号はいいとしても、2車線舗装道路に変化する気配はまるでない。
下手したら、終点の分岐地点に何の案内もない可能性さえあるぞ!(ワクワク)
10:35 《現在地》
隧道から150mほど進んだ所で…
キタヮー!!
例の猟師氏が乗ってきたものであろう軽トラが一台、こちらに後を向けて停まっていた。
そしてその車体の向こうには、数時間ぶりに見る気がする現代的な路面の色がッ!
現代的な路面の色、といっても未舗装の砂利道だけど、これまでとの時代の違いは明らか。
県道213号は、終点まで残り200mというところで、ようやく自動車が通れる道路に復活しましたッ!!(ちなみにここは、地理院地図上で道が破線から実線に変わる地点と一致していた。やるな!)
“関係者”(しばらくその名も忘れていた)の執念を感じさせる車道が、白浜側から庄川越の峠を1km以上も乗り越えて日置川側へ入り込んでいた“車道終点”からは、約2.5kmの杜絶であった。
そしてこれが、現在の所どう頑張っても自動車が通る事の出来ない区間の長さということだ。全長10kmちょっとの県道だから、4分の1だ。
距離的にはもう一頑張りで車道を開通させられそうとも思うけど、ドン谷出合以降は地形がかなりやばかったからなぁ…。
ちなみに、やっぱりこっちの車道終点にも、特に通行を制限するようなものは見あたらない。どなた様もご自由にお通りください状態だ。
どうやら、それがこの県道の紛れもない意志らしい。
何だか粗々と法面を切り広げたような道は、峠辺りの県道の姿を思い起こさせる。
やはり、県道213号としての同じ血が通っているのだろう。
しかし道幅は案外に広い。
1本の県道の起点から終点までを完全にレポートしたのは、結構久しぶりかも知れない。
そして、10kmクラスの不通県道を自転車で完抜出来た経験も、やはり久々だ。
色々な意味で想定以上に恵まれていたのだが、その事が、拍子抜けやつまらないという感想に向かなかったのが、この道がいかに退屈と無縁な(オブ的)優等生であったかを物語っている。
百点満点だよ。
さらっと満点宣言をかました私の前に、いよいよ久木橋の勇姿が!
そしてそのまま、最後まで鋪装が再開することなく、県道の証し(ヘキサ)を示すこともなく、“終点”が!
いいよ、いいよ〜〜!!
最高に好き、こういう地味な終点や起点が。
こっち側から来たら、まさか抜けてる県道の入口には見えなかろう。
こういうのホント好き。
あ、そうそう。
この県道の「出合集落」以降には、結局一つも見あたらなかったものがある。
それは、全ての道路標識だ。 …細かい規制なんてないんだよ、この道には。
10:39 《現在地》
完抜成功!!
起点から約10.5km地点、県道213号白浜久木線の終点である、白浜町久木の県道37号交点に到着した。
全線の所要時間は、約3時間20分である。
充実度が半端なかったので、もっと時間が経っているような気がしたが、実際にはまだ午前中、まだまだ次に行けるゾ^^って感じだ。実際もそうなるわけだけど。
終点であるこの交差点には、信号機も青看も停止線も、おおよそ自動車が通る県道同士の交差点らしいものは見あたらない。
マジでその辺の林道並みかそれ以下の扱いだ。
だが、この交差点にあるものをよく観察すると、
県道213号の存在する証しが、ひとつだけ発見された。(上画像(チェンジ後)の赤○の所)
しかも、“重要な情報”付きで。
↓↓↓
県道白浜久木線
測量につき入山中
御協力お願い致します。
(有)鈴木測量設計
私が探索したのは平成28年1月9日だったので、告知されている測量が終わってから約1年後だったようだ。
新道工事を目指して最近も測量が行われている事は、途中で出会った猟師の話とも一致している。
…現地では最後まで半信半疑から抜け出せなかった、県道213号で現在進行中らしい全線開通への歩みについては、次回の机上調査編で語ろうと思う。
写真は終点の分岐地点から眺めた県道213号であるが、実はこの位置からも“隧道”が見えていた。
私は想定外の発見だと浮かれたが、もしこちら側から探索していれば、スタートと同時に隧道を見つけるという希有な展開だったのだろう。
まあ、これにより私が隧道の第一発見者では無いことは痛いほど分かってしまったが(笑)。(第一発見って、あんたの前に猟師が通ってたの分かってるだろw それ以前に掘った人が目撃しただろw みたいな不毛な争いに…苦笑)
そんなことより、ここからの隧道が、前後の道は見えず隧道だけポッカリあるみたいに見えて、またかっこいいんだ!!(力説)
おまけに、県道37号の久木橋を紹介。
親柱の銘板によると、昭和30(1955)年3月竣工。また、トラス本体に取り付けられた建造銘板の方には、このトラス桁が昭和29(1954)年に和歌山県が汽車製造株式会社に製造させた径間58.3mの二等橋であることが記録されていた。全部で2径間なので、橋の全長は約120mということだ。
昭和30年にこの橋が完成するまでは、先ほどの隧道が、庄川越としても日置街道としても使われていたのだろう。とはいえ、どのくらい交通量があったのだろう。少なくとも現代の日置街道こと県道日置川大塔線は、あまり交通量の多い県道ではない。撮影中も、ほとんど車は来なかった。
↓↓
忘れた頃に突然だが…、
“さっきの隧道”を全国屈指と評するポイント その3。
橋の上から見た姿が、マジでかっこいい!
さっきも似たような写真を撮って見せたが、橋の上からだとさらに水陸の対比が際立ち、
交通するに如何ともしがたい巉巌(ざんがん)を穿つ最小限度の隧道の巧みなる様を最強に実感出来る。
→ますます惚れる。 →「全国屈指」しちゃいそう…。
10:47 《現在地》
県道213号を完全に修了し、引き続いては県道37号を南(下流方向)へ進む。
1.5車線の静かな舗装路を500mも行かないうちに、道からは日置川が見えなくなるくらいの広い沖積地が現れ、そこには点々と、いやそれよりもう少し多い数の家が建ち並んでいるのに出会う。
ここが、久木集落である。
庄川越にとって一方の峠下集落であるが、ここからは庄川越のある鞍部は全く見えず、地形的にも峠のどん詰まりではない。
「庄川(へ)越(える)」という峠の名前からして、始めに名付けたのはこちら側の住人であると推測され、庄川側以上に峠への需要を持っていたことまで類推出来るだが、現代では逆に庄川側の“関係者”による開道欲求の方が高いように感じられるのが興味深い。
集落の外れで、半日近くぶりに“ワルクトレイル”と遭遇。
もちろん、私が今朝方、出発の時に残して置いたのである。
今朝まだ日が昇る前、ここを自転車で出発した私は県道37号を10kmほど下流へ走り、JR紀伊日置駅から始発に乗って2駅隣の紀伊富田駅まで輪行したところから、この探索は始まっていた。
そして今、ぐるっと一周をしてスタート地点へ戻ってきた。
探索は、大成功だ!
これから車で少し移動して、旧日置街道の探索を始める。
少し怖い気もするが、それ以上に、とても楽しみだった。
レポートの方は、探索を一旦お休みし、机上調査編へ。隧道の「日本屈指」アピールも、まだ終わってねーぜ!
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