隧道レポート 長野県道142号八幡小諸線旧道 宮沢3号隧道 リベンジ編 第1回

所在地 長野県小諸市
探索日 2015.10.15
公開日 2016.02.04


「MapFan」の地図画像から、地理院地図上に“モル氏空間”を青ペンで書き写した。
それが右の画像である。

“モル氏空間”は、全長186mと「道路トンネル大鑑」に記録されている「宮沢3号隧道」の中間より、やや南側(宮沢寄り)に存在しているらしい。

モル氏は4年前のメールで、この“明かり区間”(モル氏が発見したと見做し、本編ではこれを“モル氏空間”と呼称する)について、こう書いていた。

現宮沢トンネルの上のほうを通る道からその場所に近づいてみたところ、旧隧道の坑門が塞がれずにあるのが見えました。添付した写真は旧隧道の北側部分の南口です。
南側部分の北口については、目視はできたものの藪が濃くて写真には残せませんでした。
路盤部分に降り立とうとしてみたのですが、木が生い茂っている上蚊が多く、地形も険しそうだったので断念しました。今かなり後悔していますが…
冬か春ごろにまた行ってみようかと思っています。

このメールのあとモル氏から連絡は無いが、おそらくは次の冬か春に再度訪れ、本懐を遂げられたものと考えている。

私の再訪は10月中旬で、まだ藪は深いし、モル氏を苦しめた蚊もいると思うが、情報を知ってしまった以上は、もう待ちきれなかった。
願わくは、この4年という月日で状況が変わっていませんように。
もしこれで、「遅きに失した」という結末になったら、私は後悔のため精神を破壊されかねない…!


それでは、リベンジマッチ開始!



“モル氏空間”へのアプローチ


2015/10/15 15:00 《現在地》

小諸市山浦に6ヶ月ぶりに戻って来た。
1号2号の小隧道を通りぬけ、宮沢集落の少し手前にある写真の分岐地点が、今回のスタート地点である。ここまではクルマで来た。
右奥に薄く見えるのは浅間山、周りの少し色づいて見える木々は、サクラの古木である。

前回はこの分岐を意識する事無く県道を直進したが、“モル氏空間”へのアプローチは、この左の市道から行くのが良さそうだ。
クルマを適当に停め、自転車を降ろす。
別にクルマでも問題無く通れそうな道であるが、路傍で何かを探すのにクルマは足枷になる。
だから自転車に乗り換えた。




分岐地点の桜の根元に、多くの古碑が集められていた。

もしかして、この分岐は宮沢隧道とも全くの無関係ではなく、新旧道分岐地点だったりするのだろうか。
明治か大正の時代に隧道が作られる以前は、山越えで隣の集落へ行く道がきっとあったはず。
旧版地形図では、この謎を解決出来なかったが、気になる風景である。

ただし、ここに並んでいる多くの古碑に、道路や隧道との直接の関わりを感じさせるものは無かった。




トンネルの存在を頼って、平坦なまま楽に集落へと入っていく県道を脇目に、我が市道はグイグイ登っていく。そうする100mほどで屋根がいくつも見えてきた。中には見覚えのある火の見櫓の姿も見えた。

そして遠景には、前と変わらぬ存在感を保ち続ける、浅間山の姿。
しかし、良く見ると前回と同じではない!

噴火してやがる !!

噴火はいいすぎか。
浅間山は年がら年中噴煙を上げているのであるが、頭ではそう分かっていても、こんな近くであからさまに噴煙を上げている山を見るのは少し心穏やかではない。




……分かっている。


これこそ、我が反撃の狼煙とすべきもの!



集落の上を掠めて通りすぎた市道は、次に現宮沢トンネルの坑門上を横切った。
相変わらず結構な角度で上り続けていて、最終的にこの道は御牧ヶ原の上まで続くようである。
だが、私の目的とする地点へは、もう間もなく辿り着くはずだ。
初めて来る道ではあるが、目的地の予め描かれた地図が手元にあった。



15:11 《現在地》

ここだな。

現宮沢トンネルの上のほうを通る道からその場所に近づいて
と書いていたモル氏と同じルートであろう。
というか、おそらくこのルートの他にはない。
前回の探索では、全く近付く必要性を感じなかったルート…。無知は怖い。

入口についてモル氏から何か目印を伝えられていたことはなく、実際そういう物も特に無い。
強いていえば、市道が大きく切り返すカーブの直前という案内が出来るだろうか。

私はここで自転車を乗り捨て、GPSの画面上に目的地が間近に表示されている方向、
すなわち右の路外(矢印の方向)へと視線を向けた。



そこにあったのは、何の変哲も無い山の斜面。

やや急であることを除けば、本当にどこにでもありそうな山だ。
そして、モル氏の踏み分など、もちろん残ってるわけもなく…。
そもそも、ここには道が見あたらない。

廃隧道へ行くための道など無くて当然と思うかも知れないが、経験的には、
さほどメジャーではない廃隧道であっても、道の近くにそういうものがあれば、両者を結ぶ踏み分けがあるのは珍しくない。
もちろん、それがいわゆる“マニア道”なのか、ある種の必要とされた仕事道なのかは、区別出来ない事の方が多いが。

…この先は、本当にモル氏しか知らない世界なのかも知れない…。

自然とそんな考えに至り、また厳かな気分にもなった。
が、それが足枷となることはもちろんなく、道無き斜面へ足を踏み入れる。
まずは下の見通しが得たいので、出っ張った所に生えた大きな木(黄線の所)を目指そう。


あっ…!


やりました!!健在なようです!

これまで2つしか無いと信じて疑わなかった宮沢3号隧道の坑門。
しかし今、その常識をあざ笑うように、第3の坑門が眼下に出現した。
まだ見えないが、もはや確然的に第4の坑門もある。

しかもこれは6ヶ月前に「画竜点睛を欠く」と評するほどの落胆を与えた、
あの不完全な姿へ化した坑門ではない。完全な坑門だ。

完全…何一つ欠けない無欠の姿。

外見だけでなく、機能としても完全な坑門。立ち入れる坑門。

モル氏ありがとう! これでようやく私は本懐を遂げられる!



… … …

興奮のためか、このあと普段なら逐一撮影するだろう行程を、何もせず前進してしまった。
とはいえ、ほんの僅かな距離である。というか、落差である。
隧道へ近付くための落差は、最初の市道から30mくらいだが、上の写真のところで残り20mになっている。
そこからさらに残り10m未満の所まで近付く行程を、無撮影ですっ飛ばしていた。
時間にして1分弱の行程。ただ斜面を下っただけだが、確かに言われたとおりの急斜面である。
だが慣れた身に難しい事は無い。下草を引きちぎりながら下った。

残り10m地点へ。



“モル氏空間”の全貌が見えてきた!

まだ眼前の藪はうるさいが、向かって右側にも坑門を目視確認!

この段階で分かったことは、坑門と坑門の間隔(旧道の明かり区間の長さ)が2〜30mであること。
旧道のこちら側だけでなく、反対側(千曲川の断崖方向)にも擁壁があること。

そしてその結果、旧道は、左右が擁壁、前後が坑門という、
極めて閉鎖的で特殊な立地にあること!!


え? えぇっ?!



私の興奮と、興奮のあとに覆い被さってきた「戸惑い」を胸に、

残り5m地点へ。



15:14 《現在地》

…………
……
ちょっと、モルさん?

これ、どうやって隧道へ“行く”んスかねぇ…?



これは、ここから見るだけですか……。

これは……。




坑門鑑賞会


目の前にぶらさげられたニンジンにかぶりつきたい衝動を抑え、とりあえず冷静にならねばならない。成らざるを得ない。

これを見て落ち着こう。


…… …難しい。

極上のニンジンを見ながら、食欲を抑えることの、あまりの困難さ。

でも、ちょっと冷静に辺りを見回す時間が、観察力が、必要だ。

眼前にあるのは、予想を遙かに超えて素晴らしい意匠を持った坑門だった。
扁額には文字が入っていないが、その「画竜点睛」の不利を補って余りある全体力だ。また、文字が入っていないことが、愉快な想像を駆り立てる。



左に名坑門なら、右にも名坑門である。

なんなんだこのシチュエーション。このレベルのものが埋もれていた?
オブローダーにとっては、ひとつの天国といっても良いシチュエーションじゃないか。
自分で一から見つけ出したものでない事を除けば、完璧に私の心臓を正確に射抜くレベルの力がここにある。

なぜか土木学会の近代土木遺産リストにも入っていないが、実は戦後に作られた坑門なのだろうか?
もしそうでないとしたら、これは完全に見逃しを疑う。
廃隧道は一般に採択されにくい傾向はあるが、採択されていないわけではない。
それに、この意匠の美しさは、既に採択されている全国2800件以上の物件に劣るものだろうか。そうは思わない。
特別に個性的というわけではないが、むしろコンクリートモダン坑門の指標的な美しさを完璧に保持している。
そしてこの技術的興味をそそる、凹地の明かり区間という不思議なシチュエーション。

平成7年まで路線バスを含む誰も彼もが通っていた県道だとは、にわかに信じがたいような幽玄の廃美に、“モル氏空間”は包まれていた。



・・・・・
・・・・・・・・・・
・・・・・。




ダメだ。これは耐えられない!

これを「見るだけ」というのは、さすがに酷すぎる。

観賞もそこそこに、現状の“観察”だけを済ませた私は、
下りてきた斜面を獣のように駆け戻って、自転車へ。



そのまま一息つく間もなく、自転車で市道を漕ぎ降りる。

向かった先には、スタート地点で待っている、ベースキャンプこと“ワルクトレイル”。

用があるのは、こいつの荷物室だ。



ガサゴソ ガサゴソ…



(あのときの効果音)


この道しかない!




ぶっちゃけ、ロープはワルクードの時代から長らく、我が車(しゃ)の死蔵品であった。

ある事件があってから、「武力は保有すれども行使せず」の大局的視点より
ロープに頼る探索は自分の中でこれを封印し、或いは代案に頼ってきたのである。

だが、今回ばかりはこの力を必要最小限、頼って良いのではないか。

モル氏だって、きっと…。




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