たくさんの橋や隧道がこの北限の地に、貧困と過労が支配する労働によって建造された。
しかし、その一つとして、いま現在本来の用途として使われているものはない。
本州最北の隧道(現役・廃問わず)・焼山隧道に、われわれが見た物とは?!
たくさんの橋や隧道がこの北限の地に、貧困と過労が支配する労働によって建造された。
しかし、その一つとして、いま現在本来の用途として使われているものはない。
本州最北の隧道(現役・廃問わず)・焼山隧道に、われわれが見た物とは?!
焼山崎周辺には多くの遺構が現存している。
前回のレポートでも述べたとおり、実はこの区間の探索は従来の大畑→大間の流れではなく、逆から辿っている。
故に、右の地図中に示した各遺構を左側から順に確認していったことになる。
このエリアではそのまま実際に辿った順序で紹介した方が分かり易いので、そうする。
前話最終地が地図右端の「大川尻沢橋梁」であるが、今話は地図左端「北焼山橋梁」より開始する。
焼山崎周辺には人家がまるでない。
大畑からここまで約15km、最果ての半島の車窓としてイメージする以上に頻繁に現れていた集落も、下風呂を過ぎると急に稀になり、北海の道の風情が増してくる。
焼山崎の前後の大間線跡は、国道から見るのが最も鮮明である。
特に焼山崎の北側では国道脇に石組み築堤が延々と続いており、写真のような暗渠(北焼山橋梁と上の地図中には記した)も存在する。
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しかし、国道の拡幅された登坂車線によって、いよいよ焼山崎が近付く辺りで築堤は消滅している。
そのまま焼山沢を国道は小綺麗な橋で渡るが、大間線の路盤はやや内陸の隧道を目がけ、このすぐ北側で別れている。
我々は、この場所にある海に面した駐車スペースに車を停め、本州最北の隧道(だよね?私の調べた限り)である焼山隧道の大間方坑口を歩いて目指したのである。
駐車場の脇に建つ謎の高層建築。
灯台ではない。
屋根には何やら物々しいレーダーかアンテナのような物が見える。
壁には黒い文字で『平成元年度 漁業管理強化施設整備事業 下風呂漁場管理強化施設』とある。
どうやら、漁業資源を密漁から守る監視小屋のようだ。
我々は海側に興味がないので、ね。怪しくないのよ。
国道の焼山沢に架かる橋から上流を見ると、木々の隙間に殺風景なコンクリート橋が見える。
これが大間線の焼山沢橋梁である。
森の中に隠されていたという表現がぴったり。
あとはもう、バラストとレールを設置するだけで完成の綺麗なコンクリート橋が、沢を渡り、そのまま森の中に続いている。
未成線跡だと言われなければただの農道の橋のようにも見えるが、それにしては円筒形の橋脚は頑丈であり、押しも押されぬ国営鉄道の名残を残す。
橋の袂までは焼山沢に沿う砂利道があり、橋へは簡単にアプローチできる。
橋の上にも車が進入した痕跡はあるが、それもほんの数メートルまでで、対岸では猛烈なススキ薮となり路盤の判別さえ難しい。
焼山沢は水量こそ少ないが沢幅は広く、3径間の橋で跨いでいた。
この写真は大間側の袂から少し下りて撮影したものである。
薮に覆われつつあるものの、橋自体の保存状態は非常によい。
今回、大間線跡の遺構を多数発見したが、その残存状況は大変にまちまちである。
竣功した時期の幅は最大でも2年ほどしかないにもかかわらず、やはり立地の差が状態の差に直結しているのだろう。
森の中の遺構は全般的に保存状態に優れ、直射日光や海風に直接触れるような部分はその逆である。
薮を背にして焼山沢橋梁を振り返る。
正面の小高い山を貫くようにして、大間線としては比較的規模の大きいの焼山隧道が掘られている。
だが、ここから見えていいはずの坑口は、確認できない。
やはり、塞がれているのだろうか……。
橋の延長線上の山際は、伐根やら残土やらが山積みされた小さな広場になっている。
朝露に濡れた草むらを掻き分けて、隧道の坑口を探すが、ここに口をあけていないことは一目瞭然であった。
ああ… あった。
何かコンクリートの壁の一部のようなものが、地面に埋もれている。
やはり、坑口は埋め戻されているようだ。
はぁ。
結局中に入れた隧道は、木野部の二本だけかぁ…。
坑口跡地から焼山橋梁を振り返る。
この日の津軽海峡は波も穏やかで、北海道が見えるかと期待したが、どうも靄っていて駄目でした。
ついに我々が探し求めてきた廃隧道の残り玉数も、一発を切って半発(坑門片方だけ)という状態。
残念なことに、思いのほか大間線沿線自治体の安全管理意識は高く、不要の隧道が口をあけている物は殆ど無かった。
だが、最後の最後まで諦めてはいけない。
もう一門だけであったとしても。
写真は、大畑側から見た焼山崎の急峻な海岸線。
国道は海沿いをギリギリ迂回しているが、大間線は隧道で潜っていた。
そこからさらに焼山崎へと近付くと、国道より一段高い大間線の路盤にコンクリート橋が現れた。
並行する国道の橋には小さすぎて名前さえないので、沢の名前も大間線の橋の名前も分からない。
とりあえず、地図中では「南焼山橋梁」と紹介している。
3径間の直線的なコンクリート橋である。
薮が酷いのと、あんまり殺風景な橋の景色なので、この一枚の他に写真も撮っていないし、当然上に上がってみてもいない。
ま、いいでしょ。 (←だいぶテンション下がってました。笑)
国道が岬に向けて緩やかな右カーブとなる直前で、路盤跡へと続く荒れた車路がある。
これを登ると直ぐに行き止まりだが、焼山隧道の坑口へと近付くにはここからが近い。
路盤跡にあるこの広場から歩く。
写真正面の薮の向こうに隧道はあるはずだ。
我々は、余り期待もせず、最後の坑口捜索へと出かけた。
想像していたのよりも全然そばに隧道はあった。
背丈ほどもあるオオイタドリやフキの緑が鮮やかな薮を少し歩くと、早くも目の前にコンクリートの壁が見えてきた。
……はいはい。
どうせまた壁でしょ。
ブシュー! (はなぢ)
ほーそーだー!!
おまえ、何を覗いているんだーー!
くち開いてる〜〜♪
この状況。
冷静によく見ると、一旦塞いだ壁の上半分だけが手前に倒れて再び開いたのだろう。
細田氏が乗っているコンクリの土台は、おそらく倒れて落ちた封壁の上半分だろう。
そのままではマズイということで、後から木の柵を設けたのだと思う。
風は流れていないが、暗がりに近付くと、頬にひんやりとしたものが触れる。
内部は真っ暗で、灯り無しでは何も見えない。
隧道の口が開いているとなれば、当然次に行う行為は一つなのだが、ちょっとばかり問題がある。
壁が思いのほか高く、安全に洞床に下りられるか、微妙な感じなのだ……。
壁は外側から見たときよりも遙かに洞床まで高く、3m近くあるようだ。
しかも、覗き込むと光がテラッと跳ねて見えた。
水が溜まっているのだ。
奥の方を照らすと地上もあるみたいなのだが、とりあえずここから下りると水に入るしかない。
それは我慢するとしても、予め設置されていたこのロープ。
とてもじゃないが信用できない。私だって学習しているのだ(笑)。
このロープだけを頼って、出口がここしかないと分かっている隧道へ入るほど馬鹿ではない。
万一、下っている最中にこのロープが切れたら、絶対出られなくなるぞ。笑い事でなく。
次回、最終話。
それは、英断だったか 愚断だったのか。
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