映画『 The Obroaders 』公開記念レポート

隧道レポート 干俣鉱石輸送鉄道の未成隧道 最終回

所在地 群馬県長野原町
探索日 2013.04.25
公開日 2014.11.26

続 未成の顔貌(かお)


2013/4/25 11:28 《現在地》 

入洞から4分後、私は洞内の最狭部を突破したらしかった。
距離的には入り口から7〜80mと思われるが、カーブのため振り返っても光は見えず、感覚的な距離でしかない。
ここまで大きな崩れこそ無いものの、極めて狭隘な部分を過ぎたこともあり、闇はとても深く感じられた。

坑口付近にはあった水路を流れる音も遠のき、聞こえない。頭上の岩盤の上には国道があるはずだが、そこを行き交う自動車の響きも届いていない。
しかし、無音ではなかった。前方から、滝の落ちるようなノイズが絶え間なく聞こえていた。 私には聞き覚えのある音、きっと滝ではないだろう…。

第5断面。
最狭部(第4断面)を越えて天井が少し広くなった部分である。
これは第3断面と同じ形であろう。
そして第5断面の更に奥には、天井がさらに高く、その両側が少し掘り広げられた、第6断面が見えていた。

いずれも、“この隧道の作り方”を、丁寧に順序立てて説明してくれる…。 (解説は後述)



第6断面より、来た道を振り返って撮影。

第5、第4断面(最狭部)の変化がよく分かると思う。

それにしても、ずっと巨大ムカデのように洞床に横たわっているものは、なんだったんだろう。
肉眼では薄暗かったので、こんなに目立って見えなかったのだが、改めて写真を見ると、ただ事ではない存在感だ…。

…まさかとは思うが、工事中の換気用に用いられていたものだったりして…。
通気のための筒を隧道の入口と洞奥を結ぶように設置し、外に出した筒の一方で火を焚くと、筒の内部には洞奥から外へ向けた空気流が発生する。洞奥の空気を筒が吸い込むと気圧が下がり、外の空気が坑道を通って洞奥へと流れ込む。そんな原始的な換気システムが、大昔の隧道工事現場には存在したと聞いたことがあるが…。




未成隧道、その最も象徴的な断面との邂逅。

それは、本隧道における“第番目の断面”であった。


おそらく関東近郊でこれを見られる場所は、他にはあるまい…・




進むほど、大きくなっていく断面。
いよいよ、最後まで掘り残されていた左右の出っ張り(土平(どべら)という)が、削り取られようとしている。

工事中止の瞬間は、これを削り取る工事の最中だったものと推測された。

ツルハシで地道に壁を削って、削って、残土はそのまま洞床に積み上げられ、次にはこの残土を外へ運び出して…。

工事は、そこで止まっていた。
運び出されなかった土砂は、30mほどにわたって、洞床にこんもりとした山を作っていた。
終戦の瞬間を、この山は見ていたのではないか。




光なき世界の住民は、例によってコウモリ達だった。
先ほどから聞こえていた“滝の音”の発生源である。
彼らが“目”とする超音波の音は、本来人間の耳には聞こえない音だが、沢山の超音波が重なり合い、狭い洞内で反響、攪乱されるとき、可聴領域の音になるのだろう。
そしてその音は、テレビの砂嵐や、多くの水の落ちる音に似て、いわゆるノイズ音である。
(ちなみに、この種のノイズ音はデジタルカメラの簡易なマイクでは拾い難いらしく、ここでも録音は出来ていなかった)

この隧道に棲むコウモリの数は、それほど膨大ではないようだ。




これは、ちょっと文章では上手く表現できない。
先に動画を見ていただきたい。

地べただと思っていた洞床だが、この場所の地下には、水で満たされた空洞(?)があるようだ。
その大きさは不明だが、さほど大きくはないだろう。
何らかの空洞を砂利と木材で埋め立てた部分が、現在の洞床になっているようである。

こうした孔が見つかったのは、この狭い一角だけであった。
正体は全く不明だが、この隧道が作られる以前に、何らかの地下構造物があったとか?
…分からない。



そして、遂にはこの隧道に入って最初に見たのと同じ、立派な釣鐘形の断面になった。
第8断面…、これは第1断面と全く同じもの。

第4断面以来、奥へ進むにつれて“完成形”へ近付いていく断面を見た。
このことから予感されるのは、言うまでもなく、出口への接近だった。

だが、前方に見えてきたのは、この隧道に入って初めての、壁。
堆く洞床に積み上がった、天井まで達する土砂の山だった。


これは……、 閉塞壁?!



これは自然の崩壊なのか、人工的な埋め戻しなのか。
隧道内でこのような土砂の壁を見たときに、必ず考えることである。

この閉塞壁については、どちらのようにも見えた。だから悩ましい。
自然の崩壊と考える根拠は、閉塞壁の天井部分に、落盤によって生じたと考えられる空洞が存在する事だ。
一方でこれが人工的な埋め戻しにも見えるのは、閉塞壁の土砂の粒が小さく、自然に砕けた岩というよりも、運び込まれた土のように見える為だ。

これらの要素を同時に満たすとしたら、ここが実は出口に極めて近い場所であり、崩れつつ、外部からも埋め戻された事が考えられる。




11:33 《現在地》

入洞から9分を経過した所で、前進不可能となる。

私が居る場所は、天井まで積み上がった土砂の山の上である。
崩れて空洞になった部分には、大人が数人座れるくらいの広さがあった。

この先にも隧道が続いている可能性は低いと思う。
おそらくここは元の坑口近くで、地表のそばなのだ。なぜなら、天井の岩の壁の一部から、植物の根が露出していた。

窮まった。外の光も風も此処には届かないが、微かに地上の気配がある。



これより、推定延長120mほどの未成隧道の最奥から、地表へ帰還する。

決して長い隧道ではないが、全体に未成の特徴をこれでもかと刻み付けていた。



帰路はほとんど寄り道せず坑口を目指したが、ほぼ全線にわたって動画を撮影した。

約2分20秒の動画である。暗くて映像としては見にくいが、雰囲気を感じる助けにはなると思う。


11:39 地表に戻り、本探索を終了。




洞内の断面変化から読み解く、本隧道の“工法”


本隧道が未成であるがゆえに見ることが出来る、様々な断面。
平たく言ってしまえば、掘っている最中の様々な形ということになるのだが、決して闇雲に掘り進めていたわけではないからこそ、下図のように第1〜第8断面に区間に分ける事が出来たのである。
闇雲ではない、ルールに従った掘り進め方を、“工法”という。

上図の左側が、私の侵入した西側の坑口で、東側は閉塞していたが、以前は貫通していたと考えて、断面8を右端(東口)に置いた。

この図を眺めれば、この隧道が東西の坑口から同時に建造されていたということが、自然に理解されるだろう。
(ただし、導坑がどちらか一方から掘られたか、両方から同時に掘られたかは不明である)


上部開鑿式工法。

それがこの隧道の工法の名称である。
その事は何か文書や証言として見たわけではないが、先ほどの図から分かる事である。

左図は、上部開鑿式工法の掘削順序の一例を示したものだ。
隧道の古典的な工法の多くでは、このように完成形の断面を9つに分け、その掘削順序によって区別された。
1番(大背)を底設導坑として掘り始める方法は、上部開鑿式工法や新オーストリア式工法などがあった。
3番(天端)を頂設導坑として掘り始める方法は、ベンチ式工法や日本式工法などがあった。
地質が極めて良い場合や、最終的な断面が小さな隧道では、導坑を用いず全断面を一気に掘り進める全断面工法が選ばれる事があった。
他にも様々な工法があって、地質の良し悪し、工費、工期、巻き立ての有無、地域性など、様々な条件から選択された。
これらは古代から改良されて受け継がれてきた伝統的な掘削方法だが、現代ではあまり用いられていない。現代では隧道の周囲の地山に鉄柱を打ち込んで補強しながら全断面を掘るNATM工法や、円筒形のシールドマシンで全断面を掘りながら巻き立ても自動で行うシールド工法が主流である。



なお、本隧道には掘削途中の隧道を補強するための、支保工とよばれる支え木が一切見られなかった。
このことは、隧道の地質が比較的良好であると判断されていたことを意味している。
そして、半世紀以上を経た現在でも目立った崩れがないという事実は、当時の技術者の見立ての正確さを示しているのである。


断面の変化にばかり着目していたが、地中で分岐する隧道と水路の関係も、この隧道の興味深い特徴であった。
なぜ、水路は素直に未成隧道を利用しなかったのだろう。
この疑問の答えとして考えられる可能性はいくつかあるが、水路の方が古かったと考えるのが最も自然だろうか。解明するには、大津用水の歴史を調べねばなるまい。

左図は、未成隧道と地下水路の位置関係を模式的に示したものだ。
縮尺などは適当というか、そこまで凝って作っていないので、まあ大体の繋がりを表現しただけだ。

現地の探索では解明できなかったことに、東口の所在地がある。
だが、相当高確率で跡地は次の画像の場所だったと思う。



こうして外から見ても、隧道があった痕跡は少しも残っていないが、上部に国道があるので、その拡幅とか歩道の整備といった何らかの事情で、一度は貫通していた坑口が崩され、また埋め戻されたのだと思う。

その後に大津用水が整備されたのではないだろうか。


以上、未成隧道が教えようとしてくれることを、私なりに少しでも多く理解しようと努力した。
でも、まだ分からないことが多すぎるので、続いてはいつもの… ↓↓↓




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