隧道レポート 島々谷のワサビ沢トンネル 第6回

所在地 長野県松本市
探索日 2014.10.28
公開日 2020.10.03

島々谷北沢 “謎の穴” 内部探索編


2014/10/28 9:01 《現在地》

ついにやった。

心臓のバクバクがもの凄いことになっている。アドレナリンが吹いている。

ここへ至る行程自体は、分かってしまえばもう大丈夫だと思えるものだ。
崖もあったが、手掛かりとなる草木が多くあるので、不用意なことをしたり、よほど不運な目に遭わなければ、墜落はしないと思う。
とはいえ、先が見えない状態で探り歩くには、本当に恐ろしい場所だった。
もうこれ以上歩かなくていいというのがとても嬉しく、心底ホッとした。

左図は、ワサビ沢トンネル北口を離れてからおおよそ1時間20分間の私の(主な)軌跡を、地図上に再現したものだ。
直線距離なら僅か50〜100mと、ただ北沢を渡るだけの隔たりだったが、生身の人間がこれを克服するのには多大の労苦を要求された。
もっとも、80分間のうち30分以上は、紅葉狩りをしていたみたいなものだが…。
なにはともあれ、成功だ。




“謎の穴”は、確かに間違いなく、人工物だった。

これは最大の朗報である。

私の中では、2004年2005年の“神の穴”への敗退以来、実に9年ぶりとなる、同種のオーラを感じさせる崖穴の案件だったが、今度は制することが出来た。もちろん、こちらの方が遙かに容易いのは間違いなく、そもそも向こうは前後の状況から人工物ではないと判断したので、似て非なるものではある。

空きっぱなしの坑内には、おびただしい量の坑木の残骸が散らばっていた。
形状的に、柱の残骸と、屋根の部分の残骸。おそらく後者は坑口部分に張り出すように設けられていたものだろう。
そして少し奥の方には、まだ本来の形を保ったままの支保工(木枠)も見えた。

奥行きはまだ分からない。出口は見えず、風もない。閉塞壁も見えてはいない。匂いは、微かに甘ったるいような坑木の朽ちた匂いが漂っていた。生き物の気配もない。

穴の正体は、まだ分からない。
外見的な印象は、人道サイズであるサイズ感も含めて、昔の鉱山の坑道のようである。




坑口から振り返る、坑外。

厳密には既に坑内に入っているが、外には1畳分さえ平らな敷地はなく、
人が二人立てるくらいの幅だけを残して、その向こうは千尋の谷である。
だから、うっかり洞内から飛び出したりすれば、一発で死亡確定だ。

それにしても、この穴が本来の目的で利用されていた時代は、ここはどうなっていたんだろう。
さすがにこの状態で仕事に使っていたとは思えず、手摺りのある桟橋や階段が用意されていたのか。
ただ、それらを固定していた跡も見えず、地表ごと崩壊した可能性もあるが、謎は大きい。




9:02

ワサビ沢トンネルとの位置関係は、こんな感じ。

もっと見上げる感じになるかと思ったが、ほとんど高低差は感じない。
ただ、明らかに真っ正面ではなく、10mほど軸線がズレている。
両岸のほぼ同じ高度に、相対する二つの坑口が口を開けているという状況は、
両者に深い関係があることを強く疑わせるものではあるが、このズレは何を意味するのか。
S字を描きながら北沢を横断するルートは想定されうるものなのか。

洞奥へ向かうことで、この穴の正体が明らかになることを期待したい。

入洞開始!




不快度の高い、不気味な穴だ。

こんな穴が、こんな場所に人知れず口を開けて……、

平穏に暮らす我らの世界と、ずっと繋がっていたなんてな…。

排水が上手くいっていないようで、洞床には朽ち木をたくさん浸した水が30cmほどの深さで溜まっていた。
今さら足を濡らしたくないから引き返すという選択肢はなかったが、先行きに不安を感じるスタートだ。
もし坑道がこの先下って行くなら、早晩、水没によって進めなくなってしまうだろう。



バシャ… ボシャ… バシャ…




朽ちた支保工を潜り抜ける。最も一般的な三つ枠に組まれており、材質も坑木で最も多用された松材っぽい。
支保の固定に使われている金具は鎹で、これも木製支保工づくりの最も標準的な固定法。
どこからどう見ても、人道サイズで掘られた古い廃坑のような姿だが、ありふれていて、正体が掴めない。

写真には、妙に角張った白っぽいまるでコンクリートのような岩が、左右に4つ写っている。
配置も含めて、いかにも人工物のように見えると思うが、これはどうやら天然の岩で、
単に落石したもののようだった。そのためこの部分の支保工は全て崩れていた。



ボシャ… バシャ…




9:03 (入洞1分後)

入口からおおよそ20m、コンクリートのように見える落石の間を通り過ぎると、今度は天井に、
本物のコンクリートが打ち込まれた部分が二つ現われた。しかし、目的は不明。
そしてその直後、坑道の断面が一回り小さく変化していた。

今度は、断面変化の前後を仕切るように、洞床にコンクリート製の低い壁があって、
その壁を貫通して塩ビ製のパイプが這わされていた。
狭洞部分から水抜きをするためのパイプのようで、狭洞部分は水没を免れているようだ。

よく分からないモノがたくさん目に付くが、穴の正体を知る決定打は現われない。
ただ、塩ビパイプの存在は、この穴の使われていた時期が
昭和30年代以降であろうという程度には、僅かに狭めてくれた。




「ステージ2」

狭洞部へ…

最初から少し広い人道サイズの坑道だったが、ここから先は狭い人道サイズといえる。
両の肘が同時に左右の坑木に付くくらいのサイズ感。窮屈で、やがて嫌になりそうだ。

いいニュースもあって、狭洞区間に入ってから、急に坑木の状態が良くなった。
新しいものなのかは分からない。単純に狭い坑道ほど安定しているだけかも知れない。
洞床が水溜まりではなくなったのも、嬉しい。少し泥濘んだ、黒っぽい地面だった。

写真は振り返って撮影した。
支保の形に四角く区切られた外が、昔のテレビの広告のハメ込み合成のように見えている。
対岸のごく小さな範囲だけが外の全てであり、見慣れた日常とはなかなかに隔絶している。

一体私は、何に踏み込んでいる?





数を数えだした。


坑木の柱に雑に描かれた手書きの文字が。
右の白いカウントは目立つが、左の柱にも赤い文字で同じカウントがある。

おおよそ1m間隔で立つ支柱だけに、これは距離を知る手掛かりになりそうだ。
だが、カウントアップなので、終点までの距離は、分からない…。




1,
2,
3,
4,
5,
6,
7,
8,
9,





10

9:05 (入洞3分後)

―終洞―

極めて唐突に、

しかし、このサイズの坑道の終わりとしては、外に考えられないという当然の姿で、

終わっていた。




最後のメッセージがあった。

「30.0」

坑口からの距離を示しているとみて間違いないと思われる。


苦闘の末に、30m。

短くもあり、長くもあるような、不思議な印象……。




改めて現在地の確認。

現在地は、ワサビ沢トンネル北口から北沢を挟んだ対岸の河床比高約30mの岩壁に開口した穴の最深部で、坑口から30m地中へ入った地点だ。

坑道は直線だったが、断面は2種類あり、前半20mと後半10mで異なっていた。
洞内に分岐はなかった。

なお、この方角にまっすぐ隧道を伸ばすと、約8km先で地上に出ることが地図上から測定される。
そこは徳本峠を越えた上高地の奥地、登山者によく知られた明神橋の付近である。
もし、そのようなトンネルを掘るための試掘坑であったり、掘りかけの導坑であったら楽しいが、さすがにこれは私の妄想に過ぎない。

ここまでの洞内には、どのような目的で穴を掘ったのかを示す決定的なものはなく、敢えな終点の壁を迎えたことで、謎は謎のまま穴の探索を終える





かに思われたが



本当に最後の最後、正体判明の決定的アイテムがあった。



先ほどから写っていた、最後の支保工からぶら下がる黄色い糸のようなものは、

測量用糸というもので、もちろん測量用に使うものだ。

トンネル工事で実際に使っている場面を見たことはないが、工事現場や測量現場で目にしたことがある人は多いはず。



ということで、つまり、



この穴の正体は、砂防ダム工事用の試掘坑。

木製支保工というなんとも古びたアイテムの存在感から、古い坑道のように見えはしたが、
搬入や組み立ての容易さやコストの良さから、現代も特定の場面において木製支保工が利用され続けている。
それは短期間の利用しか想定しない種類の穴で、その代表が、地中を調べるために掘られる試掘坑だ。

ダム工事は、ダムそのものの構造ど同じくらい、ダムを支える岩盤の堅牢性が重要であり、
工事に先駆けて建設予定地の地盤を試掘によって確かめることが、必ず行われる。
だから、ここに至る途中の道で砂防ダム工事の匂いを感じ取っていた時点で、この穴は試掘坑だった。

それでも私は、位置的に見て、万に一つこれがワサビ沢トンネルに連なる“第4のトンネル”の導坑の可能性もあると思ったから、
この苦闘に身を捧げたのであった。もちろん命までかけるつもりはなく、これよりもう少しだけ危険なら大人しく引き返していたはずだ。

洞内で鉱石の採掘が行われた形跡が全くなく、分岐もなく、
長さも、直線であることも、これまで私がいろいろなダム予定地で見てきた試掘坑の構造と同様であること、
そして測量用糸の存在と、ここが実際に砂防ダム工事の予定地だと確信していることなどを総合して、

穴の正体は、砂防ダム工事のための試掘坑と判断した。




9:06

Mission complete.

謎を突き破り、晴れやかな気分で地上へと帰還した。

穴の正体は想定の範囲を出るものではなかったが、得がたい経験を得られたように思う。

途絶したワサビ沢トンネル北口を、これほどまでに誇らしい気持ちで眺めた男は、未だかつていなかっただろう。

これほどのものを残しながら、ここに作られるはずだった砂防ダムと関係者達は、どこへ消えてしまったのか。


探索は、あと少しだけ続く。




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