2012/6/1 16:27
古老ばんざい。
持つべきものは、やっぱり古老。
コローサイコウ!
というわけで、捜索開始から30分。
短いようで結構長く感じられた30分ではあったが、
← この位置に見つけてしまった。
開口する、廃隧道。
GPSをすぐさま確認すると、ここは太郎丸隧道から250mほど南側の尾根であった。
どう見ても、これが目指していた隧道であろう。
かなりの量の土砂が堰のように積み上がっており、坑口自体も上部に移動しているように思われる。
しかし、坑口上の苔むした岩盤には大きなひびも見られず、いかにも堅そうだ。
…これは、時間が経過している。
明らかだった。
天井から徐々に崩れ落ちた土砂が、砂時計のように地面に積み重なり、その分だけ坑口が上部へ移動するのである。
素掘の隧道でときおり見られる光景だが、単純な隧道の崩壊とは異なるものである。
ぐしゃっと崩壊していなかったのは、まず第一に喜ぶべき事であった。
おかげで、内部を覗くという楽しみが次に生まれた。
綺麗だなー。
え? 勿体ぶるなって?
了解、了解!
もちろん、行きます。
古老曰わく、「だいぶ前に崩れてしまった」とのことであるが、
閉塞しているとか、どういう風に崩れているというのは、敢えて伺っていない。
もとより自分の目で確かめるつもりだったし、その楽しみは取っておきたかったからである。
そんな「勿体ぶり」をしていただけに、隧道を見つけられず退散という事は、本当に許されなかった。
見つかって、本当に良かった!!
坑口に今、攀じ攀じ。
勿体ぶってないよ!
どうだい、綺麗だろ。
廃道が、私にそう誇っている気がした。
夕日に照らされた小国の里を背景に、
まっすぐ伸びた古き掘割り、古き道。
ここに至るまでの惨憺たる路盤を忘れさせる、奇跡の保存状態だった。
同時に、これだけの掘割りを設けた建設者の「本気」にも惚れた。
ほりわりにほれたって… ぷぷ。
よし。
第二関門(坑口より見える範囲)も、クリアー!
ただし、風は感じられない。 光も、ない。
坑口がかなり上部へ遷移していると書いたが、
内部はその遷移分を取り返すべく、まるで斜坑のような下り坂で始まっていた。
それは少しだけ不気味で、厭(いや)な始まりだった。
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16:28
下りながら、振り返る坑口。
隧道と言うよりは自然洞穴の造形だけど、開口し続けてくれることに感謝。
これだけの断面積があれば、まだまだこの坑口は保ちそうだ。
上の写真を撮ったのと同じ場所で動かず、今度は洞奥方面を撮影。
まだ、だいぶ下っております…。
断面がさほど小さくないのが救いだけど、
光の見えないところへ下って行くほど、気持ちの悪いものはない。
光の見えないところへ下って行くほど、気持ちの悪いものはない。
重要なんで二度書いたけど、これは共感して貰えるはず。
登りだと、こんな気持ちにはならないんだが。
“砂時計”理論の洞内を、まず底まで下ると…。
また振り返ってるし…(苦笑)。
どうもあんまり、気が進まないようですよ。
引き返すという選択肢は今のところ無いんだけど、振り返って心細さを紛らわせるという選択肢は、いつでも私の第一手である。
ズンズン行けるほど、太郎さんの中の居心地は良くないな…。
しかも振り返ったら、ついでに「変な穴」も見つけちゃうし…。
穴の前が赤っぽいのは、何者かが掘った残土だろうか。
変な穴の断面は、入り口でも30cm四方くらいしかない。
だから人が出入りするためのものではない。
して、肝心の奥行きはというと、これもせいぜい1mかそこらと思われる。
ライトを向けると、尻すぼみになって閉塞しているのが見えた。
一体何のための穴なんだろうか。
地質調査用? でも横穴ってのは不自然。
水抜き? 水が出てる気配もないしなぁ。
動物が掘ったのか? 可能性はあるかも知れないな。
フシギなミニ横穴だった。
穴だな!
隧道というよりは、まるで穴だ。
太郎丸隧道の素掘部分もこれと同じだったが、まるで川底のような一面砂礫層の隧道である。
掘削自体は比較的容易であったかも知れないが、完成後の風化は堅牢な岩盤よりも早いはず。
緩やかな曲線に支配された内壁には、人が鑿を叩いた痕跡が全く見られない。
風化したのである。
もっと言えば、もとの表面は砂と化してサラリサラリと洞床へ降り積もったのである。
おそらくいま私立っているこの場所も、本来の洞床よりは数10pか1mくらいか、そのくらいは高い場所なのだろう。
しかしともかく、元々の隧道の断面の大きさから、大きく変化はしていないと思う。
すなわち、幅2.5m、高さ2m程度と見る。
古老の証言(幅1間=1.8m)よりは少し大きく、太郎丸隧道よりは明らかに優遇されている。
これならば荷を付けた荷車はもちろん、ぎりぎり馬車も通行できるかも知れない(馬は嫌がりそうだが)。
しかし、ここに来て出口の光が見えないのは、由々しき事態っぽい……。
え?
なにこれ?
反対側坑口からの、意図的な埋め戻し?
いや、それどころじゃないんじゃないか?
や ば そ う・・・。
16:29
いま、私の目の前には
俄には信じがたい光景が展開
していたのだが、その説明は次の写真で改めてする。
興奮の余り勢い吹いた息が水蒸気となって眼前に籠もり、フラッシュ撮影の視界を大幅に奪ってしまった。
しかしもちろんこの視界不良の主たる原因は、本来の空気のよどみにこそあった。
閉塞の可能性が極めて高くなった。
そしてこのとき、これまでの穏やかな砂礫層は終わり、不気味な血の色を纏った泥岩(らしき)層に突入…。
トンデモナイ事になってるぞ!
凄まじい大崩壊により、隧道の断面がめちゃくちゃになっている。
これでよく閉塞せずに持ちこたえているものだが、
坑口が上方へ遷移していたのと同じことが、洞内でも発生していた。
遙かに大きな規模で!
もう、自分が地中のどこにいるのか分からない状態だ!
本来の坑道があった位置よりは、おそらく10m以上は高い位置にいる。
この写真にしてもおそらく水平な状態で撮影していないが(見上げて撮った)、レベルを測るものが全く無いので、今となってははっきりしない。
しかし記憶としては鮮明で、とにかくありえないほど登らされたのである。
坑道ではない空洞は、地中を登っていく!
隧道には“下って”入ったが、まさか洞内でこんなに登らされるとは……。
こんな“洞内登山”と言えば、思い出すのは、二つの隧道。
一つは安房白石隧道、もうひとつは男鹿林鉄の男鹿山隧道(『日本の廃道 第32号』)だが、どっちも結末は…。
これが、終点?
10〜15mは登ったと思うが、ようやく地面が水平になった。
もちろん、突き固められた洞床とは違って、落盤したままの土砂が激しく凹凸しているが、上り坂ではなくなった。
そしてこの膨大な岩石が本来あった場所には、その量に匹敵する巨大なホールが出現していた。
人の手を離れた隧道が、これほどの異形へ変じようとは…。
古老はこのことを知っているのだろうか。
これは私の想像だが、隧道の完成から暫く経ったときに最初の徴候…
現状のような状況になる予兆としての最初の崩壊があって、それを目の当たりにした村人か、あるいはもっと専門的な技術者が見立てたのかも知れないが、いずれ「この隧道はもうダメだ」と、そう判断されたのではないか。
その後も地中では人知れず、重力のおもむくままに崩落が続いていた。
不用意に山の芯を抜いた人類に対する、無言の意趣返しのように…。
…そんな不気味な想像をしたのである。
信じられないかも知れないが、この写真は、
今登ってきた空洞を、見下ろして撮影している。
10〜15mと書いた高低差が決して誇張ではないことが、お分かりいただけるだろう。
ちなみにこれだけ広い空洞があっても、コウモリ達には居心地が良くないらしい。
広すぎるのが良くないのか、現在進行形で崩れているのが嫌なのか…。
洞奥方向の曇りが酷いので、無呼吸で晴れるのを待つ間、ノンフラッシュ撮影。
もう、この隧道が貫通している期待は「ほぼゼロ」だが、
一応セオリー的には、末端部から下りへ転じる空洞の可能性があった。
私には最末端部を確認する必要があったのである。
末端部。
ここで再び地質が変わり、最初と同じ砂岩層となった。
この地質なら、洞内に再び平和が訪れるかもしれなかったが、
完全に手遅れだ。もう…。
あと数メートルで、完全決着の最末端部となるが、
そこに待ち受けていた衝撃も、生半可なののでなかった。
私は本当に驚いたよ…。
隧道という名の空洞は、完全閉塞。
通り抜けの不可が、確定。
驚いたのはそこではなく、根っこ が出てたこと。
天井から、生きた根っこが垂れてきていた。
根っこのDNA鑑定をすれば、樹種なり草の種類なりが分かるであろうが、
そんなことをしなくても分かることがある。
それは、ここが地表から浅い場所だという事。
ツルハシを持参して数ヶ月作業をすれば、私1人でも隧道を貫通させられるかも知れない…。
ただし、どこへ出ることになるかは全く見当が付かない。
それにしても、ラストに待っていたのが“隧道猫”(ハクビシン)ではなく、隧道“根っ子”とは… ぷぷ。
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