廃線レポート 奥羽本線旧線 赤岩地区 <導入>

2005.1.2




 これから紹介するのは、奥羽本線の旧線である。
場所は、福島県福島市赤岩。
最寄り駅は、同線赤岩駅である。

奥羽本線については、名前くらいは全国区だと思うし、今さら多くを紹介する必要はないだろう。
福島と山形と秋田と青森を結ぶ、全長485kmの幹線鉄道で、全通は明治38年である。

赤岩という地名はかなりローカルではあるものの、鉄道ファンにはよく知られたる4駅連続スイッチバックの一つ赤岩駅は、まさに 赤岩地区の中心駅である。
最も、この書き方は二つのアヤを含んでおり、まず一つ、4駅連続スイッチバックは既に過去のものであると言うこと。
そして、「中心駅」と言うには相応しくない、秘境閑散駅であるということ。
いわば、奥羽本線きっての、ローカル駅なのである、赤岩は。
普通なら、駅などありよう筈もないような山中。
失礼だが、そんな場所だ。

そして、この赤岩に、豊富な旧線遺構が眠っている。
その古さ、残存度、規模の大きさ、どれをとっても、全国区に通用するだろう大ネタである。
そのことは、断言できる。

断言できるが、いかんせん、その情報は既に多く出回っている。
もはや、新鮮なネタではありえないかも知れない。
いわば、既出。

だが、知られたる遺構であるが、私は挑んだ。
正確には、我々、3人。
しかも、丸一日を掛けての大掛かりな、腰を据えた探索を、行った。
そして、喜ばしいことに、その成果として、これまでいくつもの書籍や、或いは有力サイトにて紹介されることの無かった発見を、成した。

以下に紹介するのは、我ら山行がによる、奥羽本線旧線赤岩地区の探索の顛末である。
なぜ始めに、このようなまどろっこしい前置きをするかと言えば、この奥羽本線の膨大な遺構群を語る語り口は無数にあるし、関連する情報もまた、膨大であると言うことだ。
そこにあって、敢えて山行がが示すのは、通り一般の廃線レポートではなく、あくまでも『ランドエクスプローラー』の記録でありたいと願う。
その方が、私も紹介が容易い。
率直に言って、各遺構の歴史的経緯、構造の正確な評価、描写などは、全く自信がないし、
鉄道遺構に疎い私が、それらを一から学びながら紹介するという手間を、私は放棄した。
それよりもむしろ、いつものノリで行きたい。

ただ、誤りは正して欲しい。
そして、有用な情報があれば、これを教示して頂くことも有り難い。

理論武装に長けた諸兄には物足りないレポートになると思われるが、幸いにして、他所へ有用な情報を探せば、枚挙に暇無い。
それらの一部を予め紹介するので、各人の好みで目を通して頂くことを推奨したい。

もちろん、いつも通りの予備知識一切無しでも、アツくさせられるよう努力はする。
では、まずは推奨資料の紹介。

 ●相互リンクサイト
  NICHT EILEN 「ニヒト・アイレン」
 ●書籍
  全国鉄道廃線跡を歩く [(JTBキャンブックス刊) 
  奥羽本線福島・米沢間概史 (進藤義朗著)



 導 入
2004.11.20 前夜より早朝


 刻は2004年11月20日。
私は、前夜半までの仕事を終え、帰宅するとすぐに準備を整えて、迎えを待った。
同じ秋田市に住まう細田氏が、新車に乗って現れる。
午前1時、出発。
秋田中央ICから一路高速を乗り継ぎ、はるばる福島飯坂ICまで直行。
高速を降りて間もなく、もう一人の仲間との集合場所であるコンビニに到着。午前4時過ぎ。

時折雨の落ちる夜。
コンビニだけが光を灯す郊外。
いっとき浅き眠りに落ちる私と、細田氏。


午前6時30分。
予定通りの時刻に現れた車。
降りてきたのは、くじ氏

メンバーは集結した。
今日は赤岩の旧線探索。
そして、明日は万世大路工事用軌道の合同調査だ。
でも、今日は今日で燃え尽きる覚悟で臨む。
そうしなければならない難所であることは、織り込み済み。
なお、細田氏のみ今日が終われば至急帰秋して、明日朝より仕事。
それは、ハードワーカー。

午前7時、改めて赤岩へ向けて出発。




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慣れない土地で、多少の道誤りはあったものの、まもなく赤岩へと通じる、ただ一つの車道へと分け入る2台。

赤岩駅は、奥羽本線の起点福島から僅か3駅目。
3駅目だが、既にそこは奥羽山脈の真っ直中。
赤岩駅の唯の常用利用者が住まうただつの集落、太平への道はつだけ。
松川の刻む深い峡谷を高巻きながら延々と7kmの舗装林道。
これをこなしてようやく、太平集落。

途中、小綺麗な乗用車とすれ違い。
それは、おそらくありきたりなマイカー出勤風景。
その景色はいかにも、福島という中核都市、県庁所在地の近郊らしきもの。
だが、その通い道は壮絶。
まさに、壮絶。
断崖に張り付くような…絶対に冬は通れ得ぬ舗装林道。

失礼だが、駅がなければ人が住まうことが出来ない場所だとおもう、赤岩は。
ちなみに、車道は太平で行き止まりで、その先の板谷へは、もう直接車では行けない。



太平集落も近づく林道終盤、振り返るとこの景色。

あの松川のV字峡のひらけた先は福島市街だ。

なんていうところにあるんだ!太平!赤岩!

そして、この谷底には、明治30年代に建設され、そして今は新幹線も通っている、奥羽本線の鉄路。

泣かせる。
既に、感無量。


午前7時35分、さすが自動車。
早い。
チャリならこうは行かぬ難路を、いとも容易く突破。
太平集落、松川河床から200mも高い山頂に拓かれた牧農村。
残る民家は数軒で、分校も今は閉校されて久しい。
だが、ちゃんと電気も通っているし、舗装路が通じている。鉄道の駅も間近。
もちろん、福島市内。
福島駅まで電車で15分という。
これだけ聞けば、普通の街。

ただ…、

駅は間近だが…、間近だが…。

その比高、200メートル!

集落の端で舗装は途切れる。
松川の谷底に奥羽本線は通っており、かつてスイッチバックだった赤岩駅も、その谷間にある。
集落からは、直線距離で200mで、一応駅前まで車道もある。
あるのだが、その道はまさしく命懸け。
ガードレールなど無い、幅2mの轍。
車道外は須く斜度60度以上の激烈斜面。
そこを、ヘアピンだけで飽きたらず、スイッチバックで下っていく!
チャリできていたら、既にここもネタになっていたに違いない。そんな道。

激しい。
とにかく激しい駅前のメーンストリート。



馬鹿みたいに下ると、遂に線路が現れる。
何とも立派な複線の線路。
ありえない。

そして、滑るように現れ、風のように消えていく銀の矢、つばさ。
緑のラインを纏う新幹線車両が、赤岩駅を減速せず駆け抜けていく。
しかも、列車は新幹線と、在来線のアルミ車輌とが、結構な頻度で行き来している。

と、都会的だ。
どこが秘境駅なのか…。
押角のようなイメージは、全く通用しない。
何となく乾いた駅。
非常に、人臭くない駅だ。
もともと当駅は信号所由来だし、スイッチバックのためにどうしても停車しなければならない故の駅昇格という気もしないでもない。
それでも、明治43年開業という、かなり由緒正しい駅なのだが。
いずれにしても、新幹線の登場と共にそのスイッチバックすらなくなってしまい…。



駅前最後の下り坂。

スイッチバックの名残はもろ残っている。
下に架線柱が見えるのが現在線で、現在の駅や待合室は、この道をまだ500mもまっすぐ行った先である。
はっきり言って、駅前と思しき場所から、現在のホームは遠すぎる。
で、この下りの先は、それそのものが線路の跡。
スイッチバック時代の赤岩駅があった場所に他ならない。
スイッチバックのつっこみ線が、ホーム跡から手前の藪へと続いており、その奥にはつっこみトンネルもそのまんま残っている。

まあ、赤岩駅一つとっても、かなり廃線マニアを退屈させない遺構が盛りだくさんなのだが、私たちの目的はそれらの詳細な紹介ではないので、端折る。
とにかく、こうして駅へと到着した。
午前7時50分。


車を適当なところへ停め、いよいよ徒歩探索の準備をする。
装備を調え、車を離れたのは、午前8時17分。

これから向かうのは、この赤岩駅の少し福島側に点在する、旧線遺構群。
明治時代に放棄された幾多の遺構が、顕わになる時も、間近である。

しかし、その前にトンネルと言えば黙ってはいられぬ。
すぐ背後に大きな口を開けているつっこみトンネルを、極めようじゃないか。
我々の最初のターゲット。
それは、赤岩駅スイッチバック遺構の一つ、つっこみトンネルだ。







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