廃線レポート 奥羽本線旧線 赤岩地区 最終回

2005.1.20

 奥羽本線赤岩旧線群、いよいよ最終回。

目指すは、新6号隧道。
2代目線に建設された2隧道のうちの一つで、その内部は4代目松川隧道に干渉しているといわれる。

前回に紹介した第4号隧道もまた、同様に現在線との干渉により閉塞していた。

我々は、この探索の最後の隧道で、何を見ることが出来るだろう。

 


 長谷橋梁跡の戦い
2004.11.20 11:50


 開始から4時間近くを経過して、やっと我々の探索ターゲットも残り僅かとなった。
初代線の7号隧道に始まり、6号、5号、4号の各隧道、および初代松川橋梁を見てきた。
そして、2代目線の新5号隧道など、これで本日3度目の通過である。

最終ターゲットである新6号隧道は、新5号隧道の米沢口から、僅か100mほどの位置に口を開けている。
だが、そこを隔てるのは、最後の難所、長谷橋梁跡だ。

僅か半径1kmほどの円内に、これほど大量の廃隧道・廃橋などが点在するというのは、経験上稀で、それだけこの地が険しいという証だろう。

 長谷橋梁跡の攻略もまた、踏跡なき斜面との格闘に他ならない。

幸いにして、手がかりは豊富である上に、途中等間隔に並ぶ3本の橋脚が、安心な羽根休めとなる。

しかし、滑落すれば40m近い岩場を滑り落ちる羽目になる。

もう二度と登っては来られない体になるだろう。





 二本目の橋脚。

各橋脚はだいぶ森と同化しているが、破壊には至っていない。

殆ど視界を奪うほどのブッシュが、高さから来る恐怖を隠してくれる。

本橋は100m近い延長があると思われ、慎重に進む我々をなかなか離そうとしてくれなかった。




 写真にすると大したことはない感じだが、足場が決して安定していないので、これでも結構恐い。

でも、本当に怖さを感じたのは、蝮沢橋梁同様、最後だけだった。





 3本目の橋脚。

やはり森と同化していて、対岸の初代6号隧道付近からは見えないことが多い橋脚だ。

3人は、私を先頭にして一列に、この崖を進んでいく。

橋脚の向こうに、いよいよ黒いモノが見え始めている。

しかし、まだ難所は続いた。



 こういう景色を、静かなる難所 という。

もし貴方が、斯様な悪地の探索に身体を捧げた人であるならば、分かるはず。

派手な断崖、岩場。
確かにそれは、緊張させられる、一挙手一投足で正否が決まる危うさがある。

しかし、本当の難所は、決して派手ではない、こんな土の斜面であることが多い。
土の斜面は、滑り落ちても平気と思われるかも知れないが、一度落下の加速度が付けば、そのまま谷底まで滑っていく定め。
それが予感されるだけに、安定感のない土の斜面こそ、一番恐い。
どこに足を置くかという確固たる“答え”が無く、それこそアドリブで体重を移動させながら、或いは全身で崖にへばり付きながら、登らねばならない。

この土の難所を前に、細田氏が棄権する事態となった。
私とくじ氏で、4号隧道前に立った。



 記録によれば、延長407mを数える、新6号隧道。

松川の右岸を貫く長いこの隧道を抜ければ、そこはあの大重力式橋脚のある2代目松川橋梁に続いているはず。
しかし、現在はその線上、
昭和43年竣工の4代目線松川隧道が重なり合っており、内部に干渉していることは間違いあるまい。

風のない静かな坑口の奥に真実を求め、

  いざ侵入開始。





 新6号隧道 内部
2004.11.19 12:13


 振り返るとそこに細田氏がいる。

彼は、最も米沢よりの橋脚の袂に身を寄せている。

ところで、長谷橋梁の此方側には、明確な橋台跡が無い。
先ほどの土の斜面が、その代わりとなっている。
これは、橋台が撤去されたと言うことなのだろうか?
いや、おそらくはそんなことはするまい。
崩落して消えてしまったと考えるのが、自然だろう。

細田氏に見守られながら、最後の隧道探索が、始まる。



 例によって、私のカメラの広角性能では、隧道前の狭いスペースから全体像を撮影することが出来ない。

坑門は、もはや見慣れたといって良い煉瓦製のもの。
そしてシンプルなデザインである。

そろそろ、コメントが思いつかない(苦笑)。
一日で、煉瓦隧道を沢山見過ぎた。





 本隧道にも、第4号隧道に見たものと良く似た、工事記録と思しき銘板が見られた。

竣工年月日 昭和30年12月5日
施工者名  仙鉄工業株式會社
施工区間  第2松川隧道 13K 466M 000
                  13K 805M 000
施工数量  背面導水排水溝 7カ所
     

仙鉄工業という会社は、現在少なくともその名前では残っていないようである。
工事の内容は、先ほどの4号隧道と似たものだったと思われるが、施工箇所数はぜんぜんこちらが少ない。


 相変わらず、最近人が入った気配の全くない、静かで、殺風景な洞内。
これと言って変わった様子はない。
果たしてどこまで続いているのか?

くじ氏と二人、この地で最後になるだろう隧道探索を、満喫しようと、目を凝らして進んだ。




 他の隧道には見られなかったと思われる、側壁の石組み。
天井は煉瓦である。

まだ、洞口から50m程度。




 想像していたよりも早く、その展開は現れた。

坑口から100m程度進んだ場所で、早くも向かって左側の壁が、分厚そうなコンクリートに代わり、それが見る見るうちに、内空間を圧迫してきた。

地図上から推測するに、4代目松川隧道との合流地点であると考えられる。
この新6号の全長は407mで、4代目松川隧道のそれは、1020mもある。
そしてこの2隧道は、米沢方坑口が一致しており、4代目建設時に2代目の隧道の一部を再利用したという記録があるので、まさにそれを裏付ける発見である。

2隧道は、米沢方坑口から300mほどの地点で別れていたようだ。
そこから、2代目隧道は直進し100mほどで福島方坑口へ。
一方の4代目はさらに地中を進むべく、右カーブの先になお600mほど隧道を掘ったことになる。

果たして洞内接続はあるのか、期待しつつ、進む。



 左側の壁がどんどんと隧道を圧迫しているというのに、平然としているように見える右側の壁が、何か滑稽である。
そこにはまだ、第4号隧道や新5号隧道といった2代目隧道群には共通して見られる、木札が残っていた。
煉瓦の壁は煤で真っ黒だが、対峙するコンクリの壁は、当然のように真っ新である。
4代目隧道は昭和43年の竣工であり、この両者を隔てる壁も、同時に建設されたものであろう。



 壁は、みるみる狭まってくる。
その狭まりの先に、最後を見てはいたが、それでも我々は歩みを止めない。

壁に閊えて進めなくなるまで進んでやる。


そう言えば、この景色って、栗子隧道の新旧接触地点にも似ているな。
あっちは、蒲鉾型の隧道そのものの形をしたコンクリが、古い方の隧道から眺められたが、こちらは真っ直ぐな壁で隔てられている。




 初めてコンクリの壁が現れてから、僅か30mほどで、我々の進路は完全に断たれた。

これで、今回計画した隧道探索は、全て終わったことになる。


達成感と、いささかの脱力感を感じた。

遠方の人間が半日で得た探索の成果としては、まずまずと自負しているが、今回の探索を通じて新たに疑問と感じたことも、幾つか出てきた。
例えば、工事用軽便鉄道隧道について、また、第4号隧道の未発見横坑の謎。
など。

正直、最後は少しあっけなかったが、必ずしもドラマチックな展開ばかりではないのが、リアルな探索なのだろう。
帰投、開始である。




 コワシの穴の再来を彷彿とさせる、ただ一カ所のコンクリ壁の穴。

しかし、残念ながら目一杯詰まった土砂で、完全に埋め戻されている。
風の通る隙間すら、感じられない。
見たところ、かなり分厚い壁のようでもある。

これで完全に、終わった。



 完全燃焼とは言い切れぬ何かを感じながら、撤退を開始する我々。
大方の目的は果たしたものの、何かまだ、スリルが足りない気がした。


分かっている。

贅沢すぎるのだ。


しかし、我々は各地を旅するうちに、並みの刺激には慣れてしまった。
これって、意外に深刻な悩みである。
そして、結局、危険な崖や木橋へのチャレンジに快感を貪るのだとしたら、我ながら危険な兆候だと思う。
もっと自制せねばならぬと思う。
頭では、分かっている。


私も、くじ氏も、病気なのだ。(くじ氏は天然です)
おそらく、山行がの探険を繰り返す仲間は、遅かれ早かれ、取り憑かれてくるのだよ。
この、危険なスリル症候群に。



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 赤岩駅への帰投
2004.11.19 12:18


 細田氏と坑口で合流した我々は、すぐさま帰途についた。
帰りは最短の、松川河床を辿るルートで行くことに決まる。

そして、最初に崖を降りた。
強引に。

写真は、松川河床から見上げる新6号隧道坑口。
下るにはなんとか下れたけど、
ここから登ることは、無理かも知れない。




 細田氏の崖に張り付いた様子。

ごめん細田さん、危ないところばっかり連れ回して。

このルートは性急すぎたと、密かに反省した私なのであった。
ちょっと、濡れた斜面は危険すぎた。
結果的には、かなりの距離をショートカットできたわけだが…。




松川を500mほど遡行すれば、見覚えのある3代目・4代目の松川橋梁直下に至る。

その途中は、思った以上に深い淵が連続するゾーンで、腰どころか、胸まで水に浸かってしまった。
特に、細田氏は男気満点で、カメラを頭上に掲げたまま、その淵を渡渉して見せた。
流れの殆どない淵は、美しかった。
この切り立った崖の上には、今まで見てきた数々の遺構が眠っている。
その半分以上の距離は、地中にあるわけだが。



 松川橋梁付近の川原で見つけた、変な丸石。
野球ボール大のそれは、デザインも手触りもまるっきり、煉瓦である。

廃線跡から落ちた煉瓦塊が水流に揉まれるうち削られて、こんなカワイイ物体になったのだろう。
これもまた、赤岩遺構の一つである。
持ってくれば良かったと、後悔している…。



 赤岩駅があるのとは対岸の、4代目松川橋梁福島方袂に登ってみた。
手がかり豊富な斜度45%の斜面は、容易だが、足に堪えた。

写真左奥は、三代目松川橋梁。
二つの橋梁の間の河床には、既に見た大型重力式橋脚が、屹立している。

この場所へ最後に来たのは、目的があった。




 たしかに、僅かだが痕跡が見られたことは、嬉しかった。

4代目松川隧道の、何の面白みもない坑口の右隣、ほんの僅かであるが、相当に古びた印象の石垣が、覗いている。

確証こそ無いが、おそらくこれは、2代目時代の石垣ではなかろうか?

4代目隧道に改築されてしまったという隧道自体には、まったく、面影はない。
これを、あと300mほど潜れば、先ほどの新旧接触地点に迫ることも出来ようが、運休中ならいざ知らず、さすがにそれは無茶だ。
素直に、引き下がる。




 2代目松川橋梁唯一の橋脚が、此方側の岸辺からは間近に見ることが出来る。




 そこから最短ルートで赤岩駅に至る。
途中、俄と思った雨が本降りっぽくなってきた。

到着時刻、13時12分。
新6号隧道の最奥地点からここまで、55分ほど。
歩いていた時間は、実質40分程度だったと思う。