小坂森林鉄道 濁河線 第8回

公開日 2014.11.02
探索日 2013.05.02
所在地 岐阜県下呂市

難所、魔の連続崩壊地帯!


2013/5/2 11:08 《現在地》 

上部軌道の起点から1.9km(初めて上部軌道に到達した地点から0.4km)。
大規模な路盤決壊地点に遭遇した。

一ノ谷付近で遭遇した決壊(第4回)と良く似た路盤を横切る雨裂(ガリー)であるが、こちらの方が遙かに上下の落差は大きく、下方はおそらく150mの高低差をもって濁河川に達しているであろうし、上方も終わりが見えないほど遠くまで達していた。

したがって高巻き、下巻きの迂回は困難であり、正面突破が解となるが、先行して訪れた何者かも同じことを考えたらしく、決壊を横断するようにロープが張られていた。

ありがたくロープを補助に使わせて貰いつつ、ここを横断する。
わざわざロープを張った先行者は、単独行ではなかったのであろう。とても先が長い状況では、私も時を超えて心強い味方を得た気分だった。




ロープが張られた崩壊現場を越えても、路盤の状況は平穏であった元のようには戻ってくれなかった。

いよいよ、“林鉄跡”の本領発揮といった感じである。
路盤は連続して崩土の山に埋もれ、時折剥がれたレールが見え隠れしていた。
斜面と化した路盤には転び石が多く、常に慎重さが求められる。
ここでうっかり捻挫でもしたら、探索続行はもちろん困難だし、帰還することさえ容易ではない。

地形図を見ても、この辺りは等高線を横切る「ガリー」が数多く描かれている場所で、難所ということが傍からも分かる。
こうして実際に足を踏み入れてみたことで、現実も正にその通りであることが確認出来た。
そしてまた地形図によれば、この“嵐”は300mくらい続きそうであった。




海抜ちょうど1000mを通過する上部軌道路盤。
この辺りでは谷底との比高が150mにも達しており、谷側を遮る樹木が無くなると、途端に素晴らい見晴らしを得る事が出来た。
人跡未踏と言われても不思議ではない急斜面の連続だが、森林鉄道の周辺にはヒノキの植林地も散発的に現れており、先人達の苦闘が偲ばれた。

また濁河川の対岸へ目を向けると、そこでは本流と支流の兵衛谷によって挟まれた細長い溶岩台地が、異様な存在感を示していた。
溶岩大地は、太古の御嶽山大噴火により流れ出た溶岩流が、沢水に削り取られた名残であるらしく、本流と支流が最初は一つの巨大な谷であった。
溶岩台地側面には【蜂の巣のような柱状節理の断崖】が聳え、あらゆる往来を阻害していた。
台地上には、有史以来何者にも触れていない原初の森があるのではないか。そんな創造を逞しくさせた。




この辺りはさすがに、「荒れ果てている」と形容して良いだろう。

それでもレールの存在は、それが見える度に私を励ましてくれた。

こいつがいなくなる前に私がこの路盤から離れるのは嫌だと思った。



地形図からは、特に険しいのは300mくらいと予測していたが、
実際にはそれを過ぎても状況に変化は無く、危険なシーンが続いた。

そして、最初のロープが張られていた現場から400mを過ぎようとしたところで、
これまで以上に大きな決壊の気配を前方に感じ取った。 そこは、白かった。



11:23 《現在地》

まあ、何が起きたのかは大体想像出来る。

幸いにして傾斜角がそれほどきつくないので、普通に横断していくことが出来そうだ。
斜面に生えている木々の様子から見ても、ここが崩れたのはかなり前の事だと思う。
レールもどこかに流れ去っており、見渡す限りどこにも見あたらなかった。

旧版地形図により、路盤が更に奥へ続いている事を知っていた私だが、そうでなければ、
ここで終点だったと勘違いしても不思議はないような、大規模(幅の広い)崩壊だった。



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11:33 

約10分をかけて、道無き斜面を横断した。

特に注意したのは路盤の高さを見失わないで先へ進む事であったが、その甲斐があり、長い崩壊斜面を越えた先には、愛おしい路盤が待っていてくれた。




振り返る一連の難所地帯。

遙か遠くの対岸に見える平らな一画が、ワルクードを置いてきたスタート地点であろう。
あそこから延々と濁河川の谷を下り、渡り、上り、そしてこの路盤を歩いてきたのである。

おそらくだが、振り返ってスタート地点を見通せるのは、この辺りが最後になるだろう。
そんな感慨も込めながら、この景色を眺めていた。
この計画が無事に達成されるならば、今日の最後はこちらではなく、反対の下流側からスタート地点に戻るのである。まだまだ今日の私は、相当果てしない距離を移動しなければならない。



さらに数分間進むと、今度は一転して穏やかな風景になった。
まあ、穏やかと言っても地形はそこそこ険しいのだが、ヒノキが鬱蒼と茂る管理された植林地に安堵を感じた。
そしてレールも相変わらず健在であった。この辺りから再び路盤は濁河川本流を離れ、
その無名の支流が刻む谷へ分け入っていくことになる。



すばらしい!

ごく簡単な掃除だけで、すぐにでも使用を再開できそうな路盤だ!
上部軌道の初到達地点以東では、今のところここが最も理想的な保存状態である。

この植林地はやや長く続き、おおよそ200mほど、
ほとんど欠けなく連なるレールを堪能することが出来た。



11:39 《現在地》

無名の支流は、あっという間に路盤の高さまで駆け上がってきた。
ほとんど水は流れていなさそうな、河床に白い岩ばかりが目立つ谷。
だが、路盤が谷と交差する地点には、林鉄探索者の大きな夢と希望が詰まっているのをご存知だろう。

言うまでもなくそれは 現 存 橋 梁 に対する期待である。

果たして本地点には、何が待ち受けているであろうか。
待ちきれない気持ちで、前方の谷中央へとカメラのレンズをズームした。



レールが、谷を渡っていた。

レールだけが、宙ぶらりんになって、谷を越えていた。

やはり、橋の現存までは厳しかったか。

類い稀なレールの保存状況を見せつけられて、つい贅沢にも程がある、木橋の現存に期待してしまった。

…冬には大量に積雪もあるこの地方。
さすがに木橋の現存を期待するのは、無理だったか…。
落胆と、まだ諦めきれない期待を胸に、橋の袂へと急いだ。




うわ〜〜!! 惜しい!

これは、かなり近年まで架かっていたのではないかと思われる。

木造連続桁3連のうち、対岸の1連のみであるが、辛うじて落ちずに保っている状態であった。
落ちた2径間もまだ流失してはおらず、現場に桁の大半が残っていた。
状況から察するに、ここ数年内の大規模な増水によって第一橋脚が転倒し、
そのため第一第二径間が墜落してしまったものと見られた。



さらに本橋には、付随する別の遺構が存在していた。

それは橋の下流に平行して存在する、別の橋の跡である。

普通に考えれば“旧橋跡”ということになるだろうが、一般的な旧橋と異なるのは、旧橋の方が規模が大きいことである。
橋の長さ高さとも新橋(と思われる上流側の橋)より大きく、径間数も一つ多かったようだ。

一般的な橋の場合、より新しい橋の方が、時代の要請と技術の進歩の両面から規模も拡大化するのが普通だと思うが、木材輸送専門であった本橋ではコスト意識が優先されたのか、架け替えに、おいてより安価な橋に変更された可能性がある。
もちろん、橋を複線として同時に利用していた可能性もゼロではないが。




無名の支流を渡る3径間単純桁木橋。

橋は落ちても、なおもレールだけは己の使命に忠実であろうとしていた。
レールの締結部が重力で引きちぎられてしまうまで、おそらくこのままの形を留めるものと思われる。

対して既に河床へ着いてしまった桁は、遠からず完全に流出してしまうことだろう。



最後まで残った第3径間。

橋脚の基部が埋没しているので確認出来ないが、もしそこにコンクリートの土台が無ければ、完全なる純粋木橋ということになる。

構造的には単純木橋の見本のような姿をしており、かつては林鉄用だけでなく一般道路用としても、最も広く見られたものである。
しかし桁に使われている材木の太さは、さすが“木材の本場”と思わせる立派さだ。
これだけ苔生して腐朽しながらも、自重で倒壊していないのは、作りが良い証拠だ。




(個人的に感じる)現存木橋の魅力を抑えた、マニアックな接写。

木と鉄(レール)の合体が素晴らしい。

なお本橋は、桁の上にほとんど枕木を敷かずに、半ば直接に近い形でレールを敷いていたようだ。
その理由や企図は不明だが、既に見た一ノ谷の廃橋も同様の作りであったと思われる。

なお、新旧橋ともに橋台は石組みであった。




対岸へ達した。

こちら側の1径間は、その気になれば渡れそうだが、これ以上負荷を掛けたくなかったのと、
不必要なリスクだと思ったので、袂から1mくらい往復しただけでここを後にした。


橋の袂にある新旧線の分岐地点を振り返る。

左が旧橋へ向かうカーブで、奥に築堤が見えるが、レールは敷かれていない。
対して右が新線で、やや埋もれているものの、レールが敷かれていた。

このような路線更新の痕跡は、ここが確かに使われていたという証しでもあった。