小坂森林鉄道 濁河線 第6回

公開日 2014.10.07
探索日 2013.05.02
所在地 岐阜県下呂市

岳見台停車場は索道施設が現存!


2013/5/2 9:53 《現在地》 

ここまで私を導いてくれたレールは、最後には空中へと投げ出されるようにして、濁河川の落差100mを優に超える急峻な斜面へ消えていた。

小坂森林鉄道濁河支線は上部軌道と下部軌道からなっており、この地点…正式名「岳見台停車場」が、上部軌道の起点であった。
そして濁河川の対岸には探索冒頭に訪れた下部軌道の終点「倉ヶ平停車場」があり、両者を全長348mの濁河索道が連絡していた。

林鉄にとって索道は良き友のようなものであるが、索道の先にも本線のレールが続いているのは、全国的に見ても珍しい例だった。
多くの路線は索道を終点とするか、その先には手押し動力の作業軌道程度を敷設するに留めており、上部軌道にも機関車が入線していたとされる濁河線の上部軌道は特異だ。

そしてそんな特異な立地故に、岐阜県では最も遅い昭和46年頃まで軌道運材が営まれていた。
そしてそんな特異な立地故に、廃止後にレールを撤去することもままならなかった。
そしてそんな特異な立地故に、故に、

  秘 蔵 さ れ て き た 。


これからは、停車場の北半分にあたる索道施設部分を見ていこう。
↓ ↓ ↓



左は濁河川の谷で、レールの末端が索道の荷扱い場である“盤台”の残骸へ突っ込んでいる。
写真だといまいちスケールが伝わりづらいと思うが、盤台を構成していた丸太は太く、かなり立派な盤台だったことが分かる。

そして中央に見えるコンクリートの壁や右側に見えるどっしりとした建造物も索道施設である。
特に右の建物は索道の動力装置が納まっており、まさに心臓部と言っても良い重要なものだ。




第1回」と被るので長い説明は省くが、この図の“右端”に今はいる。

2本の支索(太いの)があり、2本の曳索(細いの…正確には一方は平衡索という)があり、
片側の支索には搬器が滑車でぶら下がり、搬器は別のワイヤーで固定されていた。

索道のことを知るには、実際にここへ来て見ればいい。それだけでいい。
そのくらい、ここには昭和40年代の索道駅のそのまんまが残っていた。

…下に入ってみようかとも思ったが、悲しいかな、本当に時間に余裕がない心配が…。
このことは、再訪時の楽しみに取っておこう。



このしっかりしたワイヤーが、遙かな対岸まで続いているのを見ると、
ハリウッド映画ばりの超展開アクションシーンを演出したくなる……。
物理的には、人間がこのワイヤーを伝って対岸へ移動することは可能だろう(笑)。

それにしても、索道廃止後に平衡策に取り付けられたらしいゴム管は、
ここまでの探索で、一ノ谷から沢水を倉ヶ平へ引き込むためのものだったと判断できたが、
いったいどうやって、空中の平衡策にゴム管を取り付けたのだろう。
まさか、人力による空中作業……。 生ハリウッド……?


そして、いよいよ


↑ こいつの出番だ。



こいつはマジで凄いものが残っていたものだ。

おそらく、建ったまま残っているこいつの貴重度は、同じ林鉄の関連遺構として見たときに、(2014年現在も現存が確認されている)定義林鉄の巨大木橋に匹敵するのではないかと思う。
そのくらい、遭遇し難い構造物だと思う。

無論、林鉄用の木橋がかつては数え切れないほど存在したのと同じく、索道の巻き上げ施設も当時は珍しいものではなかった。
しかし、“巻き上げ”施設というだけあって、こいつは普段は山の中でも特に山深い所に作られるうえに、廃止後には辿り着くための作業道が不鮮明になるなどして、当時を知らない私のような部外者が、索道巻き上げ施設の跡地を目にするだけでも“一仕事”である。
それでも、そこまではこれまで何度が経験している。
だが、そこに当時の巻き上げ施設が健在だったというのは、今回が完璧に初めてである。
(ちなみに、同様にレアだった“定義林鉄インクライン”の巻き上げ小屋は、撤去されたという未確認情報有り)

…これが倒壊せずに残っていたことは、奇跡に思える。

本当に凄い。


だって、もうお気付きだと思うが、この建物には全長348mもある索道の重みの一部が架かっている。

右の写真で赤く示したのが支索で、左端には緑で示したアンカレッジがある。
谷を越えてきた支索は、建物の中層部の一際太い梁(青い部分)で直接受けて(滑車などは使っていないようだ)アンカレッジへ方向転換させている。

この構造では明らかにアンカレッジだけでなく、建物も支索の荷重を受けている。
しかも支索は、運搬される荷の重さもすべて負うのである。
さらに支索に較べれば遙かに細く軽量であるとはいえ、曳索の方の重みは建物に納められた原動機の動輪が受けているのだから…
この建物が支えている、 …支え続けてきた…重みは、一体どれくらいだろう…。

建物として当然受ける雪や風の重みや衝撃だけでなく、索道に引っ張られるという極限状況で、昭和46年の廃止以降、少なくとも40年以上も(おそらく)ノーメンテでここに建っている。
引っ張られている影響なのか、建物全体が谷の方へと傾きつつあるように見える。
あるいは、もとから荷重を考えてそういう作りなのであったら大したものだが、ともかくこの建物には“定義の巨大木橋”同様、まだ頑張って欲しい。
消えゆく林鉄界の至宝として、欲しがりヨッキの心よりのお願いだ。



建物という表現は間違っていないが、“家屋”とはほど遠いもので、中に人が入り込むような空間はほとんど無い。そもそも周囲の壁もない。
内部にまで太い梁が張り巡らされ、索道の重みに耐えるべく、頑丈に頑丈さを重ねた作りになっていた。
そして、その中央部に鎮座するのが、巨大な動輪を持つ原動機。

もっとも、このような交走式索道の場合、動力で荷物を引き上げるということは余りなく、木材を重力に従って下げる際に、速度が付きすぎないよう曳索を制動するのが主な仕事だった。 それゆえ、さほどの大馬力は要さなかったようではあるが、直径が背丈くらいもありそうな動輪は立派で、その動輪に曳索を導くための軸付きダブル滑車も車輪のようで格好いい。

なお、肝心の原動機は重なり合う梁の奥にあるようで見えなかった。なぜか中に入って確かめなかったのは、たぶん木材の迫力に圧倒されていたから。
また、どこかに付属して操作のための運転台があったはずだ。それは見晴らしの効く盤台上にあったのかもしれない。



めくるめく発見と興奮に身を焦がしているさなか、足元にふと、青く光るものを見付けた。
こいつは、ひと目見て分かるサッポロビールの缶。当然のように古そうだ。
たぶんスチール缶(蓋は錆びてないのでアルミか)で、飲み口は(今では既に)懐かしいプルタブである。
ここで“MOWSON”とか突然言い出しても、今の読者さんには通じないかもな。

帰宅後にサッポロビールのサイトで調べたところ、プルタブ缶の採用は昭和40年で、当初(蓋以外は)スチール缶だったのがオールアルミ缶になったのは昭和47年だと分かった。

対して濁河索道の廃止は昭和46年なので、 

………林業関係者の仕事中飲酒乙?! 
(いや、仕事以外でもここに来た人はいたでしょう…たぶん)



これは岳見台停車場の見取り図。

とはいえ、足りない時間に焦りながら駈け足で見て回った限りなので、
正確性は大いに怪しいところで、いずれ再訪して埋もれているレールの発掘を含めて、
さらなる調査を行いたいと思っているところだ。



索道駅探索の仕上げに、建物の山側へ回り込んで、支索が地面に突き刺さっているアンカレッジのそばへ。

写真に見えている巨大なコンクリートもアンカレッジの一部で、建物の土台を一部兼ねているようだ。
これを含め、とにかく建物を堅牢たらしめるための気合いと根性と工夫が感じられる。
残念ながら建築の素人の見立てではあるが、こんなに小さな建物なのに、すべての梁が太く密で、
しかも外の柱には支え木(コンクリート構造物でいうところのバットレス)まであるという念の入りよう。
屋根だけは“添え物”だったようで喪失が進んでいたが、建物自体はまだ堅牢健在に見えた。


また会おう! 岳見台停車場! 

撤収! これより上部軌道終点へ向け転進!!!




第一部、完。

次回からは、“出会いの地” より終点方向へ初進撃!