2010/4/21 15:42 《現在地》
“源平クズレ”を背に起点方向を見ると、200mほど下流から、日向林道と軌道跡が上下に平行している様子が見える。(この写真は往路に撮影)
理念通りやるならば、この見えているその突端部から“踏査”を行うべきだが、既に時刻は午後4時に迫ろうとしており、明るい時間はもうあまり多くない。
このレポートは「千頭林鉄逆河内支線(第11回)」だが、時系列順では、「千頭森林鉄道 大間駅〜千頭堰堤(全?回)」(未執筆)と「千頭森林鉄道 千頭堰堤〜大樽沢(全11回)」を経てここまで、全て4月21日の行程である(そしてこの日は長期探索の4日目(最終日)でもあった。疲労の限界が近いのもご理解いただけよう)。
これまでのレポートを見てもらえば分かるが、私は自転車を千頭堰堤に残して、ここまで約13kmを延々と歩いて探索してきており、帰路はここから千頭堰堤まで日向林道経由で5km、そこからさらに車を停めている大間集落まで10kmある。つまり、ここはまだ超が付く山奥であって、そろそろ本腰を入れて帰路に就かないとヤバイ時間だった。
ということで、ここからは探索の目標を少し緩和する。
これまでは、“私の技術が許す限り”は、徹底的に軌道跡を“踏破”することに目的を置いていた。
だがこれからは、
“目視により確認出来た区間は、踏破を省略できる”ことにする。
ようは、軌道跡の現状が把握出来ればそれでよい。
ぶっちゃけ、林道から見下して軌道跡が一通り確認出来れば、それでも良いとした。
そのうえで、残された探索目標はあと1km強。
特に往路で目視さえ叶わなかった区間(紫の破線)を重点的に探索したいと思う。
“源平クズレ”左岸の尾根を回り込むと、前方の林道上に崩れかけた3棟の小屋掛けがあらわれた。
この林道上の建物については往路で紹介したので、復路では“4棟目の建物”を紹介し、そこから軌道跡の探索を再開しよう。
なお、“源平クズレ”からこれら“建物”までの軌道跡は、林道上から容易に目視されたので、探索を省略した。
所々崩れてはいたが路盤は明瞭で、橋やトンネルは見あたらなかった。
林道の20m下方に見える、大きな屋根の建物。
それが、“4棟目”だ。
そして林道上の3棟が休憩所、ウィンチ小屋、備品倉庫といういずれも“小屋”だったのに対して、この4棟目は立派な“大家”であり、前記を束ねる存在だと予想された。
林道からのアプローチは、これまた往路で紹介済みのインクラインである。(ウィンチ小屋とセット)
もちろんインクラインは動かないので、かなりの急斜面ではあるが、その梯子状になった軌道(軌框[ききょう])を足がかりに下って行った。
下降中。
いよいよ建物の全貌が明らかになってくる。
建物の背後に大きな空間が感じられるが、そこは逆河内の本流谷だった。
15:57 《現在地》
ハッとする美しさだった。
いや、建物自体は“小汚い”とも評されかねない、平屋の木造である。
しかし屋根の向こうに霞んで見える山河や、俗世からは全く隔絶された立地にあるせいか、この建物はこれでとびきりに美しく、愛着さえも感じられたのだ。
少なくとも、得体の知れない廃墟を前にしたときに感じる鬱々とした印象は、ここには全くない。
数時間前に本線の大樽沢で出会った廃墟もそうだった。
この建物の重要な点は、軌道の路盤上に建っているということだ。
つまり、古びて見えるこの建物も、軌道が廃止された昭和43年以前のものではないと言う事だ。
林道との位置関係を考えるに、昭和50年代、日向林道と同時に建造されたのではないだろうか。
では、この建物の正体は何か?
細長い建物には横に並んでいくつかの入り口があったが、正面玄関だけは扉や周囲が白く塗装されていて、また立派な表札が掲げられていたので、すぐにそれと分かった。
個人的に感涙ものだった表札の文字は…
千頭営林署
合地山製品事業所 逆河内製品作業場
白い扉にヒノキの表札。
厳格なヒエラルキーを感じさせる、表札の文字。
その全てが、まさに“官の装い”であった。
千頭営林署>合地(かっち)山製品事業所>逆河内製品作業場という階層構造で、製品とはもちろん林産製品のこと。とはいえ、実際の製品作業現場は林内がほとんどだから、こうした作業場の主要な用途は、宿舎や休憩所としてであった。
素朴な建物が貧相には見えなかった理由のもうひとつが、いま明らかとなった。
それは、建物の要所に滲み出た気品。
営林署=官業であり、山の仕事の頂点に長らく君臨し、山里の暮らしの中心に座した、その気風のようなものだった。
思えば、首都名を冠した東京営林局も、平成の行革で関東森林管理局に看板替えとなり、その下部組織だった千頭営林署も千頭森林管理署となったが、平成16年に業務縮小のため解体された。
いま目の前にあるこの建物の管理者を捜すなら、静岡森林管理署千頭森林事務所が該当するだろう。
平成22年6月29日(私の2度目の渡橋の約2ヶ月後!)に、無想吊橋の全面通行禁止が川根本町の公式サイトにニュースリリースされた際、その「問い合わせ先」として名前が挙がっている。
白塗りの官舎は、過去の栄華を象徴する惨めなものだと捉える向きもあるかも知れないが、それは千頭に限った事ではなく、国内の主要な林業地全てに言えることでもあるのだ。
話しが多少脱線した。
しかしこの表札には、私をしばらく扉の前で物思いに更けさせるだけの、破壊力があった。
そして、数刻後に我に返って扉を開けようとしたが、さすがは官舎…しっかりと施錠されていた。全ての扉が。
ということで、内部探索はナシだ。
軒先から振り返ると、そこには私が下ってきたインクラインがある。
軌間は計らなかったが、林鉄標準の763mmよりは明らかに広く、国鉄標準の1067mmかもしれない。
しかし、レールは細い林鉄用(6kgか)を用いているので、アンバランスだ。
両のレールは鉄棒で固定されていて、いわゆる梯子状をした軌框である。
それを地面に埋め込んだ丸太の上に固定していたようである。
この施設は掃除すれば再利用出来そうだった。(ウィンチはどうか分からない)
建物の上流側の側面を見ると、平屋が2階建てになっていた。
しかし、このこと自体は驚くに値しない。大樽沢の宿舎もそうであったし、斜面に建物を作れば自然こうなるのだ。
窓ガラスなども割れたものは見あたらず、廃墟とは言えないくらい綺麗だった。
そして、建物からは電線がウィンチ小屋の方へ延びていた。
どこかに自家発電機を置いていたのだろう。
また、建物の周辺に、見覚えの全くないオレンジ色のパーツが10個くらい散らばっていた。
ワイヤー同士を連結するような器具だろうか。2つの穴になった部分が、肝っぽい。
“製品作業場”から“源平クズレ”までの路盤は約300mがあるが、
その全線について林道上から目視による確認が出来ていたので、
先に述べた方針により踏破はせず、時間と体力の節約を図ることにした。
進路反転。
今度は下流側向かおうとするが、
そこは混じりけのない斜面だった。
あの小さな小屋(風呂?水タンク?)が無ければ、
ただの斜面と見分けが付かないだろう。
でも、ここから先の軌道跡は、林道から確認出来ていない部分でもある。
とりあえず、行けるだけ行ってみよう。
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15:49 《現在地》
小屋から母屋を振り返る。
よくぞこんな斜面に、これだけ大きな建物を建てたものだ。
山小屋というレベルではない、ちょっとした山荘に匹敵する。
ここの窓際の部屋で逆河内の夕焼けと夜明けを堪能するのは、とても贅沢な時間の過ごし方だと思う。
製品作業場が、どれだけ慎重に場所を選んで建てられたのかが分かる。
それがある尾根筋を少しはずれると、軌道跡の荒廃は目を覆うばかりであった。
いま前方に見えてきた“谷”は、製品作業場の下流側200mの位置にあるもので、林道と軌道跡が平行してここを通過している。
しかし、製品作業場からここまで、軌道跡はずっと斜面と見分けが付かない状況が続いていて、本当にかつて地表にあったのか、不安になり始めていた。
もしや、どこか途中で隧道の入口を見逃してきたのではないだろうかと。
15:54 《現在地》
谷を折り返す地点には、辛うじて埋没を免れた路肩擁壁が現存しており、その先にも明確な路盤のラインが見えていた。
地形図を見ると、軌道跡はここから200mほど先で、また小さな尾根に到達するはずである。
尾根の突端には堀割や隧道の期待が持てるので、谷筋よりは重点的に調査したい場所であった。
しかし、谷筋と尾根筋を結ぶトラバースは必然的に急斜面であって…。
一難去って
また一難!
特別に安全だとは思わなかったが、林道との行き来(迂回)が面倒で、
体力的にもトラバースが高巻きよりも楽なので、慎重に正面突破を図って行った。
そして、前方に次の堀割が見えてきたときには、小さくない達成感を得る事が出来た。
と、その前に…
ふぅ…。
疲れて斜面に腰を下ろした。
視線は自然と、いま来た方向の山腹へ…。
そこには、だいたい無想吊橋1本分くらいの中空を隔てて、
さきほどの製品作業場があった。
地形的に、こうして見えることは全く不自然でも何でもないのだが、それでもやっぱり目を疑った。
「孤立無援」を絵にしたような一軒家。
夕暮れに近付いた、影の濃い山河にも埋もれることは無く、
山林の監視者としての役割を、忘れてはいないように見えた。
それは息を呑む、迫真の風景だった。
千頭の山で働くという現実が、少しだけリアルに感じられた。
苛酷であることは言うまでもないが、それが誇らしくもあった。
軌道跡の遺構や線形を追いかけているだけでは、なかなか見えてこないのが、人の働く場所としての側面である。
今回の建物は軌道時代のものではないと思われるが、「千頭を理解する」うえでは意味があり、大きな印象を残した。
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