細田氏と坑口で合流した我々は、すぐさま帰途についた。
帰りは最短の、松川河床を辿るルートで行くことに決まる。
そして、最初に崖を降りた。
強引に。
写真は、松川河床から見上げる新6号隧道坑口。
下るにはなんとか下れたけど、
ここから登ることは、無理かも知れない。
細田氏の崖に張り付いた様子。
ごめん細田さん、危ないところばっかり連れ回して。
このルートは性急すぎたと、密かに反省した私なのであった。
ちょっと、濡れた斜面は危険すぎた。
結果的には、かなりの距離をショートカットできたわけだが…。
松川を500mほど遡行すれば、見覚えのある3代目・4代目の松川橋梁直下に至る。
その途中は、思った以上に深い淵が連続するゾーンで、腰どころか、胸まで水に浸かってしまった。
特に、細田氏は男気満点で、カメラを頭上に掲げたまま、その淵を渡渉して見せた。
流れの殆どない淵は、美しかった。
この切り立った崖の上には、今まで見てきた数々の遺構が眠っている。
その半分以上の距離は、地中にあるわけだが。
松川橋梁付近の川原で見つけた、変な丸石。
野球ボール大のそれは、デザインも手触りもまるっきり、煉瓦である。
廃線跡から落ちた煉瓦塊が水流に揉まれるうち削られて、こんなカワイイ物体になったのだろう。
これもまた、赤岩遺構の一つである。
持ってくれば良かったと、後悔している…。
赤岩駅があるのとは対岸の、4代目松川橋梁福島方袂に登ってみた。
手がかり豊富な斜度45%の斜面は、容易だが、足に堪えた。
写真左奥は、三代目松川橋梁。
二つの橋梁の間の河床には、既に見た大型重力式橋脚が、屹立している。
この場所へ最後に来たのは、目的があった。
たしかに、僅かだが痕跡が見られたことは、嬉しかった。
4代目松川隧道の、何の面白みもない坑口の右隣、ほんの僅かであるが、相当に古びた印象の石垣が、覗いている。
確証こそ無いが、おそらくこれは、2代目時代の石垣ではなかろうか?
4代目隧道に改築されてしまったという隧道自体には、まったく、面影はない。
これを、あと300mほど潜れば、先ほどの新旧接触地点に迫ることも出来ようが、運休中ならいざ知らず、さすがにそれは無茶だ。
素直に、引き下がる。
2代目松川橋梁唯一の橋脚が、此方側の岸辺からは間近に見ることが出来る。
そこから最短ルートで赤岩駅に至る。
途中、俄と思った雨が本降りっぽくなってきた。
到着時刻、13時12分。
新6号隧道の最奥地点からここまで、55分ほど。
歩いていた時間は、実質40分程度だったと思う。