これを書いている時点での昨日、2008年7月4日まで、私は『日本の廃道』での盟友nagajis氏と共に、飛騨の山中で連続4日間の廃道・廃線探索を行った。
そして、その中で最大の時間と労力をかけて解明を試みたのがこの「神岡軌道」であった。
神岡軌道は、大正初期から昭和40年代初頭にかけて、岐阜県北端に位置する神岡町から県境を越えて富山方面へと延びていた、軌間610mmの鉄道である。
その特殊な軌間が象徴するように、「神岡鉱山」の坑内軌道と連結する「鉱山鉄道」としての性格を濃くした路線であったが、交通不便な地域の足として利用されていた事も事実で、昭和24年以降は正式な地方鉄道として市販の「時刻表」にも記載されていた。
本路線の廃止は母体鉱山の閉山を待つことなく、並行する国鉄の延伸に追い立てられるように行われたことに特徴がある。
まず、国鉄飛越線(現在の高山本線)が富山側から猪谷(いのたに)まで開通した翌年の昭和6年には、神岡軌道として最初期の開通区間を含む笹津〜東猪谷間を廃止している。そして新たに猪谷と東猪谷の間に神通川を渡る連絡線を設け、輸送の便を図った。
戦前から戦中にかけてが神岡鉱山の最盛期であり輸送量も最大となったが、昭和37年には国鉄神岡線(猪谷〜神岡)の計画が本格化したことをうけ旅客営業を廃止し、同42年には最後まで貨物の輸送が続けられていた猪谷〜茂住間も廃止された。(ちなみに、国鉄神岡線→JR神岡線→3セク神岡鉄道→平成18年廃止)
なお、地図中では「神岡町」として一駅の表現をしたが、本線は市街輸送線としての性格も持っており、市街地に支線や多くの駅を持っていた。
また、神岡町内から浅井田までの8kmあまりの区間は、森林鉄道と接続する貨物専用線として昭和12年に開通、同33年まで利用されていた。
いかにも産業鉄道らしく目まぐるしくその起終点を変えていた神岡軌道は、名称も一定ではなく、後期には「三井金属鉱業神岡鉄道」というのが正式名であったらしい。
このなかで今回踏査を試みたのは、同時には存在しなかった区間もすべて合わせれば全長50km近い路線網の中にあって、その本領を最大限発揮したといえる「猪谷〜神岡町」のあいだ、おおよそ24kmである。
この区間は全線が神通川の支流高原川の右岸をなぞるように通っており、地域の動脈・国道41号が並行している。
しかし沿線の集落は少なく、地図が見せる地勢はかなり険しい。
廃止から40年あまりを経過した廃線跡の風化ぶりは、『鉄道廃線跡を歩く』にも一部明らかとされており、それは踏破の困難を十分予感させるものであった。
そして、その全貌をこの目で確かめたいという以前からの願いは、かつてない強力な仲間とのタッグオブローディングの舞台として、この地を私に選ばせたのであった。
参考文献:『鉄道廃線跡を歩く〈8〉 JTBキャンブックス』
参考URL:『40年前の鉄道風景』さま http://6.pro.tok2.com/~haasan55/kamioka.htm
『wikipedia 神岡軌道』 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%B2%A1%E8%BB%8C%E9%81%93