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2008/7/3 13:26 《現在地》
解体が進む茂住選鉱場を後に、遊歩道「ノーベルの道」へと戻ってきた。
軌道跡の一部が遊歩道に指定されているのだが、その入口は緑深く…
ノーベル受賞者は、藪がお好き?
入口こそどうなることかと危ぶまれたが、少し進むと路面が舗装されていることもあって「復活」した。
しかし、復活したのも束の間、すぐに遊歩道は左の林間へ消えていった。(写真は分岐点)
軌道跡は真っ直ぐ続いているが、…遠からず藪になりそうなムードが…。
夏草の侵食が進む軌道跡をなおも進むと、社宅らしき集合住宅が現れた。
そこまではヨシとして、その先はもう…どう見てもマント群落…激藪…。
電柱はずっと続いているようだけど…。
遠目にはさほど荒れた様子もなかったが、集合住宅は既に廃墟同然のように見えた。
前回紹介した歩行者用のロックシェッドが連なる道も、ここまで辿ってきた舗装された軌道跡も、社宅と選鉱場を結ぶ通勤道路として使われていたのだろう。
宅地へ下る階段を過ぎたところで、直進の軌道跡は案の定…。
草かんむり状態に。
しかもこんな状態でもチャリを手放そうと思わなかったのには理由があって、路面にまだ舗装の手応えがあることと、それが結構な角度で下っているために、どうにかチャリの重さに任せてガシガシと進んで行けそうな感じがしたからだった。
「下っている」
その事実に私は違和感を憶えたが、敢えて口にするのは憚られた。
13:35
てへ。
降りちゃった。
下りはじめた時点で怪しいと思ったが、いつのまにやら我々は軌道から引きずり下ろされ、社宅隣の広いグラウンドに出てしまった。
写真には我々のチャリ二台を通した道が全く見えないが、一応擬木の階段道が存在している。
さて、さっそく軌道跡をロストしたわけだが…。
道が下りはじめた地点に本来の軌道跡との分岐があったはずだが、そのようなものには気づかなかった。
思い出すだけで痛がゆくなるような、猛烈な藪が広がっていただけだった。
地図を見ると、このすぐ先で軌道跡はまた国道に近接するようなので、これ以上の追求は断念した。
ここで、次なるステージ、「東茂住〜土」の区間の概観を述べる。
新猪谷ダムが作る細長い湖の東岸に、国道41号が多数のロックシェッドを連ねている。
軌道は国道の20mほど上部に、平行する形で通されていた。
その姿は、旧地形図に鮮明だ(画像にカーソルを合わせると表示)。
次の駅は、高原川に跡津川が合流する土(ど)という珍しい集落におかれ、駅名も「ど」といった。
かつて、三重県の津(つ)とともに、一文字駅名として知られていたとのことである。
駅間距離は茂住駅から約5km、現在地(茂住社宅付近)からだと、おおよそ4.2kmと想定される。
旧地形図を見る限り、軌道跡に隧道は無いし、冗長な印象を受ける。
ただし、途中にある赤沢という小支流を渡る地点が、次のチェックポイントになりそうであった。
我々はこのグラウンドでの作戦会議にて、当区間の悉皆踏査は行わず、国道からの観察を主たる手段として全貌把握に努めることとした。
グラウンドでの補給風景。
かなり風化した水飲み場(→)だったが、蛇口を捻ると勢いよく水が噴き出した。
水が出るなり、nagajis氏は空になったペットボトルにその水を補給した。
そして、おもむろに口に含む。幸せそうな表情。
だが、彼が置いたペットボトルの水の色を見て、私はギョッとした。
おいおいおいおい。
いつから使われてないか分からないような蛇口を捻って、真っ先に出た水だぞ…。
その赤さって、残っていたコーラの色だとは限らないんじゃ?
ほんま、鉄分補給は「廃線」だけで十分やろ。(←秋田弁を忘れつつある私…)
13:37
来たときとは別の道を下って、国道へ出る。
新たな目的地に向かって漕ぎ出すペダルって、どうしてこんなに軽く感じるんだろう。(←下りだからでしょ)
国道を南にむけて走り始めると、すぐに青看があった。
そこには、本日の目的地である神岡まで、13kmという表示。
ただ走っていくだけなら小一時間で着けるだろうに、廃線歩きということで見れば、まだ全体行程の半分も来ていなかった。
時間のない焦りから、「土」までは手早く「解る」ことを期待してしまった。
あまり盛りだくさんなのは、残り2箇所の「ハイライトシーン」だけでいい。
…しかし、そんな身勝手を許すほど神岡は甘くない…
国道を快走し始めて、わずか300m。
何か出ちゃった。
ロックシェッドの隣に、物欲しげな口を開けているのは、きっと廃隧道…。
でも、何でここに?
13:40 《現在地》
全く予想外の遭遇。
取りあえずの緊急停止。
一体これは何?
隧道といえば軌道跡だが、しかし軌道跡はどう考えても20mくらい上を通っているはずだし、断面もこれまでのものより遙かに大きい。
となると、最近廃止されたばかりの神岡鉄道の廃隧道?
いやいやいや。奴は対岸を長い隧道で貫通しているはず。
こ、 坑道??
冷静に考えれば、国道の旧道と旧隧道と考えるべき立地なのだが、このときは不思議とそうは考えなかった。
頭の中が鉄道優先でまわっていたせいもあるのだろうが、車がすれ違うには狭すぎる幅と、その割に十分な高さをもつこの形は、いかにも鉄道用という感じがした。
持参の古地形図にも、このような隧道は(国道にも軌道にも)描かれていない。
なんなんだ……。
扁額も銘板もない、無個性、無装飾を究めたコンクリートの坑門。
静まり返った洞内に、目指すべき光は見えない。
洞床はバラストのような砂利が敷かれ、坑口付近はやや深い水溜まりになっている。
国道の真横に堂々と口を開けているにもかかわらず、立ち入りを制限するようなものもない。
まるで誰も見ていないかのようだ…。
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考えていても始まらない。
入洞する。
って、
チャリごと行くんかい!nagajis!
ほんと彼は、この私が驚くくらいチャリを手放そうとしない。
貫通している可能性の疑わしい廃隧道とか、行き止まりの確定している廃道にさえチャリを持ち込もうとする。
あ〜あ、なんか藻みたいなのを引きずってるよ、nagajisさん。
水溜まりは最初だけで、すぐに砂利敷きの路面が現れる。
よく均されており走りやすいが、外観以上に内壁は傷みが激しく、滴る水も少なくない。
全体的に赤茶けて見えるのは、地中の鉄分がそうさせるのか。
酸度も強いらしく、溶け出したコンクリートの石灰分が、壁面を白化させていた。
そして、50mほど何事もなく進んだところで…
あうわうわわわ…
隧道巨大化!
※坑口を振り返って撮影
脳内のハテナマークが飽和し、思わず口をつくコトバ
「なんやこれー!!」
突然、隧道の幅員が二倍ほどに拡大し、一昔前の幹線国道にありがちな扁平二車線断面となったのである。
普通に考えれば、自動車の離合場所である。
しかし、まだ国道の旧隧道だということに頭が至らない私は、この不可思議な断面を持つ「なにものか」の正体に、頭を悩ませまくった。
そして、灯りも点けてないくせになぜかそそくさと先へ進んでいくnagaji氏。
彼にチャリを与えると危険です。居なくなります。
なお、この大きくなった断面は、100mほどでまたもとに戻る。
画像にカーソルを合わせてみてほしい。
居なくなったと思ったら、断面が小さくなる地点で佇んでたnagajis氏。
暗すぎて進めないようだ(笑)。
意外なことに彼は、私の「SF501」のような、「いかにも」な照明を持っていない。
私との探索中にも彼が灯りを使うところは見なかった(小さなマグライトは持っているらしいが)。
不思議に思い尋ねると、普段はカンテラを主に使っているのだという。
そういわれてみれば、ORJで見る彼の隧道写真は自然の炎で照らされたなんともイイ色である。
nagajis氏のこだわり、流石だ。(今回は、カンテラは嵩張るので持ってこなかったそうだ)
闇 と
ナガジス
普段の画像よりも大きくこの写真を掲載したのは、単純にいい絵が撮れたと思ったから。
出口の見えない廃隧道とチャリンコという組み合わせは、なんか新しいよね。
絶対に無灯火なのも、オレタチらしい。(笑)
最初の断面に戻った隧道。
坑口からここまで、ずっと直線である。
既に150m以上は来ていると思うが、いまだ出口は見えてこない。
風もないし…。
かといって、水蒸気の曇りは少ないので、閉塞しているのかは微妙。
また、天井に照明が取り付けられているのを発見。
たしか、この一つしか見ていないと思う。
いずれにしても、側壁ではなく天井に照明がある辺り、「道路トンネル」の特徴なのだが、まだ素直に国道旧隧道だとは考えなかった。
さらに50〜100mほど進んだところで、唐突の閉塞終了。
コンクリート壁が四方まで奇麗に密閉しており、謎ばかりを残しつつ… これで終わりか。
これを見て、ようやく鉄道の呪縛から逃れられた。
壁面に書かれた、「建設省」のペンキ文字。
でも、なんで??
「もしかしてここは建設省の事務所跡?」
そう言ったら、関西(芸)人nagajis氏の笑いを取ることが出来たぞ。 しめしめ。
って、そんなことはどうでも良くて、なぜここに「建設省」なのか?
… …。
だめ。
考えても分かりませんでした。
で、
意味深すぎるこの穴はな〜に?
次々現れる怪しすぎる光景に、私もnagajjis氏も変な笑いが止まらない。
ほんと、どうなってるの神岡!
なぜ、こうもおかしげなものが次々と現れるのか。
東西の廃道馬鹿オブローダーが一箇所に居るせいで変な磁場が生じて、“変なもの”を周りに引き寄せてしまっているのでは…。
そうでもなきゃ、
何で廃隧道の閉塞地点にマンホールが開いてるんだよ!!
何でわざわざドラム缶がそこに置いてあるんだよー!
…しかも、 壁の向こうからは車の通る音が聞こえるし…。
…まあ、こうなるわなー。
で、何が見えますか?
nagajis氏曰く、「明かりが見える」とのこと。
貫通してんのかよ……。(変な笑)
nagajis氏と入れ替わりに、穴を覗き込もうとする私。
しかし、もう朽ち果て尽くしていたドラム缶は、nagajis氏に続いて私が脚をかけたことで耐えられず瓦解。
nagajis氏のチャリに体重の重きを寄せて再挑戦するも、なかなか苦労する。
あわよくば穴の中へ入ってしまおうと思ったが、それは断念せざるを得なかった。
どうにか覗き込んで、この写真を撮影した。
奥行きは10mほどで、奇麗な正円形の断面。
水は流れていない。
奥の方が右にカーブしており、その先に緑の光が間近である。出口自体は見えない。
そこまで観察したところで、肘でぶら下がっていたために腹筋が痛くなり落下。
マンホールではなく、空気孔?
…何のためにあるのかは不明である。
しかし、国道の土手っ腹に続いているのは間違いなさそう。
車が通る度に風が吹き込んでくるし、轟音も相当のものだ。
あとは、国道の方から探してみよう。
“ほぼ”閉塞の地点から、入口を振り返って撮影。
大体250mほどだったと思う。
で、このときは結局隧道の正体について何ら確信を得ることなく、むしろこの次に現れた軌道の遺構が印象深かったため、そのまま忘れられてしまった感もあるのだが、帰宅後に正体が判明した。
現地では「らしくない」と散々否定していた、道路トンネルだった。
国道41号の旧道、旧隧道である。
名前は、茂住隧道。
お馴染み『隧道データベース』(原典:『道路トンネル大鑑(建設省土木研究所 1968)』)を調べたところ、一級国道41号の神岡町内唯一のトンネルとしてこの名前があった。場所も間違いなさそう。
気になる竣工年は昭和36年と、意外に新しい。
そのくせ幅員は僅か3.2mしかなく、高さは4m。
全長は272mとあった。
当初からコンクリートで巻き立てられていたようだ。
では、いったいいつ頃に廃止されたのだろう。
歴代の地形図を見比べてみると、昭和28年版に無いのは当然としても、次の45年版にも描かれていない。
これだけ長さのある隧道を書き忘れるとは考えにくいので、相当に短期間しか使われなかった可能性が高いように思う。
ただし、『大鑑』は昭和42年時点で供用中のトンネルを記載しているので、36〜42年の間は間違いなく現役であったようだが…。
廃止は昭和42〜45年のあいだと言うことなのか。
昭和36年に竣工された茂住隧道だが、同じ年に、そのすぐ隣で着工されたものがある。
新猪谷ダムである。
(写真は国道ロックシェッド内から撮影したダム堤体)
新猪谷ダムは北陸電力によって昭和36年に着工され、38年に竣工している。
この時期の符号は、偶然ではないだろう。
おそらく、茂住隧道はダム建設時の国道迂回路として掘られたものだ。
右の地図を見て貰えば分かるとおり、この隧道にはほとんど距離を短縮する機能はなく、ダム堤体を迂回するためにあると考えると都合がよい。
しかし、ダム完成後そう経たないうちに国道41号の通行量が増大し、あの一車線では耐えられなくなったのだろう。
そして、ダム以前の旧道を拡幅し再度切り替えた可能性が高いと思う。
(なお、この新猪谷ダムによって国道の水没は起きていないようだ)
中途半端な洞内の断面変化は、モータリゼーションのただ中に徒花として散ったトンネルの、せめてもの足掻きであったと見て間違いなさそうだ。
軌道とは無関係であったが、思いのほかに奥深い隧道だったようだ。
茂住隧道から戻り、国道を改めて南下。
まずは坑門の隣にある「R東茂住洞門2」をくぐる。
出ると右に新猪谷ダムがあるが、立ち入りは出来ない。
国道はそのままこの写真の「Q東茂住スノーシェッド」へ続く。
この間200mほど。
そして、このスノーシェッドの内部に、“あの穴の出口”は潜んでいた。
“穴”を探しながら進んでいくと、穴より先に階段が現れた。
これまた、???とクエスチョンマークが三つくらい点灯する光景。
シェッドの内部に、突然の階段出現。
傍らには、擁壁に埋め込まれた小さな祠も。
この階段は、シェッドの天井を抜けてその上に続いている様子。
軌道跡がどうなっているのか確かめる、またとないチャンスである。
当然これを活かさない我々ではない。
が、まずは“穴”をやっつけよう。
目と鼻の先に、それはあった。
これだっ!
間違いない。
しかも、外れない鉄格子でしっかり塞がれてた。
苦労して穴に入らなくて、良かった〜。
下手にここから腕でも出したら、国道通行中の車から幽霊騒ぎを起こされるところだった。
それにしても、普段は洞門の側壁なんてあまり気にしないが、もしこんな穴を見つけても、まさか廃隧道へ繋がっているだなんて思わない。
というか、いちいちそう思うようになったら大変だ。
本来の茂住隧道の南坑口は、擁壁に塗り込められて完全に消失している。
そのまま埋もれているわけでもなくて、国道の拡幅で切り崩されてもいるのだろう。
先ほどの穴の他、何ら痕跡はない。
ともかくこれで、「謎の廃隧道」を一本やっつけた。
ほとんど今回は軌道探索をしていない。
次回は、滅多に見ることのないロックシェッドの天井裏へ行く。
そして、「冗長」の一言で片付けられなかった軌道跡へ。
探険は、まだまだ終わらない。
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