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2008/7/3 16:52
跡津川橋でチャリを回収して来た。
「土」という最短名駅はなくなってしまったが、国道に出たところには「濃飛バス」の「土バス停」があった。
前回最終地点、すなわち軌道跡が国道にぶつかって消えてしまった地点は、ちょうど左写真の矢印のあたりだ。
この先の展開にはちょっと期待している。
というのも、古い地形図にも隧道が描かれているからだ。
今日これまでにもたくさんの隧道を見てきたが、古地形図に描かれているのは今度が初めてなのだ。
それだけ、長いのかも… しれない。
国道を50mほど前進すると、怪しくなってきた。
おもむろに行く手の山腹が膨みはじめ、国道を高原川の方へ大きく押し出している。
法面も十重二十重と固められていて、古い地形図では「土崖」の記号が大きく描かれている通りの険しい地形が感じられる。
隧道は、このふくらみをくぐっているに違いない。
二人は当然そう思った。
坑門の捜索を開始する。
ここからもアプローチにうってつけのモノが見えていた。
この階段だ。
法面の工事用に整備したものらしく、路肩から15段ほど上ると、落石防護柵と斜面に挟まれた小さな広場で行き止まりになっていた。
で、その広場に坑門は見あたらなかったので、次の法面工事が行われようとしている現場斜面によじ登って探すことになった。
この日は幸い工事はやっていなかった。
当然これで発見されるものと思ったのだが、3分探しても“かけら”ほども出てこなかった。
坑門はおろか、路盤すらもだ。
…困った。
地形的に怪しい場所は他に見あたらない。
仮にあったとしても、斜面が急すぎてあちこち探して歩ける状況ではない。
時間も限られているので北口はとりあえず後回しにして、南口を先に捜索することにした。
さらに150mほど南下し、ようやく法面の擁壁に切れ目を見付けた。
位置的にまだ軌道は隧道内だと思うが、一応探してみよう。
おじゃましまーす。
なんだこれは?
明らかに人工物だ。
モルタルで固められた谷積の石垣が、まるで橋台か坑門のような形に積み上げられている。
しかし、右に視線を向けても橋台の片割れは無く、地形的にも今ひとつピンと来ない。
近づいて確かめたが、坑門を埋めた跡でも無いようだ。
仮にこれが軌道跡なら、もう隧道から地上に出たことになる。
…なんか腑に落ちないのは、橋台にしては不自然に見えるからだが、野性の勘のようなものもあったと思う。
もしそうでなければ、我々がこの遺構をこれ以上に捜索せず、写真も撮っていないというのは不自然だ。
これは、 …とりあえず宿題にしておく。
場合によっては戻ることも考慮しつつ、さらに南下してみた。
そして、土の次の牧(まき)集落の入口に架かる小さな橋までやって来た。
廃道の行方を確かめるために、それが必ず横断する沢を使うというのは、常套手段である。
今回もそれに従ったわけだ。
あった。
今度は確かに橋台だろう。
さっきと同じ様な形をしている。作りも同じだと思う。
やはり、さっきのもこれも軌道跡だろうか。
多分そうなのだろう。
それ以外の選択肢はちょっと思いつかない。
軌道跡が、国道の開通や拡幅によって繰り返し削られて、結局少しだけ凹んだ部分に橋台だけを残すような形になっているのだろう。
…なんかあんまりソソラナイ感じだが…。
またしても、対岸にあるはずの橋台は見あたらないし…。
藪が深すぎて見付けられないだけかも知れないのだが、ちょっと刈り払いをしてまで確かめるモチベーションが得られなかった。
…うーーん。
戻って隧道を探すか…。
ね?
もうこの沢の役目は終わったのだが(軌道跡を確かめたので)、引き返す前にもう一瞥くれてやった。
そのときだよ。
二人同時に、 フリーズしたのは。
! !!
何かあるよな?
つか、橋があるよな?
奥にもう一本あるよな。
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17:04
それは、紛れもなくガーダー橋。
これまで何度も見てきた、神岡軌道のガーダー橋だ。
国道からは50mほども奥まった沢の上流に、今まで見た中でも一番綺麗な状態で残っていた。
ハッキリしない橋台の連続に落胆、言いようのないストレスを感じた直後の、大逆転だった。
当然、二人のテンションは赤沢以来のレッドメーターに突入した。
橋に興奮しただけではない。
あんなに奥まった所に橋がある以上、当然その続きには…。
はーうーー。
橋と隧道のセットをゲットで御座います。
ゲットです!
二人はやばい状態です。
舞い上がっています。
舞い上がりすぎて、沢で
ここに橋と隧道があると言うことは、すなわち先ほど見た2つの橋台は、例によって旧線遺構と言うことだろう。
神岡軌道に並行する旧線遺構の発見は、今回探索における最大級の成果だった。
ガーダーは、全長5m、高さ3mほど。
これまで現存が確認できたものの中では大きい方にはいるだろう。
しかし、我々の心を強く引きつけたのはそのサイズよりも、枕木の現存だった。
橋上には朽ちた枕木が整然と並んでいる。
それは今でも固定されているからだが、雪崩や風雨に打たれなかった立地の妙もあるだろう。
橋の先にも、踊り出したくなるほど綺麗な路盤が続いている。
だけどまずは…
こっちだ。
隧道を潜って、先ほど発見できなかった北口を確かめなければ。
果たしてちゃんと繋がっているだろうか。
「土崖」の記号を潜る印象が強いせいで、ちょっと不安である。
全然光が見えないしな。
時間が止まったままの洞内を、懐中電灯の明かりを頼りに歩いていく。
入り口のあたりは雑然としていたが、奥へ少し入ると整然と敷かれたままのバラストが現れた。
壁には今も通電しているかも知れない綺麗な電線が這わされている。
興奮した二人の熱を、闇を満たす天然の冷気がみるみる奪っていく。
無事出口の明かりが見え始めるまでは、歓声もお預けだ。
長い隧道だ。
いままでで、一番に長い。
もう既に200mは来ていると思うが、未だに出口は現れない。
この写真は、ふと自らの辿った距離を確かめたくなって、振り返って撮影したものだ。
今も枕木の痕跡が鮮明に残っている。
そういえば、この隧道だけが古地形図に描かれていた真相は、単に描かれなければ不自然なほどに長かったからかも知れない。
旧線には隧道は無かっただろうから、昭和28年の地形図にこの隧道が描かれている…、イコール旧線→新線の切り替えは、それ以前と言うことになる。
さらに言えば、おそらくそれは昭和20年の地方鉄道昇格から24年に実際の旅客営業を開始するまでの期間ではなかったかと思う。
(←)
なぜか一本だけ残されていた枕木。
(→)
待避坑もある。
大人が潜り込むには少々小さい感じもするが。
見えてるよ。
出口が見えてきてるよ。
残りは100mくらいだろうか。
200m入って少しカーブして、残りは推定100m。
すなわち、全長300mクラスと言うことになる。
古地形図に一致する。
…我々はどこに出るだろうか?
地上は我々を忘れていなかった。
待っていた夏の空気が、もわっと押し寄せてくる。
最後は、如何にも鉄道隧道らしい明かり窓のロックシェッドである。
何度見ても、この光の交互は胸に響くものがある。
そして、ここにはまだ我々を喜ばせる発見があった。
第 三 区 保 線 | 第 二 区 保 線 |
これと同じものを、我々は前にも一度見ている。
どこだったか覚えているだろうか?
ずいぶん前である。
答えは、ここ。
(ちなみに、第四・第三保線区境標は未発見である)
人がいい気持ちになっているのに、無粋なちょっかいが入った。
あんまりじゃないか、これは…。
あんまりだよ。
もう休ませてあげようよ…。
国道を守る落石防止ネットのアンカーが、何本も壁に打ち込まれている。
まだこのロックシェッドには、落石を支える程度の強度はあると信頼されているのだろうが…。
17:14
久しぶりに地上へ戻った。
しかし、そこはなんだか窮屈な場所であった。
左は斜面で、上は日光を遮るマント群落、そして坑口を塞ぐように建てられた落石防止ネットが、谷側の視界も遮っている。
これでは、あらかじめ隧道の場所が分かっていなければ、下から見上げても発見できなかったわけである。
それにしても、なんかヤバくないか。
nagajisさんの背後にある亀裂…。
知らないよ。
アンカー打ってあるんだから、ネットが支えきれない落石が起きたら、数千トンのコンクリート塊も一緒に行くかも知れないよ。
まあ、アンカーの強度を考えればさすがにそんなことは起きないだろうけど、もっと直接的にアンカーとは無関係で、この洞門が国道に墜落することはあるかも知れない。
なんてな。
…素人が変なこと書いてごめん。
撤去は嫌だよ。
路盤跡は、例によって落石防止柵のあるところとなっていた。
柵の山側の方が安心して歩けるが、外は見えない(現在地が分からない)。
外側は見晴らしはいいが、藪が酷すぎて歩けたもんじゃない。
悩めるところだ。
これは、柵の外側の景色。
足下にあるのは予想通り国道で、前方に見えるラクダの背のような形をしたコンクリート山には見覚えがある。
この景色のアングルや距離から考えると、現在地は右写真(マウスカーソルを合わせてね)に示した青い矢印のあたりだと思う。
黄色い矢印が、前回最後にたどり着いた地点。
ということは、上の写真の通路をもう100mほど進めば前回の終点に一致するということだ。
ちなみに、今回の最初によじ登った斜面(赤矢印)はハズレで、隧道の南口はそこから50mほど「土」側に存在していたことになる。
満足して引き返す。
17:22
古地図の隧道は無事発見され、その現状を確かめることが出来た。
旧線に属すると思われる橋台遺構に謎は残ったが、今回はよしとしよう。
気付けばもう夕暮れの時間が迫っている。
今度は、この橋を渡って牧地区へ。
牧を過ぎれば、本日の到達目標地点漆山だ。
次回で、長かった初日の行程は完結する。
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