15:30
nagajis氏が落としたナタは、サージタンクの脇にあった。
無くしたと騒いだ場所から10mと離れていなかったのが可笑しかったが、何はともあれ見付けられて良かった。
気恥ずかしそうな彼の背中を堪能しつつ、軽くゲートをあしらって旧国道へと入る。
左に見えるコンクリート吹きつけの高い斜面の上に軌道がある。
その先の木の生えていない斜面が、直前の断念地点だ。
軌道跡を歩いたと言っても、ここではほんの100m足らずだったと言うことになる。
断念地点直下の旧国道は、大量の土砂と、その上に育った夏草に埋もれていた。
そこで振り返った私は驚いた。
旧道のわりに綺麗なガードレールだと思っていたその道は、実は桟橋だった。
しかも、いかにも仮設用の作りである。
どうやら、本来の旧国道は路盤ごと跡津川に持って行かれてしまったようだ。
地形図上ではさほど険しさを予想していなかったこの場所だが、軌道と旧国道の両者にとって難所であったことが分かる。
通行止め区間は僅か200mほどで、短い廃道探索であった。
我々の興味もまた、頭上に並行する軌道跡へ戻る。
跡津川沿いのわずかな緩斜面に民家が密集する土は、予想以上に寂れた場所だった。
もともと鉱山関連の他に目立った産業のない山間集落であり、いまや国道もバイパスしてしまい、さらに旧国道も通行止めの袋小路となれば、大変だろう。
集落中程で旧国道は跡津川を渡り現国道へ戻るが、その手前で川沿いの市道へと左折する。
土駅の跡と思われる平場は、これを300mほど進んだ左にポツンと現れた。
15:42 【現在地(別ウィンドウ)】
たぶん、土駅跡。
写真は振り返って撮影。
左が来た道、右が富山方向の軌道跡だ。
右の車庫が建っているあたりも綺麗な平場になっており、この広さは駅跡を十分匂わせる。
というか、土にはここ以外に駅をおけるような平地がない。
昭和30年頃の土駅の様子だそうだ。
軌間610mmというと、一般的な森林鉄道よりもさらに幅の狭い軌道だったわけだが、写真からはそんなに貧相な印象は受けない。
むしろ森林鉄道の拾ってきたような客車に較べれば、ちゃんと旅客営業の許可を得ていただけあって、ずいぶん本格的に見える。
「土(ど)」のような一文字一音の地名自体珍しく、三重県の「津(つ)」駅と並ぶ最短の駅名として、当時の鉄道愛好家(“鉄オタ”はまだいない)にはよく知られていたという。
ローマ字表記では「TSU」よりも「DO」のほうが短いしな。
駅跡から先ほど引き返した地点まで、軌道跡を戻ってみることにした。
奥に何かあるのだろうか。
この路盤はいまも管理されているようで、クルマの轍が鮮明に残っている。
ややオーバーハングになった崖伝いに進む危うい道だが、自転車に乗ったまま走れるのが気持ちよくて、ついついペースを上げてしまった。
おおっ。
いい雰囲気じゃん。
神社の境内を横切る軌道跡は、とても良く原型を留めている。
舗装された参道が渡る部分には、踏切がまだ残っていそうなくらいだ。
境内のおおきな碑(いしぶみ)によれば、神社の名は白山神社というらしい。
立派な石鳥居といい、よく刈り払われた明るい境内といい、うらぶれた集落の印象を覆す、清純で健やかな空気が満ちている。
特別に信心深くない我々でさえ、チャリに乗ったままの通行に遠慮を感じたほどである。
さらに進んで土集落裏の山腹を横切るところでは、一軒の民家が路盤の上に建っていた。
ここまであった鮮明な轍も、この家人のための専用道路だったようだ。
その証拠に、家の裏手で轍は途絶え、あとは腰丈よりも深い藪に埋もれていた。
そして、先ほどの崩壊地点へと繋がっていた。
15:45 確認が取れたので引き返す。
この土集落内に残る500mほどの廃線は、荒廃著しい神岡軌道内では奇跡的に良く原型を留めている。
戻ってきてみて正解だった。
今回は、土集落の裏手に残る廃線跡、約700mを確かめた。
珍しく(?)隧道にも橋にも出会わなかったが、次回は少し期待しても良さそうだ。
というのも、旧版地形図に描かれている数少ない隧道のひとつが、土駅と次の漆山駅の間にはあるからだ。
久々に再開した神岡軌道踏破レポ、
次回をお楽しみに。