神岡軌道 猪谷〜神岡間 第3回

公開日 2008.7.8
探索日 2008.7.3
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第二次探索 廃線レポ トップ

試練の県境線 <後>

オブロードキャニオン


前回は現存隧道1本と、ガーダー橋3本を新たに発見した。
そして今回はいよいよ、難所の一つに数えられる富山と岐阜の県境越えに挑戦する。


県境までの残り、約200mの地点。
行く手に現れた、暗がりの正体とは?!


とくと見よ!
これが前半戦の山場だ!!






2008/7/3 10:03


隧道出現。



なんや始まったで。


そんな感じ。

3日も関西弁の人間と一緒にいると、人の口癖がうつり易い私は関西弁が自然に出るようになってしまっていた。
しかも、なんや関西弁は廃道にマッチしている気がした。
イメージで物事を語って申し訳無いが、関西弁から滲み出るひょうきんなカンジが、おもしろ真面目に廃道を歩くというテンションに合う。
それに、nagajis氏は外見が飄々としていて、あくまでストイックに発見を追求する研究者肌に見えるかも知れないが、実は彼の探索時のテンションは激高。
私も探索中めっちゃくちゃおしゃべりでひっきりなしに何か喋っているが、彼も負けていない。
彼と発見を前にしてわいわい騒いでいると、関西弁が自然にうつってしまう。

そういえば、私は関西弁を喋る廃道ファン、オブローダーの皆さんを沢山知っている気がする。


脱線した。

今回2本目の隧道である。
出口の光も見えていて、一安心。
県境は間近であるが、遂に崖が険しくて、地上にこれ以上進路を得られなくなったのだろうか。




 否。

隧道へは入らず、相変わらず崖伝いに進む道が鮮明に存在していた。

鮮明とは言っても、人が歩いているから鮮明なのでは無かろう。
おそらく単純に地形が険しく、土が地面にあまり無いがために植物の根付きが悪いのだと思う。



この崖伝いの廃道にも立派な石垣が残されていた。
前回、旧橋らしき石の橋台を見たときに考えた、(石垣=旧世代の構造物)という説がますます濃厚となる発見。

そして、この廃道を進むこと50mほどで…。




案の定、隧道の出口へ合流。

ごく短い距離ではあるが、新旧線と思われる軌道跡が平行して原形を留めていることになる。
このくらい近接しているとなると、隧道は距離的な短縮を目指して掘られたわけではなく、落石災害から列車を守るために作られたように考えられる。
となると、(あくまで隧道が新線であると仮定した場合だが)隧道は地方鉄道として旅客輸送を正式にはじめた昭和24年頃に切り替えられたのかも知れない。

新線由来と考えられる部分にはコンクリートがふんだんに使われていて、かつそのコンクリートの品質が見たところ悪くない(戦中品では無さそう)というのも、そう考えた理由である。
この辺りのことは、現在図書館にお願いしている「神岡町史」が入手できれば、より詳しく正確な情報を追記できるかも知れない。



引き返して2本目の隧道の内部を観察。

崩壊はなく、わずかに亀裂が見られる程度である。
ただし、偏圧を受けやすい立地なので、崖が崩れることが有れば一挙に消滅する危険性も高い。
地下水でかなり内壁が汚れているのも、あまりいい材料ではない。

なお、軌間610mmというと、一般的な林鉄の762mmよりもさらに狭いわけだが、車両限界も林鉄よりもひとまわり小さかったように思う。
隧道の断面のサイズは、コンクリート巻のせいもあるだろうが、人道専用ではないものとしては他例がないほどに小さいのである。
俄に鉄道用とは信じられないほどだ。
しかし、小さな灯りでも洞内を満遍なく照らせるというのは探索しやすいし、意外に安心感もあって私は好きだ。



2本目の隧道を一通り探索し終わって、前進を再開する。

なお、今回のレポートでは隧道や橋梁に勝手に番号を振ることはしないことにした。
というのも、完全に全線踏破を成し遂げたわけでもないので、途中に未発見の構造物も多数有ると思うためだ。
あとで再探索(もちろんやりますよ!)の時に通し番号が合わなくなると嫌なので、現時点では発見した順番で単に「1番目」「2番目」などのように呼ぶことにする。
分かりにくいかも知れないが、ご理解いただきたい。

さて、写真は隧道を出てすぐ先にあった、ごく小さな切り通し。
緑は濃いのだが、斜面はかなり険しくなってきた。




遂に来たか。

かなり規模の大きな崩壊斜面によって路盤が完全に埋没し、45度傾斜の瓦礫斜面が10m以上先まで続いている。
高巻きで横断できる見通しだが、写真には写っていない崖下は絶壁である。
今回これまでの中では、もっとも危険を感じる場面。
さほど根を深くしない雑草を、踏破のための手掛かりとして期待してはならない。





この斜面を形成した崩壊地は、見上げるとずっと上まで続いていた。

慎重に崩壊地を越えると、右カーブをへて狭い平場が危うげに続いているのだった。

県境は、もう目と鼻の先にあるはずだ。




突破したばかりの巨大な崩壊斜面を振り返る。
草が生えている部分を騙し騙し進んだのだが、滑り落ちればどうなるのかは分からない。
おそらく、緑の底の崖下まで連れて行かれるのではないか。
視界があまり利かないために高度に対する恐怖心を緩和できるという意味で夏草の繁茂は味方といえるが、細かな足元の凹凸が見えにくかったり、本来ある危険を予知しにくいという意味で危険なトラップでもある。

そのようなことを十分理解した二人にとって、ここはかなりの緊張場面であったが、それでも二人とも危なげなく突破した。
私の期待を何事においても下回らない男、nagajis。さすがである。




踏むとキュッキュと鳴く瑞々しいランの葉を踏みながら、足跡の無い軌道跡を進む。

地図を見ると既に県境の一角に入り込んでおり、先ほどまで聞こえていた国道を走る車のエンジン音が急に小さくなったのも、横山トンネルの直上を過ぎたことを意味していた。

そして、敢えて路肩に寄らずとも、道の外には谷底の景色が広く見渡せた。
すなわち、崖下の傾斜の如何に厳しいかを物語っている。


その本当の険しさを理解するのは、だいぶ後になってからだったが…。





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 県境にあったもの 


10:15 

進んでいくと、全く思いがけないものが現れた。

前を行っていたnagajis氏も、そこで固まっている。
そして、先ほど出会ったのカモシカのような表情で私を見るではないか。

「なんやこれ?」




それは、どう見ても埋もれた落石覆い… の一部?


 ええっ?!

   でも、 じゃあ?

この入口を見過ごして、ここまで来たと言うことなのか?
そんな場面が果たしてあったか?

よく分からないものが現れて、二人とももう笑うしかない。
楽しくて仕方が無いのだ。
笑いながら、“入口無き出口”に入洞する。

ほんま、なんやこれ??




しかも、ただのロックシェッドではない!

如何にも鉄道構造物らしい、トンネルとロックシェッドの連続構造物。
木洩れ日が窓の連続アーチから採り入れられ、草の生えないバラストの洞床に淡い陰を落としている。
微かに苔色をまとった内壁も、光の柔らかさをいっそう際立たせている。
そして、淡い色が急速に落ち込んでゆく闇の存在感。
その対比。ゾクゾクする。




絶壁に秘められた、極上に美しいワンシーン。
nagajis氏も、ニヤニヤしながら三脚をセッティングし始めた。
私はといえば、右の標柱の虜となっていた。

どうやら、この隧道出口の一角こそが富山と岐阜の県境であるらしい。
保線区の境界を示す標柱が、隧道内部という安定した環境に守られて、そっくりそのまま現存していた。
富山側が「第五区保線」、岐阜側が「第四区保線」として管理されていたのだ。

いままで沢山の廃線を歩いてきたつもりだが、この種の保線区境界標ははじめて見るものである。
ヨッキ 感激!!




撮影が終わり、いざ背後に口を開ける隧道へと侵入。

これまで見てきた2本の隧道と同様、コンクリートで丁寧に巻き立てられている。
違いと言えば、風が流れておらず、湿気が特に強いと言うこと。
すなわち、閉塞確定か。




入洞から50mほど進んだ地点で、前方は完全に土砂によって埋もれていた。
閉塞と言うことだが、よく見ると先端の天井はアーチ型に切れている。つまり、ここはかつての出口(入口)であったことがほぼ確定。
隧道の進行方向や距離を地上の地形に合わせて考えると、ここは直前に突破した大崩壊地の地中であろう。
つまり、ここにも隧道による新線と、よらない旧線とがあり、新線の坑口が埋没していたために自然と旧線を歩かされていたのだ。
そして、出口だけを見つけたのだ。

納得。
新旧線の存在が、ますます重い意味を持ち始めた。
今後下手したら、旧線用の隧道が現れるような事もあるかも知れず、探索はより慎重に進める必要があると同時に、夏草の無い時期にじっくりと再探索をしたいという意志が、早くも本決まりとなってきた。

神岡軌道は、期待に違わずめちゃくちゃエキサイチングだ!




nagajis氏が三脚で撮影していた出口付近の風景。

取りあえずこれで県境は越えたが、まだ進路は当分険しそう。
それに、私がここでもっとも見たいと思っていたものは、まだ現れていない。




今回発見した3本目の隧道。
その唯一の露出部である南側坑口を振り返る。
左奥に見える木の透けた部分が、我々が自然に歩いてきた旧線(と思われる)部分である。
両者の合流部分には新線の落石覆いが壁を作っており、同時期に利用されていたもの(行き違い線など)ではないことは明らかだ。





 廃レール・ロックシェッド 


もー止まりません。


10mほど進んだところで、コンクリート製の落石覆いが今度は単独で出現。

完全に神岡軌道のスイッチが入っている。
我々のスイッチもまた、入りっぱなし。
完全に、天国モード。

ああ、来て良かった。

廃線歩きはいままでほとんどしたことが無いというnagajis氏も、布袋様よろしく顔面が緩みっぱなし。




県境付近の軌道跡は確かに絶壁を通っており、沿線有数の難地形であることは間違いない。
しかし、当初心配していたほどに危険を冒すことなく進めていると思う。(安全ではないぞ、念のため!)

というのも、築かれた隧道や落石覆いといった構造物がかなり堅牢であり、未だその役割を放棄していない点が大きい。
同じ狭軌の鉄道であっても、林鉄ではここまで構造物に恵まれることは稀で、さすがに本線は一般の旅客輸送を負った鉄道だけある。
出発前には「たかが鉱山鉄道」という先入観が全くないではなかったが、これは嬉しい誤算だった。

さあ、次は何が出る?!




出たー
 キタ━━!

ここだ!!

これこそ、『鉄歩』で写真を見た数年前から、いつかは自分の足で辿ってみたいと願い続けた、廃レールで作ったロックシェッドの残骸。


『鉄歩』の写真はおそらく晩秋だが、夏場は印象が随分と違っていた。
まるでこれは、藤棚。
実際に廃レールの骨組みにはフジが絡みついている。春にはきっとピンクのトンネルになるはず。
赤茶けたレールと、眩しい若草色の植物と、ゴツゴツした褐色の岩盤と、わずかに覗く青い空、そして、真っ赤なnagajis。

やべー。 脳汁がとまんねぇ!! うひょひょひょひょ!




コンクリートの落石覆いと、廃レール使用の貧相なロックシェッド。
このふたつの間にも、作られた時期に大きな違いがあるのかも知れない。

そして、両者の隙間となっている部分には、大きな崩土の山が形成されており、確かにこれらの構造物が線路を守ってきた実績を教えてくれる。

もっとも、現状における廃レール君のほうは、どんな崩落物も完全フリーパス状態なのだが、それでも押しつぶされたりしないのは、毎年多くの廃線ファンがこの場所に思念を送り続けているからかも知れない。

事実、当初私が想像していたよりはラクにこの場所へ到達できた感はあるが、軌道跡には全くと言っていいほど不届きなゴミが落ちていたりもしないし、『鉄歩』によって植え付けられた、容易には到達できないというイメージに守られ続けた廃線跡なのかも知れない。




ロックシェッド内の壁面にペンキで描かれた、「R−60」の文字。
60歳未満立入禁止ではないだろう。
nagajis氏とも相談したが、おそらくは曲率半径を示しているのではないか。
そのようなものを線路端の岩盤に書く意味は不明だが、レールを交換する時に参考にしていたのか。

また、廃レールの骨組みが岩盤に接する部分は、岩場の方をほとんど整形せずレールの長さで当りを調整していた。
はっきり言って、雑な施工方法。
しかも、木板で土砂を受けていたようだが、その防御力はかなり低そうである。




ロックシェッドの外側は、もの凄い絶壁。

当初、ロックシェッドの上に乗って下を撮影しようと思ったが、足をかけたところぐらついたので速攻断念。
夏草が路肩を見えにくくしており岩肌こそ見えないが、右の写真を見ていただければ、垂直に近い傾斜が想像できると思う。

なお、ここに見えている上下二段のロックシェッドは、下段が国道の旧道、上段が廃止になったばかりの神岡鉄道である。




いま、この谷の地上に存在する3本の道は、その全てが廃道ということになる。
如何にこの県境の谷が安全輸送に不向きであったかが分かる気がする。
こと鉄道に関しては、後継を残すことなくこの渓間から完全に駆逐されてしまった。

まさしく、オブロード・キャニオンだ。





これが、高原川沿いの道として唯一の勝ち組。

現・国道41号だ。

やはり、生きている道には独特の艶というか、ギラギラしたものがある。

そして、その道を眼下80mに見下ろすのが、神岡軌道である。
猪谷で水面上57mに橋を架けて右岸に来た軌道は、水面との比高を維持するどころか、さらに広げながらここまでやって来たのだ。
この地点での比高は約100mにも達しており、おそらく全線中で最大。


これから、ちょっと探索の流れは前後するが、下の道からここを見上げたときの驚愕すべき眺めを紹介しよう。
はっきり言って、これは上から見るよりも、下からの方がインパクト大だ。





 <参考>旧国道から見る県境の軌道跡 


崖の上の軌道跡を探索したあと、なんとかチャリまで戻った我々は、引き続き神岡へ向けて探索を続行すべく、チャリを伴って戦線を前に進めた。
その際、『鉄歩』において「国道側から山腹を見上げると、かなり高い位置に山肌に張り付くように続く線路跡がはっきりと確認できる」と書かれた眺め得た。

もし先にこれを見ていたら、現地でのボルテージはさらにあがっていたかも知れない。
そんな眺めだった。

ご覧頂こう。






国道41号の横山トンネルは、平成元年に開通した新道である。
トンネルの長さは819m。
軌道跡の下を潜っているが、取りあえず季節が悪いのか、「はっきり見える」はずの軌道は見えない。
緑が覆い隠せないものは、河谷の岩崖である。

取りあえず、我々は普段の慣例に従って、旧国道を進む。
「通行止」ゲートの脇は甘かった。




旧国道は再び現国道と合流するまで約1500m続く。
途中には、ロックシェッド3本と高原川を渡る「百貫橋」が架かる。
神岡側の通行止めゲートは百貫橋の所である。
一級国道として長年第一線を張った道だけあって、旧道となってはいても未だ通行に不安は感じない。
谷を支配する静けさが、奇妙なものに思えるほどだ。





あれ?


nagajisさん、何見てるの?

残念ながら、今日の軌道跡は緑が深すぎて見えないようだよ…。


 …いや、見えるで…





凄まじい断崖。

この崖の途中には、とても道を作ることは出来ないだろう。
それゆえに、水面上100mもの高所に逃げたのだと考えられる。
しかし、nagajis氏が言うように、軌道が見えるものだろうか。
今日はさすがに日が悪いのでは…?

見える?

 どこに?


私の問いに答えて、崖のずっと上の方を指差すnagajis氏。

しかし、私にはなかなか見つけられない…。







!!



アホや…。



おそらくあれに見えるは、廃レールロックシェッドの隣にあった、コンクリート落石覆いの一部だと思う。





上にいたときにも、足元が急な崖なのは分かっていたが、まさかここまで垂直な、一部はオーバーハングしたような崖だとは気づかなかった。
誰も望んで下を覗くような場面はなかったので、気づくべくもなかったといえる。

この眺めが、これまで多くの廃線ファンにドクロ模様の挑戦状を発し続けてきた。
しかし、我々にとっていまやこれも道に変わった。点から、線の一部として認識された。

だが、神岡軌道の難所はこの一箇所だけではない。

『鉄歩』が見ただけで “流した” 場面が、少なくともあと2箇所ある。






我々の挑戦は、まだまだ続く。







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