神岡軌道 猪谷〜神岡間 第7回

公開日 2008.7.20
探索日 2008.7. 3
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第二次探索 廃線レポ トップ

 求めれば… 見える  

 Q東茂住スノーシェッド上


2008/7/3 14:00 《現在地》

謎の隧道でリフレッシュ(?)した我々は、引き続き軌道跡の探索を続行することに。

基本的にこの「茂住〜土(ど)」間の軌道跡は国道と非常に近接しており、特に大きな構造物も無さそうだったのだが、国道には視界を遮るロックシェッド・スノーシェッドの類が連続しており、軌道跡の現状を目視確認するのは難しい状況である。
我々の道先案内をしてくれる『鉄道廃線跡を歩く[(鉄歩)』も、サラリとながしている区間だ。
こんな風に…

線路は国道41号に沿って、時に道路の脇にトンネルの出口を見え隠れさせながら続いている。

って、おい!!

めっちゃ気になること書いてるじゃねーか! なんだ隧道って?!


…というわけで、前回の最終地点、国道41号の「Q東茂住スノーシェッド」の内部にある謎の“地蔵付き階段”から、シェッド上の軌道跡探しへ向かう。




階段を上っていくと、天井の間際にさらに通路が続いていた。
そして、その先は再び階段になっていて、夏草のもとへ続いているようだった。
いったいこれは何だろう。
シェッドの上へアクセスするための作業用通路なのだろうか。
今まで見たことのない構造だ。



しかも、出口の傍に一本の紳士傘が置かれているのを見つけた。

どうもこれは「置き傘」というやつではないか。
この先には民家なり畑なり、この傘の持ち主が通う場所があるのではないか。
そして地蔵の前のスペースに、昔はバス停でもあったのかも知れない。

地蔵の存在は、ここに古くから人の姿があったことを示唆していた。



騒音と土埃と排気ガスの三重苦から解放される、地上への脱出。

しかも、通常の出入り口ではなく上に出て来たというのも“新体験”であり、妙に楽しい。

「え、ニヤニヤしてる? オレ。」





少し怪しくなり始めた空模様を気にしつつ、国道41号の“裏側”を見通す。
とりあえず、前方は見える範囲ぜんぶシェッドの屋根が続いている。
チャリで走ったら気持ちが良さそうだが、右側の端っこには何もないことに注意。って当たり前か。


軌道らしきものは… 無いようだが…。



反対側。

すぐ傍に新猪谷ダムが見えている。
そこにあるスノーシェッドの入口も、当然、“切れている”ので分かる。


やはり、軌道らしきものは……。


シェッドの上を見通しても、そこに軌道跡は無かった。

私が思っていたよりも軌道跡は離れているのかも知れないと、シェッド上を少し歩いて山側を観察してみた。

そして、ご覧の光景にありついた。


ここより20mくらい高い山肌に、コンクリートの擁壁らしきものが見えた。
藪が酷く全貌は掴めない。単に国道の雪崩防止柵のような気もする。

だが、それが築かれている土台に目を凝らすと…。




石垣発見か?!

石垣くらいで何をオーバーなと言われそうだが、隣のnagajis氏共々、そこにあるのが石垣だけではないということを、半ば確信的に予感していた。

というのも、藪が深すぎて写真には全く写っていないのだが… 何かが見えていた!

なにかこう… コンクリートののようなものとか、のようなものとか…。




そこに立ってみなければならなくなったが、見たところ道はない。

彼我を隔てる斜面は地表の凹凸も分からぬほどの猛烈な藪だが、登れないと言うほど急ではない。
これまでリュックの中にしまい込んでいたビニールのパーカーに袖を通すと、ナタを取り出して構えた。
ナタが私を今まで以上に藪に駆り立てたかと言えばそういうことはなく、やはり藪はうざかったが、しかし、ちょっとだけ自分が強くなったように思えたのも事実だった。
そして、それがあまり当たっていなかったことを知るときも、やがて来るのであった。

脱線した。

いざ、藪山へ突撃!!  目指すは、あそこに見えている 「なにか」!





 久々の軌道跡探索 「なにか」の正体を知る 


14:06

夏草と心中するくらいの覚悟で(何か夏草って女の子の名前みたいだね…と今はじめて思った、オトじゃなくて字面がね…なんか)挑んだのだったが、最初に数メートルほどススキを払って進んだあたりで、何か足元に固い地面があることに気づく。
草を踏み分けている感触ではない。
そして、よく見るとそれは踏み固められた土道である。
ちょうど斜面を斜めに登るようにして、スロープ状の道が付けられていたのだ。
もちろん立っていて路面が見えるほど藪は浅くないが、かといってナタを振るわねばならぬような険悪さでもない。

おそらくこれが、シェッドの階段に連なる道の続きなのではないか。

我々は道に沿って南に斜面を巻きながら、軌道跡の疑われる高さへと急速に近づいていった。





くわっ!

 ロックシェッド!

国道のシェッドの上には、軌道のシェッドが隠されていた。
これでもう何本目だろう。
既にカウントするのは面倒になってやめていたが、あとで集計してみることにする。

ともかく、またしてもロックシェッド。

ちょうど辺りの藪は、草から木へ質を変わっていく、その過渡期の状態となっていた。
つまり、マント群落だ(笑)。
この崩れかけたコンクリートのもつ独特の色合いと、髑髏の眼窩のような藪の片鱗が、先ほどの我々に「なにか」として映ったのだった。


 求める者には、 これが見えたのだ。




コンクリートの外壁は、ときおりバットレスの柱を挟みながら左右へ連なり、藪の中へ消えていた。
ここまで緩やかに我々を導いてくれた「隠された道」も、ここで姿を消していた。

穴に入れと、皆が言っていた。

nagajis氏も、笑ってる。

ここから入る …か。


どうしてこういう“窓”から洞内に入る時って、いつも妙に情けないような気持ちになるんだろうね。
滑稽というか、なんかこそ泥みたいな印象があるんだよな。このときの動きには…。




ということで、ホシは窓から侵入。


それは、紛れもないロックシェッドであった。
洞床にはバラストが奇麗に残り、架線ではないのだが、電線が天井に這わされていた。
それが所々垂れ下がっているのが怖かった。(この電線は多分生きている)



そしてこれは振り返って猪谷側(→)。

シェッドは結構長くて、隧道の一部でない単体のシェッドとしては、これまでで最長だと思う。
先の方は左にカーブしているようで、出口は見えなかった。

なお、我々が入ってきた窓は、一番手前のところである。
帰りもここから戻ったのだが、その際には一時この窓を見失ってしまい焦った。
ちょうど古い道があったからこの藪でも比較的楽に往来できたわけで、この正解以外の窓から外へ出てしまうと、藪が酷いうえ最悪石垣に落ちる。




まずは近い南側(神岡側)から外へ出てみた。

出口付近には、農機具の残骸のようなものや廃材などが置き去りにされていた。
そして外へ出ると案の定藪が深かったが、坑門を振り返って撮影したのがこの写真だ。

電線だけがこの風景の中で、古びていない。

あ、ごめん。nagajisさんも新しいよ。



外へ出て軌道跡を南へ歩き始めるが、藪が深い。
それでも、靴に伝わる道床の感触は堅く、未だバラストが効果を発揮していた。
また、落石や倒木がないから、見た目よりは歩きやすかった。

そして、50mほど進んだところで今までとは感じの違う石垣が山側に現れ始めた。
(写真は振り返って撮影している)

どう感じが違うかと言えば、使われている石が丸い川石っぽいものなのだ。
これは、ここまで無かった石垣だ。



さらに、石垣には一箇所だけ上に登るためのスロープが切られていた。
おそらくはこれこそが、地蔵〜階段〜傘〜踏み跡〜シェッドと続いてきた「何者かの足取り」の続きなのだ。

写真はスロープ部分を登りながら撮影。
右下の藪が軌道跡である。





ここにあったのは集落か、はたまた圃場か樹木畑か。

濃い緑の本格的な山体斜面と石垣の間には、巾50mほどの帯状をした緩斜面が広がっていた。
地形的には河岸段丘なのだろう。
軌道跡も国道も敢えてこの緩斜面を利用せず、谷底へ連なる急斜面にへばり付いていたことが意外であり、また面白かった。

見える範囲には潰れた農具小屋らしきものの残骸がポツンとあるだけで、他は全く利用されない荒れ地である。
傘の主も長年戻ってきてはいないようだ。

軌道跡とは直接関係がないようなので、引き返す。




さらに軌道跡を南へ歩いてみたが、いよいよ背丈よりも藪が深くなって来た。
それでもまたなにか現れるのではないかと思い、頑張って200mほどは歩いてみたが、下には湖面と国道のシェッドの端っこがほぼ常時見えているワケで、頑張れば国道からも軌道跡は目視できるはずだという考えが、前進の意欲を削いだ。
また、地形的にも当分は“何か”ありそうもない感じに見えた。

取りあえずこの辺りの現状は把握できたと言うことで南方向への探索は終了し、シェッドへと戻った。 【現在地(到達地)】





14:14

シェッドに戻った。
そして、今度は猪谷側へ進んでみる。
この方向へ軌道跡を400mほど行けば、茂住社宅裏のグラウンドで見失った軌道へ繋がるはずである。
とりあえず、その繋がりが確定するところまで進むことにした。

左右の写真は、シェッドにあいた大きな穴。
岩が直撃したのかも知れない。廃コンクリートの見せる自然な造形はいつも怪しく、美しい。




シェッドの全長は約100m。

そのほぼ全体にわたり、天井に一筋の亀裂が走っている。
もはやシェッドの山側の壁と、屋根及び右側の壁とでは、不連続な構造物になっていると思う。
破壊の次なるステップもおおよそ想像が付く。
地圧に耐えきれなくなった左側の壁が内側に倒壊し、それに押し出されるようにして残りの壁は崖側に転げ落ちるだろう。




そしてこれが南口。

妙に暗く見えるのは、10mほどは窓が無いからなのだが、これを隧道と呼べるかどうかはかなり微妙である。

まあ、ここでは全体で一本のシェッドということにする。




シェッドから南へ。

路盤は再び草むらの中だが、崩壊などは無く歩きやすい。
路肩には木製電柱が続き、シェッドから引き出された電線を引き継いでいる。
ここは、さきほどシェッドの下から見上げたときに、石垣やコンクリートの擁壁が見えた辺りだ。
国道を見下ろすと、我々が置き去りにしてきた二つのリュックが小さく見えた。

軌道と国道と高原川との距離感がよく分かる写真である。
そしてこの位置関係は、次の駅がある土の近くまでずっと変わらない。




さらに進むと、同じ路盤上とは思えぬほどに藪が深くなる。
草藪と木薮が混ざった…すなわち「マント群落」の状況がイチバン踏破困難となるのはご存じの通りである。
一時はペースが極端に鈍り、撤退も考えたくらいだが、右側のコンクリート擁壁沿いに藪の浅いラインを見つけ出して進むことが出来た。
なお、やはりこのコンクリート擁壁は国道用に後付けされた物っぽい。
ちょうどダムサイト直上に当たることも、そう考える根拠だ。




これは軌道時代からの切り通しなのか、崩壊の跡なのか?
左側の大岩は地面から生えている感じではなくて、転がっているだけである。
そして、白いペンキで数字や文字が書かれてある。しかし読み取れない。

山側の法面には国道法面の落石防止ネットを支えるアンカーが打ち込まれ、ワイヤが何本も軌道跡を横断している。
軌道跡は国道保全の用地として現役だ。




14:21

シェッド出口から150mほど進んだ地点で、右図の地点へ到達。

写真では見通し不良であるが、このカーブに隧道が無いこと、そして残りはグラウンド上の激藪廃線まで一直線であることを確かめて、撤退となった。

来た道を忠実になぞり、リュックの待つ国道シェッド上へ戻る。



そして、排ガスと騒音が支配する国道シェッドへ。

この不思議な階段通路を見逃せば、先ほどの廃シェッドも石垣も見つけることはなかっただろう。
「求めれば道は開かれる」
そんな使い古されたようなコトバが頭の中に浮かんだ。

この発見は、地形的には“何気ない”と思われる区間にも、廃シェッドのような大規模遺構が潜んでいる可能性を知らしめた。
これからも軌道跡への注視は、ひとときとして休まずに続けなければならないという、ある意味で「脅迫の発端」となる発見でもあった。


チャリを回収し、神岡へ向けて再出発。





 nagajisは見た! 


200mほどのシェッドを抜けると、ひとときの明かり区間となる。

先には「16」の番号がふられた次のシェッド、さらにその次も見えている。 そして、次に軌道跡をチェックする予定地である赤谷は、この2本のシェッドの中程ということになる。

とりあえずここから赤谷までの軌道跡については、ラインがうっすら見えているので、隧道や大きな橋は無いだろうと判断した。

ここでは立ち止まらず、赤谷へ向かう。




「O東茂住洞門」が始まる。

ちなみに察しのいい方ならばお気づきの通り、茂住を出てからのシェッド群には通し番号が振られている。
初めがRで、最後が神岡の手前にある@だ。
この12kmほどの道のりに、これほど多くのシェッドがあることになる(ちなみにトンネルはゼロ)。

そして、これらシェッド部分には、写真のような歩道がある。
ほとんど使われていないようで路面に土が堆積しつつあるが、すこしでも外を見ながら軌道探しをしたい我々には好都合だった。
むろん、大型車の脅威から離れられるというメリットもあった。




ただし、いずれのシェッドも出入り口はこんな風に不連続で、車道に戻る部分で気を遣う羽目になった。




14:38 《現在地》

赤谷直前である。
左の防音柵の先に、国道は短い暗渠で赤谷を越えている。
沢ではなく、谷。
辺りでは一般的な命名ではあるが、いかにも水の奔る急峻なものを想像させる。

この写真を撮ったあとは、赤谷上流に軌道が橋を架けている可能性を考え、ゆっくりと進行した。
左側上手に最大限の注視を払いながら。
しかし、この濃い緑である。
少し奥まったところにあるらしい軌道跡は、まったく見通せない。

と、私はそう思った。

 だが。


私のすぐ後ろで同じ試みをしていたnagajis氏は、突然大きな声をあげた!




見えた見えた!
    あるある!


なんと、nagajis eyeには、軌道の廃橋が見えたのだという。

しかも、なんかえらく興奮している。

その様子からは、かなり巨大な橋が見えたのだと思われた。

私も当然彼が「見た」という辺りまで戻り、深い緑に目を凝らしたが、 …見えない。

私の視力はあまり良くないが、日常生活に不便のあるほどではない。

しかしnagajis氏にははっきりと橋が見えたのだという。

「本当に見えたの?」と、ふざけて意地悪な質問をする私には、彼は早口でこう答えた。

赤い橋と縦の スティフナー が見えた。
間違いなく見えた。
緑一色のなかに
赤錆びた橋の赤と
縦棒の茶色が見えた。
秋だったら見逃したと思う。

す、 スティフナーですか??


彼のさらなる解説によると、「スティフナー」というのは、

これ→



オイオイ!!

そんな小さな部分が見えるはずねーだろ。
あれだけ木々が生い茂った谷の上流だぞ。


実は内心そう思ったのだが、橋を愛し愛されたnagajis氏であれば、もしかしたら“そういうこと”…まあ、つまり、「呼ばれる」ような…こともあるかも知れない。

しかも、この喜び様だ。
かなりの大物を期待してもいいのかも。

いいんだよね! nagajisさん!!




谷に沿って、国道から登っていく小径を見つけた。

やはり橋は全く見えないが、ここから谷を登ってみよう。



しかしこの小径は、日影にはいるとすぐに行き止まりだった。
その先にはどこか人工的な匂いのする平板な斜面が、赤谷の本体である流水溝の両側に広がっている。
橋が見えたのは、この流水溝の上だという。

足場の悪いところを登らねばならない。

道無き45度の斜面。

かなり堪える場面のはずが…




マジ はえーし!!

追い付けねーし。






橋あった!

やっぱり呼ばれたんだで。nagajisさんは。

位置的にも国道から見えるはずが無いと思う…。
この斜面が邪魔をして、登り詰めたさらに10mほど奥に架かる橋が見えるはず…ない。

もし見えたとしても、スティフナーという橋のディテールまで見えるなどと言うことは考えられん。

橋好きどころか、これはもう、橋憑き…。

キモカッコイイ!



次回は、この橋の前後区間を探索する。

…長いレポですが、引き続きダラダラとお付き合い下さい。
第二のハイライトゾーンは、まだまだ先だ…。









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