大間線最大の難所、木野部(きのっぷ)峠を攻略した我々は、実際に工事が行われたという風間浦町桑畑地区までの残りの実踏調査を急いだ。
すでに時刻は午後5時近く、いくら日の長い時期といえども、もう1時間程度しか探索は出来ないであろう。
当初、この日一日で桑畑までの大間線探索全行程を終える予定だったので、焦った。
木野部駅から赤川駅までの区間は、全長2500mほどと短い。
両駅とも正式な予定地が分からなかったが、いずれも同名集落の中心部までをこの駅間としてレポートする。
本区間は駅間が短い上に、その殆どが国道279号線のバイパス用地として既に開発済みで、見所は少ない。
工事が中止された昭和18年時点で、着工はしていたが完成はしていなかった区間とされる。
木野部峠から勢いよく下りてきた国道と、海岸線を隧道で貫通する大間線跡を利用した町道とが合流し、この先は再び国道と大間線の密着関係が再開する。
この区間でまず始めに現れるのは、ご覧の背の低いアーチ橋。
写真は峠方向を振り返って撮影している。
【午後4時48分 木野部地区より北上再開】
アーチ橋の残骸は赤岩バス停に近接し、かつてはあっただろう築堤の代わりに、共同墓地の関連施設が建っている。
綺麗に築堤の幅の分だけ開けて、その向こうには墓が密集している。
墓側からアーチ橋を見る。
2連あるが、そのうち南側の1門は小川のような大沢目沢を通すものの、北側の1門はまるっきり遊んでいる。
いずれも高さが低く、現在の様子からは暗渠で十分だったのではないかと勘ぐりたくなるが、国道の改良工事に伴って嵩上げされたのだろう。
なお、木野部駅はこの辺りに予定されていたと思われるが、痕跡はない。
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大沢目沢のアーチ橋のすぐ北側で浜沿いの細い市道と国道が分かれ、そのまま付かず離れず2キロちかくも並走する。
この区間はまるっきり国道が大間線跡を呑み込んで利用している区間であり、一直線に続く2車線の国道からの車窓は、そのまま大間線に約束されていたそれである。
この間、流れる車窓に、遺構と呼べる物は見つけられなかった。
集落が途切れ、海岸線が岩場となると、小さな峠となる。
大間線跡を呑み込んだ国道はこれを緩やかに越えているが、上りから下りに転じる辺りでその関係は一時途切れる。
国道は、この先の赤岩集落内にかけては旧来からの道を拡幅して利用しているのだ。
国道の略奪から復帰した大間線跡は、すぐにその存在感を我々に示す。
山側に突然といっていい唐突さで現れた、アーチ状のコンクリート。
紛れもなく、大間線の遺構である。
密集した赤川の集落を見下ろすようにただ一基だけ立ち尽くすアーチの残骸。
跨ぐ小赤川の川幅が今も昔と変わらないとしたら、それはかなり雄大なアーチ橋であったと想像されるが、河原の状況を見る限り、明らかに後年の河川改良の手が加わっており、アーチが一部分しか現存しない理由が、この河川改良にあるのか、或いは元々未完成だったのか、意見が分かれるところだろう。
時間が無くて現地で聞き取りを行わなかったことを悔いているが、敢えて私なりの推理をするなら、この橋はもともと未完成だったのではないだろうか。
そう考える根拠は、上の写真に見えているアーチの断面部分が、あとから取り崩されたにしては整いすぎている様に見えることだ。
もしさらにアーチが続いていたとしたら、隣のアーチとの隙間にはコンクリートが充填されていたはずで、後から綺麗に解体できるとは思えない。
おそらく、「着工するも未完成」だとされたこの駅間の、未完成部分が、この小赤川橋梁ではなかっただろうか。
さて、赤川駅の予定地も不明だが、赤川集落の中心部はこの小赤川と、すぐ先を流れる大赤川までの短い平野部にあることから、駅は橋の間の山側に設けられる予定だったのかも知れない。
直ぐ先の大赤川にも、僅かだが橋梁の後が確認できた。
発見されたのは橋台らしいコンクリート塊で、地形が変化しているのか、南側の一基しか確認できなかった。
薮に覆われ、写真では殆ど見えていない。
この駅間は、特に目立った新発見もなく、さらりと終了。
要した時間は10分弱だった。