2011.1.2 12:42 《現在地》
蓬莱とは、中国の神仙思想で説かれる神山で不老不死の秘薬を持つ仙人が住むと言うが、その名を借りたアーチ橋を渡って早川の左岸に入ると、これまでのどうしようもない険阻さが幾らか緩み、路外への逸脱を多少は考えても良さそうな雰囲気になっていた。だが、そんな地形の“冬”が明けると同時に、早川筋に雪はないと踏んでいた私の予想の甘さが露呈しつつあった。
積雪量としてはたいしたものではないが、標高600mを越え、しかも谷底のため日照時間が極端に短い一帯は、昼間でも気温が5℃くらいまでしか上がっていないようで、少しの雪さえ溶けずに道となく山となく、凍てつかせていた。
だってフツー信じられるか?
空は雲一つない快晴なのに、午後0時42分でもうここは、“日没”してるんだぜ…。
険しさからようやく解放されたようなこの土地にも、先人の遭難の形跡が残されていた。
新倉以来の県道沿いだけでももう3ヶ所目だ。
紅葉ばの秋まだ浅し早川の 身延の奥につゆとちるらん
台座はコンクリートだが、碑自体は石である。
記年を確認し忘れたが、いつの碑だったのだろう。
ちなみにお供え物であろうが、台座の前には懐かしい1リットルのコカコーラ瓶が、半ば地面に埋もれるように置かれていた。
そして、それ以外の供物が一切ないことが私の胸を重くした。
早川の谷と道は、拭えぬ死の匂いが付きまとっている。
駄目だ!駄目だ! なんか戦いの前だって言うのに完全に怖じけているぞ。
しかしあんなものを見せつけられた後じゃ、仕方ないとも思うぞ。
蓬莱橋から200mばかり進んだ地点で、山手へ分け入るスロープを発見。
この少し手前で法面のコンクリート擁壁が途切れており、いよいよどこかで入山して左岸道路(仮称)へアプローチしようと思っていた矢先であった。
このスロープが左岸道路に通じているか?
それはこの場所からでは分からないが、自転車はここに置いていこう。
そして自転車を置き去りにするということは、必ずここへ戻ってこなければならないということである。
つまり、今はまだ13時だが、遅くとも15時頃には引き返さないと、明るいうちにここへ戻って来れない可能性が高い。
その事を念頭に置いて、13時零分 入山開始!
2分後、私はこんな広場に居た。
スロープは県道を見下ろす位置にあるこの広場が終点であり、肝心の左岸道路の方は、さらに高い位置にあるらしい。
この広場からは上ってきたスロープ以外の道が出ていないので、そうとしか考えられない。
…まあ、廃道であることはほぼ分かっていたとはいえ、初っ端からキリッと出て来てくれない辺りが…、
早くも前途多難な感じだった…。
さあ、山になんの目印もないけれど、もうひと登りしてみよう。
13:06
平場、発見!!!
それは思いのほかに高く、県道からは20m以上も高い位置だ。
写真左下のアスファルトが県道である。
ここにはやや不明瞭な平場が北から来ていて、尾根の形に沿って緩くカーブしてから、東へ抜けていた。
古地形図では、蓬莱橋の北の袂で直ちに県道(の前身の軌道跡)と左岸道路が合しているように描かれていたのだが、実際はだいぶ違っており、この高低差より推察するに、おそらく下湯島集落の付近まで行ってようやく合流する感じだったのではないだろうか。
時間に余裕があればその部分も確かめたかったが、今回はここからすぐ東へ向かうことにする。
上と同じ地点で東(進行方向)へ向き直ったのが、この写真。
右下の急な斜面をよじ登ってここへとやって来た。
この左岸道路と仮称する道の正体について、私が事前に得ていた情報はほとんど何も無かった。
古地形図に描かれた“隧道のある道”という釣り餌に釣られてやってきただけだ。
しかし、ここまで新倉集落から間接的観察を続けてきた結果として、既にいくつか分かっていることがある。
一、この道は既に全線踏破が出来ないだろうということ。
一、途中には(古地形図のそれと思しき)2本の隧道が確かにあろうということ。
一、車道的な水平に近い勾配を有していること。
そして今、初めてその路盤と見られる平場を踏んでいるわけだが、実感として、車道だとしても自動車が通れる幅ではないということが、新たに判明した。
道幅は広ければ広いほど有り難かった(安全である)が、この狭さは明治馬車道よりも狭く、林鉄よりもなお狭い気がするのだった…。
そうなると、もはや何が通れる「車道」だったのかという疑問が湧いてくるわけであり、その答えはまだ分からないが、狭い。とにかくこれは言い逃れの出来ない事実だった。
これからやろうとしていることを、整理しよう。
現在地は左図の通り。
推定全長6kmの左岸道路中、北から400mほどの地点である。
当初計画というか、理想的にはここから楠木沢を越えて新倉集落まで歩き通したかったが、それがほぼ不可能であることは、既に「青崖」を見てしまった以上、了解せねばならない。
となると、蓬莱橋〜青崖間の往復というのが、今回(そして今日)の最大限のプランと言える。
青崖までの距離は推定1.3kmほどであり、さほど遠くはないが、地形的な険悪さは過去例を見ないほど悪い可能性が高い。
とにかく重要なのは、無理せずどこかで引き返す事だ。
最後が青崖なので、「限界を追求すれば必ず破綻する。」(←これは細田氏の口癖)
平場を歩行開始してから4分後の状況。
現在地は既に蓬莱橋の袂を僅かに越えている。
路盤は早くも私を振り落とす気満々といった装いであり、踏み跡の無い斜めの斜面を歩く事が常態化している。
だが、深い落ち葉の下に柔らかいガレ場が秘蔵されていたおかげで、足が取られはするものの、下まで滑り落ちる危険は感じることなく進めていた。
ここで前方の視界が開けてきたのは、この先の地形が一層険阻である証しと思えた。
進行方向の視界が開けたので、道の進路を探すことにした。
写真中央付近を7倍ズームで覗いてみよう。
道あるか?
いや、道は見えない……。
しかし、何かぼんやりと黒い物が…。
カメラの最大の30倍ズームにしてみよう。
‥‥‥‥。
……“ 神の穴 ”かよ……。
自然地形? それとも坑門?
どっちにしても、あの崖には「穴」はあっても、道は無い。
…早速無理じゃね〜か…?
あれが“第三の隧道”(←古地形図やこれまでの行程で坑門を発見した2本の隧道以外の隧道という意味で)の坑門だとしたら、
青崖以前に、あそこがまず踏破出来ないだろうよ………。
13:14 《現在地》
先行きへの言い知れぬ不安に顔を曇らせながらも、進むより他に手立てがないという気持ちで歩いていくと、間もなく1本の道が上ってきて、私が歩いていた道の進路を奪った。
これは、“助け船”だ。
よかった! 良かった!
左岸道路には、今も何かの用事を持っている人がいるらしい。助かった!
見下ろしてみると、どうやらこれは蓬莱橋から直に上ってくる踏み跡であるようだ。
帰りはこの道を使えば少しだけ近道出来そうだ。
ともかくこれがいかなる目的を持った踏み跡かは知らないが、私が歩いてきた道には感じられなかった生気が感じられたのは、単純に心強かった。
踏み跡が来た途端、道は見違えるように良くなった。
しかし、ボロボロの石段(本来のものかと思われる)の上に、
モルタル積みの石段が設置してあるという、よく分からない整備手法である。
で、その謎の石段の先には、最初の難所らしい難所がありそうな予感が…。
うんうん、ガレてるね〜。
仮設階段で上り下りしようとしたまでは良かったのだろうけど…
↓↓↓
瞬く間に“さらなる一撃”を食らって、階段の下は消滅してしまった模様。
もちろんこうして振り返っていると言うことは、ここは難なく突破である。
この程度でフニャフニャしているようでは、そもそも左岸道路には挑まない。
踏み跡のせいで一人じゃないと分かって、少しテンションが上がってきたぜ!
駄目なら駄目でも、どんどん行こうぜ!
最初のガレ場を突破すると、また階段を下る前の高さに路盤が平場が現れた。
間違いなく先ほどまでの道の続き…左岸道路である。
そして奥には…何か…
自然のものとは違った光沢を持った物が見えてきた。
それは、細い鉄の管を鳥居型に組んだ、何ともシンプルで頼り甲斐のなさそうな欄干、転落防護柵であった。
その頼りの無さは、この酷い現状が如実に示している。
とてもじゃないがこれに体重を預けようなどと言う気にはならないし、転落の寸前にこの柵に助けられるような場面がもしあったら、そこで一生分のラックを使い切ってしまったというべきだろう。
だが、何はともあれ金属製の柵がある。
このことは、先人の足跡という意味で、心理的にはだいぶ私を安心させる効果があった。
早川の谷が弓なりにカーブ大きくしており、左岸道路がその外側を辿っている。
そのため進むほどに、その弓なりの先の風景を、路肩から遠望する事が出来た。
表示した「枠」の辺りは、だいたい600mくらい先かと思う。
問題の「青崖」はちょうどその裏側あたりだから、
一応、これから歩こうと思っている場所が見えているわけだ。
(少し前に覗いた“絶壁の穴”よりもだいぶ奥である)
ズーム! ZOOOOM!!!
↓↓↓
‥‥…フフッ。
凄い廃道に出会ったという悦びと興奮が、果たして私は無事生還できるのかという不安との混合気となって、
「フフッ」と出た。
積雪のおかげもあって、徹底的に水平な道の姿がよく見えた。
こんなあからさまに見せられたら、見せられたら…
私の性格上、少し無茶しちゃう予感がした…。
岩場から削り出したような道。
この場所は目立って崩れた形跡がないので、おそらく作られた当時の道幅に近い状態なのではないだろうか。
そんな道幅は、1.2〜1.5mくらい。
この道幅の“車道”というのが、今ひとつピンと来なかったが、まあ歩く分には十分な幅である。
自転車やバイクも通れるだろうが、完全に命知らずのする事だ。
車道にしては明らかに狭いが、しかしやっぱり車道なんだろうと思う。
これだけ水平に作っている理由が、車道という事以外では説明しがたいから。
それにしても、県道からはもうどうにもならないくらい遠い存在になってしまったと感じる。
とても途中で切り上げてエスケープする事は出来なさそうだ。
しかもこれから進むにつれて、両者の比高は広がりこそすれ縮むことはない。
第二の難所か!!
せっかく、金属製手摺りと私の息も合い始め、
「これから末永く仲良くやろうな」
という約束を(心の中で)誓い合った矢先に、
数分前の「第一の難関」など難関には入らないぞと言わんばかり、
最初の本格的難関
とでも呼んで欲しげなものが、眼前に現れた!
13:20 《現在地》
おおっ!
突然、人間世界で通用する活字が出て来て面食らった。
難しい山河跋渉を克服するため、心の半分以上が野生化しつつあった時なので、こういうのは驚く。
あぶない!!
これは水力発電所の重要な設備です。
危険ですので立ち入らないでください。
東京電力
なるほど。
先ほどから現れた踏み跡や手摺りといった“助け船”はみな、東京電力の手による物だったようだ。
素直にありがてぇ…。
そして、いろいろお疲れ様と言いてぇ。
確かに、地形図を見たときから、そんな予感はあった。
この左岸道路が通行する左岸の区間にぴったり沿うように、東京電力が管轄する発電所の地下導水路が描かれているのを見て、左岸道路と発電所の間には何か密接な関係があるのではないかという予感があったのだ。
(長大な地下水路が途中一度だけ地表に現れる地点が楠木沢であり、その姿が“あの橋”だ。)
ここで左岸道路の素性に関する重要な情報を初めて得た気がした。
だが、これが現役の発電水路と関係する施設であるとしたら、この左岸道路の管理状況は「正常」なのだろうか東電さん。
本当に現役施設なのか?
まだ、手摺りは先へ続いているようだけど…。
東電が「立入禁止」と警告していたのは、この地下水路の余水吐きと思しき坑道の内部であろうと私は勝手に判断した。
ここには簡易ながらも錠前が取り付けられ、不審者が立ち入れないように、ちゃんとなっていた。
まあ、鍵が無くても落石のせいで扉を開ける事は不可能だが…。
で、坑道は幅2m高さ2m程度であるが、中央で左右二つにセパレートされた面白い構造をしており、どうやら左側が人道、右側が水路であるようだ。
そして地形図では、この辺りは地表のすぐ近くに水路があるようだが、坑口からはゴーともザーとも聞こえず、風も無く、大量の水の気配は感じられなかった。
だが、だからといって「ない」とも言えず、寧ろ音もなく大量の水が闇の中を奔っている風景を想像して戦慄した。
幾ら地表が険しくても、地下水路だけは歩きたいと思わない…個人的に。
厳ついナリをしてはいたが、第二の難所もまだまだ、大した難所ではなかった。
13:22 速やかに横断を完了し、前進を再開する。
ゴツゴツごてごてした岩場の難所よりも、
むしろこういう、ヌルッとした小さな崩壊地が怖かったり…。
往復する事を考えると、あらゆる難所が全て危険度倍量サービス中だった。
そして遂に…
何かがありそうな岩場へ…。
ひゅーひゅー言ってる、風ひゅーひゅー。
つかさ、これもう無理じゃね??
この先、道ないんじゃね?
“あそこ” だろ、ここ。
あ〜、もう駄目なのか〜。せっかく面白くなってきたのにぃ〜!!(といいつつ、どこかホッとしていたり…)
きたぁ〜〜!!
13:25 《現在地》
踏破開始から約20分で500mを歩行し、当初の大目標であった隧道の1本へ、無事辿りつくことが出来た!
‥‥‥。
イキマスヨ。
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