Post from RICOH THETA. - Spherical Image - RICOH THETA
7:58 《現在地》
この全天球画像をぐりぐりして、私がいまいる場所を “感じて” 欲しい。
今回の探索ほど、一方向しか同時には見せることができない通常の写真で伝え切ることは難しいと思ったことはない。
私の興奮も、苦悩も、恐怖も、この全天球画像にはたっぷりと詰まっている。
下って“来た”方も、これから下って“行く”方も、どちらも見て欲しい。
……どこへ行けばいいのか分からないと思われたかも知れないが、それが私と同じ気持ちでしたから!(涙)
また状況を一度整理しよう。
今いるここは、ただの斜面でもなければ、ただの道でもない。
便宜上は「D」地点と名付けているが、大崩壊以前に港まで通じていた旧村道の階段と、私が今回下ってきた大崩壊後の仮設階段通路という二つの道が、ここで合流している。
この状況は特別であり、今後の進路を考える上でも重要な地点といえた。
そしてこの「D」地点は、GPSの画面に表示されている地図で見ると、海抜120m付近だった。
忘れもしない、村道上にバリケードが設置されていて自転車を残してきた「封鎖地点」が海抜230mであったから、現在地に多少の誤差があったとしても、概ね「封鎖地点」と大千代港(海抜0m)の間の中間まで下ったということだ。
半分来られたなら、もう半分もなんとかなると思いたいが、正直、楽観的な見方は全くできなかった。
立派な車道や階段があった海抜170mまでは良かったのだが、そこから先の仮設階段になってしまってからは、激藪と激斜面のため帰りのことを考えたくないと思うほどの“悪路”だった。170mから120mまでの苦労が、ここから0mまでまだ倍以上続くのかと考えると……。それに、この先さらなる状況の悪化もあり得るわけで、不安しかなかった。
そもそも今回は、下るほどに地形条件が悪くなるという事前の知識があった。
それは、大崩壊斜面が下部ほど横に広がっていることや、海食崖は海岸に近づくほど急峻になるというような一般論だけではなく、実際にこの土地の地形を見ていたから言えることだった。
地面にへばり付いて道なき斜面と格闘している最中は、自分がどこにいるのかや、正しい進路がどちらにあるかを視覚的に知ることが難しいうえ、実際に動き回って試行錯誤するのは体力と時間の消耗が激しく、滑落などの事故のリスクも大きくなる。
だからこそGPSを活用するわけだが、GPSの画面に表示される地形図だけでは複雑な地形と渡り合うにはなお不十分なのである。
そこで今回の探索では、私にしては珍しく周到な用意をしたつもりだった。普段なら探索の初見の興を削ぐとか、単純に面倒くさいとか理由を付けて、事前にはあまり見ない航空写真を確認し、それを拡大コピーしたものを探索中持ち歩くまでしていたのである。
次の画像は、本レポートの導入回でも紹介したM Harada氏撮影の写真の一部分であるが、私はこれを拡大コピーして持ち歩いていたのである。
画像の中の「現在地」を見るがいい!
そして、私と同じ戦慄を味わうがいい!
↓↓↓
これを見て、この先を恐がらない人は、多分いない。
しかし、よくぞここまで下ってきたとも思う。 褒めて欲しい。私よりも道を!
まがりなりにも道がなければ、絶対にここまでは来られなかっただろうから。
正直、画像では海抜170m以下この辺りまでの道は全く見えなかったので、
ここまでも来られない可能性が高いと思っていたのである。
だが、実際は大崩壊に呑まれかけている瀕死&決死の階段が存在しており、それでここまではなんとか来られた。
しかし、地形の困難度でいえば、この先はさらにやばいように見える。空撮なので実際の傾斜が分からない部分もあるが、
どう見ても急峻そうだろ!今までよりも!! しかも、下るほど“緑色”の領域が先細っていく心細さは、言い尽くせない…。
私はここ「D」地点で、垂れた汗でインクが滲んだヘロヘロのコピー用紙の一点を指差しながら、戦慄に震えた。
良くない病み付きになりそうな怖さ…
既に述べた通り、旧村道のコンクリ階段と、大崩壊後の仮設階段通路は、この場所で合流している。
だが、それらが合わさった道が、ここからどこへ向っているのか。
それが、見えなかった。
眼下の大崩壊縁部には、旧村道の続きとみられる廃道断片「E」「F」「G」が見えており、あそこまで通じていたことは確かなのだろう。
だが、現在地「D」からのつながりが、見えてこない。
ここから目に見えるような道がないのである。
私をここまで導いた仮設階段通路もまた、この場所を最後に姿を消してしまった。
あの藪の中でもそれなりに目立ってくれていた金属の手摺りが、どこにも見えない。
「こんな所まで連れてきたのだから、港まで責任を持って連れて行けよ!」と叱責したい気持ちになったが、よく考えれば「港はこちら」と案内があったわけでなく、私が勝手に通じていると思って辿ってきただけだった。
だが、本当にこれで終わりなんてことが許されていいのか?
仮に道を見いだせなかったとしても、足元の草付き斜面を強引に下って行けば、「E」まではとりあえず辿り着けそうな気はするが、それは最後の手段である。
ここまでだって、一応は常に道を辿ってきたつもりだし、密生した藪の急斜面を這い上がる辛さを想像すれば、重力に任せて道なき斜面を下ってしまうのは本当に最後の手段だった。
焦らず、慎重に道の続きを探そうと思う。
となると、まずはこっちか。
外からは全く道らしいものが見えない藪へ向けて、水平方向のトラバースを試してみることにした。
確実とは言えないが、この藪の底に旧村道が埋もれている可能性があった。それを見出せれば、進路の指針になるだろう。
だが、立っていても足元が全く見えない、丈余の猛烈な草藪である。
しかも全体に傾斜もキツく、下方向への移動はまだしも、トラバースや上方向への移動は大変である。
長居するのは辛い場所だが、これまで海抜170m辺りでも一度このような藪にぶつかっており、そこでは動き回っているうちに次の進路(仮設階段通路)を見つけ出していた。
今回もそうなることを願いつつ、藪へ飛び込んでみたのである。
為せば成るとは、このことか!
この写真は、私が直前に通った所を振り返って撮影したのであるが、私一人が通ったために生み出されたものではありえない、明らかに事前より存在した空隙が見て取れよう。
外からは見えなかったが、内部の一員となって初めて見出し得る、そんな道がここには存在していた。
丈余の草藪の中に眠る、モーセの開海を思わせるような不思議な間隙。それが導く先にあるのは、私にとっての約束の地、大千代港か。
この藪の間隙が、旧村道か仮設通路か、そのどちらに由来しているのか全く分からないし、道であることを証明するような階段やコンクリートの路面も見当たらないが、私はこれを道と信じて進み始めた。(道ではなく、地割れや沢筋の可能性もあった)
8:01
こっ、これは〜!
道らしき部分を辿っていくと、突如景色が変化した。
一目見て、もうこの方向にはこれ以上進めないと分かった。
草木の全く生えていない絶壁が、行く手を阻んだのだ。
だが、その絶壁のような斜面には、明らかに人の手が加えられていた。
その崖は、道路探索者としてはとても見慣れた、吹付けコンクリートの法面だったのである!
(←)この吹付けコンクリートの法面は、例の航空写真にはこのように写っている。
港の直上にあたる海食崖は、海岸からおおよそ120mの高さまで、一木一草生えないコンクリートの斜面によって、ガチガチに固められていたのである。
この法面は、大千代港が海食崖の崩壊に耐えて長く生き延びるために与えられた、おそらく唯一の防御装置であった。外輪山の頂上まで固めなければ、港への落石を完全に防ぐことはできなさそうだが、とりあえずはこれだけ。とはいえ、落差120mものコンクリート法面の凄まじさは言うまでもない!
唯一のアクセス道路の崩壊によって、人が港へ近づけなくなり、港としての機能を停止してもなお、この防御装置だけは無人のまま生き残り続け、港を護る尊い使命を果たし続けていた。
私は探索を始めるにあたって、港にある程度まで近づけば、必ずこのコンクリート吹き付けの斜面に遭遇するだろうと予期していた。
そして、この草木が生えていない人工の斜面をどうやって攻略するかは、現地での大きな課題であり、難題にもなると予想をしていた。
実際にいま、その段階に到達したのである。
ひとつだけはっきり言えることは、私は遂に大千代港という施設の一端に到達した!…ということだ。
それだけに ↓↓↓
大千代港が近いッ!
下降を始めてからはずっと斜面に隠れていて、見えなかった最終目的地、大千代港の無人の埠頭が、
ここに来て「直下」である!
あまりにも「直下」過ぎて、マジで恐ろしい!!
未だ100m以上の高低差があるはずなのに、とてもそのようには見えないのである。凄く近くに見えた。
まるで足元の草付き斜面を下って行けば、このまま辿り着けそうな気がしてくる。だが、それを実際に試すことは止めようと思う。
この斜面は非常に急なので、途中でスリップしたら止らなくなるかも知れないし、戻ってくるのも大変だ。そしてなにより、「先がない」。
なにせ私は既に【航空写真】で、知ってしまっているのだ。この草付き斜面の下がどうなっているのかを。
この草付きの下にあるのは、落ちれば転落死を免れ得ない、高い高いコンクリートの法面だということを知っている。
だから、ここは下らない! 別のルートを見つけなければ。
進路を反転!
少しだけいま来たところを戻ってから、先ほど「D」地点から見た廃道断片「E」の方向へ進路を取った。
コンクリートの法面が現れたことで、「現在地」をより正確に把握することができたが、コンクリートの法面を下ることは無理!
一方で、大崩壊の内部も下ることは無理!
そうなると、これらに挟まれた帯状の草付き斜面だけが、私の与する余地を残している。
先ほどまでと同じように、大崩壊の縁の草付きの斜面を、「E」から「F」、そして「G」へと下り続けることにしたのである。
いよいよ進路が先細ってきたことを感じずにはいられなかったが、その恐怖からは少しでも目を背けていたかった。そういう意味では、視界を遮る深い藪がありがたい存在だった。
この辺りでは道というものを完全に見失っていて、力業で進みたい方向へ強引に藪を突破していたのだが、その過程でこんなものを見つけた。(→)
コンクリートの小規模な擁壁?か何かである。
おそらくだが、旧村道の残骸だろう。
「D」地点からこの斜面へ入り込んだところまでは間違いないが、そこから先は猛烈な藪のため追跡が不可能になっていた。これはその残骸ではないかと思う。
斜面全体が流動しているのか、もはや通路としての面影はなく、天地さえも定かではない有様だったが…。
この写真だって、まともな体勢から撮影したのではない。
カメラを腰より下の藪にねじ込んで、ファインダーもピントも確認せずシャッターを切っている。そうしなければならないほど藪が濃い。しかも急斜面のため、まともに立っているのも辛いのだ。
なかなか伝わりづらいと思うが…。
8:06 《現在地》
「E」地点だ! これで下降の最大記録がさらに更新され、海抜110m付近までは到達したものと思われる。ラスト100mの世界に、いよいよ王手をかけた形だ!
「D」地点から【見下ろした】時にも、「不思議な形だなぁ」と思った「E」であったが、間近で見ると、不思議な形は崩壊によるものだったことが判明した。
大崩壊の縁にある石垣は破壊され真っ二つになっており、その上に乗っていた路盤もあらぬ方向へと傾斜していた。
私が立っている場所にも路盤が埋もれているのかも知れないが、その痕跡は全くない。
これまで何度も見てきた、“廃道断片”と同じであった。
大崩壊の縁に廃道の断片があるだけで、大崩壊の内部にも、その外側の草付きの斜面にも、ほとんど廃道は残っていない。
こんなことが起きているのは、さすがに想像外と言わざるを得ない。草付きの中にも道を見つけられないというのは、この斜面もまた平穏とは無縁であることを物語っていた。
そして、この「E」地点もまた、素晴らしい展望台であった。 大崩壊の…。
死屍累々。
私が、ぎりぎりのすれすれを通って下降してきた大崩壊の縁が、よく見えた。
そして、上から見た印象以上に、見上げてみると急峻だった。
私は心から思った。 なんてことをしてしまったんだと。
まずは、ここまで下ってきてしまった自分に対して、
さらに、こんなところに道と港を作ってしまった人々に対しても、そう思った。
壊される前の道の姿は想像が難しい。海抜140m付近の廃道断片「C」は、一応は車道の姿だったのに、
その下で再会した海抜120m付近の廃道断片「D」は、階段だった。この落差20m間の旧村道に何があったのか。
それを知る手掛かりは、ここには一欠片も残っていない。全ては地面ごと失われている。
稜線上に浮かぶ雲が、島が洋上を進んでいるのかと錯覚するほどに早く動いていた。
それは本来なら美しい景色であったはずだが、さすがにこの状況で現実逃避をするのは無理である。
これは、帰りの大変さが本当に本当に身に沁みそうだった。大千代港はマジで生身にはキツ過ぎる港である。
崩れてなくても生半可じゃなかったはず。正気の沙汰かよと、島民相手に口にしたら叱られそうな問いまで脳裏をよぎった。
しかも、こんなに取り返しが付かなさそうなほど下ってきたというのに……
下にもまだまだ、死屍累々!
あと100mそこいらで海岸線まで到達する計算だが、次の廃道断片「F」と「G」は、ここから少し離れている。
「F」まででも30m以上の比高があるのではなかろうか。
しかも、相変わらず進路は見失っている。
仮設階段通路も、これ以上先へは導いてはくれないか。
こうなると、あの仮設階段通路とはなんだったのかという気になる。
嫌がらせの訳はないので、やはり……、途中まで作ったところで、
崩壊が進んでしまって、港までの敷設を諦めたとでもいうか。
もしそうだとしたら、どこまで大千代港は性が悪いんだよ!
えっ…
嘘、だろ…。
この時、もし私の顔面をつぶさに観察している人がいたら、「あっ、蒼白になった」って思っただろうな。
許されない。というか、到底許したくない事態が起きてしまった。
そりゃあ、こういうことが起こることもあるとは思っていたさ…。むしろ冷静に考えれば、ここまで下ってこられたのも上出来だと思うさ。
しかし、実際に目の当たりにすると、辛いんですよ。
途絶してる!
斜面の連続性が途切れてる。
崖だ!!!
道がないと、下れないような落差が、遂に現れてしまった。
しかも、最後まで嫌らしいことに、行けないことが分かりづらい。つまり、行けるかも知れないのだ。それが本当に憎らしい。
崖の縁まで行ってから、OKとか駄目とかを確かめることが難しい。
確かなのは、「E」地点のすぐ下はこれまでに増して凄まじい急傾斜になっていて、踏み込むことが躊躇われたということ。
さらに、ここから見えることを総合して考えると、この下には帯状の崖があって、切れ落ちている可能性が極めて高いことが分かる。
この落差の見え方は、下の地面まで10m以上もありそうだ。
仮に踏み込んだ場合、駄目だと気付いたときにはスリップが始まっていて下まで墜落しているかも知れないし、藪のクッションのために助かったとしても、果たして戻ってこられるのかどうか。
捻挫しただけでも自力での生還は不可能になる状況だ。ケータイの電波もここに届いてないので、リスクは高い。
いま私が相対している”途絶”は、例の航空写真にも不気味な影を落としてはいた。
しかし、実際に近づいてみなければ、その本当の恐ろしさを知ることはできなかった。
ここに至って私は、迷路の行き止まりへと入り込んでしまったようだった。
これはありがちな平面の迷路ではない。全体が45°以上の傾斜に満たされた、落差200mもある立体迷路だ。
藪と崖が迷路の壁である。迷うほどにじりじりと体力と気力を奪われ、常に滑落というリタイアが隣にある。そのうえ、勇気を持って敗退を決めたものへの仕打ちの酷さは言語を絶する。それまで静観してきた“落差”が全て敵に回る。まさに泣きっ面に蜂の地獄の責め苦迷路。
しかし、そんな悪辣迷路でも、解法があるならば救いはある。
だが私は、それさえも定かでないのに自ら迷路の中へ入ったのだから、なにが起きようとも自己責任だった。
周囲の藪があまりに濃すぎることと、全体に傾斜がキツすぎるために、ここでは自分のいる場所からあれこれ移動して地形を観察したり、通れる場所を探し歩いたりといった試行錯誤をすることが、とても大変だった。
何時間もかけてつぶさに調べ上げれば、下りうる一点を見つけられる可能性は高まるだろうが、この斜面で長時間の捜索作業をするには、体力も気力も時間も全てが足りない。
ぶっちゃけ、体力的な意味でのハードルが、一番私を苦しめていたと思う。ヘトヘトなんだよ。探索開始時点で既に!(涙)
だから私は無気力とまでは言わないが、もはや祈る気持ちになりながら、運が味方することを願いつつ、もう一度だけと決めて、斜面を北方向へトラバースしながら下降点の発見に期待したのだった。
右の写真はその途中で撮影したものだ。
港は近くに見えている。 頼むから、下りられる場所を教えてくれ!
8:10 《現在地》
……来てしまった。
さっきもトラバースの反転地点となった、コンクリート吹き付け斜面にぶつかった。
さっきの反転地点よりは、おそらく10mくらい下に入り込んでいるが、これ以上トラバースを続けることはできないので、
いまトラバースしてきた範囲で下降点が見つけ出せなかったとしたら、 ジ・エンドだった。
…
…………
…………………
見つけられませんでした!
かくなる上はもう、
この“おろしがね”のような岩場を直接下るか?!
すぐそこに見えるじゃねーか、港。
港まで、残り高低差90m。
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