道路レポート 青ヶ島大千代港攻略作戦 第6回

所在地 東京都青ヶ島村
探索日 2016.03.05
公開日 2018.02.04

大千代港最大接近!! 海抜100mからの大展望


8:10 《現在地》

断念します。

「この“おろしがね”のような岩場を直接下るか?!」なんてのは、あまりにも悔しいから言ってみただけだ。馬鹿げてる。

右の草付きにしても、少し下れば同じような岩場になっているはず。無理。
ロープでもあれば下りられるかも知れないが、それでも相当に長いロープが必要になるし、そもそも準備のないことを言っても仕方ない。

この「撤退」が、全てに手を尽くした末の結論かと問われれば、悔しいけれど答えは「NO」だ。
周辺の藪を徹底的に掻き分け、じっくり地形を精査すれば、どこかに安全に下りうる一点はあるのかもしれない。その余地はある。
だが、いまここにいるのは私一人だけで、私の手には余るのだ。
激藪のために1m先すら見えないこの広い急斜面で地形を精査するなんて、どれだけ大変か分かるだろう! いまの私には無理だ!

この地点からのさらなる前進と、前進を前提とした試行錯誤は、いまの体力状況にあっては大千代港への死の片道旅行になりかねないと感じた。
だから、悔しいけれど、撤退することにした。



ここが私の限界だったということ。

道なき斜面のこの一点に立って、果てなく広がる海原に向き合っていると、自分自身が島にでもなったような気持ちがした。孤立無援の無人島に。
だが、かつてここにも人の営みは及んでいたのだ。
真下には視界の中の唯一の人工物である大千代港が、文句なくいままでで一番近くに見えた。
しかも、遮るものが何もないために、全貌をスッキリと見ることができた。

埠頭までの残り高低差は100mくらいだが、もっともっと近いように見えるのは、ほぼ真下に見下ろす俯角の大きさゆえか、辿り着きたいと夢見る私の意識ゆえなのか。
それだけではあるまい。海上に突出した埠頭は海抜0m近いが、陸側にそれよりも高い海抜を持ったベースとなる部分があった。いままでは常に斜面に遮られて見えなかった部分だ。
そのベースの部分は、海抜20mくらいはあるように見える。
だから実質、現在地から港までの比高は80mないくらいだろう。

……80m。

惜しいところまでは来てるんだけどなぁ……、間違いなく。




この目に焼き付けろ!

これが、大千代港の接近した俯瞰だ。
しかも空撮じゃない、青ヶ島に立って撮ってる。
東京都港湾局のサイトに掲載されていた【写真】も空撮だったから、このアングルは初見だ。

こうしてカメラのズームレンズで覗いてみると、本当に目睫の間にあった。
そしてそこには、平成6年の村道断絶から22年が経った大千代港の想像以上に荒廃した実態が横たわっていた。

四六時中潮気に晒されるコンクリートは全体が黒く変色し、青さを通り越して黒く見える周囲の海と調和している。
浅黒い肌をした屈強な漁師と、戦い破れた戦跡という、二つのイメージを同時に想起させた。
ともかく三宝港と比較すれば笑ってしまうほどに小さな港だが、天然の岩場を取り込む形で作られた埠頭は、絶海の小島の港に相応しい禁欲を感じさせて、果てしなく格好いい!

ここから上陸する青ヶ島は、さぞや思い出深い体験を与えてくれただろうに。(直後に地獄のような階段が待っていることと合わせて…)



……ああっ!

“車道”だッ!!!

これにはヨッキれん、我を忘れて大興奮!

かつて神津島で島の最高峰を登っていったら、どこにも通じていない孤立した車道の廃道に遭遇したことがある。あの体験は一生涯忘れないが、今度は青ヶ島の海食崖を下りていったら、孤立した車道廃道に遭遇したのである!

現状の車道は海抜220m付近で【途切れている】。大崩壊以前はもっと下まで【あった】ようだが、それでも海抜120mより上で【階段】になっていた。
だから、大千代港には歴史上一度も車が乗り入れなかったと思う。

だが、港のベースと埠頭を結ぶ通路の造りは、明らかに車道。
路肩の擁壁の上には巷の道路でよく見るガードロープの支柱が赤さびた姿を晒しているし、路面は上部の村道にもあったスリップ防止溝が付いたコンクリート舗装である。
立地的にここは外から来た自動車が往来するというよりは、荷役専用車両(フォークリフト)の通行用かもしれないが、それでも車道に違いはない!

孤立車道廃道という“廃道界の桃源郷”を、私はこの島で再び発見した!

なお、このベースと埠頭を結ぶ“車道”は、路面が陥没している部分が一箇所あるほか、埠頭の直前が結構な長さ失われているように見える。(ベースに達しても埠頭へ辿り着けない可能性も……?)
全体として、明らかに“廃港”のようにしか見えない大千代港だが、これでも法的には東京都が管理する現役の地方港なのである。



航空写真でいま一度、今回の最終到達地点を確認しておこう。

旧村道は「E」地点までしか辿り着けなかったが、目視で「F」と「G」に痕跡が見えたし、
航空写真では「G」地点以下、大千代港に達するまでの道がうっすら見て取れる。
どうやら、コンクリート吹き付けの崖に九十九折りの歩道が付けられているようである。(馬鹿だ)

しかし、改めて驚かされるのが、大千代港へのアクセスルートが本当に歩道しかなかったということである。
港としての完成形ではなかったというのはあるだろうが、記録上は昭和52年に開港しているので、
村道大崩壊まで地方港として20年近く稼働していたはずなのだ。実際の利用実績が気になるところ。




「……踏みたいなぁ、あの道を……。」

ここは、そんな風に指をくわえて港を見る敗者の特等席だった。

終盤は道を見失っていただけに、私が最後にここへ辿り着いたのは偶然だと思っていたが、実は地形に導かれた必然だったのかもしれない。
少なくとも、過去にもこの場所へ来た人がいる。
それは工事関係者か、それとも先達の探索者か。
崖に垂らされたさび付いたケーブル(すぐ下で切れていた)のそばに、なぜかコカコーラの空き缶が一つ。

結局私は、この場所に5分ほど滞在した。
ここまで「時間経過」についてはあまり触れてこなかったが、たぶん皆さんが想像するほどは経っていない。
村道のバリケードを突破したときから、ここに至るまで45分だ。

ここで過ごした5分間うち、最初の1〜2分は悔しさと湧き上がる未練に苦しんだが、上がっていた息とともに心が落ち着いてくると、これ以上は危険な目に遭わなくて済むかも知れないという安堵に絆されていった。そしてなにより、既にオブローダーとしては少なくない成果を得られたという喜びが、ふつふつと湧き上がってきたのである。
大崩壊した村道の実態を相当奥まで確かめることができたし、その行き着く先にある大千代港の全容も目にすることができた。

自画自賛だが、探索の第一段階としては、上出来だと思った。



いま、しれっと書いたが、気付いただろうか。

ここまで、「探索の第一段階」としては、上出来だったのだ。
当然この言葉の先にあるのは、「探索の第二段階」。

まだ終わっちゃいねーぞ、大千代港! 俺はお前への到達を諦めてないッ! アイルビーバックだ!

今回私は事前に航空写真をチェックしたり、そのコピーを持ち歩くなど、いつになく用意周到だったと言ったはずだ。
だから気付いていた。
大千代港到達の可能性がある、“第二ルート”の存在に。

大千代港から北へ200mほど離れた海食崖の上部斜面に、明らかに道筋のようなものが写っている。
地形図には全く表記されていないが、これまで多くの読者から「見える」と指摘のあったこの道形に、私も気付いていた。

そして、もしも崩壊した村道を踏破して大千代港へ至ることができなかったときには、これに全てを賭けようと心に決めていたのである。

しかも今回の探索中、この“第二ルート”について嬉しいニュースがあった。
それは、ここへ来る途中の村道で一台だけ見た【軽バン】だ。
あの軽バンが停まっていた場所こそ、“第二ルート”の入口にあたっていたのである。つまり、第二ルートにはいまも人が入っている!
道がどこかへと通じていることを示唆する情報だ。軽バンの主は大千代港を目指したのではなかったのか!




写真だと、下の方の崖が凄まじくて道も全く見えないが、どうにかして下る方策があると信じよう。



8:15

悔しくも愛しい“最終到達地点”に別れを告げて、撤退を開始した。

遅かれ早かれ来ると分かっていた憂鬱な未来に、これから立ち向かわなければならない。
海抜230mから海抜100mまで、おおよそ45分かけて下ってきた。
その分を全て回収しなければ、次へ進むことが出来ない。

辛い。

敗北時のこれは、マジ辛い。

そのうえ、登った後でまた下ることになる。
1度目に失敗したから、上と下を2往復する羽目になったのだ。
まだ1往復目の往路しか終わってないから、苦労はあと3行程ある。
“ふり”とかじゃなくて、探索4日目の私はマジでもうヘトヘトだ。
こんなことなら、青ヶ島行きの船が出なくて八丈島で過ごした2日間を寝て過ごしていたら良かったのかもしれないが、ずっと島中駆けずり回っていたからな…。

でも、疲れてるからと、のんびり帰るわけにはいかない。
なぜなら、私がこの島に滞在できる時間は、残りが少ない。
3時間45分後の正午に、島の反対側にある三宝港で帰りの船の乗船手続きをしなければならない。
時間がとにかく惜しい。
もしも疲れすぎてぶっ倒れるなら、船に乗ってからいくらでもぶっ倒れよう。


だからいまは…

食いしばれ!

これから少しの間、感情を捨ててがむしゃらに登ります!



8:18

戻ってきたぞ! もう少しで海抜140mの「C」地点だ!

大崩壊の縁にぶら下がる階段通路が、まるで地獄に垂らされた救いの蜘蛛の糸のよう。

稜線の上に広がる空には、先ほどまではなかった白い大きな雲が一面に広がっている。
そのため次第に日が遮られることが増えてきた。悪天候になることはないと信じているが、
なんとなく風雲急を告げるようで、こんなことにも戦々恐々とするほどに、私は意識を昂ぶらせている。




8:24

いま一番辛い所に来てる!! ここは「C」地点と「B」地点の間に広がる激藪激急斜面だ。

おおよそ30mの高低差を持つ胸突き八丁のサディスティックな道。ここは動画でも見て貰おう。
もっとも、“鑑賞”に耐えるような動画ではない。首から提げたカメラの奔放なる動きと、地面の近さ。
そして何かを喋っているがまともな日本語になっていない私の声に、全ての苦闘が滲み出ていると思う。

大千代港に挑むと、いい大人でもこうなってしまうという見本だ。



8:26

はう〜〜!! 「B」地点に着到!

汗だく草まみれの私の赤い顔は、きっと疲労のために幽鬼のような表情だったことだろう。
しかし、ここまで来れば命の危険は去った! あとはただただ、修行僧のように長い階段を上るだけ。
写真の左上に空を透かして見えるガードレールがあるが、あそこが階段のゴールの高さだ。




8:29

ごほっ。

海抜210m……車道終点きた…。

もう…、あんなに海は遠い……。




8:31 《現在地》

海抜230m、1時間4分ぶりに、愛車待つバリケード地点へ生還。
このどこにでもありそうなやる気のないバリケードの向こう側にある地獄を、しかと見てきた。
青ヶ島の秘中の秘、その喉元まで食らいついたが、あと一歩のところで及ばなかった。

第一次大千代港下降作戦、了。

45分かけて慎重に、ときに迷いながら下った斜面を、たった16分でまっすぐ駆け上がってきた。
これは比喩ではなく、本当にできる限りの最速で駆け上がった。
時間切れという形でこの探索を終わらせられるのだけは嫌だったから。

でも、ちょっとだけ、ちょっとだけ休憩させてー……。




8:36 《現在地》

5分後に再始動。

久々に自転車に跨がって漕ぎ足に力を込めると、すぐさま目当ての場所が見えて来た。
“第二のルート”の入口に停まっている、いわくつき“軽バン”の再登場だ。

前回から1時間以上経っているが、いまだ主が戻ってきている様子はない。
まさかどこかで遭難しているわけでもなかろうから、なにかしら時間を潰せる有意義な場所に至っているのだと、そう信じたい。
きっと彼は、海へ行ったのだ。大千代港へと、行ったのだ!




この緑濃い細道が、正真正銘、最後の希望。

泣いても笑っても、この先で全てが決着。

港まで、残り高低差230mを再セット!

最終決戦の火蓋が切られた。

タイムリミット、三宝港での乗船手続き開始まで、3:24