2011/6/4 16:20 《現在地》
今回の新規探索区間である大崩落越えから約250mの地点。
外沢隧道までの残距離は推定150mほどとなり、いよいよこのリベンジ作戦も佳境を迎えた。
そんなところで現れたのが、この巨大なコンクリートの擁壁。
これが現役の国道ならば、特に立ち止まることもない平凡な場面なのかも知れない。
だが、ここまで出て来た法面はほとんど全部素っ裸で、僅かに(ボロ布のような)ネットが取り付けられただけだったから、この巨大なコンクリートの構造物は、インパクトが大だった。
高さが8mくらいはあろうという高い壁だが、上下左右全方位から緑が浸蝕してきており、さらに壁自体をしたたり落ちる水にもコケが育ってまだらに変色させている。
これは「廃なもの」だけが持ちうる風合いで、私の好むところだが、度を超すとこのようにすこし気持ち悪い。
この巨大な擁壁の幅は30mくらいあり、本来ならば斜面上部から路盤への雪崩や土砂崩れという攻撃を防ぐ“鉄壁”を期待されていたはず。
だが、その効果にも限度があったようで、壁自体はなお健在でありながら、土砂と水は容赦なく壁を乗り越えて路上に注がれていた。
いまやこの擁壁の元は全線でも有数の激藪地帯となっており、訪問があと1ヶ月遅れていたらススキの海は完全に背丈を超えて、擁壁の存在を視界から隠しかねなかった。
ススキが生えている場所は、間違いなく路面だったところだ。
草むらであるだけでなく、路盤が人の背丈以上に激しく凹凸しているが、壁を越えて供給される土砂が如何に多いかが分かる。
しかもこの道幅を考えると、転落物の多くは斜面となった路面をそのまま通り過ぎ、遮るモノがない路肩から姫川の谷へ投下されているはずだ。
もしそうでなければ、路上の山はもっと高くなっていただろう。
巨大擁壁の終わりは、突然やってきた。
その末端は、ご覧のようにブッツリと途切れていた。
そして、この擁壁の驚くべき“厚さ”が明らかとなった。
まるでそれは砂防ダムのような分厚さであり、普段見る法面の土留め擁壁とは、一線を画すものがあった。
そもそも、あまりこうして法面の側面を見る機会というのは、多くないのであるが…。
なお、この写真は振り返って撮影しているので、向かって左側の“山”になっているところが、道である。
擁壁がほとんど埋没しているのだが、それでもこの分厚さのおかげで、壁自体は崩壊せず傾くこともなく、立ち続けている。
“見えぬ桟橋”から巨大擁壁のコンボを抜けると、再び平穏?が戻ってきた。
だが、それが束の間のものであることを私は知っている。
この緑の先には、もうひとつの桟橋が…。
どう見ても2径間のうち1径間が抜け落ちてしまった桟橋が、待ち受けているはずなのだ。
遠目に見て、最も突破が難しそうに思われた箇所である。
引き続き緊張感をもって、奔放な緑を踏み越えていく。
そしてそれは、意外に早く現れた。
今度は…、
ちゃんとその姿を見せてくれそうだ。
やっぱりだよ。
やっぱり、斜面に埋もれていた…。
だ、大丈夫か?
先へは進めるのだろうか?!
この桟橋は、1年前の探索時に対岸からこのように見えていた。
草地のようなところに架けられた2径間の桟橋であり、岩場を跨ぐ先ほどの桟橋より、いくぶん地形は緩やかかとも思われたが、橋桁の半分がそっくり消滅している姿は衝撃的で、仮にこの地を踏むことが出来たとしても、突破できるかどうかは大いに不安があった。
いま遂に、この桟橋の橋頭へと辿り着いたのである。
16:26 《現在地》
これが、初めて見る桟橋の近景。
やはり、橋は半分崩れ落ちていた。
消えた橋桁の行方が分からぬ限り、崩れたのか撤去されたのか本当は判断しかねるのだが、この状況でわざわざ撤去するとは思えない。しかも、半分だけ。
向こう側の残っている桁に乗っている大量の土砂が、橋の最後の場面を容易に想像させるのである。
また重要な発見として、遠目には2径間と思っていた本橋が、実際には手前に小さな橋桁があって合計3径間だったことが判明した。
橋桁の枚数はおそらく2枚だったのだろうが、手前側の橋桁がそっくり消滅している。
また、残る橋桁が乗っかっている橋脚も上部に大きなひびが生じており、相当にダメージが蓄積していることを思わせた。
渡ることが出来ない橋が現れたが、私の目的とする場所はここではない。
となると、この場所も乗り越えていかなければならない。
さて、どうするか。
心配ご無用。
橋を“抜いてしまう”ほどの大量の土砂をもたらした斜面は、崩れに崩れを重ねて、最後にこれ以上崩れようもないくらいの安定した形になったのかも知れない。
ご覧の通り、橋の上部には比較的なだらかな草むらが出来上がっており、藪を苦にしなければ、ここを踏み越えて橋の先へ進むことが出来そうだった。
遠目に見た時には、この部分が通れるようには見えなかったので、…正直助かった。
ルートを見出したならば、さっそく実践である。
あまり崖際スレスレを通るのも怖いので、多少余裕を持って高巻きのトラバースを決行する。
写真はその途中、失われた橋桁を透かして遙か70mほど下方にある姫川の激流を見る。
草が生えてはいても、墜落すればただでは済まない急斜面である。
そして、この遠く小さく見える河原に気になるものがあった。
テトラポットの周りに散乱しているのは…
折れ曲がった鉄骨たち。
位置的にこの桟橋の失われた橋桁の残骸…ではないだろう。
この橋桁が川まで墜落したとしても、真下の対岸ではなくもっと下流へ漂着するだろうし、残された1径間の橋桁もこの鉄骨とは結び付かないカタチをしている。
だがいずれにしても、こんな鉄骨は本来河原にあるものでは無いし、何かの災害に関わる遺物ではないだろうか。
旧国道から落ちた雪崩防止柵などの残骸かも知れない。
失われた桟橋の1径間を迂回した後は、速やかに残されたもう1径間の上に下りてみた。
別にここを通らなくても、そのまま路外の斜面を迂回することは可能だが、せっかく半身だけになっても架かってくれている橋なのだ。特別に大きなリスクでないのなら、体験しなければバチが当る。
というわけで橋の切断された末端部に立ってみたが、これが思いのほかゾクゾクする。
ここは高さ70mの崖の上にテラスのように張り出した一角だという理解があるし、それも崩れかけた橋脚に支えられている危うさだ。
冷静に考えれば、この足元の草地は泥船かも知れないのだ。
しかも、本来は欄干があって転落を防止してくれるはずの路肩だが、ぶ厚く堆積した土砂にそれは隠され、近づきがたかった。
期待された遺構だったが、橋上に滞在した時間は短かった。
ぶっちゃけこの一連の廃道は、あまりにも緑…自然に還りすぎていて、廃道の魅力として挙げられる重要な要素である“廃美”、すなわち道路の整然とした機能美と使い古されたもののわびさび、或いは自然の風化という破壊美の融合した美しさという部分では、薄味・大味になってしまっている感じは否めない。
魅力を感じるならば、そこよりも未踏破の風景を解明していくという冒険性の部分であろう。
話しが脱線。
この写真は、橋を去る直前に撮影した、その付け根の部分の路肩だ。
左にはガードレールとその支柱があり、中央やや右寄りに橋の親柱が頭だけ出ている。
他の欄干支柱よりも少し背高に作られているようである。
ただし、そこに期待された銘板の痕跡は見られなかった。
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桟橋を過ぎると再びの森の中へ。
そこには、ここまで見た中で最も良く原形を留めるガードロープが残っていた。
こういうものがないと、あまりの自然回帰ぶりに現代廃車道とは思えない。
そして、おそらくこれは嵐の前の静けさなのである。
この森が終わるときは、今回のリベンジ探索の結末ということになろう。
そこには、前回探索の到達限界が待ち受けているはずだ。
絶対に踏破できない、千尋の谷が。
もう、100mもあるまい。