道路レポート 国道229号 雷電トンネル旧道 (ビンノ岬西口攻略) 第6回

所在地 北海道岩内町
探索日 2018.4.25
公開日 2019.9.20

消された長城 樺杣内覆道



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2018/5/25 16:51 

逃げ場のない防波堤下の消波ブロックを歩くこと約10分。
ようやく、上陸可能な地点が発見され、私は飛びつくように陸へ上がった。
ここは海岸防塞のように横たわる樺杣内覆道の唯一かもしれない出入口だ。
そしてこの覆道は、今回の探索における“ラストダンジョン”でもある。

苦労して辿り着いたが、休息の余裕はない。
現在時刻は16:51で、探索開始からは80分が経過している。
予報されている日没時刻(18:30)まで残り時間は約100分である。
つまり、あと10分くらいで復路に就かないと、帰り道の途中で日没する可能性大である。
実際は、復路では往路より少しペースアップが出来る見込みがあるので、
あと20分くらいが、明るいうちに帰着するリミットになるかと思う。

繰り返す。 20分後には、撤退を開始しなければならない!



GPSで確認した現在地は、全長1300m近くある樺杣内覆道の西端から、約300mの位置だった。

右図は平成26(2014)年の地形図だ。
当時既に雷電トンネルが開通しており、旧国道は廃止後12年が経過していたが、なおも巨大な覆道が描かれ続けていた。(記号としては「建物類似の構築物」といい、覆道はこの記号で描かれる)
前後のトンネルを含む覆道以外の区間は完全に削除されているのに、覆道だけが異様な存在感をもって描かれていたのである。

これだけ地図上に目立っていた構造物が、実際は容易に到達出来ない存在だったのが面白い。
今回私が通ったルート以外での陸路到達は困難で、あとは波の穏やかな日にボートでも使って海上からアクセスするしか手はないだろう。

だが、最新の地形図である「地理院地図」では、覆道も削除されている。
よって、現在はこの海岸線に一切の人工物は描かれていない。
そのため、樺杣内の海岸はまるで人の手の入っていない原始の景色に見えるが、実際の風景のとギャップは、もはや詐欺的といえるレベルに大きい。




“上陸地点”から、数メートルのコンクリートスロープを登ると、覆道内部の路面と同じ高さに立てる。
ここから覆道内部へ入ることに関して、邪魔をするような、いかなる障害物も掲示物もなかった。

太い柱と分厚い天井に守られた薄暗い覆道内部には、舗装された路面が横たわっているのが見えた。
それは一見、現役の道路のようであり、ライトを点けた車が現われそうな錯覚を覚えたが、ここにある1km以上の車道は、世界のどことも繋がっていない。

幻となった走行音の代わりに聞こえてくるのは、海鳥たちの断末魔みたいな叫び声だけだった。

いざ、入城!





中へ入って、真っ先に動画を撮影した。だが、到達の喜びが噴き上がる前に、冷えてしぼんだ。

感じてほしい。 この寂寥感。

海をこんなにも昏い場所だと思ったことが、いままであったろうか。

鳥の声に、こんなに追い詰められた気持ちになったことが、あったろうか。

色の乏しい景色が、私の生命力を直接に奪っていくような気持ちの悪さがあった。

前にも後にも終わりの見えない覆道は、終わりのない悪夢を連想させた。



出発地点方向(西向き)は、回廊のような覆道の列が淡々と延びていた。

約300m先で、樺杣内トンネルの閉ざされた坑口に行き当たるはずだが、カーブのために見通せなかった。

向かうべきゴールは、これと反対側にある。さっさと向き直って、足を進めるべきだが……

一目見ただけで、そっちは怖いと思ってしまった。

通れるか通れないかという怖さではない。通れると分かるからこそ、立ち入らねばならない怖さに戦いたのだ。



暗い。

な、 なんなんだよ…… この覆道は。

この先は、約1kmでビンノ岬トンネルの閉ざされた坑口に行き当たるはずだが、まだ見えていない。

だが、なぜかこの先の覆道は窓が小さく、暗さはほとんどトンネル同然。不気味……。




突入!

全部のトンネルが封鎖されている以上は使うこともないと思っていたヘッドライトを点灯させ、すぐさま進入した。

中に入ってすぐに思ったことがある。前言を翻したい。先ほどこの覆道の内部を見たときの第一印象は、きっと間違っていた。
「現役の道路のようであり、ライトを点けた車が現われそうな錯覚」……なんて、全く嘘だったのだ。
そんなものは、ここにはなかった。

こんな現役の道路が、あってたまるか。
ここは確かに、16年前までは国道だったのだろうが、今は抜け殻。国道にはあったはずの照明も、標識も、白線も、なにもない、抜け殻の函だけがあった。
そのうえ、なにやら、内部は意外に荒れていた。
路上に、大量の小石が散乱……。
壁にも、白い塗装の上から錆びたような水垂れの汚れが無数に……。




等間隔に並んだ暗がりの窓からは、外が見えた。

そしてその全ての窓から、同じ景色が見えた。

よく凪いだ海原が一、積丹半島が一、残りの八の広さは全て空。
私に構図の善し悪しを評価する目はないが、そういう絵画的な景色だった。
一から十の全てが灰色のグラデーションだけで描かれていることが特徴の絵だった。

暗がりに、ほぼ同じ絵の額縁が数十も並ぶここは、壊れてしまった美術館のようだった。



薄暗い小窓の覆道、その出口が近づいてきた。
だが、その先にも覆道が続いている。
樺杣内トンネルからビンノ岬トンネルまでの約1.3kmは、全て覆道である。

路上にいる限り、自分がどんな地形を相手にしているのかを知ることはできない。
そして、路上から逃れることも普通はできない。
私がここへ来たルートを思い出してほしい。

このように、利用者は分厚い天井の裏にあるものを見ることができないが、怖いもの見たさでもなければ、見ない方が幸せだろう。
この探索のこれまでの過程から、天井裏の景色を知っている私はそう思う。



17:01 《現在地》

小窓の覆道が終わり、柱の覆道に戻ったので、最初の隙間から外へ出た。
10分ぶりに見る地上にさほどの変化は感じなかったが、行く手のビンノ岬は着実に近くなっていた。
この小窓の覆道は約230mの長さがあって、通り抜けたことで、上陸地点から250mほど東へ移動した。
終点であるビンノ岬トンネルまで、あと7〜800mである。

そして、上陸時点に設定した前進のタイムリミットまで、残りたった10分である。
もちろん、せっかくここまで来ていて、しかも残りの区間にはもう難所もないだろうから、多少のタイムオーバーは許容するつもりである。でも限度がある。



覆道の外にいると、この方向から常時、「ドーーーー」という重低音が聞こえていた。

音の正体として思い当たるものは一つしかない。車滝だ。
いま通過した小窓の覆道は、車滝のすぐ下をくぐっていた。覆道を歩いていた私は、川を渡ったことも知らないまま過ぎていた。

車滝は、この探索の出発前に「きたのたき」の記事を見ていた。同サイトに綴られていたこの滝へ陸路到達記録が、私をこの探索に誘った。それだけに、私にとっても重要な意味を持った滝だったが……、私は、届かなかった。

確かに車滝は旧国道のすぐそばにあるらしい。
しかし、同様の立地関係にあった梯子滝とは異なり、路上からは見ることができないのだ。
「きたのたき」の写真からは予期できなかったが、覆道の山側にあるという滝の立地と、覆道の山側に出口がないという状況を冷静に判断すれば、こういうことも起こる。



車滝へ近づくためには、覆道の山側に入る必要がある。

だが、それは簡単なことではなかった。

写真は、小窓の覆道の外観を振り返って撮影したものだ。

驚いたことに、小窓の覆道の後半部分は、入口側とは異るこのような切り立った外観を持っていた。
それは防波堤と完全に一体化した、海面から直に立ち上がる垂直の壁で、他では見た覚えがないような構造だった。

この“防波堤一体型覆道”を乗り越えて、車滝へ接近するには――




おそらく、眼下に見える大きな暗渠を通過するしかないだろう。

あれは、車滝の水を海に通す人工的な川であり、姿を変えた橋でもある。
おそらくあそこをくぐれば、覆道の山側に行けるだろう。そこからいくらか沢を登れば、車滝の滝壺に着けるはず。
だが、いまいる場所から直接向かうことはできない。なぜなら、足元の防波堤の壁が高く、昇降不能である。
50mほど先に見える“対岸”も同様だ。つまり、この暗渠をくぐろうとしたら、どこか別の場所で海面に降りて、
そこから延々と、消波ブロックや磯場を歩いてやって来るしかないということになる。

いまそんなことを試せば、間違いなく夜になってしまうだろう。
残念だが、車滝への接近は諦めることにした。機会があれば再訪してみたい。







以下の2枚の写真は、“石門”付近で撮影した樺杣内覆道の外観写真に、「現在地」や踏破ルートを表示したものだ。


見るからに頑丈そうな覆道だが、平成8(1996)年2月10日に起きた豊浜トンネル岩盤崩落事故をきっかけに、
多くの人々はこうした覆道の安全性を、信じられなくなってしまった。

それは徒な不信に陥ったというよりも、信じるべき真実を知ったと言うべきかもしれない。
それまでほとんどの道路ユーザーは、覆道の天井裏になど意識を向けてはいなかったし、
それでも安心して通行していたはず。 たまに悲惨な事故が起きてはいたのだが…。

あの事故がきっかけとなって、同じような地形条件にある道路は全て危険性を疑われた。
そして、それまでは整備のゴールと見なされていた覆道の存在は、ゴールではなくなった。
全ての覆道の上にある地形が検査され、おそらくこの樺杣内は、「不可」の判断が下されたと思う。

平成14(2002)年に全長4.5kmもの雷電トンネルが開通し、覆道は全て役目を終えさせられたのである。



「利用者は分厚い天井の裏にあるものを見ることができないが、怖いもの見たさでもなければ、見ない方が幸せだろう」。
これは私が先ほど覆道の中で嘯(うそぶ)いた言葉だが、この景色の前では、きっと誰もが頷くはずだ。
現役時代だったら、「俺たちを殺す気か!」と道路管理者に食ってかかる人さえいたかもしれない。

仮に100mの高さから10トンの岩が自由落下で覆道を直撃すると、その破壊力はTNT火薬2.4kg相当となる。
これは鉄筋コンクリートの構造物を局所的に破壊するのに十分なエネルギー量である。

実際は自由落下になることは少ないだろうし、ここの地形を見ても崖の直下には崖錐斜面があって、覆道を直撃する可能性は低い。
また、覆道の上には耐衝撃性を高めるために土が盛られているようで、そう簡単に破壊はされないはずだ。
しかし、豊浜トンネルの坑口を押しつぶした岩石量は27000トンという膨大なもので、こうなるとさすがにひとたまりもない。
道路をまるっきり地中化してしまわない限り、このような地形での危険は回避できないということが分かる。

雷電トンネルが開通するまで、我々はここを、
ただ運に恵まれて、無事に通過し続けていたに過ぎないことになる。






見えない滝の音を背に、最後となる前進を開始。

行き止まりまで、残り700m。



樺杣内覆道 中間地点へ


2018/5/25 17:02 《現在地》

この先も堅牢な要塞のような道が、地上から道の姿が消えるまで続く。

この樺杣内の海岸を無事に通行したいと願うなら、最低限、コンクリートシェルターの中にいることは必須であると、日の光を浴びるのは贅沢ではなく無謀であると、そう訴えかけてくるようなシェルターロードだ。分厚い屋根の上には、高さ200mの垂直の崖が控えている。そしてそれは物理法則的に、対艦砲の破壊力を持った無数の大砲と同じもの。実は、通行人の生殺与奪を完全に握っているのである。

私は再び屋根の下に入った。
覆道内部にもいくらかの起伏とカーブは存在し、それが何百メートルも同じ形の支柱が連なる淡々たる風景の中にある数少ない変化である。本来なら、歩いて探索したくはならない道だ。こんな舗装された立派な旧道には、自転車を連れてきてやりたい。無理。



一部の画像は、レポートの見やすさのために明度を上げているが、この画像は敢えて弄っていない。カメラに写ったものが、肉眼での見え方と同じとは言えないが、とにかく薄暗いという印象があった。この写真はそんな印象通りである。

ここへ来るために踏み越えてきた場所のうちのいくつかは、暗闇の中で歩くのは無理な場所だった。
そして、自分の中にある前進のタイムリミットが、もう間もなくやってくる。あと5〜6分……。このまま障害物がなければ、ちょうどぴったりに終点……というか折り返し地点へ到達出来るか。

この薄暗さの中を前進している状況は、探索者としてのタブーを弄っているような後ろめたい感情を起こさせた。




この長い長い覆道は、普通に考えれば、一度に建設されたものではないだろう。実際、ところどころには連結部のような区切りが見られた。

とはいえ、区切りの前後で毎回構造に変化があるというわけではなく、むしろこれまで形が変わったのは、“柱の覆道”と“小窓の覆道”が入れ替わった2回だけである。
一挙ではないにしても、短期間で集中的に建設されたのだろうか。或いは、これらの覆道は十分に規格化されたものなのか。

また、天井の海側の端には、照明や電線を取り付けていたと思われる金具の列が残っていた。
現役時代には照明施設があったようだが、廃止時に全て撤去したのだろう。



柱の周りに、何かの金属製の残骸がしばしば落ちていた。
気になって柱の間の“窓”から外へ出てみると、柱の外側の面にも朽ちた金属片が大量に残っていた。

これらの正体は、“窓”の一部ないし全部を塞いでいた窓板の固定パーツだと思われる。
海風や波飛沫の吹き込みを防ぐため、この辺りの窓は全て塞がれていたのだろう。
ただ、窓板自体は廃止時に回収されたのか、全く残っていなかった。
わざわざ取り外したということは、照明共々、どこかで再利用されたのだろうか。




おそらくこの辺りが、樺杣内覆道全長1.3kmの中間だ。樺杣内トンネルとビンノ岬トンネルの中間。 特に何があるというわけでもない場所だった。

ようするに、まだビンノ岬トンネルまでしばらくの距離があるはずだが、前方に再びトンネル同然の闇が見えてきた。
しかしトンネルでないなら、また“小窓の覆道”か、あるいは窓すら持たない完全な覆道も考えられた。

嫌だった。
夜の先触れのような、あの気重な空間に、また足を踏み入れることは…。




17:06 《現在地》

残り500m付近、再び、“小窓の覆道”が現われた。

その奥には、

あそこが……、ビンノ岬トンネルの坑口なのか?!

……想像していたよりも、近いような気がするんだが……。




二度目の“小窓の覆道”の入口付近の縁石に、文字を見つけた。
しばらく文字を目にしていなかったので、このとき私は文字に飢えていた。
もしそうでなければ、目に付いたとしても読んでみようと思わなかったかもしれない。

白い塗料で小さくペイントされた文字は、「106200」。
そして、こんな縁石に書かれた文字の正体は、経験上、距離表示の可能性が大だった。かつてここは、国道229号の起点から「106km200m」の地点だったのではないか。

…検証してみようにも、数字がいつのものかはっきりしないので、正確には難しい。ただ、現在の国道229号の(重複区間を除いた)起点余市町から雷電トンネルまでの距離は約100kmであり、だいたい近い数字になる。数キロの誤差は、近年のバイパス工事による短縮に吸収されそうだ。

数字の羅列に過ぎないこんなものも、遠く離れた土地と結ばれていた証しと考えれば、孤立してしまった現状のギャップを際立たせる鮮やかな印に思えたのである。



17:08

“小窓の覆道”の奥を塞いでいた壁に到達した。

表面には鵜の岩トンネルの両側坑口を塞いでいた壁と同じ模様があり、最後に埋めたと思われる部分だけ少し風合いが違っているのも同様だ。
これは、数多くの旧トンネルに引導を渡してきた北海道開発局のいつもの“やり口”に相違なかった。

しかし、四角い断面の覆道が面一の四角い壁で隙間なく閉ざされている光景は、この裏側に道が通じていたことを知っている私でも、その自信を揺るがされかねないほどの強烈な「終点感」があった。

もともとあった道路をここで塞いだのではなく、初めからここまでしか建設されなかった未成道の終点なのだと騙られたら……、ここから見えるものだけでの真実の判別は無理だろう。




これまでの、「トンネルがある度にこの壁で封鎖されているのを見てきた」という経験が、もしかしたら、探索者を欺くかもしれない。
「ここがビンノ岬トンネルの閉ざされた坑口だ」と考えるのは、その欺かれた者である。

よく覆道の外見にも注意していれば、或いは、GPSでこまめに《現在地》を確かめていれば、真実に気付くはずだ。
この壁の外見だけでは見破れない、真実(↓)に。

ビンノ岬トンネルの坑口は、ここではない。

私の中での前進のタイムリミットまであと2分。
この時間というのは厳密に算出されたものではないが、そろそろ小さなトラブルでも帰路に夜を迎えてしまいかねない時間に入るということだ。
こんな抜き差しならない状況で、せっかく進んだ“小窓の覆道”約100mを戻らなければならないのは、痛かった。



17:11 《現在地》

探索のロスタイム(…なのか?)へ突入。

それはそうと、100mほど戻って小窓の覆道の入口から即、外へ出た。

また向き直って小窓の覆道の外見を見る。

やっぱり、ビンノ岬トンネルの坑口はまだ先にある。先ほどの閉塞地点はブラフ確定。

内部を完全封鎖されている小窓の覆道の先へ行かねばならない。
そのためには、覆道の外にある犬走り的なスペースを使う。
このまま簡単に迂回できれば良いが、【こんな場面】がまたあったら、面倒だ。
そもそも、なんでここは覆道の途中で封鎖されているんだろうか……?



ここで何を思ったか、「ポケモンGO」を起動してみた。

まあ、実際に何を思ったかといえば、こんな秘境っぽいところなのに電波があることに気付いた私は、ここにもポケモンが生息しているのかが急に気になったのだ。それと、寂しさを紛らわせたいという気持ちも。

ポケモンと遭遇せず。この旧道も描かれてなく、ポケストップなどの設定も当然のようになかった。しかし、地中にある現道の雷電トンネルが、地上の道と区別が付かない形で描かれていて、それが意外に近いことに驚いた。まあ、正しい位置なのかは分からないが。

あとこの写真には、覆道の外壁に取り付けられた表示板が写っている。
内容は、探索開始直後、封鎖区間へ入ってすぐに【見たもの】と同じだった。

吐血みたいな不気味な錆汚れを垂らした小窓の列を脇目に、約100m前進すると、変化が待ち受けていた。



17:14 《現在地》

これが……閉塞壁の向こう側……の外観……!

この最後の小窓、さっきは【内側】から見ていた。

そのすぐ先に、覆道を塞ぐ壁があった。

だが、覆道の外観はなおも続いていた。
とはいえ、変化はあった。小さくない変化が。
まず、窓が一切なくなった。完全なる覆道へ。
加えて、なぜか凄く濡れている。ぐしょ濡れだ。
窓がないのと、濡れそぼっていることは、当然無関係ではないはず。




壁の向こうの世界へ入った。

昔のゲームならば、いわゆる裏面、裏ワールドのような場所。
こういうの大好物だった。
それがいまでは、リアルワールドでの裏面探しに熱中中。

さて、窓がなくなった覆道の外壁は、全て水に濡れていた。
雨の直後だからという感じではない濡れ方で、普段から水の流れがありそうだった。
覆道の天井裏を、小さな谷川の水が横断しているらしい。
これは、最初の“小窓の覆道”の下を、車滝の水が暗渠で横断していたことの、上下逆さまの再現のようだった。

しかし、わざわざ廃止時にこの区間の覆道をトンネルみたいに封鎖したのはなぜだろう。
封鎖すると、やがては覆道内部に天井まで水が溜る事態も想定されるが……、立ち入らせないことに、どんな意味があるのかが不明だ。




濡れた外壁の外を50mほど歩くと、また外壁の形状に変化があった。

そこは幅2mほどの水路で、本来なら増水時以外は、この水路内で通水が完結する設計だったと思う。
それが施設の老朽化(天井裏の水路の詰まり)によって、ナイアガラ状に水流が広がってしまったのが現状だろう。
そのため、水路部分には大した量の水は流れていなかった。徒渉は容易だった。



水路の先にも、水路前と同じ50mほどの窓がない覆道外壁が続いていた。

バシャバシャと耳障りな落水の隣、樺杣内覆道の偽りの終点を欺き返した私は、

ついに最終最後、真実の終点へと近づく。

また、柱のある覆道が待っていた。




17:16 《現在地》

さあ、これで最後だ!!