道路レポート 国道229号 雷電トンネル旧道 (ビンノ岬西口攻略) 最終回

所在地 北海道岩内町
探索日 2018.4.25
公開日 2019.9.26

終着地点 ビンノ岬トンネル西口


2018/5/25 17:18 《現在地》

樺杣内覆道、残り100mである。
覆道内の密閉された封鎖区間を外壁伝いに突破して、ついにここまでやってきた。
当初、覆道に上陸できたら、あとは淡々と歩くだけで退屈かもしれないと思っていたのだが、内情は外観よりも変化に富んでいた。

そして、時刻は既に自分が設定した撤退開始のリミットタイムを8分オーバーしている。
さっさとビンノ岬トンネルをタッチして撤退しないと、危険である。




ここへ来て、まず真っ先にチェックしたのが、これ。(→)

覆道の窓がない部分の出口側だが……
ご覧の通り、こちら側も完全に閉鎖されており、窓がない約7〜80mの区間は、完全に密閉されていることが判明した。

トンネルと同様で、外光が入らない暗い場所は完全に密閉閉塞するというのが、北海道開発局のやり方なのだろう。
ここまで徹底されていることは、さすがに想定していなかった。
なぜここまで徹底する必要があるのか、目的不明だ。開発局の中の人がこれを読んでいたら、こっそり教えて貰えないだろうか。




ここで一つ気付いたことがある。
この写真の部分の壁の形状から考えて、右側(窓がない覆道)がより古く、後から左側(柱の覆道)が建造された可能性が大だ。

もし同時に建造されたのであれば、このような段差を作る必要はなかったように思うし、左側が先だとすると、それもまた不自然な感じがする。
断定まではできないが、窓のない覆道が先に作られたとみて良いと思う。

とはいえ、どちらも昭和30年代の開通当初からあったものではないだろう。
最初はこの区間に一基の覆道もなかったと思われる。
このことは帰宅後の机上調査によっても確認できた。

壁を確認して、すぐにまた外へ戻った。



改めて、これが……、ビンノ岬。

私がここで調べたかったのは、岬を回り込む古い道の有無である。

「きたのたき」の情報では、この岬を陸路で突破することはできなかったとの話だった。
しかし、私が事前に調べた大正6(1917)年の地形図には、先ほど私が死線を潜り抜けた
鵜の岩トンネルがある岬(以後「カバソマナイ岬」と仮称)と同じく、海岸伝いに歩道が描かれていたのである。

カバソマナイ岬では、人道サイズの隧道が2本(うち1本は海蝕洞の改造)発見されており、
もしかしたらビンノ岬の区間にも同じような隧道が隠されているのではないかという期待があった。
(この期待は、出発時点には持っていなかったもので、先ほどの隧道発見をきっかけに生まれた)

だが……



道はない。

今はない。 昔はあったのかもしれないが、跡形もなくなってしまったようだ。

「きたのたき」の情報通りで、このビンノ岬を越えて、ここへやって来ることは、
いま見えている部分だけでも無理だと分かる。まあ、今日みたいに波のない日であれば、
そろりそろりと海面を泳いでくる“WFK”で攻略可能かもしれないが、特別な装備なしでの陸路到達は無理だろう。

ビンノ岬トンネル開通以前の歩道が、この岩場をどうやって越えていたのか、気になるところだ。
しかしとりあえず、今回の私の探索範囲はここまでだということがはっきりした。(正直、ホッとした)
ここから海岸を500mほど進めれば、雷電トンネル東口に接続する安全圏に脱出できるだろうが、
一度通行できた道を戻る方が、何倍も安全に決まっているからな。




同じ位置から顧みる、来た側の眺め。

向こうの岬が、外見の険しさではビンノ岬を圧倒しているように思うが、歩いて潜り抜けてきた。
それから、あらゆる天工と人工を貪欲に乗り継いで、跡切れ跡切れの道を、ここまで辿り着いた。
ゆえにこの眺めは、私にとっては格別に誇らしい、やり遂げた感の結晶のようだった。

初めてこの海岸線を向こうの岬から見た時は、得体の知れない敵城に見えた一連の覆道も、
今は私が支配する安全な領土になりつつあった。とはいえ、籠城はできない。
あと1時間で、唯一の脱出口が夜に奪われてしまう。閉じ込められたら、夜を明かす術がない。


ところで、上のチェンジ前の画像には、これまで一度も見られなかった“ある重要なもの”が、小さく写り込んでいる。




車滝が、ちょっとだけ見えた!

最接近時にはスルーせざるを得なかった、落差90mともいわれる巨大な滝の一部を、
覆道の屋根越しに初めて見ることができた! 国道の現役時代も、もちろん見えただろう。
実はこの場所、覆道から車を出して駐められるような造りになっているのだが、滝が見えることと
関係があるのかも知れない。ともかく車滝の姿を一応は見ることができて、良かった。


それにしても、滝の背後に見える絶壁は、本当にすごいな……。
落差200mもある崖の下を通る国道なんて、ここだけだったのでは。



柱の間から、再び覆道内部へ。

写真は振り返って撮影したもので、奥に閉塞壁が見える。
付記した二つの矢印の位置に、車両が通れる出入口があり、外のスペースからは車滝や覆道の外観を見ることができた。

路上の看板や標識などが全て取り去られているので、この駐車スペースがかつてどのように使われていたのか分からない。
ただ、余り広くはないので、非常駐車帯くらいしか使い道がなかったかも知れない。




そしてこちらが進行方向の風景。

もう数メートル進めば、ビンノ岬トンネルの坑口が見えてくるだろう。
覆道内は最後までがらんどうで、賑わいの欠片も残っていなかった。
開通から40年以上も使われた旧国道なのに、まるで未成道みたいだった。……この感想、もう何度も口にしているが…。

この道が40年以上使われたとしても、覆道は絶対そんなに古くない。
柱の間隔が広いコンクリート製の覆道は、造り自体も旧式ではない。
だから、廃道の構造物にありがちな老朽感や旧式感が、ほとんど感じられないのだ。
そのことが、強い違和感の原因だろう。




え?

開口してるのっ?!

マジで?!




いや、やはり閉塞。

ただ、閉塞壁は少しだけ遠かった。ちょっと、嬉しい。

ついに終わりが見えたところで、もう一つ嬉しい発見が。
最後に一つだけ、未成道じゃない、血が通った道であった証しがあった。
かすれた道路標示がそれだ。もう出せない最高速度を教えてくれた。

この数字を踏んでゴールへ。 正直、感傷を楽しむ時間的猶予はない。




17:23 《現在地》

ビンノ岬トンネルの西口に到達。

封鎖されたトンネルに挟まれた、世界から孤立した道路の端だ。
雷電トンネルの旧国道区間内では、おそらく最も到達しづらい地点でもある。

ウエントマリの旧道入口から約3kmの地点だが、探索には2時間を要した。
舗装されている旧国道の探索にこれほど時間が掛かるとは、普通思わない。



一瞬、封鎖されていないと勘違いしたのは、封鎖壁が坑門よりだいぶ奥にあったからだった。
トンネル内の坑道と同じ丸い断面の覆道が、20mほど地上へ突出しており、坑門はその先端にあった。
しかしおかげで、今回の探索で初めてトンネル内部へ入る機会を得た。少しだけだが、嬉しい。

現在はこの坑門が、さらに樺杣内覆道と接続しており、おそらく扁額があっただろう上部は隠されてしまっている。
それでも坑門の意匠であるアーチ状の飾り(黒っぽい石のタイル)や、横の銘板などがそのまま残っていて、
独立した一個のトンネルであった昔時の姿を、色濃く残していてくれていた。未成道なんかじゃない、往年の味!




石造である銘板のフォーマットは、先に鵜の岩トンネル西口で【目にしたもの】と同じだったが、微妙に材質が違うようで、色味には差があった。

ビンノ岬トンネル
1969年9月
小樽開発建設部
延長455m 幅員6.0m
施工 北拓建設株式会社

ちなみに、『道路トンネル大鑑』(昭和44(1969)年)の巻末リストには、以下のデータが記載されている。

ビンノ岬トンネル
竣工年 昭和37(1962)年
延長435m 車道幅員5.5m 限界高4.5m

これまた、鵜の岩トンネルと同じく、長さも竣工年も銘板とは微妙に一致しない。
しかし、旧トンネルがある様子もないので、やはり一度開通した後に、坑口に覆道を延伸する改良を行ったことで生じた、データ違いなのだろう。
樺杣内トンネルのように、封鎖の仕方次第ではこの銘板も隠されてしまうわけで、こうして見ることができたのは幸運だった。

なお、ビンノ岬トンネルの竣工年には、さらに異説が存在する。
何かといえば、このレポートの冒頭でも紹介した、昭和32(1957)年の地形図だ。
このトンネル、昭和32年の地形図には既に描かれていた。したがって、銘板や大鑑にある竣工年の少なくとも5年以上前から存在していたらしいが……。
(この謎は、机上調査へ)



樺杣内覆道とビンノ岬トンネルの隙間からも、枯れススキを払って外へ出ることができた。

しかし、ここから岬を回り込むような陸路を見出すことは不可能である。
(←)よじ登れるような場所はないし、
トラバースも明らかに無理!(→)

やっぱりここは、世界の行き止まりだった。

しかし、この寄り道には嬉しいオマケが付いてきた。
それが、次の写真である。




どうだい? 良い眺めだろ。

こんなに綺麗なのに、もう役に立てないんだぜ…。

まあ、こうして目を楽しませることも、役立っていると言うかも知れないが…。
それにしても、これを生で見るのは【狭き門】をくぐらないといけないので大変。
それに、道路がある風景を特に見たい人でもなければ、控えめに言っても滝を台無しにしている廃道を、腹立たしいと思うかも知れない。
どうせ私のサイトに彼らの声は届かないだろうけど、批判は当然だろうな。そのくらい、かつての道路は景観破壊の暴虐を尽くしまくった。
この覆道は、やり過ぎだろと、私でさえ少し思う。 好きだけどね。 ほんと好き。



これが、私が見た車滝の限界だ。
離れれば離れるほど、覆道の屋根越しによく見えるという皮肉。
落差90mと言われているが、ここに見えている部分はどのくらいなんだろう。
覆道ができる前は、裸の道路脇にこの滝壺があったのであろうし、いやはや……

当時も“酷道”がブームだったら、天下取れたかもな(笑)。



これまでの覆道とは全く違う。やはり古さを感じる。昭和40年代以前の地方のトンネルという感じが如実にする。

でも、私に関して言えば、この3日間で飽きるほど目にしてきた姿である。
北海道開発局の旧トンネルの定番のようなサイズ感。珍しく少し中に入れたが、それでも見慣れた印象だ。
全国的には比較的に珍しい構造だろう、トンネル断面がそのまま覆道として突出する形状も、北海道の旧トンネルではよく見たし、そこに明り窓が並んでいる景色も同様だ。

特別のものではないが、そんな普通のものが特別に辿り着きづらいという現実も、風味が良かった。




17:24 《現在地》

閉塞壁に到達。

この約450m先から再び地上の廃道が始まるが、そこは現国道からも自転車に乗ったまま到達しうる範囲であり、紹介はまた次の機会だ。

攻略目標を達成したので、即刻、撤収開始!

完全日没まで、あと1時間。



急げ!急げ! 小さなやり残しを倒した帰路


2018/4/25 17:20 《現在地》

リミットを10分オーバーしているので、即刻撤収開始!

ビンノ岬トンネル西口の閉塞壁を背に樺杣内覆道を見ると、かつての車窓の一瞬を切り取ったものに見えた。
私は咄嗟に、変な空想をしていた。
もしどこかのトンネルが、偶然にも、この出口に繋がってしまったら、どれほど怪奇な物語になるだろうかという空想を。
入口のトンネルは、ギラギラとした都会のものがいいかもしれない。或いはどこかの山奥でも良い。
とにかく、生きたトンネルを潜り抜けたら、突然この樺杣内の廃道に飛び出すのだ。海鳥たちが泣き叫ぶ、この寂寥の海岸に。

……人恋しい。 早く帰ろ。



空想の続きを描きたくなる風景だ。

空想の中の登場人物も、この時点ではまだ、違和感に気付かないと思われる。

だが……



150m地点、ここで完全アウト。

路上に突然壁が現われる(笑)。
廃道でなければ、死んでましたな。
トンネルが突然こんな場所に繋がってしまうなんて、怪奇モノというより、ホラーだな。悪魔の道路とか、そんな吹き替えタイトルの洋画ありそう。この壁に突き刺さって死ぬイメージしか湧かない。

冗談はこのくらいにして、往路で触れなかった事柄に注目。
それはま路上に散乱している漂着物のことだ。
明らかに海から上がってきたらしきものが散らばっているのだが、高波がここまで押し寄せてくるときがあるのだろう。
現役時代なら、当然通行止めになっていたのだろうが、全く逃げ場のない覆道内での高波は、本当に恐ろしい。




あとこれ。

路面にあるマンホールなのだが、蓋がなく、水が溜った穴が露出していた。
蓋はどこにも見当たらなかった。
それに、穴の周囲の舗装が陥没しており、マンホールを作る構造物自体が移動してしまったらしかった。

この現象、これも高波の仕業に違いなかった。
おそらくマンホールの下にあるのは雨水の排水溝で、一方が海側に口を開けているのだろう。そして、猛烈な高波が管内に逆流し異常な高圧になった結果、蓋を吹き飛ばしたのだろう。
これは我々の身の回りでも津波時などに起こる現象で、殺傷力の高さが恐れられている。

よく見ると、陥没した周囲のアスファルトだけが新しくなっているが、現役時代から蓋の破裂や陥没が繰り返されていたことを示唆しているのかもしれない。




17:41 《現在地》

折り返しから20分後、私は最初にこの樺杣内覆道へ上陸した地点まで戻ってきた。閉塞壁からちょうど1kmの地点である。寄り道をしていないので、ここまでは早い。

ここが上陸地点ということだから、往路では、この先に見えている覆道内は歩いていない。
替わりに防波堤の下の消波ブロックを伝ってきたのだった。
しかし、帰りはルートを変えてみよう。このまま覆道内を300m先にある樺杣内トンネル東口まで行こうと思う。
それで覆道の完全攻略(閉塞区間を除く)達成だ。




未踏区間に入ったが、特にそれまでと変わったところはない。

道の先が見えなくなるまで延々“柱の覆道”が連なる様子は、いかにも空虚で、初期のスーパーマリオブラザーズの各ワールドのステージ3でゴールポールを飛び越えてしまった先に待つ“無限回廊”を連想させた。

そんななか新たな発見だったのは、柱のある1本にペイントされていた塗装銘板だ。
厳密には銘板でなく、銘板のように描かれているだけだが、よく鉄道の鋼橋で見る塗装銘板と同じ役割のものだ。

上の写真を見ると、覆道の少し奥の方に全体が白く塗装され区間があるが、その入口の柱に書かれていた。
こうして塗装を行う主目的は、覆道を構成する鉄筋コンクリートを海水の塩害から守ることであったろう。
相当分厚く、念入りに塗装が行われていることが書かれていた。

あと地味なところでは、この銘板によって初めて「樺杣内覆道」という構造物の名前が登場した。
私は出発前に見た地形図に、この名前が書かれているのを見ていたので知っていたが、それがなければ、ここで初めて知れたはずである。



最初の“白い塗装”の区間を抜けると、路上の様子がまた怪しくなってきた。

どう見ても高波以外の原因を求められなさそうな砂利やら漂着物やらが散らばっていたが、問題はここから見える奥の方だ。
なにやら、もっと大きな散乱物が、大量に散らばっているのが見えた。
おそらくあれは……、海から上がってきたモノじゃない……。




散らばった砂の表面には、ネコの足跡がいっぱいあった。
ネコじゃないかも知れないが、ネコということにしておいた方が心の平穏に有益なのでそうしたい。
すくなくとも、熊みたいな大きな足跡ではなかった。
こんなコンクリートジャングルに、彼らが欲するモノがあるとは思えなかったが、通路にしている生き物はいるらしい。



大量の散乱物の正体は……、海側の路肩にあった縁石だった。

これ、一つずつでももの凄く重く、とても私が持ち上げるなんてできない代物だった。
しかもセメントで路面に固定されていたはずなのに、ことごとく引き剥がされて押し流されていた。
これは、ただ高波が路上に上がって漂着物を残していったというレベルの被災ではなかった。



外へ出てみると、ぞっとするほど険しい景色が待っていた。

生命感が、なさ過ぎる。海鳥だけは、相変わらず騒がしかったが…。

往路で通行した消波ブロックが、下に沢山並んでいる。
海面と路面の高低差は5mできかないと思う。そして消波ブロックの列だ。
それでも、縁石を破壊するほどの大波が上がってきたのである。



この画像、わざと明度を上げている。それによって、崖を覆う落石防止ネットを見えやすくしている。
見ての通り、覆道の上部に櫛比する落差100〜200mの断崖に、落石防止ネットが施工されていた。
それがどれほど大変で危険な工事だったか、想像を絶する。もちろん、維持もそう。

海から山から、この道は生まれながらにして、壮絶な挟撃を受け続けた。

「もう…、ここに道がある限り、何をしてもダメですわ……。」

そんな道路管理者の悲嘆の呻きが聞こえてきそうな景色だった。
これ以上、道を堅固にしようとしたら、それはもう完全な箱に隠すしかない。
つまり、長大なトンネルで道を地中に隠すしかないというのが、最後の答えだったのだ。



上陸地点を素通りして250mほど進むと、この探索を始めてからもう何度目かも分からない“壁”が、見えてきた。
樺杣内トンネル東口の閉塞壁である。長かった樺杣内覆道の旅も、ここでようやく終わる。

この最後の場面では、高波による路上の荒廃が過去最悪の状況に達していた。
縁石だけでなく、アスファルト舗装まで引き剥がされていたのである。
この辺りは消波ブロックの幅も狭く、かつすぐ先に岬があるために、
路上に押し上がる波の破壊力が大きくなり易いのかも知れない。




17:53 《現在地》

折り返しから33分後、樺杣内覆道西口=樺杣内トンネル東口に到達した。
待っていたのは、もう見飽きた諦めの境地、完全無欠の閉塞壁だ。
辺りの路上は高波で荒廃しており、現役時代はトンネル内まで波が入り込んでいたことだろう。

この閉塞壁には、【鵜の岩トンネル東口】と同じような、撤去されることなく残された型枠があった。
この型枠の存在から、一連の旧道トンネル群の閉塞工事がどのようなフローで行われたか、推測が可能である。




おそらく一連のトンネル閉塞工事=廃道化工事は、次のようなフローで進められた。

まず、「@」ビンノ岬トンネルの両坑口の閉塞が東西両側から行われたと思われる。
次に、「A」覆道途中の窓がない部分の閉塞が行われたはずだ。
その次は、現在地の「B」樺杣内トンネル両坑口が閉塞されたであろう。
この時点で、樺杣内覆道内の孤立が完成し、そのため樺杣内トンネル東口(現在地)の型枠を外すことができなかった。
最後に、「C」鵜の岩トンネルの両坑口の閉塞が行われ、樺杣内トンネルと鵜の岩トンネル間も孤立、そのため鵜の岩トンネル東口の型枠も外すことができなくなった。

この推測が正しければ、私が覆道内で最後に訪れたこの場所が、偶然にも、この覆道から最後の作業員が立ち去った場所だということになる。



樺杣内トンネルの扁額や銘板は、仮に存在しているとしても露出しておらず、残念ながら見ることができなかったが、替わりにこんなモノを見つけた。
閉塞壁と天井が作る隅っこに並んだ、たくさんの鳥の巣だ。

ヒナの姿はとりあえず見えなかったが、さっきから妙に海鳥たちが騒がしいのは、もしかしたら私がヒナを襲いそうに見えたからなのだろうか。
本当に耳障りなくらい騒ぎまくっていたので、よほど人の姿が珍しいのだろうと勝手に解釈していたが、それだけじゃなかったのかも。




いやぁ、長かった。

距離も長かったが、時間も長かった。
往復で1時間も過ごした樺杣内覆道も、これで見納めとなる。
多分、200年くらい後でも、ある程度は原形を留め続けそうな予感がするのだが、そんな未来のオブローダーがするレポートを読めないのが残念だ。
どんな姿になっていくんだろうな……。




さあ、もう思い残すことはない!
ここから先は難所尽くしだが、気合いを入れて生還しよう!

17:54 完全日没まであと30分、覆道を脱出!

まずは、往路では登れずに諦めたこの写真の場所から、最短距離で海岸へ降りた。
登ることはできなくても、降りることはできる、一方通行のルートだ。
近くで見つけた木切れを上手く使って、慎重に通過した。




18:05
帰りはほとんど写真を撮らなかったが、この写真は、今回の探索で最も驚異を感じた海蝕洞隧道の直前の風景だ。

このあたりは原型を止めた道が一切ないので、このような海面すれすれの岩場を伝い、そこから正面に見える岩場を10mほどよじ登って穴に向かうのが、おそらく唯一の突破ルートだ。
頭上では、相変わらず海鳥たちが騒がしい。彼らの聖域を汚したと見なされたのか。

とにかく、海蝕洞を抜けるまでの緊張感がすごかった。
逆に、ここさえ越えられれば、人間世界の側へ入ったと思えるだろう。




18:03 《現在地》

画像の明度はそのまま。もうやばい。

一応は日没前であるはずだが、もう生きた心地がしない明るさ。

これは海蝕洞の坑口で最後に振り返って撮影した写真である。




復路で撮影した、海蝕洞隧道通過の全天球動画だ。

思う存分ぐりぐりして、日本最強の道路遺構の一つを堪能して欲しい。

しつこいようだが、マジでここはすごい。今回最大の収穫。




18:15 《現在地》

やばいやばいやばいやばい。マジ暗くなってきた。
でも急ぎたいけど、そんな急げるもんじゃない。
往路と全く同じところを歩いているのだが、とにかく崖伝いの起伏が激しく、はっきりした道じゃないようなところも通るので、絶対に油断はできない。うっかりすると、一瞬で転落死もある。

すぐ先に黒々とした巨大な岩の出っ張りが見えると思うが、そこに……




隧道が!

この2時間にいろいろありすぎて、もうこの辺の記憶が薄れつつあったが、最初に見た時は、この1本目の隧道も凄い衝撃だったんだから。

しかしこの眺め……、
もしここに来る前に真っ暗になっていたらと思うと、恐ろしい。
こから大下降して、あの穴を通るしか道はないのに、目立ってなさ過ぎるぜ!

……だがとにかく、ここさえ通過できれば、あとは!




18:24

ほうっ ほうっ ほうっ……… (疲れた呼吸)

はあああ〜〜 (歓喜の溜息)

廃道見えてきたぁ〜!!

↑「廃道見えてきたぁ〜!」が、なぜ救いになるのか、普通に考えれば可笑しいが、今まで歩いていたのが廃道より質の悪い磯であることを思えば、これは十分すぎる救いであった。

間に合ったぁ〜。




18:32 《現在地》

日没時刻と同時に、鵜の岩トンネル突破成功!!
一連の海岸迂回、帰路は樺杣内覆道からここまで、38分間だった。
これ以上早くというのは、ちょっと私には無理だと思う。

ここで約2時間50分間孤独に草を食んでいた自転車を回収。
気付けのビンタを振るうが如きに力強くペダルを踏み、生還への最後の走破へ。




18:38
親子別覆道を通過して、次に一番奥で路上を封鎖していたコンクリートウォールも無言のうちに突破。
全ての不安材料がこれで終わった。生還確定。

崩れゆく敵城から脱出するクライマックスシーン。
安全な場所へ辿り着いたら、振り返ってのエンドシーン。いまここ。

世界は崩壊していた。
もう樺杣内の浜辺を見ることは永遠にできなくなった。

……まさにそんな風景だった。
しかし、現実にはこの闇の中にも廃道は存在し続けている。我々全員に置き去りにされて…。
そのことが、一番に恐ろしかった……。




18:42 《現在地》

ワルクトレイルが待つウエントマリの現道合流地点へ到着。探索終了!

ナトリウムネオン如きが温かく見えた。