2007/10/8 7:08
一晩中畏れていた事態が、現実の物となってしまった。
10月8日の出発から僅か30分。
ナル水沢か這い上がるルートを見出せず、撤収を決断した。
13時間半にも及んだ清水国道の踏査は、ここに「敗北」という結末を迎えたのである。
写真は、ナル水沢の下降を断念した滝の落ち口より、上流を振り返って撮影。
降りしきる雨が写っている。
我々は、早急に下山する必要を感じた。
すなわち、下山ルート上で必ず徒渉しなければならない檜倉沢の増水というリスクである。
天気予報は、この雨が本日一杯降り続くことを予言していた。
午前7時10分、我々は来た道を戻り始めた。
昨日よりは幾分軽くなったとはいえ、普段の探索から見ればまだまだ恐ろしく重い荷物を背負い、少し前に下った分の沢を登り直す。
下ってくるときには、まだ幾分の希望も見ていたが、今はもう絶望だけ。
断念を決定してから野営地に戻るまでの10分間は、精神的に最も辛く感じたところだった。
これからの長い戻り道、ずっとこんな屈辱的な気持ちのままで歩まねばならないのかと思うと、ひどく滅入る。
私と同じで負けず嫌いのくじ氏も、ほとんど言葉が無かった…。
写真は、清水国道がナル水沢の枝沢を渡っていた地点。そこから下山方向を振り返って撮影している。
灌木ばかりの絶壁地帯に、近年では我々の他に誰も通った記録のない120年前の道が、意外なほど鮮明に見えていた。
鮮明に見えても、全てが過酷な激藪道である。
ここが、清水国道上における我々の最終到達、8.9km地点。
次にここへ来るときは、清水国道完全制覇の雄叫びを上げるときだ。
7:21
野営地跡の萎れた笹に感謝のコトバをひと言だけ唱え、続いて我々を一晩養ったナル水沢を最後の徒渉。
目に見えて前日夕方より水量は増えていて、軽く足を取られそうになる。
滑ればそのまま滝へ直行することとなるので、力が入った。
この調子だと、渡ることの出来ない奔流に変わるのも時間の問題だろう。
下山ルートは無事なのか… 心配は尽きない。
もう我々は負けを認めたのだから速やかに下山させて欲しい…などと考えてしまうのは、撤退慣れしていないゆえの傲慢か、“ゲーム脳”という奴なのか。
我々の下山計画は、昨晩テントの中で立案済であった。
…できれば、お世話になりたくなかったのだが、使う羽目になった。
計画は、現在地「ナル水沢」から清水国道を「檜倉尾根」まで1.3km戻り、そこから一気に居坪坂の登山道へと尾根を下るものである。
このルートが使えるならば、昨日“セーブポイント”として確保しておいた檜倉沢まで戻る時間を大幅に短縮できそうだ。
昨日は、檜倉沢からナル水沢まで4時間もかかっているのだから、また同じだけ時間をかけていたら、くじ氏の岩手への帰着が大変な事になってしまう。
ともかく、この“緊急離脱ルート”を利用するためには、しばらく清水国道を戻らねばならない。
食料や水が軽くなった分以上の“無念”を背負って。
数分歩くと、昨日くじ氏が不吉な予言をした地点に来た。
ナル水沢を挟んで対岸に見えるのは、たしかに道である。
正確には、道自体は全く見えないのだが、険しい山腹にあってそこだけが多少平坦であるために、より大きな木が生えている。
大木を結ぶラインが道なのだと、そう理解できる。
これって、もの凄い逆説的で面白い。
道を作ったが為に、そこだけ大木が茂ってしまったのだ。
有る意味、自然破壊の真逆を行っている清水国道。
で、問題なのはその大木を結んだラインと、山腹を縦に割る二本の雨裂の交差地点。
拡大しても、そこには白い岩肌が僅かに見えるばかりで、横断が非常に難しそうに見える。
実際に行ってみなければ何とも言えないが… あそこでも道は寸断されているのかも知れない……。
戻っているうちに、不思議な気持ちの変化があった。
なんだか、心に燃え上がる悔しさから毒気だけが抜けていくような感覚。
昨日は時間的な焦りから、ついつい毒突きながら辿った藪や斜面も、今はさほど憎たらしくない。
空は雨も大雨だが、気持ちはむしろ晴れてきたような。
それは不思議な感覚だった。
一度は辿った道だという安堵がその根底なのか、或いは雨に喜ぶ森が媚薬的なマイナスイオンを異常に放出したのか。
もしかしたら、清水国道の慈悲… なの?
8:23
海抜1228mの標高点まで戻った。
私の感じた不思議な気持ちの良さをくじ氏も感じていたようで、昨日後半とは一転して、二人は明るく会話しながら歩いた。
もっとも、その話しの中身は次回のリベンジの方策であるとか、「おれたちは良くやったよ!」みたいな自慰話ばかりで、やはり撤退の悔しさは拭えるはずもない。(今書いている最中も、ひしひしと悔しさが甦ってくる)
がともかく、帰り道の我々はそこそこ満たされた気持ちであったように思う。
まあ、それなりに達成したのだから。
昨日もここから見晴らした、清水峠の鞍部。
本当なら今頃、二人であそこに立って
「清水国道制覇!」
と、叫ぶつもりだったのに……。
…くやしい。
峠が良く見渡せる、物見台を発見。
昨日は素通りしたっけな。(通過時の写真は前話で使っている、分かるかな?)
法面から一辺が3mもある巨石が転げて、路上に鎮座している。
清水国道上で今回出会った単独の障害物の中では、最大のものだ。
で、この大岩を路上に供給した法面に、奇妙な削岩痕がある。
溝が見えるだろうか?
どうにも明治の工事としては腑に落ちないのだが… 果たして。
びしょ濡れになりながら、ブッシュを掻き分けひたすら進む。
幸いにして、気温は昨日に較べてもさほど下がっておらず、歩いていれば体温を失うこともなかった。
この先の檜倉尾根がどこなのか、そこに明確な目印が有るわけではないので、実際の地形とカーブの細かな関係を地図と照らし合わせながら、慎重に進む。
もし焦って変なところで道を外れれば、下山の特効薬となるどころか、山中至る所に存在する急峻な雪崩斜面に突き当たって、滑落遭難の危険もあり得る。
あくまでも、勾配の多少は緩やかでかつ迷いにくい尾根の上を下りたい。
8:57
ナル水沢を離れてから約1時間40分をかけ、1.3kmを戻った。
ここが、檜倉尾根であると思われた。(昨日も同じ場所を通っているが、明確に尾根だと意識したわけではなかった)
正確を期すべく辺りをじっくり観察すると、大波のようにゆったりした尾根が山の上手から降りてきて、そのまま道にカーブを作って、眼下の林の中に消えていた。
よし! ここから清水国道を離脱する!
清水国道上で、名残の休憩を6分とって午前9時04分、離脱。
丸一日以上我々の体の下にあった清水国道。
次は踏破する! その首、洗って待っていろ!!
そんな捨て台詞を心の中に仕舞って、太い広葉樹の茂る急斜面に躍り出る。
土や落ち葉で転倒しないよう、傾斜に対し足を斜めに下ろしつつ進む。
尾根は、その周囲の斜面に対して“僅かに遅れながら”下っていくので、それと分かる。
何度か小さな枝尾根が別れるが、その都度辺りの景色から本尾根を見定めて下った。
9:20
しばらくは落葉樹の森で視界も良く、道がないと言ってもある程度安心して進めたのだが、10分ほど下ると猛烈な灌木帯に入ってしまった。
こうなると、もはやどこが尾根なのかよく分からない。
しかも、勾配が非常に厳しく、二度と引き返すことは出来ない状況。
進路を左右に変更することさえ難しい。
とはいえ、灌木の密度が濃い故に滑落したくても出来ない状況なのは、好都合だった。
この傾斜では、灌木なしの場合恐ろしくて下れなかったかも知れない。
この先に、切れ落ちた断崖絶壁が現れたりしないことを祈りながら、可能な限り尾根っぽい微地形を選択しながら下り続けた。
谷底近い居坪坂登山道までの高低差は、約270mもある。
9:24
国道を離れて20分。
この間ほとんど立ち止まらずに、黙々と斜面を下り続けていた。
遂に灌木帯を突破したが、尾根からはすこし右側に(檜倉沢側に)ずれているようだ。
そして、今日も砂防ダム工事の槌音が聞こえ始めた。
斜面の傾斜も、ややピークを越えたようであった。
全てが上手く行っている感じがする。
9:26
丸一日ぶりに杉を間近に見た。
ブッシュに混ざって生える、痩せこけた杉の若木。
…明らかに、人が植えたもの…。
この瞬間、我々は下界への生還を確信した。
くじ氏と安堵の笑顔を交わす。
重機の唸りもますます近い。
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9:33
清水国道を離れて30分。
遂に我々は、明確な踏み跡へと突き当たった。
清水国道がその荒廃と長途ゆえ見捨てられた明治中〜後期にかけ、地元の事業家が私費を投じて開通させた道。居坪坂新道である。
当時は徒歩のみの有料道路であったが、後に無料開放され、現在は登山道となっている。
下降地点は、計画と寸分も違わなかった。
我ながら、完璧な清水国道よりの脱出劇だった。
しかし、あくまでもこれは下山専用ルートである。
あの急勾配の灌木地帯を遡行するのは、まず不可能に近いだろう。
くじ氏は初めてだが、私にとっては14日ぶりの再訪となる檜倉沢の徒渉地点。
この先は全て、群馬側から清水峠を自転車で越えてきた時に通ったルートと重なっている。
これから林道を歩くのは、少しうんざりだ。
檜倉沢右岸は、清水集落から来る林道の終点であり、すぐ下流の砂防ダム工事の拠点ともなっている。
我々が隔世の地と疑わなかったナル水沢源頭から、僅か2時間で下界の喧噪へと戻ってきたことになる。
予想以上にすんなり下山出来たことに安堵する反面、丸一日をかけた清水国道での苦闘の価値が、少しだけ貶められたような…一抹の寂しさも感じた。
そんな複雑な心境のまま、伏流していて水のない広大な河原を渡った。
ついさっきまで目線の高さにあったはずの峠は、
もう見えない。
黒い無表情な稜線は、間違いなく我々を見下ろしていた。
麓から峠を見て酔えるのは、
越えて来た者だけである。
清水国道の最初から最後まで見えていた大源太山とも、これでお別れ。
秀麗無比な上越のマッターホルンは、雨に磨かれて、また美しかった。
我々も、胸を張って下山する。
アスファルトの上を歩き始めると、思い出したように足が痛くなってきた。
どうやら、蓄積した疲労はかなりのものだったようだ。
10:20
25分ほど歩くと、遂に行程は一周。
雨に濡れた自転車が愛おしかった。
最後に山を振り返り、軽く一礼。
そして、サドルに跨った。
10:31
あとはブレーキを操るだけで良かった。
我々の消耗戦は、チャリを手に入れたことで終わったのだ。
そしてわずか10分後。
二人は清水集落の外れの国道通行止ゲートに下った。
ああ、車輪のなんと有り難いことか。
車で峠を越えると言うことは、陸上交通の発展史上最大のテーマである。
この清水峠にも、明治18年の一夏だけ、間違いなく車輌交通があった。
清水峠は、自然に対する人類敗北の記念地である。
そして、我々二人も、その例に漏れなかった。
10:34
清水集落の駐車場へと無事生還。
二人の旅は、ひとまず終わった。
よほどこの撤退が悔しかったのか、くじ氏と解散した私は午後から一人で雨の中「二居峠旧道」へ行った。
くじ氏とのリベンジマッチは、2008年内の予定。
次回は荷物の軽量化を図った上で、残りの区間の完全踏破を狙いたいと思う。