国道291号 清水峠(新潟側) <リベンジ編> 帰路編

公開日 2009. 5.27
探索日 2008.10.12




攻略は、成功。

でも、生還から一番遠い場所にいる。




決死。

そう言っても決して言い過ぎではないくらいの覚悟を胸に、2年目の雪辱に万全を期して挑んだ「清水峠リベンジ戦」。

ぎゅうぎゅう詰めの山小屋で眠れぬ夜をやり過ごした我々は、朝の6時半に清水峠を発ち、約6時間の格闘の末、4.8kmという距離を背後へと退けた。

それは、我々が去年やり残した「未踏の距離」と、そっくり等しかった。


宿願が果たされた今の時刻は、12時50分。

日没まで、約4時間。

悲しいことに、時間は明らかに足らなかった。



普通に戻ったのでは、日没までに山小屋へは帰り着けない。

そんな分かり易すぎる危機を前に、我々は当初の計画にはなかった「帰路の別ルート」を検討する必要に迫られた。
それが、右図に示した「赤色」と「黄色」の線である。

まず、赤色の線。
これは、とにかく最短距離で清水峠に戻ろうとするものである。
また清水新道を、このあと最も短距離しか歩かずに脱出できるルートでもある。
逆にネックは、本当に居坪坂新道まで無事に斜面を下りられるのか(高低差は実に250m)という点が最大で、次いで居坪坂新道を上り直さなければならないという体力的不安と抵抗感である。

続いて黄色のルートは、私が提案したものである。
これは去年の撤退&下山ルートを活用したもので、距離的には何の旨みもないうえ、3ルート中で最も多くの高低差を克服しなければならない。
だが、全線経験済みと言うことで、事故のリスクは最低に抑えることが出来ると考えられる。
居坪坂新道は良く整備された登山道で、そこで夜になってしまっても問題はない。だから、日没までに最も確実に清水新道を脱出出来るルートとして、このルートには優しい魅力があった。(昨年はナル水沢から1時間半ほどで居坪坂新道に下ることに成功している)
少し自虐的に言えば、いわゆる「チキンルート」である。

最後の青いルートは、単純に来た道を戻るもの。
6時間掛かったコースを戻るのだから、よほどペースを上げなければ途中で日没になってしまうだろう。
だがこれもまた黄色ルートと同じで、全線経験済みという意味ではリスクは低い無難なルートといえた。
特に明るい内に朝日尾根あたりまで戻れれば、あとはなんとかなると思う。


2人でこの3つのルートを話し合った結果、赤か青のどちらかになった。
黄色は流石に冗長が過ぎると言うことで却下となったのだ。
とりあえず高烏帽子尾根付近まで戻って、そこで尾根を容易に下れるようならば赤を、そうで無さそうならば素直に青を… と決定した。

12:52 帰還開始。






個々の帰路


13:10 【高烏帽子尾根付近】

帰路。

私は痛む足、特に痛い左足の膝関節を労りながら歩いていく。
極めて緩やかな勾配は歩く上では気にならないが、太ももくらいの高さを障害する灌木帯を進むための足運びは、常に急な階段を上るのに匹敵する重労働であった。

清水新道の踏破達成という目的を失ったこの往路。
既に廃道は私にとっての苦痛となっていた。
私の体力が万端であれば、そうは感じなかったかも知れないが…。
足が、痛い。




結局、高烏帽子尾根付近で本谷へ下る「赤ルート」は使わなかった。
尾根は見通しの余り良くない灌木帯であったし、万が一途中まで下ってから戻ってくることの大変さを考えると、とても末恐ろしく思えたのだ。

ただ、くじ氏はまだ赤ルートに未練を感じていたようだ。
私以上に、廃道上で暗くなる事への不安が大きいようだった。
逆に私は、絶壁地帯でもなければ暗くてもゆっくり歩くことは出来ると楽観していた。

このときの選択。どちらがより正しかったのか。
結果的には2人とも無事に帰り着くことが出来たのであったが、しかし2人は別の歩みをすることとなった。




これ以降、私はくじ氏の背中を追うことを意図的に止めたのだ。

それは、互いが自分にとってより安全だと思える歩みを行う事にしたからだった。

私は自分の足の状況を踏まえ、ゆっくり歩くことにした。
おそらく朝日尾根付近で日没を迎えるだろうことを、受け入れることにした。
2人でなければ乗り越えられないような難所は、無いはずだった。

端から見ればチームプレーの空中分解。
格好をつけるつもりはないが、こうした個々の“わがまま”を最大限尊重するのが、私とくじ氏の間での“とりきめ”だった。
私は、そんな仲間との時間に居心地の良さを感じる。




14:27 【一本松尾根】

復路に入って1時間半。
往路とほぼ同じ時間をかけ、あの「一本松尾根」に戻ってきた。
この間、写真は3枚ほどしか撮影していなかった。

来るときにはあんなに興奮し、また激情を誘った一本松尾根であったが、“越え所”が分かってしまえばそれは小さな衝立のようなものに過ぎなかった。

そこに隧道があったかどうかについても現地ではさほど深く考えることはなく、あくまで私は通路とその障害物として、この尾根を乗り越えたのだった。




一本松尾根から臨む、本谷上流方向。

どれくらい前にくじ氏はここを通り抜けたのだろう。
私という“枷”のなくなった彼のことだ、きっと驚くほどの速度で颯爽と通り過ぎたに違いない。

彼ならば心配は要らない。
今は、自分のことだけに専念しよう。
これから先が、一番危険なエリアだ。


そして、楽しみたい。

私は、もう急ぐ必要を感じていなかった。
酸欠でボケてしまったわけではないと思うが、あと2時間で日没が約束されているのにもかかわらず、私には少しも焦る気持ちはなかった。

何というか、気持ちが良かったのだ。

つらい藪だけれど、そのおかげで我々はこの清水峠で、「一番乗り」の快感に酔いしれることが出来たのだ。
厳密に1番だとかどうかなんて関係なくて、とにかく「未知だと思える景色」に達した。
それだけで、十分に嬉しかったのだ。




急ぐ必要がないのではなく、急げないのだった。
それが私の身体の事実だったが、脳というのは都合良く合理化してくれた。
私はどんな藪にも泰然として臨み、あとはこの手にしたかけがえのない成果を、無事に家に持ち帰ることに意識を集中させることが出来た。

そんな私がふれあう景色は、来るとき以上に美しかった。




14時40分には、本谷対岸を最も広く望める位置に進んでいた。

愛すべき清水国道「一般国道291号」が、巨大な山塊に刻まれた引っ掻き傷の様に見えた。

まだまだ道のりの長いことを思い知らされるが、それでも藪の中から出て景色のひらける度に対岸の見え方は確実に変化しており、生還への着実な歩みを実感することが出来た。




マジかよ(笑)。
清水国道に歩行者が!!

暖色系の景色の中にポツンと青いモノが見えたと思えば、それはどう見てもくじ氏であった。

彼もすぐにこちらに気付いて、全身で合図を送って来た。
互いに相手の無事を確認できて良かったが、それにしても彼の歩みのなんと早いことか。
あの調子なら、彼だけは明るい内に山小屋へたどり着けそうである。

彼我の距離(物理的な距離というよりも、体力差)に一抹の寂しさを感じたが、私には十分に沢山の言い訳があるじゃないか!
大丈夫、無事に帰れば彼は英雄、私も英雄だ。




考えてみれば、ただ来た道を戻るだけの復路もまた、贅沢な体験だった。

というのも、去年の探索が麓から上ってきて途中のナル水沢で断念となった以上、前回の続き(補完)という意味から言えば、むしろ往路よりも復路の方が意義深いのかも知れない。
去年の我々にナル水沢におけるルートの途絶がなく、かつ時間が十分に与えられていたならば、そして天候にも恵まれていたならば、この景色を二日目の午前中に見ていたはずなのだ。
一本松尾根ではやはり苦労したに違いないだろうが、きっと突破もしただろう。

結論から言えば、清水峠の新潟側に横たわる廃道12kmのなかで、本当に踏破が不可能だったのは、ナル水沢左岸の崩壊地わずかに5mほどの隔絶に過ぎなかったのだ。

まあ、今年以上に去年は相当無理をして突破した場所は多かったので、次やってまた通れるかどうかは甚だ疑問であるが…。




往復しながら、帰路に新たに発見したものは、犬顔で身体は猫に似た怪しい巨石ぐらいであった。

人工物や遺構としては、何もなかった。

だから、この帰路は単なる叙述の旅である。
読者さんの中には、帰りにも何か新発見を期待される人が多いだろう。
もちろん私もそれを願った。

だが、清水国道には僅かな石垣の他に遺構はない。
それが現実だった。




いよいよ本谷の最も奥まった、清水国道の徒渉地点が近づいてきた。

来るときもそうだったが、その凄まじい質量に圧迫される感じがする。
山と言うよりも、壁のようなのである。

しかも、いよいよ落ち始めた太陽は朝日尾根によって遮られ、本谷内部に一足早い夕暮れをもたらしていた。

此岸との対比が、怖い。




15:25 【本谷徒渉】

帰路に就いて2時間半。
4.8km中1.8kmを戻り、折り返し地点とも言うべき本谷の徒渉地点へ達した。

おそらく、もう二度と来ることはない…。

少なくとも、このときはそう思っていたから、珍しく記念の自分撮りをしてみたりした。




本谷を越えて、最初のごく小さな尾根。

そこで、帰路としては初めて、腰を下ろして休息をとった。

立ち止まると、そよそよと風が吹いているのが分かった。
風鈴を撫でるには冷たくなりすぎた、秋の夜の風だった。
長く休んでいると、体温だけでなく生還への自信まで吸い取られてしまいそうな、そんな気がした。

だが、斜陽を空一杯に薄く伸ばしたような雲は、私にとってはおそらく好都合な現象を引き起こすことも期待された。
こういう空は、日が落ちてもいつまでもくっきりとした影を作らず、地上に明るさを残すものだ。

【本谷付近からの実況動画】




使い古したカメラポシェット(実際には1年くらいだが、何年も使っている気がする)の裏から、なぜか1枚の見慣れないシールが剥がれてきて手に付いた。

おそらく、座って休んでいて、それで手持ちぶさたでポシェットの下のあたりをまさぐっていて付いたのだろう。

購入したときからずっと付いていたのだろうか。
いま剥がれてきたことに、何か意味があるのだろうか。
あるはずなどないが、しかし剥がれてしまったシールを元に戻すのも可笑しい。

山にゴミは残すまいと誓った私だが、この1cm四方くらいのやつれたシールを、私が休んだ小さな岩に貼った。
何の意味もない。

そこに無理にでも意味を持たせるならば、使い古しのポシェットに新しい発見が出来るほどに私は休んだと言うことだ。
足が、思うようには言うことを利かなくなってきたということだった。




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静かな夕暮れ と 私


16:32 【朝日尾根】

本谷から1時間後。

私は朝日尾根付近に達していた。

清水峠までは、あと2.3kmほど。


そこで、いよいよの日没時刻。

でも当然のことながら、いきなり暗くなるわけではない。




居坪坂新道と合する「上の分岐」までなら、残りは僅かに1.1kmほどである。

もはや私の勝利は確定的。

私も、それを確信していた。

あとはもう、遅かれ早かれ私は勝つ。




しかし、 か ら だ が…。






体が、疲れた。



経験したことのない、異常なくらいの倦怠感。

押し寄せてくる睡魔。

疲れなのか、眠いのか、なんなのか…。


普段の私がいくらずぼらでも、こんな草むらに横たわる事なんて…無いのに…。

これじゃあ…、我が中学時代の“チャリ馬鹿トリオ”、その“ホリプロ氏”の燃え尽きた姿と何ら違わない。
彼は、私と一緒に110kmのサイクリングをした後で、県道路肩の雑草が茂る所で横になったまま、「少し」と言って動かなくなった。
私は近くで座って彼が再び動くのを待っていた。
家から20km離れた、雄物川べりでの夜。

くじ氏と私は、あの日の私とホリプロ氏なのか。


でも気持ちが良いぞ、 ここあ…




いまは気持ち良くても、このまま夜になるときっと寒いだろうな。

その事に頭が回ったのは幸いであった。

私は重い体を引きずるように起きあがると、放り投げていた荷物を全て回収して、再び残る1km少々の廃道へ挑み始めた。

くじ氏は、もう山小屋で手足を存分に伸ばしている事だろう。
私もあともう一頑張りだ…。




今日は既に3人の踏跡を刻んでいるはずの道だが、実際には僅かな草分けも認められない。
深い藪と、急激に下りてくる帷(とばり)の前に、クマとの遭遇を本能的に恐れた私は、ときおり大声で歌った。
歌というか、裏声の奇声を発した。

写真は、17:02の状況。





そして20分後の17:22。

期待していたよりも速い速度で森は暗くなってしまった。
それでも、まだ照明が必要なほどではない。

照明は、出来るだけ使いたくないのだ。
なまじ明るい照明(SF501)だけに、一度点灯させてしまうと夜目になって、照明が無いと本当に何も見えなくなるし、実際にSF501というのは光束が細く、山道を歩くのにはあまり適していないのである。

暗いところでの視力にだけは変に自信のある私だけに、まだまだライトは出さない。




17:45

が、20分後には当然のようにライトに頼って歩いていた。

しかもくじ氏が危険視していたとおり、前も後ろもないような激藪の中で、ライトの近視眼的な光は私の方向感覚を度々惑わせた。
ふと気がつくと足元が路肩だったり、小さな崩壊地を高巻きするのにどこから下って良いのか分からなくなったりと、ヒヤヒヤする場面が多かった。

それでも、遂に私は真新しい人工物に辿り着いた。
廃道に入ってから結構すぐに見付けた、謎の金属柱が現れたのだ!

あとはもう、水を得た魚ならぬ、陸に上がった魚のように、激しく藪を泳いだのだった。
生還は、もう本当に目の前だった。







 最 終 夜  (月光の峠) 


17:53 【上の分岐】




18:16 【清水峠 白崩避難小屋】





出発から11時間50分を要し、
清水峠の避難小屋へ無事に帰還した。



小屋の中には、既に数人の泊まり人が休んでいた。
そこには、心から安堵した表情のくじ氏もいた。
そして、我々が朝に確保しておいたスペースは、くじ氏の周囲にしっかりと保存されていた。
今夜は天気の良いせいで、山小屋の周辺に幾つかのテントが張られていた。


くじ氏がいて、寝床もあって、私は心からホッとしたが、その喜び方が尋常でないと、終盤に感じた不安を悟られそうな気がしてなんか悔しかった。

ゆえに、「いやー疲れた」と微笑んでから、「遅くなってゴメン。さあご飯にしよう。」と流したのだった。

靴を脱いだら、私の足はもうぶよぶよにふやけて、まるで宇宙人の足のようだった。
しかも両足の母趾の爪が酷く内出血しているうえに、隣の指の皮を切り裂いていた。道理で痛いわけである。
やはり、数ヶ月間まともに歩いていなかったのが祟ったのだと思った。






この夜、

私は何を食べたのか憶えていないうえに、何故かあまり寝付けなかった。




そして深夜2時頃、何度目かに目覚めた私は、ひっそりと外へ出た。

枕元のカメラを持って。





外は冬のように寒かったが、月明かりが美しかった。

そして、柄にもなくカメラの機能を色々試したりして、スローシャッターで何度も夜景を撮影した。

身体の芯まで冷えて我慢が出来なくなるまで、それこそ1時間近くも山小屋近くを徘徊し、関東、越後、両方にカメラを向けた。


越後側には、六日町の街灯りと思しきものが1つだけポツンと灯っていたが、関東側には何の光も見えなかった。
ただギザギザが一際険しい谷川岳のシルエットと、利根川の一源をなす大きな谷が口を開けているだけだった。

それと、近くの稜線に立ち尽くす送電鉄塔のシルエットがとても凛々しくて厳としていて、見惚れた。

清水峠はまだ死に絶えたわけではないのだと、そう感じる事が出来た。





エピローグ


月明かりの誘眠作用は絶大で、小屋に戻ったあとは泥のように眠った。

そして、私の31回目の誕生日とともに下山の朝はやって来た。
前日とはうって変わって、文句のない晴天。
窓からは、粒子まで見えそうな光が降り注いでくる。

またしても我々の出立は最後だったが、さきに発つ山人たちの挨拶も心なしか明るい。
山小屋初体験からまだ2日目だが、「行ってきます」「ご安全に」のやり取りも楽しくなった。
朝食の時には、仲良くなった老夫婦に国道291号の話を、得意げに披露したりもした。




2008/10/13 6:56

寝床を片付け、道具をまとめ、軽く頭を垂れて、いざ下山開始。

もう何も心配することはない。
これは、我々だけに与えられた、ひとときのヴィクトリーロードである。

写真は、月明かりの印象がまだ鮮明な関東側の山並み。
この方向にも、廃道に毛が生えたような登山道「清水国道」が、なお12km以上も続いているのである。
明らかにレポの順序としては前後してしまったが、いずれは紹介せねばなるまい。
ってか、紹介したいッ!




2日前と同じ、謙信尾根のルートで下山する。

一度通っているとはいえ、景色はほとんど未知だった。
特に、上の方は全く景色など見えない状況で上ってきていただけに、尚更だった。

写真は、我々が寝泊まりした白崩避難小屋から臨む、JR鉄塔監視小屋と背景の「冬路ノ頭」だ。
謙信尾根への下り道は、監視小屋の裏の山腹に一筋見えている。





清水峠界隈では古道に属する謙信尾根の道。

道幅は車道ではないので、当然狭い。
そして、森林限界を超えているので、すこぶる景色が良い。

やがて冬路の頭の山腹から、謙信尾根の上に躍り出る。





これが、清水峠とのしばしの別れ。

謙信尾根から振り返る、清水峠掘り割りの景だ。

奥の小さな小屋(避難小屋)の裏手にある、自然地形とは明らかに異質な直線的な切れ込みが、それである。


いまは、我々の元にある。
本当に、制覇したのだ。




鉄塔と共に下る道。

気分は最高にハイだが、流石に肉体的な疲労や怪我の痛みまでは無視させてくれない。
下半身に殊更の踏ん張りを要する階段ではないスロープ状の急坂において、私の肉体は悲鳴を上げた。
昨日はなかった重い荷物を背負っていることも、当然大きな負担であった。

歯を食いしばって耐えた。

このきつい下りのご褒美は、忘れもしない下から2本目の鉄塔のそばに実るヤマブドウだった。
2人で心ゆくまで口を紫にした。





8:47 【砂防ダム】

出発から2時間足らずで、一気に谷底の砂防ダムまで下った。

そこには、朝露に濡れそぼったチャリ達が、ちゃんと我々を待っていた。

もう、この二本の足で歩くことを1秒でも早く放棄したかった私にとっては、本当に嬉しい再開だった。
こうなれば、私とくじ氏との間の立場も逆転する(笑)。




8:57 【下の分岐】

「下の分岐」を、かつてない誇らしい気分で通過。

態とらしく睨んでやったよ。

ここまででも、峠からは2時間と少ししかかかっていない。

この同じ区間でも、清水新道を真面目に歩けば丸2日掛かるのである。

笑っちゃう廃道だ。




9:06 【清水集落の端】

車を停めておいた総出発地点に到着。

おおよそ40時間にも及ぶリベンジは、こうして成功裏に幕を閉じた。

そして我々は、新たな舞台(未定対象物X)での再開を誓い合って、速やかに別れた。

私はといえば、まだ午前中だし天気も良いし気分も最高ということで、このあとサイクリングへ繰り出したのだった。
流石にこの日ばかりは、本当に軽いサイクリング(ポタリング)だったけれど…笑。




攻略は、大成功。

ただし、一本松尾根にまつわる隧道の疑問は宿題に。